
言挙げせぬ国の
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ウタクラ 目録
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遥かな先史より、わたくしたちには大陸でいう空間や時間は欠落している。時間や文法など普遍化された概念やそこではたらく論理法則は、すべて抽象座標軸を前提とした大陸思考からの借物である。代って昔も今もわたくしたちの物のみかたには或る共通の基本軸が存在する。それは「つらぬく棒のごときもの」としか喩えようがなく、抽象をきらい普遍化できない特徴をもっている。ここでは、この地軸がてらし出すサダマリを言と物の双方にわたり事例をあげて検証した。
いま、この基本軸にそって歴史的パラダイムシフトが起きかけている。ここでいう組み換えとは科学・政治・経済上のことではない。それらをもたらしてきた大陸の普遍的思想から、わたくしたちの内なるものの見方や感じ方への枠組みそのものの見直しであり、その場へのシフトである。そこで「物」や「言」との古くてあたらしい関係が結び直されようとしている。漢字文化を受容して幾百年を経た大化の改新後、律令体制の整った後の西暦七百十二年の「古事記」の撰録とは、直訳大陸文化からの第一回目の内的パラダイムシフトであったと定義できる。それが「言」の地平上での出来事だとすれば、今次二回目は「物」をめぐるパラダイムシフトである。前回の震源地は宮廷という権力中枢であった。しかし今回は現代美術や舞踏といったごくありふれた日常の創作現場である。欧米抽象思考による物質化された対象物と、わたくしたちの「物」への感受性とのハザマで美術家や舞踏家の不連続感が臨界を迎へてはじまった。物をめぐる列島独自の時空間の枠組みに直に触れようとするこのムーブメントは、近代主義の超克といったレベルにとどまらず、遥か無文字時代の心性の核にまでシフトし得る可能性がある。
ここで論じる「物と物質 - 或る思考実験」とは、表題をみるかぎり、哲学か、物理学のようであり、内容も重いものではないかと敬遠されそうである。しかし、ほんとうのところは、そんな理屈ばったものではなく、現代人ならだれでもふと感じてしまう「絵や彫刻やダンス」の意味とは、それはまた「短歌や俳句、詩」をつくることとはどこか違うのだろうか。そしてその根底にある「ことば」とか「もの」とはいったいなになのか。そんな単純素朴な疑問から発した自問自答にちかい推論である。しかし、一+一=二の意味とその証明には少々回り道した定義立てと方程式が必要なように、あまりに単純なところが難しく、そんな説明に手間取っているうちに少々ヘビーなものになってしまった。ともかく「この列島で表現するとはいったいどういう意味をもっているのだろうか。哥座(うたくら)冒頭で掲げたように、もしもほんとうに、わたくしたちが、いまもって大陸でいうところの時間や空間、そして主観とか客観とか、そうした基本的で普遍的な概念が成立する自立的座標系をもっていないのだとしたら、理性や悟性にもとづくとされてきた学問の系譜や感性を媒介にした主体としてのわたくしたちの表現活動はどうやって可能となってくるのか。しかし、古来より優れた和歌や立派な物語、水墨画、庭園芸術、能狂言の伝統もあるではないか。現在も造形芸術や舞台芸術、短歌や現代小説や国際的に高く評価される文芸・芸術の和洋両面にわたる表現活動は盛んである。ことさら座標系の違いなど持ち出さずとも、そこで感じたままをことばにし、造形し、あるいは、そんな描写表現された作品を素直にうけとめればいいのではないか。まして自然科学や社会科学という学問の成果ぬきに日常の暮らしは考えることさえできないはずだ」ところが、どうも通り一遍のそんなことではすまない事情が、この列島の「ことば」と「もの」にまつわることがらにありそうなのである。
そこでまづ、すこし長くなるけれど、小林秀雄の「本居宣長」から古事記成立に関する部分引用からはじめる。「漢字の渡来以来、日本人は「言傅へ」と「書傅へ」との間に、訓讀という橋を架して往来せざるを得なかったのだが、この経験の不自然な性質については・・・記紀の時代には、訓讀といえば、それは外国語の特殊な学習法であり、当時の知識人は、この極めて知的な手段による新知識の獲得に多忙であった。これにかまけていたから訓讀という橋を渡ってみてはじめて、彼我の言語構造を隔てる断絶が、はっきりして来たという裏面の経験は容易に意識に上らなかった。その代り、この不安が一たん意識されると、自国のことばの伝統的な姿が鋭く目覚めたに違いなく、この意識が天武天皇の修史の着想の中核をなすものであった(天皇の哀しみには、感傷も懐古趣味もありはしなかっただろう。本質的に歌人の感受性から発していた)。當時の知識人の先端を行くと言ってもいい、この尖鋭な国語意識が世上に行われ、俗耳にも親しい、古くからの「言傅へ」と出会ひ、これと共鳴するという事がなかったならば古事記の撰録は行われはしなかった。」「天皇の削偽定實(僞りを削り實(まこと)を定める)といふ歴史認識は、国語による表現の問題に逢着せざるをえなかったのである。・・・そこで太安万侶は、漢字による国語表記の未だ誰も手がけなかった大規模な実験に踏み込んだ。」
この小林秀雄の文章を参考にすると、唐国の漢字文化にたいしての「古事記」撰録とは、あらためて、わたくしたちの「言の地平」に起った、やむにやまれない国語表現の見直しであったことがわかる。それは即ち、政治的な権力統合の神話的意味合いよりも、もちろんそれらと切り離すことはできないにせよ、「言傅へ」で培ってきたわたくしたちの言語精神文化が、唐文化の表記文字を受容したことから訓讀という「書傅へ」文化へと変わってしまい、普段にある言語生活とのギャップ感が増大。このままではわたくしたちのアイデンティティーは失われてしまう。ひとびとの暮らしぶりにも鋭敏であったそんな当時の知識人の危機感から「もの・こと・こころ」への素朴で過激な問い直しに撰録作業の意味の重心が置かれてきた。そうであれば、それら一連の作業とは、わたくしたちの心性の核への内的必然性から起こったパラダイムシフトであったと看做すことができよう。そこで、その「言」をそのまま「物」へと置き換えてみる。すると、戦後の現代美術の先端を行く作業とは、美術ジャンルを越えた、有史以来のわたくしたちの「物の地平」における第二期の内なるパラダイムシフトを起こしているという事実が顕かとなってくる。
飛鳥いらい、わたくしたちは、仏教絵画や、仏像彫刻といわれるもの、そして、唐絵の摂取からはじまって大和絵、山水、水墨画など今日美術といわれるおおくのすぐれた作品や枯山水などをうみだしてきた。そこで、明治になってから大正、昭和初期までの芸術をめぐる環境に小林の古事記成立時のことばをかさね合わせてみると「彼我との空間把握の間にある断絶を、読み替えという橋を架して往来せざるを得なかったのだが、古代は中国や印度・・・明治以降は欧米の抽象座標上の空間造形芸術の摂取に多忙であった。しかし、それは外国語の特殊な学習法と同様の事態でありながら、これまでそれにかまけて、この経験の不自然な性質について、その意味を根本的に問うことはなされてこなかった」のである。せいぜい唐絵を大和絵に、西欧画を日本的洋画へと変様させたくらいであり、もともと表象を忌避してきた先史無文字時代精神に立ち返って、そこから描写とは、この列島で表現するとはどういう意味をもつのかと徹底して自覚的に問いかけることは描写らしい表現が弥生絵に認められてから自分の知る限りにおいて、二千数百年もなかったようだ。その問いかけが始まったのは戦後の吉原治良率いる具体運動を経たモノ派の登場を待たなければならなかった。(弥生以前の縄文における製作物はこの後半であつかったが、大陸系列の表現描写や造型感覚で捉え切ることはできない。)
戦前におけるダダなど反芸術運動も、あくまで欧米芸術運動に基準をおいた限りで受け止められてきたのであり、イメージ表現そのものをみずからの心性のありようから問いかけるには至らなかった。その後、敗戦を契機に欧米のアンフォルメル以降の芸術解体運動の影響のもと、洋画や、そのアンチテーゼとしての日本画を含めた表現そのもののレベルにおける問い直しがようやくにして、はじまってくる。同時に、彼我の空間構造との隔たりのあまりのおおきさ
- それは言語構造を隔てる断絶と同じレベルである - に気付くことになる。この問い直しには、二重の意味が含まれていた。ひとつは、第一次、第二次の大戦の破局を経験した欧州自身の、みづからの近代主義を超克しようとした芸術運動である。それはルネッサンス以降、人間本意主義で進行してきた作品成立過程における一連のプロセスとその関係へのラディカルな問い直しとなった。そこで結果としての作品から制作プロセス自体をも作品とみなされるようになる。その視点は戦後日本の前衛美術家も評論家も即座に輸入した。もうひとつの視点は、ひとたび焦土と化したこの列島で唐絵の摂取以来、うたがうことを知らなかった絵画表現、仏像彫刻などの立体表現を成立させてきた座標系そのものへの問い直しであった。それはすなわち、わたくしたち独自の空間と時間へのやはり過激な見直しにリンクしていかざるをえなかった。あくまで欧米文脈による表現への問い直しをきっかけとしたが、造型概念自体にまでおよぶ表象表現の深層構造にまで降りていったこうした問い直しは、すくなくとも物制作とのかかわりにおいては、この列島の有史以来はじめてではなかっただろうか。
抽象座標上にものごとを再現描写する大陸系表象意識に代わる視点の探求。この過激な問いかけは「対象論理を超えた主客未分化のあるがままの世界の輝き出し」を基本に据えた李禹煥をはじめ、「ものはモデルをもたず、一般化されたらおしまいであり、したがって制作することはできず放置によってながめるほかない」という菅木志雄。また関根伸夫等、おおくの「モノ派」といわれる作家たちの実作作業の基本視点となってきた。かれらの作業視点は、飛鳥以来、天平、桃山文化といえども、あるいは、逆行してみても、弥生絵や古墳壁画以来、この列島の芸術作品といわれてきたものは、例外なくその基盤そのものが、大陸中国や朝鮮半島の、明治以降は欧米の直訳ものか、翻訳ものであり、そこにおいて成立してきた表現は、模倣と、その変容でしかなかったのではないかという過激な気付きに支えられている。
ことに、菅における創作実践者としてのひらめきは、再現性にその本質をもつ大陸の抽象座標系思考の限界性と、同時に列島独自の時空の構造とを直に照射し、彼のことばにおいても逐一、物質と物との彼我の違いが言表化されたものになっており、自身も不思議な気持ちで長年にわたって彼の作品とカタカナ書きが多くまじった、なにげでありながら独特の文体で書き込まれた作品カタログコメントに魅惑されつづけてきたひとりである。そんな彼らの、イメージ表現そのものの可否を問うにいたった視点の発見
- それは無文字時代言語精神の核である - その視点の再発見により「物」にかかわる内的で本格的なパラダイムシフトがいままさに起こりはじめているのである。「古事記」撰録のようにドラスティックかつドラマティックなものではないが、三、一一以降、列島が放射性物質に大量汚染されるというあわただしく困難な日常の裏側にあって、そんな大事件にもかかわらず、むしろこのパラダイムシフトは、しずかに確かなできごととして、今後とも未来のわたくしたちの地軸を形成していくように思われる。この事態は現代美術世界の空間問題としてありながら、「物」の地平に持ち込まれた壮大な実験である。「物」に関する古くてあたらしいこの視点の再生は、一ジャンルの問題にとどまらず、わたくしたちの言語精神に由来する基本的な存在論的問い直しとしての出来事である。
しかし、これらの動向が(*一)「物」におけるパラダイムシフトを起こしているということを、実作者以外は、いまだ明確に自覚できてはいない。その原因は、先にいったように、この運動は欧米と連動した二重の層を成して発生しており、その二層間で屈折する反射光にかく乱されて、その動向自体が見えやすいものとはいえないからだ。また、特殊な美術界、しかも混迷する現代美術という狭い世帯にいまだとどまった現象であるせいかもしれない。あるいは、彫刻・絵画・映像というジャンルにおいては、趣味判断レベルの意識といえども、ひとたび自我に刷り込まれると、無意識裡に価値化されて、それを払拭することが難しくなる。その点に、それは、「漢意(からごころ)は除き難し」と同様に、あるいはそれ以上に、いちどまとわりついた表象感覚からは自由になりにくいということに帰着する問題なのかもしれない。
ともあれ、すぐれた評論家もいたはずの、当時のあの画期的な「具体運動」でさえも、欧米とパラレルにおこっている抽象表現主義の視点にのみ集約され、その本質は覆われて、運動はたんなる近代主義を超克しようとする欧米と呼応した美術動向のひとつとして片付けられて終息してしまった。また、現在の美術評論世界においても、たとえば自身も敬愛するすぐれた論客のひとり、千葉成夫にあっては「この列島に美術というものは未だない」と言い切る論拠をもち得ながら、モノ派を核としたその後の一連の芸術思潮をポイエーシス(制作)からプラークシス(実践)への動きとみて、従来の欧米座標の物の見方、規範からもうひとつ抜け出せないでいる。具体的作品にそった、かれの誠実な見方が間違っているというのではなく、そこから整理された結論は、そうであるに違いないけれども、実は、その整理の視点は外部からのみたてにすぎなく、その視点のその先で、実作者の方は、自己の身体を軸にできている分だけ、より核心をついた独自の時空間の場をすでにひらき、美術をこえた「物」の地平におけるパラダイムシフトまで喚起していることが作品から直に感じ取れる。そこでつい、ジャンルをこへて、もう一歩踏みこんだ視点からの立論がほしいと、ないものねだりをしてしまうのは決してわたくしひとりではないはずだ。彼の「逸脱する美術」や「類としての美術」「未生の美術」などの用語をみても、また彼以外においても「閉じられた円環の彼方へ」「悪い場所」等々、わたくしたちの空間や時間にたいする切り口のキーワードだけをみても、その生硬な表現が、翻訳概念主体の美術評論世界にあっての視座の限界点なのかと感じざるをえないところである。しかし、問題は、そこでこの内的パラダイムシフトのトレンドが、たんなる近代主義の超克としての運動だと従来どおりに捉えられてしまうと、その潮流の行方はかすんでしまうことだ。そうなると、わたくしたちは、ふたたび外の視点へと引きづりだされるか、その反動としての神秘主義の視座にのみ込まれてしまうほかはなくなり、それこそ椹木がいう「悪い場」として、これまでたびたび繰り返されてきた「閉じられた円環」のパラダイムに堕ちてしまう危険性がある。
