『月に吠える』
萩原朔太郎 大正六年二月
「月に吠える」
序
萩原君。
何と云つても私は君を愛する。さうして室生君を。それは何と云つても素直な優しい愛だ。いつまでもそれは永続するもので、いつでも同じ温かさを保つてゆかれる愛だ。此の三人の生命を通じ、縦しそこにそれぞれ天稟の相違はあつても、何と云つてもおのづからひとつ流の交感がある。私は君達を思ふ時、いつでも同じ泉の底から更に新らしく湧き出してくる水の清しさを感ずる。限りなき親しさと驚きの眼を以て私は君達のよろこびとかなしみとを理會する。さうして以心傳心に同じ哀憐の情が三人の上に益ゝ深められてゆくのを感ずる。それは互の胸の奥底に直接に互の手を触れ得るたつた一つの尊いものである。
私は君をよく知つてゐる。さうして室生君を。さうして君達の詩とその詩の生ひたちとをよく知つてゐる。『朱欒』のむかしから親しく君達は私に君達の心を開いて呉れた。いい意味に於て其後もわれわれの心の交流は常住新鮮であつた。恐らく今後に於ても。それは廻り澄む三つの獨樂が今や将に相觸れむとする刹那の静謐である。そこには限の知られぬをののきがある。無論三つの生命は確實に三つの据りを保つてゐなければならぬ。然るのちにそれぞれ澄みきるのである。微妙な接吻がそののちに釆る。同じ單純と誠實とを以て。而も互の動悸を聽きわけるほどの澄徹さを以て。辛に君達の生命も玲瓏乎としてゐる。
室生君と同じく君も亦生れた詩人の一人である事は誰も否むわけにはゆくまい。私は信ずる。さうして君の異常な神經と感情の所有者である事も。譬へばそれは憂鬱な香水に深く涵した剃刀である。而もその豫覺は常に來る可き悲劇に向つて顫へてゐる。然しそれは恐らく凶惡自身の爲に使用されると云ふよりも、凶惡に對する自衞、若くは自分自身に向けらるる懺悔の刃となる種類のものである。何故なれば、君の感情は恐怖の一刹那に於て、正しく君の肋骨の一本一本をも數へ得るほどの鋭さを持つてゐるからだ。
然しこの剃刀は幾分君の好奇な趣味性に匂づけられてゐる事もほんとうである。時には安らかにそれで以て君は君の薄い髯を當る。
清純な凄さ、それは君の詩を讀むものの誰しも認め得る特色であらう。然しそれは室生君の云ふ通り、ポオやボオドレエルの凄さとは違ふ。君は寂しい、君は正直で、清楚で、透明で、もつと細かにぴちぴち動く。少くとも彼等の絶望的な暗さや頽廢した幻覺の魔睡は無い。宛然涼しい水銀の鏡に映る剃刀の閃めきである。その鏡に映るものは眞實である。そして其處には玻璃製の上品な市街や青空やが映る。さうして恐る可き殺人事件が突如として映つたり、素敵に氣の利いた探偵が走つたりする。
君の氣稟は又譬へば地面に直角に立つ一本の竹である。その細い幹は鮮かな青緑で、その葉は華奢でこまかに動く。たつた一本の竹、竹は天を直觀する。而も此竹の感情は凡てその根に沈潛して行くのである。根の根の細かな纖毛のその岐れの殆ど有るか無きかの毛の尖のイルミネエシヨン、それがセンチメンタリズムの極致とすれば、その毛の突端にかぢりついて泣く男、それは病氣の朔太郎である。それは君も認めてゐる。
「詩は神祕でも象徴でも何でも無い。詩はただ病める魂の所有者と孤獨者との寂しい慰めである。」と君は云ふ。まことに君が一本の竹は水面にうつる己が影を神祕とし象徴として不思議がる以前に、ほんとうの竹、ほんとうの自分自身を切に痛感するであらう。鮮純なリズムの歔欷がそこから來る。さうしてその葉その根の尖まで光り出す。
君の靈魂は私の知つてゐる限りまさしく蒼い顔をしてゐた。殆ど病み暮らしてばかりゐるやうに見えた。然しそれは眞珠貝の生身が一顆小砂に擦られる痛さである。痛みが突きつめれば突きつめるほど小砂は眞珠になるりそれがほんとうの生身であり、生身から滴らす粘液がほんとうの苦しみからにじみ出たものである事は、君の詩が證明してゐる。
外面的に見た君も極めて痩せて尖つてゐる。さうしてその四肢が常に鋭角に動く、まさしく竹の感覺である。而も突如として電流體の感情が頭から足の爪先まで震はす時、君はぴよんぴよん跳ねる。さうでない時の君はいつも眼から涙がこぼれ落ちさうで、何かに鎚りつきたい風である。
潔露で我儘なお坊つちやんで(この點は私とよく似てゐる)その癖寂しがりの、いつも白い神經を露はに顫へさしてゐる人だ。それは電流の來ぬ前の電球の硝子の中の顫へてやまぬ竹の線である。
君の電流體の感情はあらゆる液體を固體に凝結せずんばやまない。竹の葉の水氣が集つて一滴の露となり、腐れた酒の蒸氣が冷たいランビキの玻璃に透明な酒清の雫を形づくる迄のそれ自身の洗練はかりそめのものではない。君のセンチメンタリズムの信條はまさしく木炭が金剛石になるまでの永い永い時の長さを、一瞬の間に縮める、この凝念の強さであらう。摩詞不思議なる此の眞言の祕密はただ詩人のみが知る。
月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。冬になつて私のところの白い小犬もいよいよ吠える。晝のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜はなほさらきらきらと霜が下りる。霜の下りる聲まで嗅ぎ知つて吠える。天を仰ぎ、眞實に地面に生きてゐるものは悲しい。
ぴようぴようと吠える。何かがぴようぴようと吠える。聽いてゐてさへも身の痺れるやうな寂しい遣瀬ない聲、その聲が今夜も向うの竹林を透してきこえる。降り注ぐものは新鮮な竹の葉に雪のごとく結晶し、君を思へば蒼白い月天がいつもその上にかかる。
萩原君。
何と云つても私は君を愛する。さうして室生君を。君は私より二つ年下で、室生君は君より又二つ年下である。私は私より少しでも年若く、私より更に新らしく生れて來た一つの相似た靈魂の爲めに祝福し、更に甚深な肉親の交歡に醉ふ。
又更に君と室生君との藝術上の熱愛を思ふと涙が流れる。君の歡びは室生君の歡びである。さうして又私の歡びである。
この機會を利用して、私は更に君に讚嘆の辭を贈る。
大正六年一月十日
葛飾の紫畑草舎にて
北原白秋
序
