海潮音
上田敏 明治38年
ガブリエレ・ダンヌンチオ
燕の歌
弥生ついたち、はつ燕、
海のあなたの静けき国の
便もてきぬ、うれしき文を。
春のはつ花、にほひを尋むる
あゝ、よろこびのつばくらめ。
黒と白との染分縞は
春の心の舞姿。
弥生来にけり、如月は
風もろともに、けふ去りぬ。
栗鼠の毛衣脱ぎすてて、
綾子羽ぶたへ、今様に、
春の川瀬をかちわたり、
しなだるゝ枝の森わけて、
舞ひつ、歌ひつ、足速の
恋慕の人ぞむれ遊ぶ。
岡に摘む花、菫ぐさ、
草は香りぬ、君ゆゑに、
素足の「春」の君ゆゑに。
けふは野山も新妻の姿に通ひ、
わだつみの波は輝く阿古屋珠。
あれ、薮陰の黒鶫、
あれ、なか空に揚雲雀。
つれなき風は吹きすぎて、
旧巣啣へて飛ぴ去りぬ。
あゝ、南国のぬれつばめ、
尾羽は矢羽根よ、鳴く音は弦を
「春」のひくおと、「春」の手の。
あゝ、よろこびの美鳥よ、
黒と白との水干に、
舞の足どり教へよと、
しばし招がむ、つばくらめ。
たぐひもあらぬ麗人の
イソルダ姫の物語、
飾り画けるこの殿に
しばしはあれよ、つばくらめ。
かづけの花環こゝにあり、
ひとやにはあらぬ花籠を
給ふあえかの姫君は、
フランチェスカの前ならで、
まことは「春」のめがみ大神。
ガブリエレ・ダンヌンチオ
声曲
われはきく、よもすがら、わが胸の上に、君眠る時、
吾は聴く、夜の静寂に、滴の落つるを、将、落つるを。
常にかつ近み、かつ遠み、絶間なく落つるをきく、
夜もすがら、君眠る時、君眠る時、われひとりして。
ルコント・ドゥ・リイル
真昼
「夏」の帝の「真昼時」は、大野が原に広ごりて、
白銀色の布引に、青天くだし天降しぬ。
寂たるよもの光景かな。耀く虚空、風絶えて、
炎のころも纒ひたる地の熟睡の静心。
眼路渺茫として極無く、樹蔭も見えぬ大野らや、
牧の畜の水かひ場、泉は涸れて音も無し。
野末遥けき森蔭は、裾の界の線黒み、
不動の姿夢重く、寂寞として眠りたり。
唯熟したる麦の田は黄金海と連なりて、
かぎりも波の揺蕩に、眠るも鈍と嘲みがほ、
聖なる地の安らけき児等の姿を見よやとて、
畏れ憚るけしき無く、日の觴を嚥み干しぬ。
また、邂逅に吐息なす心の熱の穂に出でて、
囁声のそこはかと、鬚長穎の胸のうへ、
覚めたる波の揺動や、うねりも貴におほどかに
起きてまた伏す行末は沙たち迷ふ雲のはて。
程遠からぬ青草の牧に伏したる白牛が、
肉置厚き喉袋、涎に濡らす慵げさ、
妙に気高き眼差も、世の煩累に倦みしごと、
終に見果てぬ内心の夢の衢に迷ふらむ。
人よ、爾の心中を、喜怒哀楽に乱されて、
光明道の此原の真昼を孤り過ぎゆかば、
●れよ、こゝに万物は、凡て虚ぞ、日は焼かむ。 《●はシンニュウに「官」》
ものみな、こゝに命無く、悦も無し、はた憂無し。
されど涙や笑声の惑を脱し、萬象の
流転の相を忘ぜむと、心の渇いと切に、
現身の世を赦しえず、はた咀ひえぬ観念の
眼放ちて、幽遠の大歓楽を念じなば、
来れ、此地の天日にこよなき法の言葉あり、
親み難き炎上の無間に沈め、なが思、
かくての後は、濁世の都をさして行くもよし、
物の七たび涅槃に浸りて澄みし心もて。
ルコント・ドゥ・リイル
大飢餓
夢円なる滄溟、涛の巻曲の揺蕩に
夜天の星の影見えて、小島の群と輝きぬ。
紫磨黄金の良夜は、寂寞としてまた幽に、
奇しき畏の満ちわたる海と空との原の上。
無辺の天や無量海、底ひも知らぬ深淵は
憂愁の国、寂光上、また譬ふべし、●耀郷。 《●はヒヘンに「玄」》
墳塋にして、はた伽藍、赫灼として幽遠の
大荒原の縦横を、あら、万眼の魚鱗や。
青空かくも荘厳に、大水更に神寂びて、
大光明の遍照に、宏大無辺界中に、
うつらうつらの夢枕、煩悩界の諸苦患も、
こゝに通はぬその夢の限も知らず大いなる。
かゝりし程に、粗膚の蓬起皮のしなやかに
飢にや狂ふ、おどろしき深海底のわたり魚、
あふさきるさの徘徊に、身の鬱憂を紛れむと、
南蟹鉄の腮をぞ、くわつとばかりに開いたる。
素より無辺天空を仰ぐにはあらぬ魚の身の、
参の宿みつ星や、三角星や、天蝎宮
無限に曳ける光亡のゆくてに思馳するなく、
北斗星前、横はる大熊星もなにかあらむ。
唯ひとすぢに、生肉を噛まむ、砕かむ、割かばやと、
常の心は、朱に染み、血の気に欲を湛へつゝ、
影暗うして水重き潮の荒原を、
曇れる眼きらめかし、●惨として遅々たりや。 《●はリッシンベンに「妻」》
こゝ虚なる無声境、浮べる物や、泳ぐもの、
生たる物も、死したるも、此空漠の荒野には、
音信も無し、影も無し、たゞ水先の小判鮫、
真黒の鰭のひたうへに、沈々として眠るのみ。
行きね、妖怪、なれが身も人間道に異らず、
醜悪、獰猛、暴戻のたえて異るふしも無し。
心安かれ、鱶ざめよ、明日や食らはむ人間を、
又さはいへど、汝が身も、明日や食はれむ、人間に。
聖なる飢は正法の永くつゞける殺生業、
かげ深海も光明の天つみそらもけぢめなし。
それ人間も、鱶鮫も、残害の徒も、餌食等も、
見よ、死の神の前にして、二つながらに罪ぞ無き。
ルコント・ドゥ・リイル
象
沙漠は丹の色にして、波漫々たるわだつみの
音しづまりて、日に燬けて、熟睡の床に伏す如く、
不動のうねり、大らかに、ゆくらゆくらに伝らむ、
人住むあたり銅の雲たち籠むる眼路のすゑ。
命も音も絶えて無し。餌に飽きたる唐獅子も、
百里の遠き洞窟の奥にや今は眠るらむ。
また岩清水迸る長沙の央、青葉かげ、
豹も来て飲む椰子森は、麒麟が常の水かひ場。
大日輪の走せ廻る気重き虚空鞭うつて、
羽掻の音の声高き一鳥遂に飛びも来ず。
たまたま見たり、蟒蛇の夢も熱きか円寝して、
とぐろの綱を動かせば、鱗の光まばゆきを。
一天霽れて、そが下に、かゝる炎の野はあれど、
物鬱として、寂寥のきはみを尽すをりしもあれ、
皺だむ象の一群よ、太しき脚の練足に、
うまれの里の野を捨てて、大沙原を横に行く。
地平のあたり、一団の褐色なLて、列なめて、