第一章 人麻呂の誇りとアポリアの存在
かの筆頭詩人、人麻呂は、わたくしたちの物のみかたにもともと備わっている否定相の存在に触れて、そのあり様を「言挙げせぬ」ところではたらく物の耀きとして、高い誇りをもって詠いあげている。しかしその後とりわけ戦後は、この否定相の背後に見え隠れしている、すなわちここで作業仮説のキーワードとしている「この列島独自の基本軸」にあたるものは、その存在自体やわたしたちの物のみかたや考え方に及ぼすその積極的な役割や意味が正面からとりあげられることはあまりなかった。むしろどこか避けてきたきらいがある。そしてここで「不理・非象」といっている「言挙げをせず・個人的な表象表現を避ける」その否定相のはたらきこそが、わたくしたちの論理的思考の発展を阻害してきた原因であるとして、その一面のみをもって、その背景に想定されてしかるべき、あるいは、すくなくとも検討されてみてしかるべき地軸としての独自座標の存在とそこにはたらく基本力学も共に全否定されてきた。その傾向が今日まで続いてきている。そのわけは、明治維新や先の大戦をはさんであらゆる価値が逆転したという思想環境にあるというより、この座標自体がもとより抱え込んでいるアポリアなるもの
- そのものとしては対象存在として普遍化できず、論理化も可視化もできない - という独自否定相を伴ったその内部構造の晦渋さに、それを主題とする困難さが常に付きまとい、戦後のみならず、古来よりその時代の気分の物指をあてがって解釈する他なく、あるいは戦前のようにご都合主義に流されてしまった。こうした表層的な解釈に終始せざるをえない扱いにくさがアポリアとして、わたくしたちにもともとそなわっているこの座標系の解析を阻んでいる。
その困難さは小林秀雄のつぎの解釈からもうかがえる。『「言揚げ」はよく議論するという意味に取られているが、「言揚げず」を特に「言にあげてつらふ」と解する理由はあるまい。よく意識された言語表現の意味に解してよいと思ふ』と。なお、「言揚げ」の一般的な解釈は「声をあげて言い立てること」「大言壮語」などを指し、なすべきでないときにすれば、大きな災いを招くとして慎まれた。実際そんな用例で使用されてはいる。
しかし、人麻呂が誇りをもっていう「言揚げせぬ」というこのキーワードはけっして小林がいうような表層的な意識や言表者に帰属するたんなる言いまわしや感情表現の問題で片付けることはできない。もっと深く、物と言とに関わる言語構造の根本問題がそこに潜伏しているはづだ。その左証のひとつが、インド哲学者、中村元の次のことばだ。それは、ここの小論とは正反対の観点から述べられたものではあるけれど、ここに「言挙げせぬ」ことのアポリアが孕む構造が簡潔にまとめられている。『「日本人の非論理的性格は、おのずから論理的整合性のある首尾一貫した思惟作用がはたらかぬようにさせている傾向がある。すでに古代において柿本人麿は「葦原の水穂の国は神ながら言挙げせぬ国」であると詠じている。そこにおいては、普遍的な理法を、個別的な事例をまとめるものとして構成するという思惟がはたらかない。』と。アジア各国の言語精神を対比しつつ、仏教論理の受容時の言語構造に詳しい彼ならではの指摘である。そこで「言挙げせぬ」ことを非論理的性格をもったキーワードとして否定的に受け止めているものの、この分析は、反面、この言辞が、列島言語構造の根本問題を含んでいることをあきらかにしている。
さらに、ここでこの小論の仮説にもとづき「言挙げ」をこの列島の言語規範から逸脱したことばと物のサダマリに敵対する人間側の行為と解するならば、すなわち「言挙げ」を言や物を列島の地軸から外れた仮想の吾という人間側の主催する座標上へと置き換えたできごとであると見るならば、吾や分節化された対象物やイメージ、それらを統覚する主体、論理のはたらきは、みな仮象であることになり、そこに基づく行為は神威に敵対して、ことばや物に直に触れることから離れてしまう暴走だとみなされる。その先に待受けているものは、現存最古の用例である古事記中巻のヤマトタケルの慢心による言挙げのごとくに悲劇を招来する。
これは、どこか他できいた話に似ている。そう、わたくしたちにもなじみの天上界から人類に災いの火をもたらしたとされるギリシャ神話のプロメテウスのことだ。もし、この小論でのさきほどの読み替えが許されるならば、わたくしたちの「言挙げせぬ」というアポリアは、ハイデッガーが近代技術思想の問題を古代ギリシャ語で読み替えてそこに西欧ニヒリズムからの脱却をもとめようとするテクネー解釈や、そしてその背後に存在している古代ギリシャのコスモス世界が抱えるア・プリオリな構造
- そこでゼノンの数理的なパラドックスとギリシャ悲劇がおしえるアポリア - にまで通底していく問題であるようにおもわれる。
また、人麻呂の韻文がわたくしたちのこころうちに直に訴えかけてくる詩的真実というものがある。それは列島の最大詩人の歌のフレーズ中のこのことばの調べには、抽象化をタブーとする規範のもとに、描写とイメージ化というものを忌避しつづけてきた先史時代言語精神に源をもつ、それこそ原始的な熱き誇りにみちたおもひが集約され、その靭きこゑが聴き取れるという事実である。それは別掲で詳細した先史時代言語精神のつくりだしてきた尖底土器の器表面を描写表現を再現する支持体とはせずに、描写を明確に避けつづけて這わせたあの縄の眼の制作視点と同種の靭さだ。あの一万年にもおよぶ縄文期の縄の眼の否定の相をもった反復の刻印。あのいともあやしきさだまり方をみせる「イキホヒ」や自在な「フリ」。
それはまた、後述する草間彌生が統合失調という心身を賭けて生き抜くために紡ぐしかなかった「水玉の天文学的な集積が繋ぐ白い虚無の網によって、自らも他者も、宇宙のすべてをオブリタレイト(消去)する」と宣言したあの無辺に反復する虚無の網の「サマ」とも同種の靭さである。そしてこのフリ・サマの靭さをもち来たらせているもの、それこそが詩人として、思想家として、人麻呂に「言揚げせぬ」といわしめた高き誇りのあのアポリアの正体なのではないだろうか。わたくしたちは、古来より吾や他者や存在事物、そしてあらゆる物言にたいして、それをそこで再現し、うつしだし「仮象する座標を設定しない。」あらゆることばやものごとを「擬似スクリーンに描写しない。」代わりに、「イメージ化せず」、「言挙げせぬ」そう言い切る否定の意思の靭さと自由を「物のサマ」「言のフリ」として徴シてきた。
- 対象化して普遍化したイメージ表現にせずとも - そのイキホヒある徴シによって、ものごとを直に輝かしめてきた。太古よりそうして生きてきた。他方、大陸言語精神のおしえるところのように、いったんものごとを座標上に再現してしまうと、言のカガヤキは失せて物のいのちは死んでしまう。そこがわたくしたちとは決定的に異なるところだと人麻呂が自覚していた矜持の内容であり、縄文いらい現代までブレることのなかったこの列島にそなわる言語精神の基本軸である。そこで何の隠れたる意(ココロ)も理(コトワリ)もなく、露となる言の「フリ」、「物」のサマというもの・・・。
それは現代にもアカラサマにみてとれるフリである。「お母さん」というタイトルで見せた舞踏家・大野一雄の晩年の公演がそうであった。舞台袖からあらわれ、掌にした一条の短縄でくり返し、音立てて中宙を切り裂くスーツ姿のままの舞台の大野。かれは、自らの表現も、他者も、宇宙のすべてを直に叩き尽くしてあるきまわる。その激しさ。母をおもひ振り下ろす縄の「イキホヒ」。それらは対象化して普遍化し得ない心のはたらきが直に顕われ「フリ」そのものと化した大野であり、わたくしたちの姿である。クラシックバレーやモダンダンスと舞踏は根本的に違うなにものかである。舞踏は、身体を時空間のなかに構成し、そこにおける美をもとめない。ニジンスキーの永遠性へと飛翔せんとする身体やべジャールの構成する時空間という枠組みは、そこで音をたてて、叩き壊されている。代わって、大野の「フリ」は指のさき一本一本が、みづからの肉体の実体化をウナガシゆく。イメージを排し、物化を果たしゆく・・・。そのとき、身体が地軸と成りゆく周縁には、無辺で無窮のただ反復し連鎖していく「物」の原野がひろがっていた。直後に同じ舞台上で開催された吉本隆明を主賓とするシンポジウムでの、そこで交わされたことばは、さきほどの微光をいまだ残した物のしじまにあっては影のうすいものとならざるを得なかった。
しかし、実際の表層意識では、古来よりことばとものの視座を、天竺・中華・欧米の抽象座標にナリスマシして暮らしてきたわたくしたちは、こんにちにいたる大陸とこの列島間の彼我の視座の違いからくる学問・芸術・生活全般にわたる、あらゆる誤解や勘違い、そこからくる所在なさや悲喜劇の中に在る。
- こうした彼我の言語構造間の断絶の深い闇にのみ込まれて身動きがとれなくなってしまうとき、社会システムは硬直化して一種の統合失調を引き起こす。
- こうした齟齬から生じた象徴的で重篤な事態のひとつがこのたびの列島三度目となる世界史的な核物質による放射能汚染であるとの見方も可能だ。
三、一一以降は、国際的原子力シンジケートの論理にくみこまれた産学官が、あらゆる意識、無意識の裡に理(ことわり)を駆使して、その本質を隠蔽してこようとするだろう。けれども、明治にその構築がはじまった近代自然科学や政治、経済、そして学産体制までその大半のナリスマシの枠組み自体が機能硬直化をきたしていたのはあきらかで、最後にリアルなメルトダウンを迎えたということだから、それはチェルノブイリ化していたソビエトというシステムがリアルなチェルノブイリをきっかけに崩壊してロシアになったように、列島の仮構の巨大テクノロジーをささえてきたやはり仮構のナリスマシ社会システムも崩壊するしかない。
これらを意志のちからで隠蔽しようとしてもかなわないはずだ。わたくしたちはもっと構造的な崩壊に直面しているのだから。今後は、それに比例した社会的統合失調の諸症例も増大するにちがいなく、これら病理への有効な処方箋はこのアポリアを正面に据えて、その解決と大陸の抽象座標系思考との差異の自覚からの社会システムの再構築なしにはもとめ得ないだろう。芭蕉の陸奥は、智恵子抄のそらは、賢治のイーハトーブは、普段着でのなにげな時候のあいさつことばは・・・。半永久的に終決のつかない今回の事件をおもうとあらためて覚える哀しさ、それがヒトやものにそなわっている自然なこころ裡であって・・・。しかしその一方で「言挙げせぬ」ことの原野で物のカガヤキを受け止めてきたのが列島の真と美の在り様である。それは近代の感性よりもっと深部の出来事として在り、その構造は
今後とも微動だにしないというのも事実である。
論旨がズレてきたので、主題へもどすと、ここであらたな問題が三つ発生している。【第一の問題】は、わたくしたちにそなわる独自の文脈をそこに載せて読み取る座標系が明確に顕かにならなければ、じぶんたちの足許の心性の核の自覚は育ちにくいだろうという問題である。それはいうにおよばす、そこに根ざした芸術、科学の自発的な動向が未来過去にわたってあったとしても、見ることもできず、かろうじてみえたとしても、ただしく評価できないことになる。その結果、抽象座標系に載せた欧米視点による読み替えがおこなわれ、その評価が定着して、真美に蓋をしてしまうこととなる。たとえば岡本太郎が発見した火炎式土器の美を彼は近代フランスのアンフォルメル=抽象表現主義の造形視点から評価したが、その後そのすぐれた発見をわたくしたち独自の地軸へ読みかえて、そこに想定される列島独自の空間と時間を措定し、そこにはたらく力学を確定し、さらにその視点をフィードバックして、現代空間を検証するような
- これはこの列島文化における基本的な作業として要請されてしかるべきだとおもわれるが - そんな仕事はだれか、あるいは、どこかの研究所ではしてきているのだろうか。いまのところ、私は、この哥座(うたくら)以外でその例を知らない。
また、同時代的に、現代の思想と密接に関わる現代芸術の最前線において、戦後、この列島独自の基本軸にはじめて触れた「具体運動」や「舞踏」は、きわめて一部の美術評論家をのぞき、いまなおその評価は不十分のままである。この運動が提起した、わたくしたちに固有の地軸が存在し、そこに独特の空間力学がはたらいているということを確認できることから発生する問題は、芸術界にとどまらず戦後思想界をゆるがすほどのひろがりをもっていたはずだが・・・。
(ただし、「インスタレーション」や「シュールレアリズム」また「(肉体の)オブジェ化」などの概念を切り口に戦後前衛芸術を積極的に評価してきた澁澤龍彦をはじめとする旧世代評論家のキーワードでは、この列島独自の地軸に根ざしたムーブメントが欧米芸術の文脈に読み替えられてしまう。そうなると火炎式土器の岡本太郎の解釈にみられるように、その真美の本質はかえって隠蔽されてしまう。その傾向はいまもってつづいているが、真美の判断基準となるはずの彼我のよって立つ二つの座標系の違いは類推やメタファーでは橋渡しがきかないほどに、まったく百八十度異なっているのである。ここをあいまいにしてはならない。)