詩の表現の目的は單に情調のための情調を表現することではない。幻覺のための幻覺を描くことでもない。同時にまたある種の思想を宣傳演繹することのためでもない。詩の本來の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。
詩とは感情の神經を掴んだものである。生きて働く心理學である。
すべてのよい敍情詩には、理窟や言葉で説明することの出釆ない一種の一感が伴ふ。これを詩のにほひといふ。(人によつては氣韻とか氣稟とかいふ)にほひは詩の主眼とする陶醉的氣分の要素である。順つてこのにほひの稀薄な詩は韻文としての價値のすくないものであつて、言はば香味を缺いた酒のやうなものである。かういふ酒を私は好まない。
詩の表現は素樸なれ、詩のにほひは芳純でありたい。
私の詩の讀者にのぞむ所は、詩の表面に表はれた概念や「ことがら」ではなくして、内部の核心である感情そのものに感觸してもらひたいことである。私の心の「かなしみ」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」その他言葉や文章では言ひ現はしがたい複雜した特種の感情を、私は自分の詩のリズムによつて表現する。併しリズムは説明ではない。リズムは以心傳心である。そのリズムを無言で感知することの出來る人とのみ、私は手をとつて語り合ふことができる。
『どういふわけでうれしい?』といふ質問に對して人は容易にその理由を説明することができる。けれども『どういふ工合にうれしい?』といふ問に對しては何人もたやすくその心理を説明することはできない。
思ふに人間の感情といふものは、極めて單純であつて、同時に極めて複雜したものである。極めて普遍性のものであつて、同時に極めて個性的な特異なものである。
どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思つたら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音樂と詩があるばかりである。
私はときどき不幸な狂水病者のことを考へる。
あの病氣にかかつた人間は非常に水を恐れるといふことだ。コップに盛つた一杯の水が絶息するほど恐ろしいといふやうなことは、どんなにしても我々には想像のおよばないことである。
『どういうわけで水が恐ろしい?』『どういふ工合に水が恐ろしい?』これらの心理は、我我にとつては只々不可思義千萬のものといふの外はない。けれどもあの患者にとつてはそれが何よりも眞實な事實なのである。そして此の場合に若しその患者自身が……何等かの必要に迫まられて……この苦しい實感を傍人に向つて説明しようと試みるならば(それはずゐぶん有りさうに思はれることだ。もし傍人がこの病氣について特種の智識をもたなかつた場合には彼に對してどんな慘酷な惡戲が行はれないとも限らない。こんな場合を考へると私は戰慄せずには居られない。)患者自身はどんな手段をとるべきであらう。恐らくはどのやうな言葉の説明を以てしても、この奇異な感情を表現することは出來ないであらう。
けれども、若し彼に詩人としての才能があつたら、もちろん彼は詩を作るにちがひない。詩は人間の言葉で説明することの出來ないものまでも説明する。詩は言葉以上の言葉である。
狂水病者の例は極めて特異の例である。けれどもまた同時に極めてありふれた例でもある。
人間は一人一人にちがつた肉體と、ちがつた神經とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこぴは我のよろこびではない。
人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤獨である。
原始以來、神は幾億萬人といふ人間を造つた。けれども全く同じ顔の人間を、決して一人とは造りはしなかつた。人はだれでも單位で生れて、永久に單位で死ななければならない。
とはいへ、我々は決してぽつねんと切りはなされた宇宙の單位ではない。
我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異つて居る。けれども、實際は一人一人にみんな同一のところをもつて居るのである。この共通を人間同志の間に發見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。この共通を人類と植物との間に發見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そして我々はもはや永久に孤獨ではない。
私のこの肉體とこの感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解してゐる人も私一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつたものである。けれども、それはまた同時に、世界の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なる個々の感情の焦點に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意義を知らない。
詩は一瞬間に於ける靈智の産物である。ふだんにもつてゐる所のある種の感情が、電流體の如きものに觸れて始めてリズムを發見する。この電流體は詩人にとつては奇蹟である。詩は豫期して作らるべき者ではない。
以前、私は詩といふものを神秘のやうに考へて居た。ある靈妙な宇宙の聖靈と人間の叡智との交靈作用のやうにも考へて居た。或はまた不可思議な自然の謎を解くための鍵のやうにも思つて居た。併し今から思ふと、それは笑ふべき迷信であつた。
詩とは、決してそんな奇怪な鬼のやうなものではなく、實は却つて我々とは親しみ易い兄妹や愛人のやうなものである。
私どもは時々、不具な子供のやうないぢらしい心で、部屋の暗い片隅にすすり泣きをする。そういふ時、ぴつたりと肩により添ひながら、ふるへる自分の心臟の上に、やさしい手をおいてくれる乙女がある。その看護婦の乙女が詩である。
