< 古代アジアのU.S.A   香取の海(霞ヶ浦)、そして鹿島神宮と香取神宮  

           もくじ

1.香取の海   七世紀関東の国際交流

2.東国の経営と戦略・・・勾玉・鉄・薬草の生産

3.コノハナサクヤ姫は溶鉱炉の産鉄を人格神とした

4.地名歴史地理学ことはじめ

5歌のふるさと。歌垣の筑波の山 特集 (制作中)


6現在の霞ヶ浦MAP

7香取神宮

8鹿島神宮

9常陸国国府

10武蔵国国府

11 富士山


     国家成立以前の原風景が広がる聖地。各民族興亡史のキースポット「香取の海霞ヶ浦)」 
古代アジアのU.S.A  
田畑になっているものの、こここそ数千年ものあいだの各民族の交流を可能にした香取の海の要塞であった。その後、ここの祭神は香取の海の狭まった対岸に位置する鹿島神宮の祭神とともに、春日大社の祭神となっている。これらは一万年の民族興亡史の最後に登場し、後、日本国のプラットフォームを築くことになる藤原氏関係氏族がまつったものであろう。1,000を下らない古墳があるという背後の丘陵ではいまも縄文の土器破片が無数にちらばっている畑で、お婆さんが昔かわらず葱を植えている。ダイダラボッチ伝説にある長身の チベット系の顔立ち、歌垣を伝えたミャンマー・タイ・雲南省の面影をのこした人々。あるいは遠くローマからの影響色濃い新羅系の古墳出土品にみられる高句麗、新羅系のひとびと。その子孫たちがいまも各伝承をのこしながら住みつづけている。さらに、この一帯は、良質の鉄の生産ができる特殊な地域であったために、江戸には移動が禁じられていた。そのおかげでいまもって苗字や地名、それぞれの古代民族の顔立ちの博物館となっている。    *参考 霞ヶ浦の現代地勢MAP
  香取の海は現在の霞ヶ浦。三〜七世紀、新羅、百済、高句麗、隋と交流。沿岸には律令国家成立前から多数の国際都市が存在した。
  「男神に雲立ちのぼり時雨ふり濡れとほるとも吾帰らめや」など歌われた、歌垣の聖地「筑波嶺」の秀峰は、各地から仰ぐことができた。