みれば砂塵を蹴立てつゝ、路無き原を直道に、
ゆくてのさきの障碍を、もどかしとてや、力足、
踏鞴しこふむ勢に、遠の砂山崩れたり。
導にたてる年嵩のてだれの象の全身は
「時」が噛みてし、刻みてし老樹の幹のごと、ひわれ
巨巌の如き大頭、脊骨の弓の太しきも、
何の苦も無く、自から、滑らかにこそ動くなれ。
歩遅むることもなく、急ぎもせずに悠然と、
塵にまみれし群象をめあての国に導けば、
沙の畦くろ、穴に穿ち、続いて歩むともがらは、
雲突く修験山伏か、先達の蹤踏んでゆく。
耳は扇とかざしたり、鼻は象牙に介みたり、
半眼にして辿りゆく、その胴腹の波だちに、
息のほてりや、汗のほけ、烟となつて散乱し、
幾千万の昆虫が、うなりて集ふ餌食かな。
饑渇の攻や、貪婪の羽虫の群もなにがあらむ、
黒皺皮の満身の膚をこがす炎暑をや。
かの故里をがしまだち、ひとへに夢む、道遠き
眼路のあなたに生ひ茂る無花果の森、象の邦。
また忍ぶかな、高山の奥より落つる長水に
巨大の河馬の嘯きて、波涛たぎつる河の瀬を、
あるは月夜の清光に白みしからだ、うちのばし、
水かふ岸の葦蘆を踏み砕きてや、降りたつを。
かゝる勇猛沈勇の心をきめて、さすかたや、
涯も知らぬ遠のすゑ、黒線とほくかすれゆけば、
大沙原は今さらに不動のけはひ、神寂びぬ、
身動迂き旅人の雲のはたてに消ゆる時。
ホセ・マリヤ・デ・エレディヤ
珊瑚礁
波の底にも照る日影、神寂びにたる曙の
照しの光、亜比西尼亜珊瑚の森にほの紅く、
ぬれにぞぬれし深海の谷隈の奥に透入れば、
輝きにほふ虫のから、命にみつる珠の華。
●度に、塩に、さ丹づらふ海の宝ののもろもろは 《●はサンズイに「夭」》
濡髪長き海藻や、珊瑚、海胆、苔までも、
臙脂紫あかあかと、華奢のきはみの絵模様に、
薄色ねびしみどり石、蝕む底ぞ被ひたる。
鱗の光のきらめきに白琺瑯を曇らせて、
枝より枝を横ざまに、何を尋ぬる一大魚、
光透入る水かげに慵げなりや、もとほりぬ。
忽ち紅火飄る思ひの色の鰭ふるひ、
藍を湛へし静寂のかげ、ほのぐらき青海波、
水揺りうごく揺曳は黄金、真珠、青玉の色。
ホセ・マリヤ・デ・エレディヤ
床
さゝらがた錦を張るも、荒妙の白布敷くも、
悲しさは墳瑩のごと、楽しさは巣の如しとも、
人生れ、人いの眠り、つま恋ふる、凡てこゝなり、
をさな児も、老も若も、さをとめも、妻も、夫も。
葬事、まぐはひほがひ、烏羽玉の黒十字架に、
浄き水はふり散らすも、祝福の枝をかざすも、
皆こゝに物は始まり、皆こゝに事は終らむ、
産屋洩る初日影より、臨終の燭の火までも。
天離る鄙の伏屋も、百敷の大宮内も、
紫磨金の栄を尽して、紅に朱に矜り飾るも、
鈍色の樫のつくりや、楓の木、杉の床にも、
独り、かの畏も悔も無く眠る人こそ善けれ、
みおやらの生れし床に、みおやらの失せにし床に、
物古りし親のゆづりの大床に足を延ばして。
ホセ・マリヤ・デ・エレディヤ
出征
高山の鳥栖巣だちし兄鷹のごと、
身こそたゆまね、憂愁に思は倦じ、
モゲルがた、パロスの港、船出して、
雄叫ぶ夢ぞ逞ましき、あはれ丈夫。
チパンゴに在りと伝ふる鉱山の
紫磨黄金やわが物と遠く求むる
船の帆も撓りにけりな、時津風、
西の世界の不思議なる遠荒磯に。
ゆふべゆふべは壮大の旦を夢み、
しらぬ火や、熱帯海のかぢまくら、
こがね幻通ふらむ。またある時は
白妙の帆船の舳さき、たゝずみて、
振放みれば、雲の果、見知らぬ空や、
蒼海の底よりのぼる、けふも新星。
シュリ・プリュドン
夢
夢のうちに、農人曰く、なが糧をみづから作れ、
けふよりは、なほ養はじ、土を墾り種を蒔けよと。
機織はわれに語りぬ、なが衣をみづから織れと。
石造われに語りぬ、いざ鏝をみづから執れと。
かくて孤り人間の群やらはれて解くに由なき
この呪咀、身にひき纒ふ苦しさに、みそら仰ぎて、
いと深き憐愍垂れさせ給へよと、祷りをろがむ
眼前、ゆくての途のたゞなかを獅子はふたぎぬ。
ほのぼのとあけゆく光、疑ひて眼ひらけば、
雄々しかる田つくり男、梯立に口笛鳴らし、
●具の◎木もとゞろ、小山田に種ぞ蒔きたる。 《●はイトヘンに「曾」、◎はアシヘンに「榻」の右側》
世の幸を今はた識りぬ、人の住むこの現世に、
誰かまた思ひあがりて、同胞を凌ぎえせむや。
其日より吾はなべての世の人を愛しそめけり。
シャルル・ボドレエル
信天翁
波路遥けき徒然の慰草と船人は、
八重の潮路の海鳥の沖の太夫を生擒りぬ。
楫の枕のよき友よ、心閑けき飛鳥かな、
奥津潮騒すべりゆく舷近くむれ集ふ。
たゞ甲板に据ゑぬれば、げにや笑止の極なる。
この青雲の帝王も、足どりふらゝ、拙くも、
あはれ、真白き双翼は、たゞ徒らに広ごりて、
今は身の仇、益も無き二つの櫂と曳きぬらむ。
天飛ぶ鳥も、降りては、やつれ醜き瘠姿、
昨日の羽根のたかぶりも、今はた鈍に痛はしく、
煙管に嘴をつゝかれて、心無には嘲られ、
しどろの足を摸されて、飛行の空に憧るゝ。
雲居の君のこのさまよ、世の歌人に似たらずや、
暴風雨を笑ひ、風凌ぎ、猟男の弓をあざみしも、
地の下界にやらはれて、勢子の叫に煩へば、
太しき双の羽根さへも起居妨ぐ足まとひ。
シャルル・ボドレエル
薄暮の曲
時こそ今は水枝さす、こぬれに花の顫ふころ。
花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
匂も音も夕空に、とうとうたらり、とうたらり、
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈よ。
花は薫じて追風に、不断の香の炉に似たり。
痍に悩める胸もどき、●オロン楽の清掻や、 《●は「ヰ」に濁点》
ワルツの舞の哀れさよ、疲れ倦みたる眩暈よ。
神輿の台をさながらの雲悲みて艶だちぬ。
痍に悩める胸もどき、●オロン楽の清掻や、
闇の涅槃に、痛ましく悩まされたる優心。