私は詩を思ふと、烈しい人間のなやみとそのよろこびとをかんずる。
詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と孤獨者との寂しいなぐさめである。
詩を思ふとき、私は人情のいぢらしさに自然と涙ぐましくなる。
過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦燥と無爲と惱める心肉との不吉な惡夢であつた。
月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽靈のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて來ないやうに。
萩原朔太郎
詩集例言
一、過去三年以來の創作九十餘篇中より敍情詩五十五篇、及び長篇詩篇一篇を選びてこの集に納む。集中の詩篇は主として「地上巡禮」「詩歌」「アルス」「卓上噴水」「感情」及び一、二の地方雜誌に掲載した者の中から拔粹した。その他、機會がなくて創作當時發表することの出來なかつたもの數篇を加へた。詩稿はこの集に納めるについて概ね推稿を加へた。
一、詩篇の排列順序は必ずしも正確な創作年順を追つては居ない。けれども大體に於ては舊稿からはじめて新作に終つて居る。即ち「竹とその哀傷」「雲雀料理」最も古く、「悲しい月夜」之に次ぎ、「くさつた蛤」「さびしい情欲」等は大低同年代の作である。而して「見知らぬ犬」と「長詩一篇」とは比較的最近の作に屬す。
一、極めて初期の作で「ザムボア」「創作」等に發表した小曲風のもの、及び「異端」「水瓶」「アララギ」「風景」等に發表した二、三の作は此の集では割愛することにした。詩風の關係から詩集の感じの統一を保つためである。
すべて初期に屬する詩篇は作者にとつてはなづかしいものである。それらは機會をみて別の集にまとめることにする。
一、この詩集の裝幀に就いては、以前著者から田中恭吉氏にお願ひして氏の意匠を煩はしたのである。所が不幸にして此の仕事が完成しない中に田中氏は病死してしまつた。そこで改めて恩地孝氏にたのんで著者のために田中氏の遺志を次いでもらふことにしたのである。恩地氏は田中氏とは生前無一の親友であつたのみならず、その藝術上の信念を共にすることに於て田中氏とは唯一の知己であつたからである。(尚、本集の插畫については卷末の附録「插畫附言」を三照してもらひたい。)
一、詩集出版に關して恩地孝氏と前田夕暮氏とには色々な方面から一方ならぬ迷惑をかけて居る。二兄の深甚なる好意に對しては深く感謝の意を表する次第である。
一、集中二、三の舊作は目下の著者の藝術的信念や思想の上から見て飽き足らないものである。併しそれらの詩篇も過去の道程の記念として貴重なものであるので特に採篇したのである。
竹とその哀傷
地面の底の病氣の顔
地面の底に顔があらはれ、
さみしい病人の顔があらはれ。
地面の底のくらやみに、
うらうら草の莖が萌えそめ、
鼠の巣が萌えそめ、
巣にこんがらかつてゐる、
かずしれぬ髮の毛がふるえ出し、
冬至のころの、
さびしい病氣の地面から、
ほそい青竹の根が生えそめ、
生えそめ、
それがじつにあはれふかくみえ、
けぶれるごとくに視え、
じつに、じつに、あはれふかげに視え。
地面の底のくらやみに、
さみしい病人の顔があらはれ。
芋の莖
冬のさむさに、
ほそき毛をもてつつまれし、
草の莖をみよや、
あをらみ莖はさみしげなれども、
いちめんにうすき毛をもてつつまれし、
草の莖をみよや。
雪もよひする空のかなたに、
草の莖はもえいづる。
竹
ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。
竹
光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より纖毛が生え、
かすかにけぶる纖毛が生え、
かすかにふるえ。
かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。
みよすべての罪はしるされたり、
されどすぺては我にあらざりき、
まことにわれに現はれしは、
かげなき青き炎の幻影のみ、
雪の上に消えさる哀傷の幽靈のみ、
ああかかる日のせつなる懺悔をも何かせむ、
すぺては青きほのほの幻影のみ。
すえたる菊
その菊は醋え、
その菊はいたみしたたる、
あはれあれ霜つきはじめ、
わがぷらちなの手ほしなへ、
するどく指をとがらして、
菊をつまむとねがふより、
その菊ばつむことなかれとて、
かがやく天の一方に、
菊は病み、
饐えたる菊はいたみたる。
龜
林あり、
沼あり、
蒼天あり、
ひとの手にはおもみを感じ、
しづかに純金の龜ねむる、
この光る、
寂しき自然のいたみにたへ、
ひとの心靈まさぐりしづむ、
龜は蒼天のふかみにしづむ。
笛
あふげば高き松が枝に琴かけ鳴らす、
をゆびに紅をさしぐみて、
ふくめる琴をかきならす、
ああ かき鳴らすひとづま琴の音にもつれぶき、
いみじき笛は天にあり。
けふの霜夜の空に冴え冴え、
松の梢を光らして、
かなしむものの一念に、
懺悔の姿をあらはしぬ。
いみじき笛は天にあり。
冬
つみとがのしるし天にあらはれ、
ふりつむ雪のうへにあらはれ、
木木の梢にかがやきいで、
ま冬をこえて光るがに、
おかせる罪のしるしよもに現はれぬ。
みよや眠れる、
くらき土壤にいきものは、
懺悔の家をぞ建てそめし。
天上縊死
遠夜に光る松の実に、
懺悔の涙したたりて、
遠夜の空にしも白ろき、
天上の松に首をかけ。
天上の松を戀ふるより、
祈れるさまに吊されぬ。
卵
いと高き梢にありて、
ちいさなる卵ら光り、
あふげば小鳥の巣は光り、
いまはや罪びとの祈るときなる。
雲雀料理
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