当該芸術と科学思想の両者は、その底辺では同じものに根ざしている。しかし、そんなことに露ほども思い至らぬこの国にあって、それは【第二の問題】をひき起こす。まづ、外からやってきた社会科学思想や科学技術を受容する際に、その思想を自分たち自身の座標系に位置取りできない限りは、もともと抽象座標系に根を持ち得ないわたくしたちにあって、その真の認識と創造的活用はできるはずもない。模倣をくりかえすか、目先の応用に終始するほかないことになる。こうした自己の拠って立っているはずの時空間感覚の欠如したままの現代の社会科学系および自然科学系と称する学問は、目先の利潤を求めるいち業界にすぎないのだといえよう。自分の歩むあしもとが覚束ないまま、未だ大陸系抽象座標に載せた概念思考論理のみが世界統一規格だと盲信し、それらへの批判原理も養生せず、つぎの新ソフトの輸入と日本化と称してカスタマイズに励んで嬉々として自己満足しているその姿は、人麻呂の誇りとくらべてみたとき、あまりになさけなくあさましい姿ではないだろうか。列島のフィジカとメタフィジカとを正当にうつしだす戦後のすぐれた先鋭芸術作品が提示する座標系があるにもかかわらず、それを顧みることの意味にまったく思いが至っていないのだ。たとえ見ようとしても、そこではアポリアが呪縛となって行方を阻んではいるが・・・。ケッキョク真も美もまったく見えなくなっているいまの状態では、基本的な問題などかれらの視界にうかんでこようはずがない。
しかし、ここまではまだローカルな話として、異文化と接触する際にどの文化圏にも多少なりとも起りえる現象だ。問題はそこからである。あとで詳細するように「言傅へ」を旨とする列島言語精神は、縄文の古代より「言」を「物」としてとらえていまに至っている。このすぐれた特質というものは一方、「漢意(からごころ)」が代表するように、大陸の座標系で発展した仮象概念や論理まで実体化した「物」として受けとめて、そこを尺度にものごとを見ようとしてくる。ここが、とくに近代欧米の抽象概念の受容と運用においては、致命的な欠陥となってくる。それが【第三の問題】である。もともと概念とはたえず規定しなおされなければ機能不全に陥ってしまう仮に措定されたものでしかない。批判力とセットで論理化されるのが概念運用における必要条件だろう。当の欧米自身、みずからのうみだした概念は実体ではなく観念であり、時代の抽象座標系へ載せた約束ごとであること。そしてそのつどの時代の進展にあわせた定義付けと、そのための批判力が必要であることを自覚している。ところが、抽象座標系をもたず、時空間もないこの列島では、場当たり的局部の批評はできても、概念・論理を成立させているベース自身から発した基本的な批判力を原理的にもちえていない。
そこで生じる滑稽な事例には事欠かない。たとえば仏教においては中村元が詳しいが、飛鳥以降、鎌倉期までを通じ、仏教論理学の研摩・研鑽は、この列島で運用されるとき、いつしか様式化されたやりとりの儀式の道具としての「物」にまつり上げられてしまった。龍樹の哲学といへども、ここではダルマとしての論理ではなく、「言」すなわち「物」であり「列島地軸としての神」としてまつられてきた。それは大宝律令が原典も紛失し、おぼろなまま平然と千年ちかくもにわたって立法精神も忘れて運用されてきたことや国会を儀式の場と化した昭和憲法の法概念のなしくづしの拡大解釈など、立法という現実世界においてもみられる「概念」の「物」化現象である。外来の思想を原理的批判力のないままに、存在しない概念上のものまで在るとして「物」=「言」思想で運用にあたると、その結果する現象は、よく日本化といってごまかされているが、ようするに、無きものを在るとして、そこに威力さえ認めてしまう呪術世界に陥ってしまうのである。この心性は、えてしてそこで社会経済条件を反映した共同幻想に捉えられたとき、この国の大学研究室やシンクタンクなど
セクト化した - この場合のセクト化もシステムの「物」化現象のひとつにほかならない - 専門機関で再定義され、意識あるいは無意識裡に機関の利に適うパラメーターが設定され、いかにも客観的なデータ解析のようにみせかけられて、そこにあらぬ意味が付加され、幾重にも扮飾されて、まつり上げられたその語がふたたび流通するころには、批判力とは無縁の思考停止のたんなる題目にすぎなくなっている。三、一一であきらかになったことは、電力マフィアの跋扈をゆるしてきた挙句に、国際的合意にもとづいて法制化されていた放射線被曝許容量を年間二十倍にもひきあげて、とくに子供たちの健康リスクに目をつぶって平気な民主主義を詐称するナリスマシ国家が存在しているという事実だ。そこにわたくしたちは暮らしている。そしてそれらにたいする批判原理をもたないどころか、みづから、自然と美と生命の麗しさを壊しながら、その自覚もなく自然科学、社会科学を詐称して立法、行政、司法から医療、金融経済、国際関係全般にわたって、ナリスマシ国家権力を支えつづける数多のナリスマシ機関が存在することである。しかし、これらすべての土壌は彼我の言語精神の差の存在を見極めようとしなかったわたくしたち自身がつくりだしている。
以上の意味からも、この小論で顕かとする彼我の座標系の差異とそこにはたらく力学の差異にわたくしたちは目を背けることはできない。この差異をまず事実として押さえ、わたくしたちの基層をふまえたところから問い直さなければ、なにごともはじまらないだろう。もともと当時の国際教養人でもあった人麻呂の誇りの意味するところの世界は、偏狭なナショナリズムやローカリズムに還元される問題ではまったくない。ましてそこにイデオロギーにもとづいた現代的解釈をくだすことは、幾何学の問題に三角形の色を問うような的外れなことである。先端テクノロジーや高度情報化システム社会が引き起こすおおきな変貌期に直面したいま、これまで受容してきた印・中・欧のテクノロジー文化のもとづく大陸言語精神の基盤というものを、いまいちどそれらの座標系を相対化できる列島独自の視座に立ったうえで検証し直す必要がある。そのためにわたくしたちの抱えるこのアポリアの解決は、このまま放置できない火急の問題として浮上してきているのだ。わたくしたちは、世界史的な同時存在であるからこそ、彼我の言語構造を隔てる断絶とそのはたらきかたの相違を認識し、未来の意味を問いかけていく必要性がある。そうでなければ、従来の儒家・仏家の思想や欧米近代自然・社会科学の学問のように -
それらはみかけは中立的だが、その根本においてすでに観念的な主客を定立したプラットフォーム上に成立したものであり、それゆえの偏向した世界性という限界を抱え、また実際化された場合、所詮、既存権力の利益システムに組み込まれ、特殊業界のひとつとして圧力団体の利益を代弁してはたらく政治と癒着しつつ、自己保身に走るしかなくて -
エネルギー業界や遺伝子工学世界にみられるように - そんな彼らの活動を独自文脈で読み替えて、批判もできなく放置したままでは、わたくしたちは大陸の視座にナリスマシた永遠のインターナショナリストとして仮構されたグローバル世界を漂流しつづけ、気がつけばさらなる悲劇に陥ってしまうことになるだろう。
*「言挙げせぬ」こととは、呪術的観念を超越した縄文時代からの基本的な列島言語規範であったとおもわれる。それをあへてここで「言挙げす」という人麻呂の発言は、逆説の意味をこめたものではなく、遣唐使が赴こうとする「唐」に対して、両言語精神をみていくメタ視点にたった発言としてみれば至極、順当なものである。いま、この列島言語精神の特徴をみていく上で、とくに欧米言語精神との差異を明確にするためにも、系のことなる言語精神文化を同時に掬いとる作業視点が要請されてくる。それは唐国にたいする人麻呂のこの例にみるまでもなく論を俟たない。ただし、メタ視点がうみだす概念は仮象を生みだして「言」の本意を無みしてしまうので、その射程を限る必要がある。
その点、漢字を導入、定着した万葉以降に形成されたはずの「言霊」ということばは、このメタ視点によってうみだされ、固定化された概念ではなかろうか。その証拠は、まづ「言霊」概念のほとんどは遣唐使送別にあたって詠われている点にある。つまりここで「言霊」はあくまで漢国を意識した上で、「言幸くの内容」=「・・・然れども 言挙げぞ吾がする
言幸く (ことさきく) ま幸く (まさきく) ませと つつみなく 幸く(さきく)いまさば 荒磯波 (ありそなみ) ありても見むと 百重波
(ももえなみ) 千重波 (ちへなみ) にしき 言挙げす吾は 言挙げす吾は・・・」という意味内容を概括し、表象した概念として使用されている。人麻呂以前から流通していたであろう「言霊」とは、はじめは説明に便利な通俗概念あるいは作業概念であったものが、しだいに呪術的霊力をもったものとしてひとり歩きし、もともと「言」「物」にそなわっている原初的、存在論的驚きを代弁するに便利なある種の霊力をもった理(ことわり)として、定着していったのではないかとおもわれる。
*神威というこの概念も漢語に影響をうけて成立したのものだろう。意味を内包した抽象概念は、言や物が直に物であるとする受け止め方に混乱を生じさせる。列島言語は、常に上代にあっては漢語からの、明治以降は
- ここで造形美術概念に絡めて説明したが - 欧米からの抽象概念の混入で、そのはたらきかたが、二重構造となってしまっている。そこで列島独自の物と言のはたらきかたが、大陸座標上の概念によって再解釈されてしまうことで真実が覆われてしまうのだ。この事情が、アポリアの解決を一層難しいものにしている。
第二章 実存の根拠
いまでは、E=mc
へと還元され得るに至った、森羅万象を四個の座標の幾何学に煎じつめる物理世界においては、わたくしたちも概念上、そこにカウントされそれを利用もしている。しかし別項で触れたように、実際は、その場にこの列島の住人は実存の根拠をおいて来なかったし、これからも真に身を置くことはないだろう。一方、西欧では常にロゴスという伝統的思弁哲学が拠って立ってきた抽象座標系のプラットフォームが先験的に備わっており、そこに根ざしたもののみかたをしてきた。現代にあってもその基本は変わらず、それは「言葉は存在の住処である」とするハイデッガーの言表にも端的に覗い知ることができる。クラシックギリシャのユークリッド幾何以来それら初期自然科学と観念哲学、造形芸術とは、当該時代にあって同じ座標系を共有しながら、常にパラレルに現象してきた。その進捗の果てに現代物理学や社会科学そしてオブジェ指向のかれらの芸術が平行して存在している。しかし、それらが共通に根ざしてきた抽象座標系列世界と、わたくしたちがいまも住み、根をもっている「言挙げせぬ国のフィジカとメタフィジカ」世界(別載)とはここで採りあげる事例をみるかぎり、あきらかに系統がちがう世界である。

第三章 時間と空間をもどく
この否定相をそなえた独自座標が顕かとする世界は、概念の本質や物質の求心性、内包性がそこで無化して、反復する無名性の世界がひろがる時間も空間も欠落した世界である。通常ならば、その内で、論理的な演算にかけるために、ものごとを関数化して位置付けるはずの、時空をはじめとした枠組みとしての各抽象座標系は、列島の独自否定相のもと、それまでの各系統の個別領域の涯で、内が外へと裏返される。もどかれる。しかし、そこに普遍的な座標でなく、あくまで個別的で具体的な物や言として、列島独自の座標軸が形成される。この座標軸の周縁にものごとがありのままに「見る」から「見ゆ」という変容を遂げて、展開してくるのだ。
もうここに至っては座標というイメージにはほど遠いが、分節化未然の、ただ反復する無名性の世界がひろがっているばかりの初源的な場に還元されると「言」は、抽象的座標軸に代わる歌や句の一首一句一音そのものが、また、「物」にあっては、先史縄文の器自体や表象を忌避して、そこに物付けした縄の眼そのものが、みづからを軸として、そのさらなる周縁に無辺・無窮の場を生起させる。同時に、そこで物事の在り様とその位置が明らかにサダマリ、具足化する。そのあたりの事情は、現代美術の「もの派」の作品や舞踏の身体にも共通してみられる特徴である。その際みずからを「舞踏はいのちがけで立ち尽くす死体だ」と云った土方巽のことばには、時空をもどいて、地軸と化した身体の在りようと、そこでひらかれる列島独自の無辺で無窮の地平に物がひしめくありさまがみごと集約されて云いとられている。
第四章 「見る」から「見ゆ」という世界へ
また、おどろくべきことに、先史に由来するわたくしたちのほとんどのことばは、現代語においてさえも、たとえば「月」ひとつ例にとってみても、ほかの印・欧・中の言語文化圏の固有ブラウザによって抽象化された座標にうつしだされてくる世界とは、まるで様相の異なるはたらきかたをする。常識では、わたくしたちの「月」も中国の月も漢字概念としてそこに対応した意味と表象を担い、当のあの夜空にかがやく月を指し示すものであり、また、「MOON」とも同義であり、対象存在として、オブジェクトとしての月の指示代名詞だとうけとめられている。
しかし、この列島にあっての事情は著しく異なる。それは1970年7月、京都国立近代美術館における菅木志雄の作品「無限状況」の館内踊り場の窓枠に斜めにさしわたし小窓が閉まらないようにしたツッカイ棒のはたらき方と似ている。もともと美術館は空間の求心力を活かして、ひたすら作品へ集約するように、閉ざされた場になっているが、「無限状況」では、ツッカイ棒自体は何も表象せずに、館の内と外との関係を解体する。そこで建築物としての物理空間と作品提示という制度空間はもどかれる。それまでの近代座標軸に基づいてきた視点は、ツッカイ棒という物の現実態そのものを軸としたあらたな視座へと転換され、周縁には無辺の空間、無窮の時間というわたくしたち独自の場がひらいてくる。つまり、ここでは従来の時空間座標は裏返しにされて無化されてしまっている。
その棒という物のはたらき方と同様に「ツ・キ」という「言」は、一音一音の舌触りあるこゑとして実体化されたとき、ここでいっている「不理・非象・無辺・無窮」という否定相をもった物としての座標軸の役割をはたす。概念としての抽象座標に浮かぶ月の対象存在をもどき、こゑとなった「ツ・キ」という言それ自体はそれ自体として意味を内包せず表象せずに(不理・非象として)「ツ・キ」として言であり物である。座標上に再現されて意味を内包する「月」や「Moon」ではない。
- そのあたりの事情は、宣長からことばを借用すれば、意と事と言とは、みな相かなへる物にして・・・何の隠れたる意をも理をもこめたるものにあらず・・・なのである。 概念としてはたらかない物として在る言は、そこでみずからを絶対軸とした独自の時空間を形成する。この場合の絶対とは、本質を喚起しない言は物として其れ以外のものではなく、逆からいえば他所から規定されもしないという意味における次章でいう「其外ニ何モ無事ゾ」という絶対である。なんらかの神秘性を付加した絶対ではない。-