神輿の台をさながらの雲悲みて艶だちぬ。
日や落入りて溺るゝは、凝るゆふべの血潮雲。
闇の涅槃に、痛ましく悩まされたる優心、
光の過去のあとかたを尋めて集むる憐れさよ。
日や落入りて溺るゝは、凝るゆふべの血潮雲。
君が名残のたゞ在るは、ひかり輝く聖体盒。
シャルル・ボドレエル
破鐘
悲しくもまたあはれなり、冬の夜の地炉の下に、
燃えあがり、燃え尽きにたる柴の火に耳傾けて、
夜霧だつ闇夜の空の寺の鐘、きゝつゝあれば、
過ぎし日のそこはかとなき物思やをら浮びぬ。
喉太の古鐘きけば、その身こそうらやましけれ。
老らくの齢にもめげず、健やかに忠なる声の、
何時もいつも、梵音妙に深くして、隠どかなるは、
陣営の歩哨にたてる老兵の姿に似たり。
そも、われは心破れぬ。鬱憂のすさびごこちに、
寒空の夜に響けと、いとせめて鳴りよそふとも、
覚束な、音にこそたてれ、弱声の細音も哀れ、
哀れなる臨終の声は、血の波の湖の岸、
小山なす屍の下に、身動もえならで死する、
棄てられし負傷の兵の息絶ゆる終の呻吟か。
シャルル・ボドレエル
人と海
こゝろ自由なる人間は、とはに賞づらむ大海を。
海こそ人の鏡なれ。灘の大波はてしなく、
水や天なるゆらゆらは、うつし心の姿にて、
底ひも知らぬ深海の潮の苦味も、世といづれ。
さればぞ人は身を映す鏡の胸に飛び入りて、
眼に抱き腕にいだき、またある時は村肝の
心もともにはためきて、潮騒高く湧くならむ、
寄せてはかへす波の音の、物狂ほしき歎息に。
海も爾もひとしなみ、不思議をつゝむ陰なりや。
人よ、爾が心中の深淵探りしものやある。
海よ、爾が水底の富を数へしものやある。
かくも妬げに秘事ののさはにもあるか、海と人。
かくて劫初の昔より、かくて無数の歳月を、
慈悲悔恨の弛無く、修羅の戦、酣に、
げにも非命と殺戮と、なじかは、さまで好もしき、
噫、永遠のすまうどよ、噫、怨念のはらからよ。
シャルル・ボドレエル
梟
黒葉水松の木下闇に
並んでとまる梟は
昔の神をいきうつし、
赤眼むきだし思案顔。
体も崩さず、ぢつとして、
なにを思ひに暮がたの
傾く日脚推しこかす
大凶時となりにけり。
鳥のふりみて達人は
道の悟や開くらむ、
世に忌々しきは煩悩と。
色相界の妄執に
諸人のつねのくるしみは
居に安んぜぬあだ心。
ポオル・●ルレエヌ 《●は「ヱ」に濁点》
譬喩
主は讃むべき哉、無明の闇や、憎多き
今の世にありて、われを信徒となし給ひぬ。
願はくは吾に与へよ、力と沈勇とを。
いつまでも永く狗子のやうに従ひてむ。
生贄の羊、その母のあと、従ひつゝ、
何の苦もなくて、牧草を食み、身に生ひたる
羊毛のほかに、その刻来ぬれば、命をだに
惜まずして、主に奉る如く、われもなさむ。
また魚とならば、御子の頭字、象もし、
驢馬ともなりては、主を乗せまつりし昔思ひ、
はた、わが肉より禳ひ給ひし豕を見いづ。
げに末つ世の反抗表裏の日にありては
人間よりも、畜生の身ぞ信深くて
心素直にも忍辱の道守るならむ。
ポオル・●ルレエヌ
よくみるゆめ
常によく見る夢乍ら、奇やし、懐かし、身にぞ染む。
曾ても知らぬ女なれど、思はれ、思ふかの女よ。
夢見る度のいつもいつも、同じと見れば異りて、
また異らぬおもひびと、わが心根や悟りてし。
わが心根を悟りてしかの女の眼に胸のうち、
噫、彼女にのみ内証の秘めたる事ぞ無かりける。
蒼ざめ顔のわが額、しとゞの汗を拭ひ去り、
涼しくなさむ術あるは、玉の涙のかのひとよ。
栗色髪のひとなるか、赤髪のひとか、金髪か、
名をだに知らね、唯思ふ朗ら細音のうまし名は、
うつせみの世を疾く去りし昔の人の呼名かと。
つくづく見入る眼差は、匠が彫りし像の眼か、
澄みて、離れて、落居たる其音声の清しさに、
無言の声の懐かしき恋しき節の鳴り響く。
ポオル・●ルレエヌ
落葉
秋の日の
●オロンの 《●は「ヰ」に濁点》
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とぴ散らふ
落葉かな。
●クトル・ユウゴオ 《●は「ヰ」に濁点》
良心
革衣纒へる児等を引具して
髪おどろ色蒼ざめて、降る雨を、
エホバよりカインは離り迷ひいで、
夕闇の落つるがまゝに愁然と、
大原の山の麓にたどりつきぬ。
妻は倦み児等も疲れて、諸声に
「地に伏していざ、いのねむ」と語りけり。
山陰にカインはいねず、夢おぼろ、
烏羽玉の暗夜の空を仰ぎみれば、
広大の天眼くわつと、かしこくも、
物陰の奥より、ひしと、みいりたるに、
わなゝきて「未だ近し」と叫びつゝ、
倦みし妻、眠れる児等を促して、
もくねんと、ゆくへも知らに逃れゆく。
かゝなべて、日には三十日、夜は三十夜、
色変へて、風の音にもをのゝきぬ。
やらはれの、伏眼の旅は果もなし。
眠なく休ひもえせで、はろばろと、
後の世のアシュルの国、海のほとり、
荒磯にこそはつきにけれ。「いざ、こゝに
とゞまらむ。この世のはてに今ぞ来し、
いざ」と、いへば、陰雲暗きめぢのあなた、
いつもいつも、天眼ひしと睨みたり。
おそれみに身も世もあらず、戦きて、
「隠せよ」と叫ぶ一声。児等はたゞ
猛き親を口に指あて眺めたり。
沙漠の地、毛織の幕に住居する
後の世のうからのみおやヤバルにぞ
「このかたに幕ひろげよ」と命ずれば、
ひるがへる布の高壁めぐらして
鉛もて地に固むるに、金髪の
孫むすめ曙のチラは語りぬ、
「かくすれば、はや何も見給ふまじ」と。
「否なほも眼、睨む」とカインいふ。
角を吹き鼓をうちて、城のうちを
ゆきめぐる民草のおやユバルいふ、
「おのれ今固き守や設けむ」と。
銅の壁築き上げて父の身を、
そがなかに隠しぬれども、如何にせむ、
「いつもいつも眼、睨む」といらへあり。
「恐しき塔をめぐらし、近よりの
難きやうにすべし。砦守る城築きあげて、
その邑を固くもらむ」と、エノクいふ。
鍛冶の祖トバルカインは、いそしみて、
宏大の無辺都城を営むに、