|五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。 |
|したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に純 |
|銀のふおうくを動かしたい。私の生活にもいつかは|
|一度、あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗ん |
|で喰べたい。 |
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感傷の手
わが性のせんちめんたる、
あまたある手をかなしむ、
手はつねに頭上にをどり、
また胸にひかりさびしみしが、
しだいに夏おとろへ、
かへれば燕はや巣を立ち、
おほ麥はつめたくひやさる。
ああ、都をわすれ、
われすでに胡弓を彈かず、
手ははがねとなり、
いんさんとして土地を掘る、
いぢらしき感傷の手は土地を掘る。
山 居
八月は祈祷、
魚鳥遠くに消え去り、
桔梗いろおとろへ、
しだいにおとろへ、
わが心いたくおとろへ、
悲しみ樹蔭をいでず、
手に聖書は銀となる。
苗
苗は青空に光り、
子供は土地を掘る。
生えざる苗をもとめむとして、
あかるき鉢の底より、
われは白き指をさしぬけり。
殺人事件
とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣装をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍體のうへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。
しもつき上旬のある朝、
探偵は玻璃の衣装をきて、
街の十字巷路を曲つた。
十字巷路に秋のふんすゐ。
はやひとり探偵はうれひをかんず。
みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者はいつさんにすべつてゆく。
盆景
春夏すぎて手は琥珀、
瞳は水盤にぬれ、
石はらんすゐ、
いちいちに愁ひをくんず、
みよ山水のふかまに、
ほそき瀧ながれ、
瀧ながれ、
ひややかに魚介はしづむ。
雲雀料理
ささげまつるゆふべの愛餐、
燭に魚臘のうれひを薫じ、
いとしがりみどりの窓をひらきなむ。
あはれあれみ空をみれば、
さつきはるばると流るるものを、
手にわれ雲雀の皿をささげ、
いとしがり君がひだりにすすみなむ。
掌上の種
われは手のうへに土を盛り、
土のうへに種をまく、
いま白きぢようろもて土に水をそそぎしに、
水はせんせんとふりそそぎ、
土のつめたさはたなごころの上にぞしむ。
ああ、とほく五月の窓をおしひらきて、
われは手を日光のほとりにさしのべしが、
さわやかなる風景の中にしあれば、
皮膚はかぐわしくぬくもりきたり、
手のうへの種はいとほしげにも呼吸づけり。
天 景
しづかにきしれ四輪馬車、
ほのかに海はあかるみて、
麥は遠きにながれたり、
しづかにきしれ四輪馬車。
光る魚鳥の天景を、
また窓青き建築を、
しづかにきしれ四輪馬車。
焦 心
霜ふりてすこしつめたき朝を、
手に雲雀料理をささげつつ歩みゆく少女あり、
そのとき並木にもたれ、
白粉もてぬられたる女のほそき指と指との隙間を
よくよく窺ひ、
このうまき雲雀料理をば盗み喰べんと欲して、
しきりにも焦心し、
あるひとのごときはあまりに焦心し、まつたく合
掌せるにおよべり。
悲しい月夜
かなしい遠景
かなしい薄暮になれば、
勞働者にて東京市中が滿員なり、
それらの憔悴した帽子のかげが、
市街中いちめんにひろがり、
あつちの市區でも、こつちの市區でも、
堅い地面を掘つくりかへす、
掘り出して見るならば、
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ。
重さ五匁ほどもある、
にほひ菫のひからびきつた根つ株だ。
それも本所深川あたりの遠方からはじめ、
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで、
しなびきつた心臟がしやべるを光らしてゐる。
悲しい月夜
ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰気くさい聲をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる、
波止場のくらい石垣で。
いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあはせの犬よ。
死
みつめるで土地の底から、
奇妙きてれつの手がでる、足がでる、
くびがでしやばる、
諸君、
こいつはいつたい、
なんといふ鷲鳥だい。
みつめる土地の底から、
馬鹿づらをして、
手がでる、
足がでる、
くびがでしやばる。
危険な散歩
春になつて、
おれは新らしい靴のうらにごむをつけた、
どんな粗製の歩道をあるいても、
あのいやらしい音がしないやうに、
それにおれはどつさり壊れものをかかへこんでる、
それがなによりけんのんだ。
さあ、そろそろ歩きはじめた、
みんなそつとしてくれ、
そつとしてくれ、
おれは心配で心配でたまらない、
たとへどんなことがあつても、
おれの歪んだ足つきだけは見ないでおくれ。
おれはぜつたいぜつめいだ、
おれは病氣の風船のりみたいに、
いつも憔悴した方角で、
ふらふらふらふらあるいてゐるのだ。
酒精中毒者の死
あふむきに死んでゐる酒精中毒者の、
まつしろい腹のへんから、
えたいのわからぬものが流れてゐる、
透明な青い血醤と、
ゆがんだ多角形の心臓と、
腐つたはらわたと、
らうまちすの爛れた手くびと、
ぐにやぐにやした臓物と、
そこらいちめん、
地べたはぴかぴか光つてゐる、
草はするどくとがつてゐる、
すぺてがらぢうむのやうに光つてゐる。
こんなさぴしい風景の中にうきあがつて、
白つぽけた殺人者の顏が、
草のやうにびらびら笑つてゐる。
干からびた犯罪
どこから犯人は逃走した?