この言を軸として内と外、あれとこれ、吾と他者というすべての境界性が無化された無辺無窮という時空間が生起する。そのフィールドに月を月として、同時に、周縁のものごとをともに、関係性まで含めて、物をあるがままの在るべき位置にふたたび直に具足化してくるのである。この無辺で無窮という従来時空の失せた場では「見る」から「見ゆ」へ、対象を「思考する」から物を「おもひ、かむ(ん)がえる(か身交へる)」へとわたくしたちの身体視点もそっくり掬ひとられたかたちで、視座転換が生じくる。
この事態はまた、別頁「A・S・О」にすこしくわしく説明した。大陸系の概念箱をもどいた「A・S・О」は、「物」の展開図であるとともに「言」の展開図でもある。この「A・S・О」作業の数年後、熊野で出会った「花の窟
」のかけ縄もまた、「A・S・О」と同じ構造とはたらきをもつ固有の地軸として、遥か先史に由来するであろうその縄そのものの在りかたが、言挙げせぬこの列島固有のフィジカとメタフィジカの根拠となり、いまにまで至っている。
これらの視座にはたらく力学は、日常の道具存在としてのことばの使用からいったん離れて、表記された漢字仮名交じり文と(できれば歌会や句会のような非日常の場で披講されたアヤをそなえたこゑの上り下りの体験の場として)そこで実体化されたこゑに聴き入っていけば、列島言語のはたらきの特徴が聴き分けやすくなる。こうして「書傅へ」ではなく「言傅へ」をその旨とするわたくしたちの言語の性格があきらかとなればそのとき、漢字に代表される抽象系座標と、まったく正反対に位置する「物」「言」それ自身を実体化して地軸とした座標系との、この二つの座標系の切り替えがおこなわれるので軽い眩暈をおぼえるかも知れない。
(ここでいっている差異とは、ある中国思想研究家が云っているビジュアル処理と日本語言語処理の左脳と右脳の違いのことではない。ここでは一般観念としての時間と空間そのものがそこにあるかないかという両極に対峙した座標系の違いを指す)
この経験が示すところでは、また菅の作品にはたらく世界とのかかわりの論理 - 「もの」が在るから「極限的に在る」(人工的な制約を離れたところでどうしようもなく在る)への置き換えと放置を通じて世界と関わるという制作論理
- を「言」へと援用敷衍すれば、わたくしたちの言語精神の座標系にあってはすべての古言がそして日常の生活用語も含めて、ほとんどのことばは、「物」と同様に「人工的な制約を離れたところで(言の場合は意味性として在る言語からどうしようもなく在る状態、こゑをともなって物化したことばの状態。)」そこでは「言」と成った「ことば」は内容に対応する対象をダイレクトに指示しない。
- この「ことば」が内容に対応する対象をダイレクトに指示しないという哥座自説は、とても合理一辺倒の現代人には理解してもらえそうもない。そこでいまだに輸入言語学説がまかり通っている現在にあって、列島独自言語精神に立脚した視点から思考することにおいて、戦前戦後を通じて、もっとも誠実で信頼のおける国語学者・時枝誠記の言語過程説をもちだし、彼に倣い、戦前の昭和の十年代にたちかえった地点から、この事態をサポートしてみると以下のようになるだろう『ソシュールの古典的学説ならばこの「月」が特定の「月」に限定されて用いられたと考えるだろう。しかし、言語過程説でいえば「月」は限定的には使用され得ない。言語表現とは限定されたものを非限定的に表すものだからである。「月」の具体性を決するのは、この「月」なる語それ自身にあるのではなくて、周縁との関わり自体に存している。具体的には、話者と聴き手の立ち位置が決定してくる』ここで哥座からみて、時枝理論を引き合いに出したわけは、言語構成説に対峙させた言語過程説にあるのではない。(時枝自身も危惧していたように、表象や概念という基本用語使用において、言語過程説は言語構成説の用語をそのまま継承し、それ故の混乱をきたしている。つまり不徹底なのだ。)それよりも、「列島言語の核心に関して、源氏、和歌一貫して、その表現の位相には現代人の常識に逆らってつねに否定のモメントが介在している」というところに彼のいわんとするこの列島言語精神の秘密を感じ取ることができるからである。
ついでだが、時枝が源氏物語で指摘するように、こうした列島言語の最大の特徴は「列島言語において、ことばは内容に対応する対象をダイレクトに表現しない」というその表現における屈折面にある。この力学が最大限に強調され意識化され日常的なレベルにまで言語主体側に引き寄せられた用法が「忌詞」である。列島言語に備わっているはたらきという意味では、「あいうえお」・・・から「ん」まですべての「言」と成った列島言語というものは、一音であろうと二音・三音であろうと、一組となったことば自身がそのつどの一回性なるコトとしてはたらくときは、すべてが潜在的な「忌詞」なのである。さらに、その特異な運動性こそが、のちに芭蕉が「四十七文字すべてが切れ字となりうる」と看破したあるがままの世界をあるがままに顕かにしてくる言語装置としての
- 芸術の域まで昇華した力学 - すなわち切れ字を生み出した。同時にこのまなざしを「物」世界に転じてみると、「列島言語は内容に対応する対象をダイレクトに表現しない」という「言」のこの力学は表象イメージをかたくなに忌避してきた縄文の器の空間力学にもパラレルにはたらいており、その後のわたくしたちの社会空間の核心まで形成してくる基本力学になっているということがわかってくる。列島言語とは表現を旨とする古代印・欧・中の言語とはいかに正反対に位置した言語系であるかということにあらためて驚かされるのである。-
かくして物化して「言」となったことばは、対象をダイレクトに指示しようにももはや意味内容を表す機能は無くなっている。意味性を離れ、たんに「物」である。つまり、菅でいう人工的な制約を離れたところで極限的に在る状態になっている。そこで菅の用語に倣えば「放置」によってはじめてトータルなリアリティーとしての世界とかかわりが可能となる事態が生じてくる。はじめにヒトが言の機縁となり、あるいは反対に言がヒトの機縁となり、そのこゑと成ったことばは、まず従来の時空座標をモドキ、それに代わり具体的な物としての言が地軸と成る。その周縁に、時間と空間そして世界という抽象概念=観念に代わる列島独自の無辺の連鎖空間、無窮の反復からなる場が生みだされ、そのトータルなリアリティーのただなかに「つ・き」なら月、「み・ず」なら水がみずみずしい実感をともなった存在として確定されてくるのだ。この構造に日本語が(*二)「あいまい」とされる理由もあるだろう。しかし、その場こそが、わたくしたち言語精神のもっともダイナミックな力学が躍動する場となっているのである。抽象化された時空座標を無化し、その座標上に去来する吾を他者を表象をモドキ、そこではじめて、この列島に独自の時間と空間の野性的フィールドがひらかれる。その窮まりどころのない場にはたらく力学は、これまでわたくしたちの言語に胎蔵されていた秘密を一挙に顕かにしてくる。わたくしたちが見ようと意志すればするほどに表と裏が入れ替わってしまい、忽ちに気配だけ残して失せてしまっていたとらえどころのなかった物と言の秘密が「放置」の涯で「*見ゆ」というかたちで開示されてくる。
*この場合、シナ美学の影響をうけて幾分観照的になりすぎたきらいのある歌の「ナガムル」よりも、万葉の野生的で素朴な問いかけにたいする歓喜の気持ちの入った「見ゆ」という開示のしかたのほうが、より原初的な宇宙の深みを示してくるとおもわれる。こうした問いかけに常にたち返へろうとしたのが芭蕉であった。
第五章 「其外ニ何モ無事ゾ」(ソノホカ二ナニモナキコトゾ)といふ世界
ここでいっている「世界」とか、「極限的に在る」、「放置」という用語からは、混乱を招く観念的なあいまいさを払拭仕切れない。抽象概念は、できるだけ使用を避けたいが、大陸と列島との「物」にはたらく力学と「言」にはたらく論理との彼我の差を直接比較考察するためにあえて、混迷を極める現代美術の最前線にあり、ひとり抜きんでた感で活躍中の菅木志雄の独自美術用語をそのまま使ってみた。なお、小論では「列島の物と言には、その両者を同時に、その一段底からすくい取る地軸としての視座が存在」し、その否定相をともなった具体的な視点の在り様を示そうと試みている。「言と成ったことばは、内容に対応する対象をダイレクトに指示しない。」ということは、列島言語は抽象座標上の主客関係のなかで意味づけられ機能を担ったことばではなく、意味を内包した概念箱ではないからそのまま対象物を示すわけではないということであり、言は意味を内包せずに直にその物なのであるということを意味している。このあたりを詳細すると、大陸系の言語は、名詞を例にとってみると、当然だけれど、当該名詞あるいは概念は、すべて当該対象の意味本質を内包している。Moonであれば、Sunとは違う本質規定を持っている。そんな本質規定性をもたせて、対象物をダイレクトに指示することばを名詞と呼んでいる。そんな対応関係と、それら概念間の関係の論理づけを可能としているのが、かれらの大陸系言語プラットフォームである。構文においても時制においても、大陸の言語体系はそこに対応した現実世界を再現、構成するためのバーチャルリアリティー(仮想現実)世界となっているのだ。いいかたを替えれば、彼らの言語体系の基盤は、一枚のキャンバス地にも例えられる。そこへと外界の対象物を再現し、その関係式を描写するためのタブロー(支持体)なのである。ところが、ここでいうところの列島のことばは、対象物の意味や価値を内包しない。抽象座標上に担保された本質を載せたことばではない、まして、当のことば自体も定義された本質の支持体とはなっていない。
まったく常識に反する物言いだが、列島のことばは本質をもたないのだ。本質なくして、無媒介に、イークォール、そのまま、たんに、理(ことわり)なく直に、「もの」なのである。したがって「よく思へば、天地(あめつち)はただ天地、男女(めお)はただ男女、火水(ひみず)は火水なのであり其の外ニ何モ無事ゾ。」なのであり、それ以外ではない。先に「言となったことばは、対象をダイレクトに指示しない」といった意味は、言と物は同一のものであるからこそ、その間には、どんな指示のはたらきも、媒介も、無媒介もなくて、ことばは対象物を指さない。ただたんにそのまま、言は物であり、物は言である。それ以外ではないという意味である。大陸では物事に対応したことばや概念は、いったん抽象座標上で、be動詞have動詞のように一時的ではあってもその底流に時間の持続性が保証されてそこで各品詞が機能するようになっている。名詞も動詞も助詞も、時空を可能ならしめる抽象座標上に関係付けられている。そしてこれは微・積分を可能にする数学においても同様である。それら関数演算を可能にしているのは、それを保証する抽象座標の仮設が許され、それが社会的、物理的効力を維持しているかぎりにおいてである。・・・等々これらをいくら説明しても、言語体系の差からくることばとものの彼我とのまったく相反する力学とその結果の世界のありようを理解するには、まづ列島言語を載せた固有の地軸のはたらきをみていかねばならず、そのサダマリかたというものは、有史以来、大陸系言語座標上の視点にナリスマシしてきたわたくしたちの常識とはあまりにかけ離れすぎた感があるだろう。
そこでもうしばらく、「迦微とは、用言ではない。体言である」という宣長の迦微のとらえかたに注目してみたい。この解釈には、列島言語構造と大陸言語構造との狭間に横たわる底なしの海溝の存在と、系の異なることばによる彼我の思考形態の違いが特徴的にあらわれている。つまりこの例もまた、わたくしたちの古言に根をもつことばにおいて、内容を担った言語を主体が使用する局面で云われたものではなく、言と物は同一のものであり、迦微という体言は、一神教や多神教の主体としてのはたらきをする神の表象概念ではなく、そのまま物であり、それ以外の意味を担った支持構造体でもなく、力を内包した原理や作用体でもないということであろう。そこにおいてはじめて、迦微という言がただに物として、それが地軸となって、その周縁にひらいた無辺で無窮の地平上に微塵の存在までも輝かしめる。
- それが八百萬の神々の真の姿なのだ。そのトータルなリアリティーをもった物のかがやきが、理(ことわり)の介在しない地平でわたくしたちと関わってくる。
ここで使い分けられている体言と用言の分別は大陸の天竺座標あるいは中華座標上からきたものだろうし、この用語使用においては、現代美術における菅同様の時代限界があり、大陸言語座標を援用したことによる観念的あいまいさを完全に払拭はしつくせない。その点に、理解しにくいところもでてくる。そこに注意をはらいながらくりかえすと、迦微とは体言であり、しかもそれは概念名詞として意味を内包する概念箱でもなく、外の世界を映し出す支持体でもない。たんに物なのである。また用言としての作用もない。しかしもともと古事記を含め、それ以前の列島は、体・用の分別のない世界である。そうであるからこそ、言がそのまま物なのである。なんとなれば、この列島においては、はるか縄文の昔から、対象のかたちや、本質を反映するスクリーンは用意されてこなかった。かえってこうした媒介項の設定で仮象をイメージ再現することを強く忌避しつづけてきた。
縄文の器のかたちは大陸系のように時空座標を背景にもった造型物ではない。それ自身が具体的な物として、その周縁に無辺で無窮という独自時空の場をうみだし、物の連鎖をかがやかしめる列島の普段のくらしの地軸の役割をはたしていただろう。自分のことながら、現代美術と舞踏で培ってきた制作・行為の身体視点そのままにながめるとき、以上のことはその器表面を支持体として、そこに対象物を表象し描写しないという忌避へのつよい意志からさかのぼって顕かとなることがらである。器表面に刻印されつづけてきたあの縄文の縄目とは、器のデザインとして物を捨象・抽象化しそのはてに描写されたものではないのだ。かえって描写表現をつよき意思で否定する具体的なかかわりでもって器の実体化を果たして、物をカガヤカしめてきた結果の相である。あの草間彌生が「自らも他者も、宇宙のすべてをオブリタレイト(消去)する」と宣言したあの無辺に反復する否定の網であり、大野一男の「お母さん」の舞台でみせたあのフリカザシ・フリオロス一条の縄のサマなのである。器にみられる縄の目のあの自在なサマやフリに見て取れるイキホヒというものは、言における「て・に・を・は・も」が、観念をあらわさない叙辞としてありながら、そこにこころのはたらきが直に顕われだしてはたらくのと同様に、当時にあっての物と言との本末をあひてらしてかなへ合わせていることが諒解される。