同胞は、セツの児等、エノスの児等を、
野辺かけて狩り暮しつゝ、ある時は
旅人の眼をくりて、夕されば
星天に征矢を放ちぬ。これよりぞ、
花崗石、帳に代り、くろがねを
石にくみ、城の形、冥府に似たる
塔影は野を暗うして、その壁ぞ
山のごと厚くなりける。工成りて
戸を固め、壁建て終り、大城戸に
刻める文字を眺むれば、「このうちに
神はゆめ入る可からず」とゑりにたり。
さて親は石殿に住はせたれど、
憂愁のやつれ姿ぞいぢらしき。
「おほぢ君、眼は消えしや」と、チラの問へば、
「否、そこに今もなほ在り」と、カインいふ。
「墳瑩に寂しく眠る人のごと、
地の下にわれは住はむ。何物も
われを見じ、吾も亦何をも見じ」と。
さてこゝに坑を穿てば、「よし」といひて
たゞひとり闇穴道におりたちて、
物陰の座にうちかくる、ひたおもて、
地下の戸を、はたと閉づれば、こはいかに、
天眼なほも奥津城にカインを睨む。
フランソア・コペエ
礼拝
さても千八百九年、サラゴサの戦、
われ時に軍曹なりき。此日惨憺を極む。
街既に落ちて、家を囲むに、
閉ぢたる戸毎に不順の色見え、
鉄火、窓より降りしきれば、
「憎つくき僧徒の振舞」と
かたみに低く罵りつ。
明方よりの合戦に
眼は硝煙に血走りて、
舌には苦がき紙筒を
噛み切る口の黒くとも、
奮闘の気はいや益しに、
勢猛に追ひ迫り、
黒衣長袍ふち広き帽を狙撃す。
狭き小路の行進に
とざま、かうざま顧みがち、
われ軍曹の任にしあれば、
精兵従へ推しゆく折しも、
忽然として中天赤く、
鉱炉の紅舌さながらに、
虐殺せらるゝ婦女の声、
遥かには轟々の音とよもして、
歩毎に伏屍累々たり。
屈んでくゞる軒下を
出でくる時は銃剣の
鮮血淋漓たる兵が、
血紅に染みし指をもて、
壁に十字を書き置くは、
敵潜めるを示すなり。
鼓うたせず、足重く、
将校たちは色曇り、
さすが手練の旧兵も、
落居ぬけはひに寄添ひて、
新兵もどきの胸さわぎ。
忽ち、とある曲角に、
援兵と呼ぶ仏語の一声、
それ、戦友の危急ぞと、
駆けつけ見れば、きたなしや、
日常は猛き勇士等も、
精舎の段の前面に
たゞ僧兵の二十人、
円頂の黒鬼に、くひとめらる。
真白の十字胸につけ、
靴無き足の凜々しさよ、
血染の腕巻きあげて、
大十字架にて、うちかゝる。
惨絶、壮絶。それと一斉射撃にて、
やがては掃蕩したりしが、
冷然として、残忍に、軍は倦みたり。
皆心中に疾しくて、
とかくに殺戮したれども、
醜行已に為し了り、
密雲漸く散ずれば、
積みかさなれる屍より
階かけて、紅流れ、
そのうしろ楼門聳ゆ、巍然として鬱たり。
燈明くらがりに金色の星ときらめき、
香炉かぐはしく、静寂の香を放ちぬ。
殿上、奥深く、神壇に対ひ、
歌楼のうち、やさけびの音しらぬ顔、
蕭やかに勤行営む白髪長身の僧。
噫けふもなほ俤にして浮びこそすれ。
モオル廻廊の古院、
黒衣僧兵のかばね、
天日、石だたみを照らして、
紅流に烟たち、
朧々たる低き戸の匡に、
立つや老僧。
神壇龕のやうに輝き、
唖然としてすくみしわれらのうつけ姿。
げにや当年の己は
空恐ろしくも信心無く、
或日精舎の奪掠に
負けじ心の意気張づよく
神壇近き御燈に
煙草つけたる乱行者、
上反髭に気負みせ、
一歩も譲らぬ気象のわれも、
たゞ此僧の髪白く白く
神寂びたるに畏みぬ。
「打て」と士官は号令す。
誰有つて動く者無し。
僧は確に聞きたらむも、
さあらぬ素振神々しく、
聖水大盤を捧げてふりむく。
ミサ礼拝半に達し、
司僧むき直る祝福の時、
腕は伸べて鶴翼のやう、
衆皆一歩たじろきぬ。
僧はすこしもふるへずに
信徒の前に立てるやう、
妙音澱なく、和讃を咏じて、
「帰命頂礼」の歌、常に異らず、
声もほがらに、
「全能の神、爾等を憐み給ふ。」
またもや、一声あらゝかに
「うて」と上官の号令に
進みいでたる一卒は
隊中有名の卑怯者、
銃執りなほして発砲す。
老僧、色は蒼みしが、
沈勇の眼明らかに、
祈りつゞけぬ、
「父と子と、」
続いて更に一発は、
狂気のさたか、血迷か、
とかくに業は了りたり。
僧は隻腕、壇にもたれ、
明いたる手にて祝福し、
黄金盤も重たげに、
虚空に恩赦の印を切りて
音声こそは微かなれ、
闃たる堂上とほりよく、
瞑目のうち述ぶるやう、
「聖霊と。」
かくて仆れぬ、礼拝の事了りて。
盤は三たび、床上に跳りぬ。
事に慣れたる老兵も、
胸に鬼胎をかき抱き
足に兵器を投げ棄てて
われとも知らず膝つきぬ、
醜行のまのあたり、
殉教僧のまのあたり。
聊爾なりや、「アアメン」と
うしろに笑ふ、わが隊の鼓手。
ヰルヘルム・アレント
わすれなぐさ
ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみづあさぎ、
なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく。
カアル・ブッセ
山のあなた
山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとと尋めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。
パウル・バルシュ
春
森は今、花さきみだれ
艶なりや、五月たちける。
神よ、擁護をたれたまへ、
あまりに幸のおほければ。
やがてぞ花は散りしぼみ、
艶なる時も過ぎにける。
神よ、擁護をたれたまへ、
あまりにつらき災な来そ。
オイゲン・クロアサン
秋
けふつくづくと眺むれば、
悲の色口にあり。
たれもつらくはあたらぬを、
なぜに心の悲める。
秋風わたる青木立
葉なみふるひて地にしきぬ。
きみが心のわかき夢
秋の葉となり落ちにけむ。
ヘリベルタ・フォン・ポシンゲル
わかれ
ふたりを「時」がさきしより、
昼は事なくうちすぎぬ。
よろこびもなく悲まず、
はたたれをかも怨むべき。