ああ、いく年もいく年もまへから、
ここに倒れた椅子がある、
ここに兇器がある、
ここに屍体がある、
ここに血がある、
さうして青ざめた五月の高窓にも、
おもひにしづんだ探偵のくらい顏と、
さびしい女の髪の毛とがふるへて居る。
蛙の死
蛙が殺された、
子供がまるくなつて手をあげた、
みんないつしよに、
かはゆらしい、
血だらけの手をあげた、
月が出た、
丘の上に人が立つてゐる。
帽子の下に顏がある。
幼年思慕篇
くさつた蛤
なやましき春夜の感覺とその疾患
内部に居る人が畸形な病人に見える理由
わたしは窓かけのれいすのかげに立つて居ります、
それがわたくしの顔をうすぼんやりと見せる理由です。
わたしは手に遠めがねをもつて居ります、
それでわたくしは、ずつと遠いところを見て居ります、
につける製の犬だの羊だの、
あたまのはげた子供たちの歩いてゐる林をみて居ります、
それらがわたくしの瞳を、いくらかかすんでみせる理由です。
わたしはけさきやべつの皿を喰べすぎました、
そのうへこの窓硝子は非常に粗製です、
それがわたくしの顔をこんなに甚だしく歪んで見せる理由です。
じつさいのところを言へば、
わたくしは健康すぎるぐらゐなものです、
それだのに、なんだつて君は、そこで私をみつめてゐる。
なんだつてそんなに薄氣味わるく笑つてゐる。
おお、もちろん、わたくしの腰から下ならば、
そのへんがはつきりしないといふのならば、
いくらか馬鹿げた疑問であるが、
もちろん、つまり、この青白い窓の壁にそうて、
家の内部に立つてゐるわけです。
椅子
椅子の下にねむれるひとは、
おほいなる家をつくれるひとの子供らか。
春 夜
浅利のやうなもの、
蛤のやうなもの、
みぢんこのやうなもの、
それら生物の身體は砂にうもれ、
どこからともなく、
絹いとのやうな手が無數に生え、
手のほそい毛が浪のまにまにうごいてゐる。
あはれこの生あたたかい春の夜に、
そよそよと潮みづながれ、
生物の上にみづながれ、
貝るゐの舌も、ちらちらとしてもえ哀しげなるに、
とほく渚の方を見わたせば、
ぬれた渚路には、
腰から下のない病人の列があるいてゐる、
ふらりふらりと歩いてゐる。
ああ、それら人間の髪の毛にも、
春の夜のかすみいちめんにふかくかけ、
よせくる、よせくる、
このしろき浪の列はさざなみです。
ばくてりやの世界
ばくてりやの足、
ばくてりやの口、
ばくてりやの耳、
ばくてりやの鼻、
ばくてりやがおよいでゐる。
あるものは人物の胎内に、
あるものは貝るゐの内臓に、
あるものは玉葱の球心に、
あるものは風景の中心に。
ばくてりやがおよいでゐる。
ばくてりやの手は左右十文字に生え、
手のつまさきが根のやうにわかれ、
そこからするどい爪が生え、
毛細血管の類はべたいちめんにひろがつてゐる。
ばくてりやがおよいでゐる。
ばくてりやが生活するところには、
病人の皮膚をすかすやうに、
ぺにいろの光線がうすくさしこんで、
その部分だけほんのりとしてみえ、
じつに、じつに、かなしみたえがたく見える。
ばくてりやがおよいでゐる。
およぐひと
およぐひとのからだはななめにのびる、
二本の手はながくそろへてひきのばされる、
およぐひとの心臓はくらげのやうにすきとほる、
およぐひとの瞳はつりがねのひびきをききつつ、
およぐひとのたましひは水のうへの月をみる。
ありあけ
ながい疾患のいたみから、
その顏はくもの巣だらけとなり、
腰からしたは影のやうに消えてしまひ、
腰からうへには籔が生え、
手が腐れ、
身體いちめんがじつにめちやくちやなり、
ああ、けふも月が出で、
有明の月が空に出で、
そのぼんぼりのやうなうすらあかりで、
畸形の白犬が吠えてゐる。
しののめちかく、
さみしい道路の方で吠える犬だよ。
猫
まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病氣です』
貝
つめたきもの生れ、
その齒はみづにながれ、
その手はみづにながれ、
潮さし行方もしらにながるるものを、
浅瀬をふみてわが呼ばへば、
貝は遠音にこたふ。
麥畑の一隅にて
まつ正直の心をもつて、
わたくしどもは話がしたい、
信仰からきたるものは、
すべて幽靈のかたちで視える、
かつてわたくしが視たところのものを、
はつきりと汝にもきかせたい、
およそこの類のものは、
さかんに裝束せる、
光れる、
おほいなるかくしどころをもつた神の半身であつた。
陽 春
ああ、春は遠くからけぶつて来る、
ぼつくりふくらんだ柳の芽のしたに、
やさしいくちびるをさしよせ、
をとめのくちづけを吸ひこみたさに、
春は遠くからごむ輪のくるまにのつて来る。
ぼんやりした景色のなかで、
白いくるまやさんの足はいそげども、
ゆくゆく車輪がさかさにまわり、
しだいに梶棒が地面をはなれ出し、
おまけにお客さまの腰がへんにふらふらとして、
これではとてもあぶなさうなと、
とんでもない時に春がまつしろの欠伸をする。
くさつた蛤
半身は砂のなかにうもれてゐて、
それで居てべろべろ舌を出して居る。
この軟體動物のあたまの上には、
砂利や潮みづが、ざら、ざら、ざら、ざら流れてゐる、
ながれてゐる、
ああ夢のやうにしづかにもながれてゐる。
ながれてゆく砂と砂との隙間から、
蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえいづる、
この蛤は非常に憔悴れてゐるのである。
みればぐにやぐにやした内臓がくさりかかつて居るらしい、
それゆゑ哀しげな晩かたになると、
青ざめた海岸に坐つてゐて、
ちら、ちら、ちら、ちらとくさつた息をするのですょ。
春の實體
かずかぎりもしれぬ蟲けらの卵にて、
春がみつちりとふくれてしまつた、
げにげに眺めみわたせば、
どこもかしこもこの類の卵にてぎつちりだ。
櫻のはなをみてあれば、
櫻のはなにもこの卵いちめんに透いてみえ、
やなぎの枝にも、もちろんなり、
たとへば蛾蝶のごときものさへ、