ひとたび大陸の造型概念をはらえば、そのさだまりかたの徴には、まるで昨日のできごとのようにまざまざと彼らのこころのフリや息吹きが今に聴きとれる。そこから古の人々の一挙一投足が手にとるように見え、言問う声が耳に聞こえよう。まさに「古の手ぶり言問ひ聞き見る如し」なのである。それは、また「言挙げせぬ」ことでかえってトータルな物のリアリティーを輝かしめた和歌、俳諧につながっていった思想である。理(ことわり)は排し、イメージを結ぶ抽象座標も持たない。その事で世界と関わるというこのつよい意思はあの承久の縄文期を一貫していた思想である。その器の反復したつくりかたの基本に一糸の乱れも無い。言においても事態はまったく同じである。言は、意味を内包せず、言の体系をスクリーンに映さない。大陸にあるような座標上に仮象を構成することを徹底的に嫌ってきた。用言として分別される動詞や助動詞、形容詞など主体側の叙述機能は、幾多の強権力の発生と各管理機能の細分化に呼応して、主に大陸の抽象座標上で発達してきたものであろうかと思われる。列島では、はじめに言が物として、物が言として無分別に直に在り、用言はその変様態にすぎない。それを古文法では大陸座標系の言語分別から借用し、仮に体言と呼んできたのではなかろうか。そうした経緯を踏まえると「迦微とは、用言ではない。体言である」とあらためて云い得るのである。このあたり折口信夫もつぎのように提言している。「用言の語根は体言的の意味あひをもつてゐる・・・即ち歌とうたふとは何れが先に存してをつたかといふ争がもちあがる。自分は名詞語根説を把るから、勿論歌がもとで、うたふは後になつたのであると答へる。」と。
少々くどくなるけれども、ここがわたくしたちの心性の核心なので繰り返す。彼等はなぜ「迦微(かみ)」を用言ではなく体言にしか使わなかったのか」その疑問にたいするこたえを小林から引用すると「体言であれば事は足りたからである。」で終わっている。ただ、これだけの小林の説明では、上ッ代を現代と切り離して古代の特色を神秘化するだけになってしまおう。問題はつねに現在までつながってこその問題である。古代は、けっして体言世界のユートピアではないし、かれらにあってももちろん細々した日常にあってわれわれと同様に、物事の分節化と無縁であったはずもなく、そこで生じた仮象には常に正対していたはづだ。仮象を固定化する誘惑にさらされていたのは現代人となんらかわらないだろう。そのことは、かれらが、ものごとの分節化や表象イメージ化を知らなかった未開人であったのではなく、表象の引き起こす結果とその意味を熟知していたからで、それはその表象の破壊を前提につくっては壊してきた無数の土偶の存在からだけでも立証できうることだ。イメージ化された像の破壊に特殊な意味をこめていたことからみて明らかなことである。当時の出土品をみるかぎり、かれらの世界は現代人が勝手にみているような呪術という詞で一色に塗りつぶされる迷妄な世界ではない。現代人の心性と基本的にかわったところはないことがわかってくる。(むしろ呪術とは、抽象座標上にあれこれ描いた假象を実体と信じて疑わない現代にあっての多数の自然科学者や社会科学者にこそふさわしい詞である)古代が「もの」と「こと」の真を見抜いていたことにおいては、わたくしたちのいまの暮らしにあっては想像もおよばない緊張感と、つよい意志でもってその視座を支へ、覚醒していたはずの社会であったのだ。
再現性というものは、その本質が仮象にある。そうした構造を見抜いていたからこそ、大陸で発展してきた再現描写をして表現を定着するスクリーン=抽象座標を忌避し続けてきたのだ。もちろんその真を見抜くといってもそれは個人が意識してどうこうできるものではなく、共同主観の能力をも越えた列島言語精神のア・プリオリな出来事に属することだろう。しかして、「言」を主客構造に基づいた表現のための本質喚起的なものとせずに、いともあやしきさだまり方をみせる「イキホヒ」や自在な「フリ」によって、油断すると結ぼうとしてくる吾や対象物という仮象物。そしてイメージや理(コトワリ)らの表象物を徹底して否定し、「迦微(かみ)」という「言」を直に「物」とあひかなへるもの -
それをここでは、自身の現代美術制作作業上の観点から、具体化され「物」と成った座標軸、さらにそれを現実を捨象して、記号化された抽象座標と区別するために、物=言としてそれ自身として在る意味において、絶対座標軸と呼んでいる
。絶対とはいってもなにか神秘性もたせた絶対ではない。かえって神秘性もはたらきもなく、物=言として他でもなく、たんに在るという意味での絶対である。菅木志雄の「もの」が「極限的に在る」人工的な制約を離れたところでどうしようもなく在るという物と言のあり様をいっている。-
この「迦微(かみ)」たる絶対座標軸は、それが白木綿でも、掛け繩でも、岩でも、何でもいいのだが、其れ自身は其れ自身として、意味を内包せずに、またなんらの支持体ともならずに、そのことで周縁に無辺で無窮のひろがりがひらかれ、そこであるがままの存在事物、それこそ八百萬といわれる溢れんばかりの具体的な姿が現じて来るのだ。上ッ世はその恐るべきカガヤキの連鎖を直に受けとめてこれた。それは、彼らが、仮象というイメージにながれず、覚醒していたからこそ、「迦微(かみ)」を用言ではなく体言にしか使わないというつよい意思で支えてきたからこそ、現じてきた世界である。それはまた、物や者の実体化を果たして、表現描写をする主体や客体としないことでその周縁に物の世界を明らめようとする現代美術や舞踏の求める本意と同じである。またその面にはしる縄目のイキホヒが一万年近く前から直につたえている徴(シルシ)。そこから伝わってくるものは、わたくしたちの心性の根にある厳しき否定の「フリ」、「サマ」である。そこで「物」の輝きを受けとめてきたし、これからもそうしようとするだろう。これらのことは神秘思想でもなんでもなくて、たんに言語を可能とするプラットフォーム上のことばとものの関係の認識上のことがらに属する。物と言との構造といえば、そこに構造なんてないのだけれど、構造といってもよい問題である。なんどでもいうが、それら時代を隔てた両者が共通してあらわに示しているこの否定の強き意志。そのつよき矜持によって、あるがまま「物」を輝かしめようとしてきたのがこの列島を貫いてきた言語精神である。
この事実は、二十一世紀にあっての現代美術の実作視点とその分析から、十二分に推しはかることができる。こうした観点から一度見てみると、自然科学や社会科学など、欧米の抽象座標軸が加わった明治以降、現在においては、いままでのような他所の言語文化圏に由来する体言・用言の分別からでは、大陸系言語座標系との比較や、彼らの座標系を客観視する作業に不便が生じてきていることがわかる。まして利便を第一とした翻訳上の観点からは、言語間にそれらを俯瞰するメタ視点を仮設するだけで大部分の用はすむが、それでは、人麻呂のあのアポリアの解明の道は閉ざされてしまう。ワンワールドという西欧思弁哲学が抽象座標上に位置付けた前時代的なユートピア的観測点からは、人麻呂のあの誇りの意味が導いてくれる系の異なるわたくしたちの原野や、そこにはたらく心性はせいぜい古代世界の詩的表現上の幻だったことにされてしまうだろう。
そこで小論は、現代美術の成果をふまえ、さきほどいった物化した絶対座標軸の存在というものを作業仮説として、その考えから作業をすすめている。支那文法や西欧文法に由来する観点からだけでは「言挙げせぬ」ことで物の輝きを受け止めてきたアポリアの解決はむずかしい。すくなくとも浅学のわたくしにあっては、そう思える。大陸由来の概念思考に邪魔されると、わたくしたちの地軸の姿が見えにくくなるのが正直な感想である。そうなれは彼我の言語構造の相対化作業もむずかしい。
さらに、蛇足になるけれども、この論と直接にはかかわらないし、普段は常識のなかに埋もれて気がつかない、しかし反常識的なことばの作用例を「J-POP」の歌詞上に指摘してみた。
(別項)「もともと日本には単語というものは存在しない」といったのは、前、春日大社宮司の葉室頼昭氏である。今様白拍子である「J-POP」の語尾母韻のはたらきは、そんな事例現象を示すひとつの傾向である。ことばが単語として、あるいは動詞、形容詞として、仮構された主体側の機能存在の面だけから受け取られがちで言の方位が定めにくくなった現代、ひとたび常識をはなれ、言に聴き入り、言を考え直すきっかけになるかもしれない)
こうしてみると、ここまでは作業仮説にしておいたが、先史から今日まで対象化できなかったこの否定相をもった「つらぬく棒のごとき」基本軸なるものは確かに存在するのではないか。(・・・わたくしテキにはそう思われる。)と、またしても、わたくしたちのこの力学は、どこまでも「見る」「考える」視点をその動作主体ともどもに、この場合は(・・・テキ)として、モドキぬいて、その果てで折り返し「見ゆ」という場が生成されてくるまで、はたらきかけ続けてこようとする。まるで自白を強いてくるようなこの地軸のはたらきかけは、歌における月・花を求めてやまない西行の放下の姿勢や、源氏物語から日記文学、そしてこの国特有の近現代私小説全般の書きざまにいたるまで、一種のドグラ・マグラ型とまで呼べそうな構造心理となって顕われだしている。それは、「見る」「考える」という主体を仮定し、その主体の道具としてことばを規定したその機能の裏側において、たえず通奏低音としてはたらいている力学である。それ自身は「見ゆ」というできごとそのものとして、こちらの思惑を越えたところで、向こうからやってくる。
第六章 極微の視点と周縁の力学
これを逆から云うと、抽象的時空座標に代わる無辺・無窮の場がそこに生まれなければ、わたくしたちの言や物はでき事としてのちからを発揮することができないことを意味する。たとえば、私たちは「自然や環境を大切にしたい」という。そこで使用された自然、環境、人間、世界といった抽象概念は、ジャンルや時代によってそのつど定義され、意味内容も異なるが、言語が意味を内包するという概念自体の構造は不変であり、その構造を利用して現代社会科学の重要なキーワードとして流通し、またそれを反映した日常レベルではあいまいなかたちであっても誰もが象徴的符号として使用している。しかし、概念には、わたくしたちの言としてのチカラが欠けている。そこに感動がわいてこない。こころも物もはたらきださないのだ。
なぜなら、菅の「無限状況」でみてきたように、言や物はそれ自身は、表現の意味をいっさい担わず、いまここにおけるそのつどの言と物の実体化を通じて、そこではじめて、抽象時空座標に代わる地軸の役割を果たし、そこに独自の無辺・無窮の場が成ってくる。周縁のきわまりどころのないこのひろがりのなかでこそ言や物は、言となり、物は物として位置を定めることができ、姿を顕してくる。しかもこのでき事は、わたくしたち自身のどんなにちいさな視点をも巻き込んでやってくるのだ。しかし、概念は抽象座標に根ざし、そこで物を捨象して位置取りされ、意味を定義された観念にすぎない。それ自体が実体化した地軸とはなりえない。だからその周縁にあらゆる視点を掬いだすような、わたくしたち独自の場は成立せず、そこにはたらく力学も発動してこないのだ。この決定的な違いは、物事を抽象化された座標=世界に置いてそこに浮かんだものとして、俯瞰して見る抽象視点と、一方ではそのつど具体的で取替え不可能な心身を軸にした極微の視点から発していても、それ自体は意味を内包せず、物と言の実体化を通じてはじめて、無辺・無窮のひろがりの彼方から折り返しやってくる見ゆというかたちで見えくる視点との違いでもある。その対極的な両者の視点が根ざしているプラットフォームである座標には、物の見え方、はたらき方に及ぼすブラウザの決定的な質の差が存在しているのだ。そこで「自然や環境を保護する」という概念のはたらく抽象座標系にうったえるのではなく「山や海をたいせつに」と、具体的な言を座標軸にして、わたくしたちの場を呼び込みひらくと、わたくしたちのこころは動き出す。
さらに付け加えるならば、言語精神のこうした特徴が集約され、極度に洗練されて様式化されたものに、和歌における枕詞があり、芭蕉の「切れ字」がある。(季語は言わずもがなであろう。)両者はまったく役割が違うようでいて、その実、ことばの抽象化を阻み、言の具足化を促して、周縁に無辺・無窮の場をひらき、そこに、物事の位置をサダメくるという独自座標軸としてのはたらき方においては同じ機能を担う言語装置である。

「正午のツァラトゥストラ」
2004有 中東
第七章 繪をもちいざる國、もちいる國。
そのようなこの列島の言語精神からみると、「・・・こゑのまにまに言(こと)をなして、萬(よろづ)の事を口(く)ち豆(づ)からいひ傳へ・・・比國にのみ繪(かた)をもちいざる(語意考)」-中国や古代インドアーリア系言語が表象をもっぱらとするに比べ、この列島では、もともとイメージ化、表象化を避けてきたところに、最大の特徴がある-という真淵の見解を追い風にした場合、李白の月や、それを真似た蕪村の「月天心」の月も立派な月には違いないが、それは中華鉢へ浮かべた表象、ポンチ絵にすぎないことになる。
