「物」と「言」とを貫道する一なるものがある。それは「見る處花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。」「造化にしたがひ。造化にかへれとなり。
」と芭蕉いうところの先史から現代まですこしもぶれることなくはたらきつづけている造化にそなわる法である。ここでは物や言。そして。われわれ自身の今の意識や身体を紡ぎだし。未来をも決定づけていくこの無意識空間を。その生み出す源を。決して表にでてくることもなく。秘匿胎蔵され続けている先験的時空座標を。措定し。それを哥座(うたくら)と名づけている。