そのうすき羽は卵にてかたちづくられ、
それがあのやうに、ぴかぴかぴかぴか光るのだ。
ああ、瞳にもみえざる、
このかすかな卵のかたちは楕圓形にして、
それがいたるところに押しあひへしあひ、
空氣中いつばいにひろがり、
ふくらみきつたごむまりのやうに固くなつてゐるのだ、
よくよく指のさきでつついてみたまへ、
春といふものの實體がおよそこのへんにある。
贈物にそへて
兵隊どもの列の中には、
性分のわるいものが居たので、
たぶん標的の圖星をはづした。
銃殺された男が、
夢のなかで息をふきかへしたときに、
空にはさみしいなみだがながれてゐた。
『これはさういふ種類の煙草です』
さびしい情慾
愛憐
きつと可愛いかたい齒で、
草のみどりをかみしめる女よ、
女よ、
このうす青い草のいんきで、
まんべんなくお前の顔をいろどつて、
おまへの情慾をたかぶらしめ、
しげる草むらでこつそりあそばう、
みたまへ、
ここにはつりがね草がくびをふり、
あそこではりんどうの手がしなしなと動いてゐる、
ああわたしはしつかりとお前の乳房を抱きしめる、
お前はお前で力いつばいに私のからだを押へつける。
さうしてこの人氣のない野原の中で、
わたしたちは蛇のやうなあそぴをしよう、
ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、
おまへの美しい皮膚の上に青い草の汁をぬりつけてやる。
恋を恋する人
わたしはくちびるにべにをぬつて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
よしんば私が美男であらうとも、
わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない、
わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいのにほひがしない、
わたしはしなびきつた薄命男だ、
ああ、なんといふいぢらしい男だ、
けふのかぐはしい初夏の野原で、
きらきらする木立の中で、
手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた、
腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた。
襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた、
かうしてひつそりとしなをつくりながら、
わたしは娘たちのするやうに、
こころもちくびをかしげて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
くちびるにばらいろのべにをぬつて、
まつしろの高い樹木にすがりついた。
五月の貴公子
若草の上をあるいてゐるとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でをどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、
わたしは五月の貴公子である。
白い月
はげしいむし齒のいたみから
ふくれあがつた頬つぺたをかかへながら、
わたしは棗の木の下を掘つてゐた、
なにかの草の種を蒔かうとして、
きやしやの指を[#「つちへん」+尼]だらけにしながら、
つめたい地べたを掘つくりかへした、
ああ、わたしはそれをおぼえてゐる、
うすらさむい日のくれがたに、
まあたらしい穴の下で、
ちろ、ちろ、とみみずがうごいてゐた、
そのとき低い建物のうしろから、
まつしろい女の耳を、
つるつるとなでるやうに月があがつた、
月があがつた。
幼童思慕詩篇
肖像
あいつはいつも歪んだ顔をして、
窓のそばに突つ立つてゐる、
白いさくらが咲く頃になると、
あいつはまた地面の底から、
むぐらもちのやうに這ひ出してくる、
じつと足音をぬすみながら、
あいつが窓にしのびこんだところで、
おれは早取寫眞にうつした。
ぼんやりした光線のかげで、
白つぽけた乾板をすかして見たら、
なにかの影のやうに薄く寫つてゐた。
おれのくびから上だけが、
おいらん草のやうにふるへてゐた。
さびしい人格
さびしい人格が私の友を呼ぶ、
わが見知らぬ友よ、早くきたれ、
ここの古い椅子に腰をかけて、二人でしづかに話してゐよう、
なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくらさふ、
遠い公園のしづかな噴水の音をきいて居よう、
しづかに、しづかに、二人でかうして抱き合つて居よう、
母にも父にも兄弟にも遠くはなれて、
母にも父にも知らない孤兒の心をむすび合はさう、
ありとあらゆる人間の生活の中で、
おまへと私だけの生活について話し合はう、
まづしいたよりない、二人だけの秘密の生活について、
ああ、その言葉は秋の落葉のやうに、そうそうとして膝の上にも散つてくるではないか。
わたしの胸は、かよわい病氣したをさな兒の胸のやうだ。
わたしの心は恐れにふるえる、せつない、せつない、熱情のうるみに燃えるやうだ。
ああいつかも、私は高い山の上へ登つて行つた、
けはしい坂路をあふぎながら、虫けらのやうにあこがれて登つて行つた、
山の絶頂に立つたとき、虫けらはさびしい涙をながした。
あふげば、ぼうぼうたる草むらの山頂で、おほきな白つぽい雲がながれてゐた。
自然はどこでも私を苦しくする、
そして人情は私を陰鬱にする、
むしろ私はにぎやかな都會の公園を歩きつかれて、
とある寂しい木蔭に椅子をみつけるのが好きだ、
ぼんやりした心で空を見てゐるのが好きだ、
ああ、都會の空をとほく悲しくながれてゆく煤煙、
またその建築の屋根をこえて、はるかに小さくつばめの飛んで行く姿を見るのが好きだ。
よにもさびしい私の人格が、
おほきな聲で見知らぬ友をよんで居る、
わたしの卑屈な不思議な人格が、
鴉のやうなみすぼらしい樣子をして、