とりあえずここでは先史から有史ともに一貫して、物にも言にも等しくはたらきかける否定のモメントをもつわたくしたちのもののみかたの基本軸を、それが実体化を果たしたとき、その周縁に物を正しく物たらしめ、言を正しく言たらしめる場を創りだすことから、中華座標や天竺座標、そして欧米抽象座標との比較を容易にするために、作業仮説を構成するキーワードとして、わたくしたちに備わる唯一で独特の座標軸と呼んでいる。そこからさらにここでは、これら中華座標軸とインド・アーリア語族の抽象座標軸、それにこの列島の地軸である具体座標軸との三本軸でそのつどの作業現場でヤグラを組み、その交点を作業視点として、それぞれの言語体系を少々宙へ引き揚げ、前後左右にズラシながら各言語における「ことば」と「もの」のあり方を具体的に比較検証している。ハイデッガーいうように、己の影を踏み越えてそこから歩みでることはできないのが、言語にそなわっているア・プリオリ性である。それぞれの言語はそのままでは、貼り付いた地表から引き揚げて自己検証することは叶わない。そこで解明作業をやりやすくするための一種のメタ視点の仮設である。が、それはそれぞれの言語構造を相対化して、具体にそって、言と物とを検証するためのものであり、一般的にいうところの抽象座標上に固定された俯瞰視点ではない。
戦後もおわり、第三の核汚染の脅威にさらされるあらたな時代(昨年来、哥座(うたくら)が懼れていた事態だ)が到来し、もうそろそろいままで封殺していたこの系統の違いを正面切った主題として積極的なものいいをしてもよい時機なのではないか。
第八章 宇宙を正面突破する
その意味で、日本思想の問題点を、「自己不在。主体性の欠如。正統も異端もなく多様な外来思想をプロットする座標軸もなく、原理に対決する覚悟もないために、外来思想をただ空間的に雑居させるにすぎなかった。」という丸山眞男の指弾は、ながく戦後思想界を代表するものの見方であったが、それらは、もっぱらわたくしたち自身の地平に立った批評ではなく、西欧近代座標上から自身を俯瞰的に眺めた見方にすぎなかった。だから、肝心かなめのわたくしたちに備わる否定の相をもった独自の地軸の存在や、それが担う積極的な意味、そしてそこからひらかれる窮めつくせないほどダイナミックな荒野には踏み込めなかったのだ。そのへんが、上空飛行型思考と揶揄される由縁である。
一方、こうした近代主義者の作業に比べると、1959年の草間彌生の「水玉の天文学的な集積が繋ぐ白い虚無の網によって、自らも他者も、宇宙のすべてをオブリタレイト(消去)する」と宣言して、わたくしたちのはるかな深みから独自座標を軸に存在論的問題を提起し続けた彼女のシリーズ作品の方は、西欧造形芸術や近代主義を超え、(上下左右もなく反復し、無辺、無窮で無構成の彼女の作品は、千葉茂夫いうように抽象絵画ではない。空間やタブローへと観念や事物を抽出し、再現、再構成されてなったものではないのだ。)彼女の心身と引き換えに、わたくしたちの根ざしている時間の欠落したただひろがるばかりの地平の存在と危険きわまりない列島独自文脈にそなわった否定の相の存在論理を具体的に展開し、あきらかとすることに成功した稀有な例である。それはひとえに、彼女が自身と宇宙との関係を知におとさず、俯瞰した立場からみることを拒否し、その意味を了解した上で、自身のこの血の通っている痛みある具体的存在をそのままに、そこから、この得体の知れない宇宙をどうどう正面突破するという離れ業をしでかすことができたからに他ならない。この列島におけるはるかな深みからの革命的で正鵠を得た仕事を成してきたといえる。
第九章 列島独自の芸術・物理空間
ここでいったん、これまでの論旨を補足してレジュメにしてみると「芸術・思想空間と物理空間はともに同じ座標系のもとでは、同じ言語OSのコマンドの支配を受ける。それはちょうど、同じ太陽風に吹かれると地球の両極点に現れるオーロラは同時刻に相似形をなしているようなものである。欧米、中国、印度、この列島にあってもその事情はまったく同じである。それぞれの国で、当該言語OSのはたらくプラットフォーム上で、両ジャンルはパラレルな発展と進化をみせてきた。わたくしたちには普遍化された時間と空間座標は、昔も今も存在していない。代わって、否定のモメントをもつわたくしたちの物のみかたの基本軸が存在する。それはアポリアな問題を孕んではいるが、物そのものを地軸としてそこではじめてひらく列島独自の
- ここで作業仮説のための用語として仮設定した「不理・非象・無辺・無窮」という「否定の相」をもった座標軸の存在である。その座標上で物と言の両面にわたる並列関係としてこの列島固有の芸術と物理が展開されてきた。抽象化された座標系の許ではじめて有効になるはずの自然・社会諸科学や、造形芸術、時間芸術としての音楽は、わたくしたちにとっては、ほんとうは無いものである。受容はしてきても、それらはわたくしたちの周縁にある物事のひとつとして受け止められてきたにすぎない。科学・思想空間、芸術空間が拠って立つ基盤である抽象プラットフォーム自体を受け容れてこなかったので、それらを前提とする主観や客観、時間や空間など定義され意味を内包する基本概念やそこから構成されるいかなる論理も自己のものとしては存在し得ない。かえって、この列島の先人たちは、みずから意志して、抽象化、普遍化を仮構のものとして退けて、物と言のはたらきの実体化を果たして、それを座標軸代わりにしたときにそこで生じる「無辺で無窮」の独自フィールドの麗しさと、そこにはたらく物の力学
- 「不理・非象」とここで云っているところのことわりを排してイメージ化を呼び込まないこと - そこで惹きだされるチカラのはかり知れなさとを誇りとしてきた。そのチカラをこの国独自のことばのくらしや芸術、そして物の製作に活かしてきている。これらの心性の核は別項でも確認済みだが、先史縄文早期から現代にわたっても変わるところがない。いまもこの列島の現代芸術の主流は、抽象された座標のもとで、そこにイリュージョンとしての造形空間を創ることではなく、また概念そのものをなぞるコンセプチュアルアートでもなく、列島特有の時間と空間の秘密とかかわりつづけることで、物そのものがひらく窮まるところを知らない具体的で独自なる場を開拓し、そこにはたらく力学に真美を求め続けている」

ネイティブ・アメリカンや、私たち列島
の基層言語*)は分節化を嫌ひつねに物
を一連の全体として、そこで言葉を手が
かりに物に聴き入ろうとする。一方、近
代人は世界を分節化しコンテキストとす
ることをもって知と称するが、それでは
ネイティブなことばの活きた力学は理解
できない。文化人類学や比較言語学の知
にはかんじんな物の命が抜け落ちている。
1990 有
*)このあたりをさらに踏み込んでみる。前章では、同一の言語文化圏であるかぎり、いかなる国のいかなる時代においても、「物」と「言」は位相を違えたおなじものの両局面である。という基本原則について触れた。そのことは当該芸術空間と物理空間とは、ともに同じ言語精神の許ではひとつの基本座標を共有しているという意味に言い換えることができる。そこでこの原則をさらに応用することで以下の冒険が可能となる。Aという言語精神座標系において、北の極にはたらきかける言語法則を精査確定することで、一方の南の極にはたらく物の時空間の法則が策定できる。そのはたらき方の波形は実際に南の極の波形を策定したはたらき方と重なるはずである。
それは系のことなるβ言語座標系においても妥当する原則である。その文化圏が過去に無文字文化であったとしても-それはこの列島の事情についてのことであるが、当時作成された「物」が遺って在る限り、その「物」を精査し、そこにはたらく法を確定すれば、古代の文字なく、手懸かりがないと思われていたそのネイティブな言語までも、その当該時代に遡ってそこにはたらく法則を形式論理的に余すところなく再現可能である。いままで、こうした試みがされてこなかった最大の原因は、同一の言語文化圏であるかぎり、「物」と「言」とは、位相を違えたおなじものの両局面であるというあらゆる言語精神文化にも共通の視点を言語解析の基本原則にまで育て得なかったところにある。次の原因は、サンスクリットと古代ギリシャ語との比較言語学を列島言語分析の外部規範にしたところから来ている。すなわち、明治以降のわたくしたちは、この列島言語系とはまるで異なった欧米サンスクリット系の言語学の視点を導入したために、そこにそなわる概念思考という古代印欧語独特の観念的限界性を、ものの見方にかかえ込んでしまった。そこに由来したものである。
ここであらためて注意しておくべきはABC系言語圏にはたらく法則をもってして、αβγ系言語圏の「物」や「言」を確定することはできないという事実である。南北アメリカ大陸のネイティブ種族言語を、200年の歴史しかもたない西欧言語学で分析しても翻訳的な外形上の意味以上には、内容的な成果を期待できないという意味である。両文化圏をそれぞれ内的に活き活きと理解できない限り、両者間には誤解しか生まれないだろう。この列島でみられる学問・芸術混乱の大半の原因も、天竺・中華・欧州の大陸言語系と列島言語系列はまったく異なる言語系であるにかかわらず、無理に一方の系にしか通用しないカテゴリー規範を列島の「言」と「物」へと導入し、ツジツマあわせのハリボテ体系を間に合わせで繕ってきたところにある。(それは多分に、そこにおける物の法則(自然科学法則)が共通であるようにおもえるところから、系を違えた二つの文化圏を束ねるワンワールドがあると夢想し、錯覚するところから生じた誤解なのである。)舞踏や現代美術などのアートシーンや俳句短歌といった古典文学を体験してみればすぐに了解できるところだが、明治以降の大学でいまだに信じられて思考基盤になっている「わたしたちから離れたところに、ワンワールドとして共通の時間や空間が存在する。あるいは、わたくしたちはそんな普遍的当為空間へと向かっている」との思いは、まったくの錯誤である。欧米系言語空間で育ってきた人に、歌・俳句のような言語空間や舞踏空間の具体的現実化は文化交流的なものは別として、まったく不可能である。現代美術空間も列島でいうあるがままに生かそうとする空間創造は欧米芸術ではできない。当然にその逆もまた真である。両者は系を違えたまったく似て非なる世界であるからだ。ビジネスや生活レベルの翻訳でコミュニケーションが可能なので、つい人は同じで言語が違うだけだと錯覚し、ワンワールドなる世界を夢想してしまうが、この錯誤から抜け出せる時期は、比叡山や高野山の天竺・唐の学問がそうであったように、この列島の明治以降の欧米大学システムが完璧に解体されモニュメント的な役割を振られたそのあと、さらに半世紀ほどはかかるだろう。
これらの事態を芸術空間と言語空間において、もうひとつ具体的な例のなかにみていきたい。千葉成夫いうところの、いま現代美術で流通している「ポイエーシスからプラークティスへ」という概念がそれにあたる。この構造は内容的には、戦前の時枝誠記が、ソシュール批判を踏まえて、言語が内容を保持しているとする欧米寄りの言語構成観にたった言語論」から「言語の主体的表現過程それ自体を問題とする言語過程説」を提唱したことに対応するものだ。
しかし、この事態はまず、欧米自体の前時代にたいする当然の芸術学問の革新動向であり、つぎに欧米にたいするこの列島独自の動向の自覚のプロセスである。常にアンビバレントである。こうした状況でポストモノ派にプラークティス概念が適用されると、列島空間は混乱し、その独自展開が阻止されて、またもや欧米言語精神のアンフォルメルの文脈に置換され、よそよそしいオブジェクトへと引き戻されてしまおう。一方で、時枝誠記の言語過程説は用語法からみえてくるだけでも、列島独自の言語をそのはたらき自体の方法から把握しようとしながら、表象など基本概念は、乗り越えるべきかんじんの旧来言語構成観から借用している。そのために、欧米言語学の大枠から抜け出せていない。もっともソシュール批判のための論であったので、欧米言語学そのものと対峙せんとしたものではなかった。
結局、両者の動向はともに欧米視点を越えていこうとする優れた論にもかかわらず、いま一歩時代限界のなかにとどまり、中途半端なものにしかなっていない。それは「物」と「言」とは、位相を違えたおなじものの両局面であるという視点のもとに、泰西の言語精神との決定的な相違の自覚と対決の姿勢が不足していたからであり、時枝と同時代の西田哲学にもみられるように列島言語系に系を違えた欧米の「物」の法則(近代自然科学法則)を準拠させたところからきたものだ。それらは飛鳥以来、わたくしたち列島の外部、この海の彼方にワンワールドにつながる世界共通の動かしがたい絶対規範が存在し、「言」による法則も「物」による空間則もそこに拠ったものであるはずだとする一種の根強い列島ゆえのコンプレックスからきた強迫観念あるいは、信仰がもたらした時代限界である。
第十章 近代科学空間の本質
ところで、ここまで、同じ座標系のもとでは、芸術空間と物理空間は、どんな言語体系のどんな時代にあろうとも、等位の関係にあるという仮説のもと、「列島独自の芸術空間と物理空間としての言と物も、ともに同じ座標を共有し、そこで同じ力学のもとパラレルな関係として、窮まりどころのない周縁という列島独自の場を生みだしていること。そしてそこにわたくしたちの心身も含めた物事すべてが定まって具足してくる」ということを、この列島の生活レベルのことばも含めた事例にみてきた。そこですくなくともその仮説のアウトラインは確認できたはずだ。
ここで、もうひとたびこの列島の独自座標から、わたくしたちの極微の視点と周縁の力学のもとに、西欧近代空間の位置の定まり方を西欧近代美術空間を軸にして「見ゆ」というかたちで追ってみる。まず、そこには、奥行きや左右へのひろがり、またパースペクティブな(透視図的遠近法の)視点設定とにわたり、時代時代の抽象座標を二次元支持体あるいは三次元の場へと移し変えて、そこで物事を再現視しようとするイリュージョンを本質とした西欧近代の造形空間が透けて見えてくる。同じ座標系のもと、同じ言語OSのコマンドの支配を受けるのであれば、この西欧造形空間とパラレルな関係にあるはずの近代自然科学空間や社会科学空間の本質も、また近代造形空間と同じものであるはずだ。
- その自立的正当性がどれほど実験における再現性や、方法論的実証性に保障されてゆるぎないものにみえようが、また近代に至ってその成果の影響が地球規模になっていようと、そこにわたくしたちはいまもなお幻惑されつづけてはいるが、