されど夕闇おちくれて、
星の光のみゆるとき、
病の床のちごのやう、
心かすかにうめきいづ。
テオドル・ストルム
水無月
子守歌風に浮びて
暖かに日は照りわたり、
田の麦は足穂うなだれ、
茨には紅き果熟し、
小河には木の葉みちたり。
いかにおもふ、わかきをみなよ。
ハインリッヒ・ハイネ
花のをとめ
妙に清らの、あゝ、わが児よ、
つくづくみれば、そゞろあはれ、
かしらや撫でて、花の身の
いつまでも、かくは清らなれと、
いつまでも、かくは妙にあれと、
いのらまし、花のわがめぐしご。
ロバアト・ブラウニング
瞻望
怕るゝか死を。―喉塞ぎ、
おもわに狭霧、
深雪降り、木枯荒れて、著くなりぬ、
すゑの近さも。
夜の稜威、暴風の襲来、恐ろしき
敵の屯に、
現身の「大畏怖」立てり。しかすがに
猛き人は行かざらめやも。
それ、旅は果て、峯は尽きて、
障礙は破れぬ。
唯、すゑの誉の酬えむとせば、
なほひと戦。
戦は日ごろの好、いざさらば、
終の晴の勝負せむ。
なまじひに眼ふたぎて、赦されて、
這ひゆくは憂し。
否、残なく味ひて、かれも人なる
いにしへの猛者たちのやう、
矢表に立ち楽世の寒冷、苦痛、暗黒の
貢のあまり捧げてむ。
そも勇者には、忽然と禍福に転ずべく
闇は終らむ。
四大のあらぴ、忌々しかる羅刹の怒号、
ほそりゆき、雑りけち
変化して苦も楽とならむとやすらむ。
そのとき光明、その時、御胸、
あはれ、心の心とや、抱きしめてむ。
そのほかは神のまにまに。
ロバアト・プラウニング
出現
苔むしろ、飢ゑたる岸も
春来れば、
つと走る光、そらいろ、
菫咲く。
村雲のしがむみそらも、
こゝかしこ
やれやれて影はさやけし、
ひとつ星。
うつし世の命を恥の
めぐらせど、
こぼれいづる神のゑまひか、
君がおも。
ロバアト・ブラウニング
岩陰に
一
嗚呼、物古りし鳶色の「地」の微笑の大きやかに、
親しくもあるか、今朝の秋、偃曝に其骨を
延し横へ、膝節も、足も、つきいでて、漣の
悦び勇み、小躍に越ゆよるがまゝに浸りつゝ、
さて欹つる耳もとの、さゞれの床の海雲雀、
和毛の胸の白妙に囀ずる声のあはれなる。
二
この教こそ神ながら旧き真の道と知れ。
翁びし「地」の知りて笑む世の試ぞかやうなる。
愛を捧げて価値あるもののみをこそ愛しなば、
愛は完き益にして、必ずや、身の利とならむ。
思の痛み、苦しみに卑しきこゝろ清めたる
なれ自らを地に捧げ、酬は高き天に求めよ。
ロバアト・ブラウニング
春の朝
時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
ロバアト・ブラウニング
至上善
蜜蜂の嚢にみてる一歳の香も、花も、
宝玉の底に光れる鉱山の富も、不思議も、
阿古屋貝映し蔵せるわだつみの陰も、光も、
香、花、陰、光、富、不思議及ぶべしやは、
玉よりも輝く真、
珠よりも澄みたる信義、
天地にこよなき真、澄みわたる一の信義は
をとめごの清きくちづけ。
ヰリヤム・シェイクスピヤ
花くらべ
燕も来ぬに水仙花、
大寒こさむ三月の
風にもめげぬ凛々しさよ。
またはジュノウのまぷたより、
●イナス神の息よりも 《●は「ヰ」に濁点》
なほ臈たくもありながら、
菫の色のおぼつかな。
照る日の神も仰ぎえで
嫁ぎもせぬに散りはつる
色蒼ざめし桜草、
これも少女の習かや。
それにひきかへ九輪草、
編笠早百合気がつよい。
百合もいろいろあるなかに、
鳶尾草のよけれども、
あゝ、今は無し、しよんがいな。
クリスティナ・ロセッティ
花の教
心をとめて窺へば花自ら教あり、
朝露の野薔薇のいへる、
「艶なりや、われらの姿、
刺に生ふる色香とも知れ。」
麦生のひまに罌粟のいふ、
「せめては紅きはしも見よ、
そばめられたる身なれども、
験ある露の薬水を
盛りさゝげたる盃ぞ。」
この時、百合は追風に、
「見よ、人、われは言葉なく
法を説くなり。」
みづからなせる葉陰より、
声もかすかに菫草、
「人はあだなる香をきけど、
われらの示す教暁らじ。」
ダンテ・ゲブリエル・ロセッティ
小曲
小曲は刹那をとむる銘文、また譬ふれば、
過ぎにしも過ぎせぬ過ぎしひと時に、劫の「心」の
捧げたる願文にこそ。光り匂ふ法の会のため、
祥もなき預言のため、折からのけぢめはあれど、
例も例も堰きあへぬ思、豊かにて切にあらなむ。
「日」の歌は象牙にけづり、「夜」の歌は黒檀に彫り、
頭なる華のかざしは輝きて、阿古屋の珠と、
照りわたるきらびの栄の臈たさを「時」に示せよ。
小曲は古泉の如く、そが表、心あらはる、
うらがねをいづれの力しろすとも。あるは「命」の
威力あるもとめの貢、あるはまた貴に妙なる
「恋」の供奉にかづけ纒頭と贈らむもよし、遮莫
三瀬河、船はて処、陰暗き伊吹の風に、
「死」に払ふ渡のしろと、船人の掌にとらさむも。
ダンテ・ゲブリエル・ロセッティ
恋の玉座
心のよしと定めたる「力」のかずかず、たぐへみれば、
「真」の唇はかしこみて、「望」の眼、天仰ぎ、
「誉」は翼、音高に埋火の「過去」煽ぎぬれば
飛火の焔、紅々と炎上のひかり忘却の
去なむとするを驚かし、飛び翔けるをぞ控へたる。
また後朝に巻きまきし玉の柔手の名残よと、
黄金くしげのひとすぢを肩に残しし「若き世」や、
「死出」の挿頭と、例も例もあえかの花を編む「命」。
「恋」の玉座はさはいへど、そこにしも在らじ、空遠く、
逢瀬、別の辻風のたち迷ふあたり離りたる
夢も通はぬ遠つぐに、無言の局奥深く、
設けられたり。たとへそれ、「真」は「恋」の真心を
夙に知る可く、「望」こそそを預言し、「誉」こそ
そがためによく、「若き世」めぐし、「命」惜しとも。
ダンテ・ゲブリエル・ロセッティ
春の貢
草うるはしき岸の上に、いと美はしき君が面、
われは横へ、その髪を二つにわけてひろぐれば、
うら若草のはつ花も、はな白みてや、黄金なす
みぐしの間のこゝかしこ、面映げにも覗くらむ。