人氣のない冬枯れの椅子の片隅にふるえて居る。
見しらぬ犬
見しらぬ犬
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
みすぼらしい、後足でびつこをひいてゐる不具の犬のかげだ。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の家根がべらべらと風にふかれてゐる、
道ばたの陰気な空地では、
ひからぴた草の葉つばがしなしなとほそくうごいて居る。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おほきな、いきもののやうな月が、ぼんやりと行手に浮んでゐる、
さうして背後のさびしい往來では、
犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきづつて居る。
ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這ひまはつて、
わたしの背後で後足をひきづつてゐる病氣の犬だ、
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ。
青樹の梢をあふぎて
まづしい、さみしい町の裏通りで、
青樹がほそほそと生えてゐた。
わたしは愛をもとめてゐる、
わたしを愛する心のまづしい乙女を求めてゐる、
そのひとの手は青い梢の上でふるへてゐる、
わたしの愛を求めるために、いつも高いところでやさしい感情にふるへてゐる。
わたしは遠い遠い街道で乞食をした、
みぢめにも飢えた心が腐つた葱や肉のにほひを嗅いで涙をながした、
うらぶれはてた乞食の心でいつも町の裏通りを歩きまはつた。
愛をもとめる心は、かなしい孤獨の長い長いつかれの後にきたる、
それはなつかしい、おほきな海のやうな感情である。
道ばたのやせ地に生えた青樹の梢で、
ちつぽけな葉つばがひらひらと風にひるがへつてゐた。
蛙 よ
蛙よ、
青いすすきやよしの生えてる中で、
蛙は白くふくらんでゐるやうだ、
雨のいつばいにふる夕景に、
ぎよ、ぎよ、ぎよ、ぎよ、と鳴く蛙。
まつくらの地面をたたきつける、
今夜は雨や風のはげしい晩だ、
つめたい草の葉つばの上でも、
ほつと息をすひこむ蛙、
ぎよ、ぎよ、ぎよ、ざよ、と鳴く蛙。
蛙よ、
わたしの心はお前から遠くはなれて居ない、
わたしは手に燈灯をもつて、
くらい庭の面を眺めて居た、
雨にしほるる草木の葉を、つかれた心もちで眺めて居た。
山に登る
旅よりある女に贈る
山の頂上にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寝ころんで居た。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口にあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのである。
海水旅館
赤松の林をこえて、
くらきおほなみはとほく光つてゐた、
このさびしき越後の海岸、
しばしはなにを祈るこころぞ、
ひとり夕餉ををはりて、
海水旅舘の居間に灯を点ず。
くぢら浪海岸にて
孤獨
田舎の白つぽい道ばたで、
つかれた馬のこころが、
ひからびた日向の草をみつめてゐる、
ななめに、しのしのとほそくもえる、
ふるへるさびしい草をみつめる。
田舎のさびしい日向に立つて、
おまへはなにを視てゐるのか、
ふるへる、わたしの孤獨のたましひよ。
このほこりつぽい風景の顏に、
うすく涙がながれてゐる。
白い共同椅子
森の中の小徑にそうて、
まつ白い共同椅子がならんでゐる、
そこらはさむしい山の中で、
たいそう緑のかげがふかい、
あちらの森をすかしてみると、
そこにもさみしい木立がみえて、
上品な、まつしろな椅子の足がそろつてゐる。
田舎を恐る
わたしは田舎をおそれる、
田舎の人気のない水田の中にふるへて、
ほそながくのびる苗の列をおそれる。
くらい家屋の中に住むまづしい人間のむれをおそれる。
田舎のあぜみちに座つてゐると、
おはなみのやうな土壤の重みが、わたしの心をくらくする、
土壤のくさつたにほひが私の皮膚をくろずませる、
冬枯れのさぴしい自然が私の生活をくるしくする。
田舎の空氣は陰鬱で重くるしい、
田舎の手触りはざらざらして氣もちがわるい、
わたしはときどき田舎を思ふと、
きめのあらい動物の皮膚のにほひに腦まされる。
わたしは田舎をおそれる、
田舎は熱病の青じろい夢である。
長詩二篇
雲雀の巣
おれはよにも悲しい心を抱いて故郷の河原を歩いた。
河原には、よめな、つくしのたぐひ、せり、なづな、すみれの根もぼうぼうと生えてゐた。
その低い砂山の蔭には利根川がながれてゐる。ぬすびとのやうに暗くやるせなく流れてゐる、
おれはぢつと河原にうづくまつてゐた。
おれの眼のまへには河原よもぎの草むらがある。
ひとつかみほどの草むらである。蓬はやつれた女の髪の毛のやうに、へらへらと風こうごいてゐた。
おれはあるいやなことをかんがへこんでゐる。それは恐ろしく不吉なかんがへだ。
そのうへ、きちがひじみた太陽がむしあつく帽子の上から照りつけるので、おれはぐつたり汗ばんでゐる。
あへぎ苦しむひとが水をもとめるやうに、おれはぐいと手をのばした。
おれのたましひをつかむやうにしてなにものかをつかんだ。
干からびた髪の毛のやうなものをつかんだ。
河原よもぎの中にかくされた雲雀の巣。
ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴょ、ぴよ、ぴよと空では雲雀の親が鳴いてゐる。
おれはかわいそうな雲雀の巣をながめた。
巣はおれの大きな掌の上で、やさしくも毯のやうにふくらんだ。
いとけなく育くまれるものの愛に媚びる感覺が、あきらかにおれの心にかんじられた。おれはへんてこに寂しくそして苦しくなつた。
おれはまた親烏のやうに頸をのばして巣の中をのぞいた。