- こうした先入観さえ拭うことができれば、 この近代自然・社会科学空間の本質もまた、西欧芸術空間とおなじ抽象座標を共有したところに由来する等位の関係にあり、その場で事物を再構成して再現視しようとするイリュージョンに基づいたものであるという推論が、常識に逆らったもの云いになりはするけれど、否定することはできずに成立するのである。その場合でも依然として、自然科学や社会科学こそ中立の立場から普遍真理を求める客観性の学問で・・・その根底にイリュージョンや幻想性が存在するはずもないという見解はもっともらしいし、いまも多くの人が信じる常識であり、そこからの反論はなくなることはないだろう。
しかし、抽象プラットフォームのもたらす欧米の主観・客観対立の構造の設定自体が、すでに偏向した世界観の証である。さらにそこにおける客観性とは、たとえば測定に持ち出すモノサシ自体の定義とその妥当性はもちろんのこと、その適用においても、基準点やデータの取り方のあらかじめの取り決めなしにいかなる測定値は無効だ。また、処理段階においてもパラメーターの設定次第で、データ解析の方向性が決定されてしまうのだから、つねにそれらの背景にある社会や時代の意識的、無意識的要請を無視しては成立しえないことになる。つまり自然・社会諸科学の客観性とは、リアル世界のほんの一部分を目的なり共同幻想にそって捨象・抽象し、任意にきりとった括弧附きの限定的客観にすぎないのだといえることになる。もちろんこうしたことは、あらためていうほどのこともなく、現在の欧米においても周知のことがらとなっているはずだ。むしろ、欧米に準拠したわたくしたちのナリスマシの視点こそが、抽象座標へうかんだ仮象を実体と信じて疑わない呪術世界へと、堕ちこんでしまっている。
翻って、ひとたび時空の欠落したこの列島の無辺で無窮の立ち位置から見えてくるものがあるとすれば、それは、西欧造形空間も科学空間もその本質は同じものであり、プラットフォームを共有した両者ともに、そこに浮かぶ美しく、しかし、はかない虚構の姿である。
その後、近代物理空間がニュートン力学から現代物理空間へ、相対性原理や量子力学時代へとかわっていくにつれ、近代西欧芸術空間の対象も所与の外界から自己意識という内界まで拡がり、従来の、パースペクティブ性と古典的空間三次元性は廃棄されていったが、外界と内界を抽象座標系へ再現し、再構築しようとするその本質に変わりはない。その点をくりかえすと、欧米のオブジェ指向の現代芸術空間と進化とどまることなき現代物理空間(それに基づく情報空間も含めて)とは、いまも、パラレルに発展していく関係として抽象プラットフォーム上にある。当然そこに根ざしたところの本質は両者が共有しているものと想定できる。
クラシック時代においても現代においても欧米芸術空間と、科学空間との相互関係の構図、そして両者が根ざすところから規定される本質そのものにも変わりは無い。両者の違いは、そのイリュージョンの再現を美術・音楽の芸術空間という文化制度にそって再現するか、あるいは、抽象座標の領域内で相対的な実験による再現性を確保した上で、応用可能な現実態までもっていくかどうかの違いである。
いまでは芸術作品の自立存在はそのアウラとしての概念芸術と、その残存であるオブジェ・アートとに分離解体され、芸術空間と物理空間の区別は判然としなくなってきているけれど・・・。飛躍した例でいえば、この延長上に、テクネチウム、ネプツニウムなどの人工放射性元素やキメラという自然界にはなかった空恐ろしい存在の誕生があるのだろう。しかし、これらもイリュージョンを本質とした抽象座標系から現実空間に投影されて実現された現実態のひとつにはちがいない。すくなくともわたくしには、そう見えてくる。前世紀末の西欧幻想絵画や幻想を主題やタイトルにした音楽作品の氾濫からみても、また、その後のコンセプチュアルアートとオブジェ・アートの両極へ引き裂かれて、もはや両極間にうまれた真空が従来の造形空間の変容にすぎない様式空間で繕うこともできなくなっていた動向からみても、当然、その文脈の行きつく先にはキメラをうみだしてきた現代のこの抽象物理空間があった。
挙句、イリュージョンがそのまま現実態にすりかわってしまったならば、その瞬間からそのイリュージョンを本質として可視的、可聴的再現の提示の役割を担ってきた従来型の欧米芸術空間は、その役割を終了する他はない。芸術空間は、それがこれまでの文化制度のうえで担っていた意味を失ない、それ自体としては成立し得ないことになった。同時にそれはまた、その本質が芸術空間と同様の幻想性に根ざしたものである自然科学空間、社会諸科学、情報空間も、それらが拠って立っている抽象座標系プラットフォームそのものへの問い直しが始まらないことにはもはや本来の価値を失ってしまったことを意味している。
後記
哥座は、箱物としての概念の住処に安住せず、ことばを翼に、概念とその内包する意味という構造を越えて、たまきはる内なるおもひを天翔け、見ることや概念演算による思考形態に代わり得るわたくしたちの「見ゆ」というあり方、「おもひ」のありかたの独自幾何を深めゆきたい。そこに根を置いた視座から、それを梃に、未来の自然・社会科学や芸術のあるべき姿を追求していく。それが学問の使命と信ずるものである。
二0一一年五月二十一日未明
附記
この論の冒頭にかかげた(先史から有史を)- つらぬく棒のごときもの- とは、もちろん「去年今年貫く棒の如きもの」という虚子の問題句を下敷きとしたものだ。この十七文字には、この列島における時の流れる様が、正月というたった一日のそこにはたらく新旧交換のドラマツルギーが、みごとに集約されている。さらに、深読みすれば、普段にあっての時空軸の裏には、いつもは気がつかないが、抽象化できず、表象化もできず、見えず、対象化を許さない、というわたくしたち独自の否定相をもった座標軸が確固として存在し、この表現し難いものはそれが正月ゆえにかろうじて列島の時間性として顕在化して来るのだとして、それを、たとえていうならば「つらぬく一本の棒のごときもの」なんだと、云っているのだ。そこまで虚子が意識していたかどうかはわからないけれども、すくなくとも詩的言語として、虚子の無意識の存在了解のもとに、掬い取られて具体的な「こと」として現成してきたことばであると、私はそう受け止めている。
なお、この小論の目的は、ひとまず歴史的文脈は無視して、先史から有史までの物と言を、それぞれの文化ジャンルを越えたところで、現代美術、和歌、俳諧、身体芸術を、さらに、この国が受容してきた印中思想や欧米自然科学、社会科学を、そんなすべてを、「つらぬく棒の如きもの」という、抽象化できず、表象化できず、対象化を許さない「わたくしたち独自の座標軸」のもとに
- あくまで現代美術の私的実作作業を梃子にしながら - 読みかえていくことにあった。というより、この小論をその本格的作業のための手がかりをつかむ試論として位置づけてきた。ここでその核心にわづかながら触れ得た。そんな感触があったので、この試論をプロット代わりにして、独自方法論による実証性と論理性をそなえた本格的立論の機会が、近いうちにやってくるだろう予感がしている。そこではもうひとつ踏み込んだ視点から、列島独自の否定相のもとでは、「物と言は位相を違えたおなじものの両局面である」ということを顕かにできるはずだ。そこではもはや、上位概念で括りながら概括抽象していく従来思考法の適用はできないだろう。・・・いまからそのときがくるのが楽しみである。というのも、列島における先史から有史までをつらぬくこの独自なる否定の相のもとへ、すべての物と言を創造的実作作業という独自検証にかけながら読みかえ、そこで得た結論にそって、従来の学問常識を廃棄していく作業は、質量と光速度との関係式をエネルギーへと還元し、森羅万象の現象をシンプルに説明していった現代理論物理学の作業プロセスに似て、あるいはそれ以上のまったく未知の惑星の系列の異なった純粋数学を解いていくような楽しみがあるからである。
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(*一)第二期パラダイムシフト
第二期パラダイムシフトのステージキャスティングは、とりあえず稗田阿禮(ひえだのあれ)は、草間彌生や菅木志雄である。実際かれらの実作への態度や言動は、芸術家というよりも、わたくしたちの根にある原始的な時空間を呼び出すユタかイタコの姿にかさなって見える。そして、千葉成夫や椹木野衣など空間論、物論における最前線に位置する論客は安萬侶になぞらえてみることができる。ただし、有史以来のパラダイムシフトにしては、役者不足の感がしてしまうのは、今回規範シフトははじまったばかりなのであり、その主役は、未来のわたくしたちひとりひとりであるからだ。
(*二)「あいまい」
というアイマイさ - 90年代を解読する。
大江健三郎は1994年ストックホルムで「あいまいな日本の私」のタイトルで、国際的晴れ舞台でのノーベル文学賞受賞講演をおこなった。もちろん川端康成の「美しい日本の私」の前回講演タイトルを意識したものだ。あいまいさをおのれのこころの傷と自覚するという彼は、そこでアイルランドのイェーツに私たちの詩人よりも親近性を感じると告白する。いや、告白してみせた。そこには、欧米列強の仲間入りを果たし得ぬまま、欧米と、アジアのなかの日本というふたつに分裂してしまった明治から戦前までの意識をひきづりながら、戦後をやはり、みづからの地軸の危険な否定相に切り込むことができず、それを自覚しえないままに、両極間を良心的な”善意のフリ”をしてこの「アイマイさ」を生き抜くほかなかった、青ざめてみせるに上手な復刻版インテリゲンチャ特有の表情が読み取れる。それにこの「アイマイさ」は、かれらにとっての仮り住まいとしては、安寧で、けっこういごこちよい快感の場を提供していたのではないだろうか。
また、この90年代は、個人では酒鬼薔薇事件、集団では地下鉄サリン事件、国家においてはプルトニウム再処理によるプルサーマル発電の立案が具体的に動きだした年である。こうして三つ並べてみると時代の共通点がみえてくる。実際、酒鬼薔薇君の犯行マーキングと同一のマークが、偶然にも事件前後の、知り合いの舞踏家の本番ステージのシンボルとして描かれていた。確認もしたが、まったく偶然的必然であった。時代の空気というものはおそろしい。
美術の分野において、ジブンは、これまで作品以外には関心がなく、また、90年代は海外にいたりすることが多く、この本文をかいたあと読み知ったのだが、その評論世界においては、当時、椹木野衣が無敵といわれていたらしい。そこで、いまあらためて彼のことばに添ってみていくと、「アイマイさ」とは、「わたしたちの「いまここ」が明治以降の未完の近代化政策によって根源的に分裂的に規定されており、それゆえに「あいまい」である」という「アイマイさ」である。そして、90年代を代表する「ハリボテの日本の私」としての椹木は「アイマイさ」を切り口とした意識的な「ハリボテ評論」でウブな美術評論世界を”悪意のフリ”をしながら縦断してみせた。- しかし、悪意さえ彼の場合は悲しきハリボテである。むしろ悪意は、彼にとって意識的にとりえる唯一残された立ち位置であり、また、それを方法論的基調とするほかなかったのだともいえる。- ところでなぜ美術評論世界にウブな感じがつきまとっているのか、それは、戦前さかんにおこなわれていた「ナチス文庫」に集約されるおおくの主要哲学者を動員しての、クラシックギリシャ思想、そして戦局が押し迫ったころのナチス思想と、日本神話、思想との照合作業の直前史を知らない、いい意味でも悪い意味でもなく、たんにそうした思想上の重要な事実が敗戦により断絶され、隠蔽されてきたために、そのことを確認し、批判的にも引き継ぐことができず、戦後欧米の芸術思潮を鵜呑みにして、戦前はなかったこととして、再起動してしまった戦後美術評論世界の現実があるように感じられるからである。最若手評論家である椹木がモノ派を代表する菅の文章に後期ハイデッガーいうフォアソクラテス時代のクラシックギリシャ精神と本居宣長思想との照応を感じてしまうのは、大陸の抽象座標に基づく空間原理に根をもたないわたくしたち列島独自の(否定相をそなえた)時空軸からみれば、自然といえば当然のなりゆきだろう。それにもかかわらず、欧米思潮に規範を置いた観点から具体運動以降のモノ派へいたる重要な流れを海外のアンフォルメルを基調にしたポイエーシスの解体からプラークシスへの運動と捉えるしかなかった美術評論世界の椹木評論にたいする反応は、いまだ彼の悪意の真意をはかりかね、その立ち位置からの照応作業の本質を見抜けないでいる。椹木の照応概念とは、たぶん彼自身も意識してないだろうけれど、この国伝統の照応概念を軸にした戦前版哲学雑誌「ナチス文庫」にみられたごとく、英米を主とした連合軍に対抗すべく、日独伊軍事同盟を強化しようとして、VR=仮想現実世界像としての古代ギリシャ思想を根底におこうとした時代不安にもとづく思想プログラムの現代版である。90年代から今日を予感してみせた不安原則公理といったものである。「匂ひ、俤(おもかげ)、ひびき」に照応し、そこでもの付け作業をしていくものの見方は、もともと源氏物語や和歌・俳諧にみられるばかりでなく、この列島の特異なる心性に根をもった事態であり、時代の波間に繰り返し顕われては失せ、また次の波間に姿を顕してくる。近代合理主義からみたその良し悪しの判断はまた別の次元の話として、こうした照応概念もわたくしたちの否定相をそなえた地軸に備わるア・プリオリといってもいい規範のひとつである。よって彼が彦坂を持ち出していうところの「閉じられた円環」は、わたくしたちにそなわる特有の-椹木のいう悪い場としての - その身体視点に一たびは立ってみないことには、そこでもう一段掘り下げた視座からしか、その「閉じられた円環」の彼方の秘密は開いてこないだろう。そのへんを現象学的還元などに逃げ込むと、閉じられた円環にさらに円環をつみ重ねて、彼方へいたる出口を糊塗してしまうことになる。それでは悪しき反復作業におわるしかないはずだ。