去年とやいはむ今年とや年の境もみえわかぬ
けふのこの日や「春」の足、半たゆたひ、小李の
葉もなき花の白妙は雪間がくれに迷はしく、
「春」住む庭の四阿屋に風の通路ひらけたり。
されど卯月の日の光、けふぞ谷間に照りわたる。
仰ぎて眼閉ぢ給へ、いざくちづけむ君が面、
水枝小枝にみちわたる「春」をまなぴて、わが恋よ、
温かき喉、熱き口、ふれさせたまへ、けふこそは
契もかたきみやづかへ、恋の日なれや。冷やかに
つめたき人は永久のやらはれ人と貶し憎まむ。
ダンテ・アリギエリ
心も空に
心も空に奪はれて物のあはれをしる人よ、
今わが述ぶる言の葉の君の傍に近づかば
心に思ひ給ふこと応へ給ひね、洩れなくと、
綾に畏き大御神「愛」の御名もて告げまつる。
さても星影きらゝかに、更け行く夜も三つ一つ
ほとほと過ぎし折しもあれ、忽ち四方は照り渡り、
「愛」の御姿うつそ身に現はれいでし不思議さよ。
おしはかるだに、その性の恐しときく荒神も
御気色いとゞ麗はしく在が如くおもほえて、
御手にはわれが心の臓、御腕には貴やかに
あえかの君の寝姿を、衣うちかけて、かい抱き、
やをら動かし、交睫の醒めたるほどに心の臓、
さゝげ進むれば、かの君も恐る恐るに聞しけり。
「愛」は乃ち馳せ去りつ、馳せ去りながら打泣きぬ。
エミイル・●ルハアレン 《●は「ヱ」に濁点》
鷺の歌
ほのぐらき黄金隠沼、
骨蓬の白くさけるに、
静かなる鷺の羽風は
徐ろに影を落しぬ。
水の面に影は漂ひ、
広ごりて、ころもに似たり。
天なるや、鳥の通路、
羽ばたきの音もたえだえ。
漁子のいと賢しらに
清らなる網をうてども、
空翔る奇しき翼の
おとなひをゆめだにしらず。
また知らず、日に夜をつぎて
溝のうち花瓶の底
鬱憂の網に待つもの
久方の光に飛ぶを。
エミイル・●ルハアレン
法の夕
夕日の国は野も山も、その「平安」や「寂寥」の
黝の色の毛布もて掩へる如く、物寂びぬ。
万物凡て整ほり、折りめ正しく、ぬめらかに、
物の象も筋めよく、ビザンチン絵の式の如。
時雨村雨、中空を雨の矢数につんざきぬ。
見よ、一天は紺青の伽藍の廊の色にして、
今こそ時は西山に入日傾く夕まぐれ、
日の金色に烏羽玉の夜の白銀まじるらむ。
めぢの界に物も無し、唯遠長き並木路、
路に沿ひたる樫の樹は、巨人の列の佇立、
疎らに生ふる箒木や、新墾小田の末かけて、
鋤休めたる野らまでも領ずる顔の姿かな。
木立を見れば沙門等が野辺の送の営に、
夕暮がたの悲を心に痛み歩むごと、
また古の六部等が後世安楽の願かけて、
霊場詣、杖重く、番の御寺を訪ひしごと。
赤々として暮れかゝる入日の影は牡丹花の
眠れる如くうつろひて、河添馬道開けたり。
噫、冬枯や、法師めくかの行列を見てあれば、
たとしへもなく静かなる夕の空に二列、
瑠璃の御空の金砂子、星輝ける神前に
進み近づく夕づとめ、ゆくてを照らす星辰は
壇に捧ぐる御明の大燭台の心にして、
火こそみえけれ、其悼の閻浮提金ぞ隠れたる。
エミイル・●ルハアレン
水かひば
ほらあなめきし落窪の、
夢も曇るか、こもり沼は
腹しめすまで浸りたる
まだら牡牛の水かひ場。
坂くだりゆく牧がむれ、
牛は練りあし、馬は●、 《●はアシヘンに「包」の旧字体》
時しもあれや、落日に
嘯き吼ゆる黄牛よ。
日のかくろひの寂寞や、
色も、にほひも、日のかげも、
梢のしづく、夕栄も。
靄は苅穂のはふり衣、
夕闇とざす路遠み、
牛のうめきや、断末魔。
エミイル・●ルハアレン
畏怖
北に面へるわが畏怖の原の上に、
牧羊の翁、神楽月、角を吹く。
物憂き羊小舍のかどに、すぐだちて、
災殃のごと、死の羊群を誘ふ。
きし方の悔をもて築きたる此小舍は、
かぎりもなき、わが憂愁の邦に在りて、
ゆく水のながれ、薄荷、莢●におほはれ、 《●はクサカンムリに「迷」の旧字体》
いざよひの波も重きが、蜘手に澱む。
肩に赤十字ある墨染の小羊よ、
色もの凄き羊群も長棹の鞭に
撻たれて帰る、たづたづし、罪のねりあし。
疾風に歌ふ牧羊の翁、神楽月よ、
今、わが頭掠めし稲妻の光に
この夕おどろおどろしきわが命かな。
エミイル・●ルハアレン
火宅
嗚呼、爛壊せる黄金の毒に中りし大都会、
石は叫び烟舞ひのぼり、
驕慢の円蓋よ、塔よ、直立の石柱よ、
虚空は震ひ、労役のたぎち沸くを、
好むや、汝、この大畏怖を、叫喚を、
あはれ旅人、
悲みて夢うつら離りて行くか、濁世を
つゝむ火焔の帯の停車場。
中空の山けたゝまし、跳り過ぐる火輪の響。
なが胸を焦す早鐘、陰々と、とよもす音も、
この夕、都会に打ちぬ。炎上の焔、赤々、
千万の火粉の光、うちつけに面を照らし、
声黒きわめき、さけぴは、妄執の心の矢声。
満身すべて涜聖の言葉に捩れ、
意志あへなくも狂潤にのまれをはんぬ。
実に自らを衿りつゝ、将、咀ひぬる、あはれ人の世。
エミイル・●ルハアレン
時鐘
館の闇の静かなる夜にもなれば訝しや、
廊下のあなた、かたことと、●杖のおと、杖の音、 《●はキヘンに「峠」の右側》
「時」の階のあがりおり、小股に刻む音なひは
これや時鐘の忍足。
硝子の蓋の後には、白鑞の面飾なく、
花形模様色褪めて、時の数字もさらぼひぬ。
人の気絶えし渡殿の影ほのぐらき朧月よ、
これや時鐘の眼の光。
うち沈みたるねび声に機のおもり音ひねて、
槌に鑢の音もかすれ、言葉悲しき木の凾よ、
細身の秒の指のおと、片言まじりおぼつかな、
これや時鐘の針の声。
角なる凾は樫づくり、焦茶の色の框はめて、
冷たき壁に封じたる棺のなかに隠れすむ
「時」の老骨、きしきしと、数噛む音の歯ぎしりや、
これぞ時鐘の恐ろしさ。
げに時鐘こそ不思議なれ。
あるは木履を曳き悩み、あるは徒跣に音を竊み、
忠々しくも、いそしみて、古く仕ふるはした女か。
柱時鐘を見詰むれば、針のコムパス、身の搾木。
ジォルジュ・ロオデンバッハ
黄昏
夕暮がたの蕭やかさ、燈火無き室の蕭やかさ。