巣の中は夕暮どきの光線のやうに、うすぼんやりとしてくらかつた。
かぼそい植物の繊毛に触れるやうな、たとへやうもなく DEKICATE の哀傷が、影のやうに神經の末梢をかすめて行つた。
巣の中のかすかな光線にてらされて、ねずみいろの雲雀の卵が四つほどさびしげに光つてゐた。
わたしは指をのばして卵のひとつをつまみあげた。
生あつたかい生物の呼吸が親指の腹をくすぐつた。
死にかかつた犬をみるときのやうな齒がゆい感覚が、おれの心の底にわきあがつた。
かういふときの人間の感覺の生ぬるい不快さから惨虐な罪が生れる。罪をおそれる心は罪を生む心のさきがけである。
おれは指と指とにはさんだ卵をそつと日光にすかしてみた。
うす赤いぼんやりしたものが血のかたまりのやうに透いてみえた。
つめたい汁のやうなものが感じられた。
そのとき指と指とのあひだに生ぐさい液體がじくじくと流れてゐるのをかんじた。
卵がやぶれた。
野蠻な人間の指が、むざんにも繊細なものを押しつぶしたのだ。
鼠いろの薄い卵の殻にはKといふ字が、赤くほんのりと書かれてゐた。
いたいけな小鳥の芽生、小鳥の親。
その可愛いらしいくちばしから造つた巣、一生けんめいでやつた小動物の仕事、愛すべき本能のあらはれ。
いろいろな善良な、しほらしい考が私の心の底にはげしくこみあげた。
おれは卵をやぶつた。
愛と悦びとを殺して悲しみと呪ひとにみちた仕事をした。
くらい不愉快をおこなひをした。
おれは陰鬱な顔をして地面をながめつめた。
地面には小石や、硝子かけや、草の根などがいちめんにかがやいてゐた。
ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと空では雲雀の親が鳴いてゐる。
なまぐさい春のにほひがする。
おれはまたあのいやのことをかんがへこんだ。
人間が人間の皮膚のにほひを嫌ふといふこと。
人間が人間の生殖機を醜惡にかんずること。
あるとき人間が馬のやうに見えること。
人間が人間の愛にうらぎりすること。
人間が人間をきらふこと。
ああ、厭人病者。
ある有名なロシヤ人の小説、非常に重たい小説をよむと厭人病者の話が出て居た。
それは立派な小説だ、けれども恐ろしい小説だ。
心が愛するものを肉体で愛することの出来ないといふのは、なんたる邪惡の思想であらう。なんたる醜惡の病気であらう。
おれは生れていつぺんでも娘たちに接吻したことはない。
ただ愛する小鳥たちの肩に手をかけて、せめては兄らしい言葉を言つたことすらもない。
ああ、愛する、愛する、愛する小鳥たち。
おれは人間を愛する。けれどもおれは人間を恐れる。
おれはときどき、すべての人々から脱れて孤獨になる。そしておれの心は、すぺての人々を愛することによつて涙ぐましくなる。
おれはいつでも,人気のない寂しい海岸を歩きながら、遠い都の雑鬧を思ふのがすきだ。
遠い都の灯ともし頃に、ひとりで故郷の公園地をあるくのがすきだ。
ああ、きのふもきのふとて、おれは悲しい夢をみつづけた。
おれはくさつた人間の血のにほひをかいだ。
おれはくるしくなる。
おれはさぴしくなる。
心で愛するものを、なにゆゑに肉體で愛することができないのか。
おれは懺悔する。
懺悔する。
おれはいつでも、くるしくなると懺悔する。
利根川の河原の砂の上に坐つて懺悔をする。
ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと、空では雲雀の親たちが鳴いゐる。
河原蓬の根がぼうぼうとひろがつてゐる。
利根川はぬすびとのやうにこつそりと流れてゐる。
あちらにも、こちらにも、うれはしげな農人の顔がみえる。
それらの顏はくらくして地面をばかりみる。
地面には春が疱瘡のやうにむつくりと吹き出して居る。
おれはいぢらしくも雲雀の卵を十ひあげた。
笛
子供は笛が欲しかつた。
その時子供のお父さんは書きものをして居るらしく思はれた。
子供はお父さんの部屋をのぞきに行つた。
子供はひつそりと扉のかげに立つて居た。
扉のかげにはさくらの花のにほひがする。
そのとき室内で大人はかんがへこんでゐた、
大人の思想がくるくると渦まきをした、ある混み入つた思想のぢれんまが大人の心を痙攣させた。みれば、ですくの上に突つ伏した大人の額を、いつのまにか蛇がぎりぎりとまきつけてゐた。
それは春らしい今朝の出來事が、そのひとの心を憂はしくしたのである。
本能と良心と、
わかちがたき一つの心をふたつにわかたんとする大人の心のうらさびしさよ、
力をこめて引きはなされた二つの影は、糸のやうにもつれあひつつ、ほのぐらき明窓のあたりをさまよひた。
人は自分の頭のうへに、それらの悲しい幽靈の通りゆく姿をみた。
大人は恐ろしさに息をひそめながら祈をはじめた
「神よ、ふたつの心をひとつにすることなからしめたまへ」
けれどもながいあひだ、幽靈は扉のかげを出這入りした。
扉のかげにはさくらの花のにほひがした。
そこには青白い顏をした病身のかれの子供が立つて居た。
子供は笛が欲しかつたのである。
子供は扉をひらいて部屋の一隅に立つてゐた。
子供は窓際のですくに突つ伏したおほいなる父の頭腦をみた。
その頭腦のあたりは甚だしい陰影になつてゐた。
子供の視線が蠅のやうにその場所にとまつてゐた。子供のわびしいこころがなにものかにひきつけられてゐたのだ。
しだいに子供の心が力をかんじはじめた、
子供は實に、はつきりとした聲で叫んだ。
みればそこには笛がおいてあつたのだ。
子供が欲しいと思つてゐた紫いろの小さい笛があつたのだ。
子供は笛に就いてなにごとも父に話してはなかつた。
それ故この事實はまつたく遇然の出來事であつた。
おそらくはなにかの不思議なめぐりあはせであつたのだ。
けれども子供はかたく父の奇蹟を信じた。
もつとも偉大なる大人の思想が生み落した陰影の笛について、
卓の上に置かれた笛について。
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