世代はちがうが、90年代から任意にサンプリングをしてみた大江と椹木の二人をみるかぎりは、両者ともに、この「あいまい」をみずからのことばを掘り下げて、その底流にある独自なる地軸におりたつことを第一義としたことばのつむぎ方は不十分である。.当時のはやりの欧米現代思想に準拠して、一方は無意識の善意のフリ、他方は意識的な悪意のフリをしながら「あいまいさ」の上空で、安全高度を保ちながら、ひたすら閉じられた円環を同じ軌跡を重ね描きしていったように見える。草間のように独力で、この列島独自の危険極まりない否定相にとびこむ勇気と覚悟はなかったのだ。(ただし、椹木の菅論だけは例外である。そこでは「もの」と「こと」の状況を踏まえた視点から、するどいかれ独自の論が冴えわたっている。それまでの悪意の論調はここではいくぶんなりを潜めて、「閉じられた円環の彼方」を暗示させるもの言いとなっている。
)90年代とは、ニューアカデミズムという座標から「あいまいさ」を見て、それを楯にとり、あるいは隠れ蓑として自己を正当化してきた。「あいまい」を「アイマイさ」と読み換えて、そこからひたすら「逃走」を企てながら・・・。しかし結局のところ「あいまい」の引力圏を周回するしかなかった時代ではなかったか。
(*三)土方巽
- この列島の言語と身体について。
土方巽は舞踏の練習のさい「俳句を詠んでもらっていた」という話を彼のそばにいたものから聞いて、即座に思い浮かんだ事がある。行き詰まりを感じていたと伝えられ、アルコールにおぼれがちの晩年の土方巽が、そんなさいごに身体で聴き取ろうとしたもの。それは、切れ字に代表される俳句の叙辞のきびしき否定の相ではなかったか。これが短歌ではどうしても身体が流れてしまう。現代では、短歌では求めようとしても、歌の調べのなかに埋没して抜け落ちてしまうなにかがあるのだ。俳句でもけっして十分ではないけれど、そこには歌に覚える身体の要求不満を幾分満足させてくれるアヤシキサダメのようななにかが聴き取れる。いづれにしても、この小話はわたくしたちのこころが直に顕われる叙辞の自在なサダマリ方を全身全霊で聴きわけて、その否定のサマや自在なフリと同機した身体を軸に、その周縁にふたたび物がきらめきだすことを求めてやまざるをえないなにかが現在のわたくしたちの内部にもあるという事例を、アル中の土方にとったひとつのエピソードである。
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つづき
「言挙げせぬ」というつよい否定相をともなった列島独自の言語精神のアポリアを解明し、そこで獲得した視点から古事記と現代芸術の成果とを列島一万年の独自時空規範へのパラダイムシフトとみなし、ひいてはその列島地軸から大陸の抽象座標系思考を相対化していこうとするこの思考実験は、ことばでいってしまえば簡単だし、たいそう勇壮で立派な仕事にもみえる。しかし、実際はその成果をひきあげる段に、きまって獲物を取り逃し、その度に大小の怪我をしてきたのがこれまでのジブンの歴史である。この作業は、自我意識や常識的感覚、肉体を破壊しようとしてくる危険にみちた怖いゲームだ。引きあげようとする相手は獰猛なあの白鯨に似ている。しかも、このゲームは、アポリアを解決する以外にはこの夢から覚められないように前もって仕組まれているまさに悪夢中でも最悪のゲームである。
この数年は、すこし距離を保ちながらこのスフィンクスひきあげの機会をうかがっていた。そんなとき、と或る好機がおとづれ、ここを逃せばあとはないとばかり一気呵成にものにしたのがこの小論である。その結果、ジブンの知りえる限りにおいて、いままで何人も説明し得ず、立証も実験もし得なかった不可思議な列島言語規範や、幾多の文化現象をその核心構造において、そのまま地表へひきずりあげ、光のもとにはじめて晒すことができたかとおもう。いったん引上げればそれを煮るなり焼くなり論証するなり、こうした作業は、あとからいくらでも、また他の機関でもできるはずだ。
とにもかくにも、「此をおもひ、此をおもひ、此をおもひて通ぜずんば、鬼神、将に此を通ぜんとす」という徂徠のことばも教えるように、不可思議の手助けのもと、なんとかおもひが通じてこれをひきあげ、この悪夢からいま覚めることができそうである。
これにまつわり、もう十五年まえのこと、波状の口縁をもった縄文尖底土器に出会ったときのことを思い出す。そのころは各地の海岸で岩を縄で縛るという美術フィールドワークを活発にしていた。その作業は単純な分、岩とジシンのあいだにはたらくアヤを読み取り、アヤの失せない間に機敏に全身で岩へ立ち向かう必要がポイントであって、気持ちも高揚していた時期である。身体感覚がはたらき易くなっていたのか、ある明け方、デッサン帳にジブンの下書きにしてはめずらしく線描だけからなる、単純素朴なカタチを徴シていた。そのとき即座に、この描かれたばかりの「コ・レ」は、具体的にリアルにいま、かって遠望俯瞰した風景のなかの「ソ・コ」に実在していると強く確信した。[「言」と「物」あるいは、出来事となった「徴シとしての事」と「物」とが相を違えたおなじものの両局面である]という事態のその感覚は、眼前のそこに見えている飲みさしのコップと、実際のコップとの関係と同様であり、いつでも手をのばせば手触りできる一体化した感覚である。子供であれば部屋の隅のおもちゃをみとめるやいなや対象と一体化して走り出す姿感覚と同じである。あのすばしこい姿はアタマで考えてしまう大人にはないセンサーそのものとなった姿であろう。そこに通常の距離と時間は無くなっている。
ジブンはその頃写真事務所をしていたので、愛用の大振りのイタリア製三脚とこれは日本製のマミヤの中型カメラをかつぎ、なんら躊躇なく、疑う事もなく「ソ・コ」へと向かった。ほんとうにジブンはあきれはてたことに、子供なのである。いまどきそんな感覚を信じて行動する大人はいないはずだ。東京からは電車を乗り継いで一時間強。徒歩で二十五分の距離が「ソ・コ」であった。だいぶ以前にこの丘から一帯を俯瞰し、海を眺めたことがあった。その丘に再度立ち、つぎは一直線に、実際にそれがあるはずの特定の場所に下っていった。もちろん「ソ・コ」を訪れることは全く初めてのことであった。
果たして、それは当然として「ソ・コ」に存在して、ぼくを待ってくれていた。デッサン帳に徴して数時間後の出会いであった。別におどろきも、不可思議も感ずることはなかった。そして、六×四・五判のフイルムに感光させた。それが、この縄文前期の波状口縁をもつ尖底土器である。自身は、それまで、ギリシャの壷絵とか李朝白磁や黒楽赤楽の茶碗には興味はあったけれど、縄文土器に興味はなく、ましてこの波状の形式が列島独自のものであるという前知識など持たず、いまもって中期火炎式土器くらいしか知らないくらいの縄文弥生の文化にかんしては門外漢なのだ。けれど、いまのわたくしは、この波状口縁尖底器は、列島言語精神の生み出した最高度の芸術作品であることを智っている。以来、つねに列島イデアの結実した具体物として、自身のすべての規範として、創作の地軸となっている。いや、精確にいうと、その反対で、創作の地軸としてものにしたデッサンが、今回、出来事として実際化して「波状口縁尖底器」と成ったのである。こちらの表現のほうが真実に近い。
これは、「ことば」は発せられると現実化するという言霊思想の延長に解釈できる現象ではないか。今回はデッサンされた徴が現実と成ったのだ。
- しかし、前にもふれたようにわたくしは、言霊思想は唐に影響され、理屈原理に要請されて流通してきた通俗概念であるという見方を捨てる事ができない。言霊思想では思考停止になってしまう。列島言語精神は、その背後にいかなる神秘的な原理をも設定しないところで「言」「物」そのものの実体化を軸にして、その周縁にあるがままのものごとの窮まりなき輝かしさを求めんとする。そこでは理屈上の驚きよりも物があるそのあるがままのものへ覚える驚き。その正覚したはたらきにこそ、列島言語精神の本分が存していると考えている。
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こうした出会い方は、アタマのなかの潜在意識というものがこれまでの有相無相の経験を総括し無意識裡に構成した推論のせいにもできるだろうが。たぶんそうではない。身体の記憶や街自身の記憶。丘陵を背景に前浜をもった「ソ・コ」の地形自体が太古よりもっている地層の記憶。そして肝心カナメのものそのものの八千年にわたるはるかな記憶。それらの「物」のアヤというものが交差交感しあって焦点を結び、徴としてサダマリ来たのであって、それらを受けとめた結果にすぎないのだ。そしてこうしたことは、そこで出会って自身が驚かなかったことからみても、格別に偶然的、神秘的なものではなく、たとえがあたっているかどうかわからないが正夢のような認識の仕方として当然古来より存在している身体知のはたらきかたの一つなのだ。一般的にいって誰しも初めて出会ったのにかかわらず、俤をそこにみいだせばなつかしく、交わす言葉も重なってくる経験があるだろう。こうした事例は、いくら時間が離れていても、距離が離れていようとも、主観という仮構に堕とさずに物そのものに問いかけつづけて、正当な手数をふみ、そうしたアヤのサダマリ方をおいかけて直くあれば、誰にでも認識でき、出会える知のあり方があるということを証明する個人的な例証なのではないだろうか。時空座標軸を欠如した列島における「もの」や「こと」は本質喚起的な方法では、その本意は顕われ出てこない。この見方はまたジブンの作品創出の前提でもある。
また、仔細に日常を分析していくと、誰にあっても普段のなにげな無数の判断の底流には列島独自の否定相のもと「物と言は位相を違えたおなじものの両局面である」ところからくる列島独自の認識が介在していることがみえてくる。「ものそのもの」のこゑを聴きとろうとするところからくるこの列島の認識の仕方は、それは時空間という抽象座標上の再現性に本質をもつ大陸系列の言語精神にもとづいた認識方法とはまったく異なったものである。
しかし、日常のわたくしたちの表層意識では、そんな出会いを悟性的推理や理性的判断の結果に置き換えて納得しようとする。あるいは、潜在的欲望の反映でしかない超感覚や神秘のせいにしてしまう。しかし、欧米の自然・社会・心理科学世界そのものが実は、錬金術にみられるように、超感覚や神秘世界と発生根拠が同列であり、それが仮相世界の原理に基づいたものであるとはいまだ気がつかれないでいる。つまりいずれにしても、徹底して仮象を廃していくこの列島にそなわる言語精神からみてみると、大陸系言語精神の生み出した仮相世界の原理で納得してしまっている現代という世界とは、無いものを有るとして疑わない呪術世界そのものなのである。
*「つづき」の後記に代へ、松岡正剛が現代思想マガジン「遊」の創刊に乗り出したきっかけになったという夢野久作の「ドグラ・マグラ
1935年(昭和10年)刊行)」から書き抜きファイルを添付した。
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「脳髄のトリックをタタキ破ったと豪語する正木博士。彼は生みの親の夢野久作を代弁して、かく独白、予言する……吾々が常住不断に意識しているところのアラユル慾望、感情、意志、記憶、判断、信念なぞいうものの一切合財は、吾々の全身三十兆の細胞の一粒一粒毎に、絶対の平等さで、おんなじように籠もっているのだ。そうして脳髄は、その全身の細胞の一粒一粒の意識の内容を、全身の細胞の一粒一粒毎に洩れなく反射交感する仲介の機能だけを受持っている細胞の一団に過ぎない。……しかし……今の人間は、みんな西洋崇拝で、一人残らず唯物科学の中毒に罹っている……今から二十年ほど待っていらっしゃい。二十年経つ中には、もしかするとこの日本に一人のスバラシイ精神病患者が現われるかも知れないのです。……そうするとその患者は、自分の発病の原因と、その精神異常が回復して来た経過とを、自分自身に詳細に記録、発表して全世界の学者を驚倒させると同時に、今日まで人類が総がかりで作り上げて来た宗教、道徳、芸術、法律、科学なぞいうものは勿論のこと、自然主義、虚無主義、無政府主義、その他のアラユル唯物的な文化思想を粉微塵に踏み潰して、その代りに人間の魂をドン底まで赤裸々に解放した、痛快この上なしの精神文化をこの地上にタタキ出す……」
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この「ドグラ・マグラ」をものにした翌年、夢野久作は亡くなる。そのかっきり二十年後。彼の予言どおり、現代美術分野で「水玉の天文学的な集積が繋ぐ白い虚無の網によって、自らも他者も、宇宙のすべてをオブリタレイト(消去)する」と言い放ち(1959年宣言)、自らも統合失調症に苦しむ草間弥生が当時著名な精神科医も注目のもと、1954年東京、1955年美術評論家瀧口修造の橋渡しでニューヨークデビューを果たし、1957年に渡米した。欧米造型概念によらない彼女の作品は美術のみならず、文章、映画においても精神の病の経過とを、詳細に記録、世界へ発表しつづけ、しかもそのすべての内容は、時空座標を欠いた列島の独自座標の深みからの存在論的問題提起として、欧米抽象概念思考への痛烈な批評となっている。主要都市が焦土と化したあの敗戦を挟み、列島固有のミーム(文化遺伝子)を視座に、ドグラ・マグラが戦前になしていた予言。そして、まさにそれと寸分違わず戦後デビューを果たした草間。ミームのプログラムどおりというか、現代の草間は、自身の公約にしたがって、抽象化された世界のカラクリのすべてを容赦なくオブリタレイト(否定)し尽くし、代わって宇宙の隅々までをも、列島独自なる無窮で無辺の場と化して、そこを赤裸々な「物」の連鎖空間で埋め尽くしにかかっている。欧米美学の枠を壊しつづける彼女の活躍は、古今東西のどんな深淵な哲学、思想、文学世界や、現実の社会科学、先端科学世界をも越える活動として、さらに注目されるべき、おそろしく痛快至極な出来事である。
この試みの作業過程で、こちらの不勉強や誤解により、美術界や古典文学界、そして考古学の諸先輩方に対して礼を失したところがでている可能性は否定しきれない。そこは、ひとえにこちらの浅学を恥じ入るばかりであり、ひたすらその寛容を希う者であります。
はじめに返る
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