かはたれ刻は蕭やかに、物静かなる死の如く、
朧々の物影のやをら浸み入り広ごるに、
まづ天井の薄明、光は消えて日も暮れぬ。
物静かなる死の如く微笑作るかはたれに、
曇れる鏡よく見れば、別の手振うれたくも
わが悌は蕭やかに、辷り失せなむ気色にて、
影薄れゆき、色蒼み、絶えなむとして消つべきか。
壁に掲けたる油画に、あるは朧に色褪めし、
框をはめたる追憶の、そこはかとなく留まれる
人の記憶の図の上に、心の国の山水や、
筆にゑがける風景の黒き雪かと降り積る。
夕暮がたの蕭やかさ。あまりに物のねぴたれば、
沈める音の絃の器に、●をかけたる思にて、 《●はキヘンに「峠」の右側》
無言を辿る恋なかの深き二人の眼差も、
花毛氈の唐草に絡みて縒るゝ夢心地。
いと徐ろに日の光、隠ろひてゆく蕭やかさ、
文目もおぼろ、蕭やかに、噫、蕭やかに、つくねんと
沈黙の郷の偶座は一つの香にふた色の
匂交れる思にて、心は一つ、えこそ語らね。
アンリ・ドゥ・レニエ
銘文
夕まぐれ、森の小路の四辻に
夕まぐれ、風のもなかの逍遥に、
竃の灰や、歳月に倦み労れ来て、
定業のわが行末もしらま弓、
杖と佇む。
路のゆくてに「日」は多し、
今更ながら、行きてむか。
ゆふべゆふべの旅枕、
水こえ、山こえ、夢こえて、
つひのやどりはいづかたぞ。
そは玄妙の、静寧の「死」の大神が
わがまなこ、閉ぢ給ふ国、
黄金の、浦安の妙なる封に。
高樫の、寂寥の森の小路よ。
岩角に懈怠よろぼひ、
きり石に足弱悩み、
歩む毎、
きしかたの血潮流れて、
木枯の颯々たりや、高樫に。
噫、われ倦みぬ。
赤楊の落葉の森の小路よ。
道行く人は木葉なす
蒼ざめがほの恥のおも、
ぬかりみ迷ひ、群れゆけど、
かたみに避けて、よそみがち。
泥濘の、したゝりの森の小路よ、
憂愁を風は葉並に囁ぎぬ。
しろがねの、月代の、霜さゆる隠沼は
たそがれに、この道のはてに澱みて
げにこゝは「欝憂」の
鬼が栖む国。
秦皮の、真砂いさごの、森の小路よ。
微風も足音たてず、
梢より梢にわたり、
山蜜の色よき花は
金色の砂子の光、
おのづから曲れる路は
人さらになぞへを知らず。
このさきの都のまちは
まれぴとを迎ふときゝぬ。
いざ足をそこに止めむか。
あなくやし、われはえゆかじ、
他の生の途のかたはら、
「物影」の亡骸守る
わが「願」の通夜を思へば。
高樫の路われはゆかじな、
秦皮や、赤楊の路、
日のかたや、都のかたや、水のかた、
なべてゆがじな。
噫、小路、
血やにじむわが足のおと、
死したりと思ひしそれも、
あはれなり、もどり来たるか、
地響のわれにさきだつ。
噫、小路、
安逸の、醜辱の、驕慢の森の小路よ。
あだなりしわが世の友か、吹く風は、
高樫の木下蔭に
声はさやさや、
涙さめざめ。
あな、あはれ、きのふゆゑ、夕暮悲し、
あな、あはれ、あすゆゑに、夕暮苦し、
あな、あはれ、身のゆゑに、夕暮重し。
アンリ・ドゥ・レニエ
愛の教
いづれは「夜」に入る人の
をさな心も青春も、
今はた過ぎしけふの日や、
従容として、ひとりきく、
「冬篳篥」にさきだちて、
「秋」に響かふ「夏笛」を。
(現世にしては、ひとつなり、
物のあはれも、さいはひも。)
あゝ、聞け、楽のやむひまを
「長月姫」と「葉月姫」、
なが「憂愁」と「歓楽」と
語らふ声の蕭やかさ。
(熟しうみたるくだものの
つはりて枝や撓むらむ。)
あはれ、微風さやさやと
伊吹のすゑは木枯を
誘ふと知れば憂かれども、
けふ木枯もそよ風も
口ふれあひて、熟睡せり。
森陰はまだ夏緑、
夕まぐれ空より落ちて、
笛の音は山鳩よばひ、
「夏」の歌「秋」を揺りぬ。
曙の美しからば、
その昼は晴れわたるべく、
心だに優しくあらば、
身の夜も楽しかるらむ。
ほゝゑみは口のさうび花、
もつれ髪、髷にゆふべく、
真清水やいつも澄みたる。
あゝ人よ、「愛」を命の法とせば、
星や照らさむ、なが足を、
いづれは「夜」に入らむ時。
アンリ・ドゥ・レニエ
花冠
途のつかれに項垂れて、
黙然たりや、おもがげの
あらはれ浮ぶわが「想」。
命の朝のかしまだち、
世路にほこるいきほひも、
今、たそがれのおとろへを
透しみすれば、わなゝきて
顔背くるぞ、あはれなる。
思ひかねつゝ、またみるに、
避けて、よそみて、うなだるゝ、
あら、なつがしのわが「想」。
げにこそ思へ、「時」の山、
山越えいでて、さすかたや、
「命」の里に、もとほりし
なが足音もきのふかな。
さて、いかにせし、盃に
水やみちたる。としごろの
願の泉はとめたるか。
あな空手、唇乾き、
とこしへの渇に苦める
いと冷やき笑を湛へて、
ゆぴさせる其足もとに、
玉の屑、埴土のかたわれ。
つぎなる汝はいかにせし、
こはすさまじき姿かな。
そのかみの臈たき風情、
嫋竹の、あえかのなれも、
鈍なりや、宴のくづれ、
みだれ髪、肉おきたるみ、
酒の香に、衣もなよびて、
踏む足も酔ひさまだれぬ。
あな忌々し、とく去ねよ。
さて、また次のなれが面、
みれば麗容うつろひて、
悲、削ぎしやつれがほ、
双の手振の怪しきは、
饐えたる血にぞ、怨恨の
毒ながすなるくち蝮を
掩はむためのすさぴかな。
また「驕慢」に音づれし
なが獲物をと、うらどふに、
えぴ染のきぬは、やれさけ、
笏の牙も、ゆがみたわめり。
又、なにものぞ、ほてりたる
もろ手ひろげて「楽欲」に
らうがはしくも走りしは。
酔狂の抱擁酷く
唇を噛み破られて、
満面に爪あとたちぬ。
興ざめたりな、このくるひ、
われを棄つるか、わが「想」。
あはれ、恥かし、このみざま、
なれみづからをいかにする。
しかはあれども、そがなかに、
行清きたゞひとり、
きぬもけがれと、はだか身に、
出でゆきしより、けふまでも、
あだし「想」の姉妹と
道異なるか、かへり来ぬ、
―あゝ行かぱやな―汝がもとに。
法苑林の奥深く
素足の「愛」の玉容に
なれは、ゐよりて睦みつゝ、
霊華の房を摘みあひて、
うけつ、あたへつ、とりかはし
隻の額をこもごもに、
飾るや、一の花の冠。
フランシス・●エレ・グリフィン 《●は「ヰ」に濁点》
延びあくびせよ
延びあくぴせよ、傍に「命」は倦みぬ、
――朝明より夕をかけて熟睡する
その臈たげさ労らしさ、
ねむり眼のうまし「命」や。
起きいでよ、呼ばはりて、過ぎ行く夢は
大影の奥にかくれつ。
今にして躊躇なさば、
ゆく末に何の導ぞ。
呼ばはりて、過ぎ行く夢は
去りぬ神秘に。
いでたちの旅路の糧を手握りて、
歩もいとゞ速まさる
愛の一念ましぐらに、
急げ、とく行け、
呼ばはりて、過ぎ行く夢は、
夢は、また帰り来なくに。
進めよ、走せよ、物陰に、
畏をなすか、深淵に、
あな急げ………あゝ遅れたり。
はしけやし「命」は愛に熟睡して、
栲綱の白腕になれを巻く。
――噫、遅れたり、呼ばはりて過ぎ行く夢の
いましめもあだなりけりな。
ゆきずりに、夢は嘲る……
さるからに、
むしろ「命」に口触れて
これに生ませよ、芸術を。
無言に祷るかの夢の
教をきかで、無辺なる神に憧るゝ事なくば、
たちかへり、色よき「命」かき抱き、
なれが刹那を長久にせよ。
死の憂愁に歓楽に
霊妙音を生ませなば、
なが亡き後に残りゐて、
はた、さゞめかむ、はた、なかむ、
うれしの森に、春風や
若緑、
去年を繰返の愛のまねぎに。
さればぞ歌へ微笑の栄の光に。
アルベエル・サマン
件奏
白銀の筐柳、菩提樹や、榛の樹や………
水の面に月の落葉よ……
夕の風に櫛けづる丈長髪の匂ふごと、
夏の夜の薫なつかし、かげ黒き湖の上、
水薫る淡海ひらけ、鏡なす波のかゞやき。
楫の音もうつらうつらに
夢をゆくわが船のあし。
船のあし、空をもゆくか、
かたちなき水にうかびて。
ならべたるふたつの櫂は
「徒然」の櫂、「無言」がい。
水の面の月影なして
波の上の揖の音なして
わが胸に吐息ちりぼふ。
ジァン・モレアス
賦
色に賞でにし紅薔薇、日にけに花は散りはてて、
唐棣色よき若立も、季ことごとくしめあへず、
そよそよ風の手枕に、はや日数経しけふの日や、
つれなき北の木枯に、河氷るべきながめかな。
噫、歓楽よ、今さらに、なじかは、せめて争はむ。
知らずや、かゝる雄誥の、世に類無く烏滸なるを。
ゆゑだもなくて、徒に痴れたる思ひ、去りもあへず、
「悲哀」の琴の糸の緒を、ゆし按ずるぞ無益なる。
*
ゆめ、な語りそ、人の世は悦おほき宴ぞと。
そは愚かしきあだ心、はたや卑しき痴れごこち。
ことに歎くな、現世を涯も知らぬ苦界よと。
益無き勇の逸気は、たゞいち早く悔いぬらむ。
春日霞みて、葦蘆のさゞめくが如、笑みわたれ。
磯浜かけて風騒ぎ、波おとなふがごと、泣けよ。
一切の快楽を尽し、一切の苦患に堪へて、
豊の世と称ふるもよL、夢の世と観ずるもよし。
*
死者のみひとり吾に聴く、奥津城処、わが栖家。
世を終ふるまで、吾はしも己が心のあだがたき。
忘恩に栄華は尽きむ、里鴉畠をあらさむ、
収穫時の頼なきも、吾はいそしみて種を播かむ。
ゆめ自らは悲まじ。世の木枯もなにかあらむ、
あはれ侮蔑や、誹謗をや、大凶事の迫害をや。
たゞ詩の神の箜篌の上、指をふるれば、わが楽の
日毎に清く澄みわたり、霊妙音の鳴るが楽しさ。
*
長雨空の喪過ぎて、さすや忽ち薄日影、
冠の花葉ふりおとす栗の林の枝の上に、
水のおもてに、遅花の花壇の上に、わが目にも、
照り添ふ匂なつかしき秋の日脚の白みたる。
日よ、何の意ぞ、夏花のこぼれて散るも惜しからじ、
はた禁めえじ、落葉の風のまにまに吹き交ふも。
水や曇れ、空も鈍びよ、たゞ悲のわれに在らば、
想はこれに養はれ、心はために勇をえむ。
*
われは夢む、滄海の天の色、哀深き入日の影を、
わだつみの灘は荒れて、風を痛み甚振る波を、
また思ふ、釣船の海人の子を、巌穴に隠ろふ蟹を、
青眼のネアイラを、グラウコス、プロオティウスを。
又思ふ、路の辺をあさりゆく物乞の漂浪人を、
栖み慣れし軒端がもとに、休ひゐる賎が翁を、
斧の柄を手握りもちて、肩かゞむ杣の工を、
げに思ひいづ、鳴神の都の騒擾、村肝の心の痍を。
*
この一切の無益なる世の煩累を振りすてて、
もの恐ろしく汚れたる都の憂あとにして、
終に分け入る森陰の清しき宿求めえなば、
光も澄める湖の静けき岸にわれは悟らむ。
否、寧われはおほわだの波うちぎはに夢みむ。
幼年の日を養ひし大揺籃のわだつみよ、
ほだしも波の鴎鳥、呼びかふ声を耳にして、
磯根に近き岩枕、汚れし眼、洗はばや。
*
噫いち早く襲ひ来る冬の日、なにか恐るべき。
春の卯月の贈物、われはや既に尽し果て、
秋のみのりのえぴかづら葡萄も摘まず、新麦の
豊の足穂も他し人、苅り干しにけむ、いっの間に。
*
けふは照日の映々と青葉高麦生ひ茂る
大野が上に空高く靡かひ浮ぶ旗雲よ。
和ぎたる海を白帆あげて朱の曾保船走るごと、
変化乏しき青天をすべりゆくなる白雲よ。
時ならずして、汝も亦近づく暴風の先駆と、
みだれ姿の影黒み蹙める空を翔りゆかむ、
嗚呼、大空の馳使、添はばや、なれにわが心、
心は汝に通へども、世の人たえて汲む者も無し。
ステファンヌ・マラルメ
嗟嘆
静かなるわが妹、君見れば想すゞろぐ。
朽葉色に晩秋の夢深き君が額に、
天人の瞳なす空色の君がまなこに、
憧るゝわが胸は、苔古りし花苑の奥、
淡白き吹上の水のごと、空へ走りぬ。
その空は時雨月、清らなる色に曇りて、
時節のきはみなき鬱憂は池に映ろひ
落葉の薄黄なる憂悶を風の散らせば、
いざよひの池水に、いと冷やき綾は乱れて、
ながながし梔子の光さす入日たゆたふ。
テオドル・オオバネル
白楊
落日の光にもゆる
白楊の聳やく並木、
谷隈になにか見る、
風そよぐ梢より。
テオドル・オオバネル
故国
小鳥でさへも巣は恋し、
まして青空、わが国よ、
うまれの里の波羅韋増雲。
テオドル・オオバネル
海のあなたの
海のあなたの遥けき国へ
いつも夢路の波枕、
波の枕のなくなくぞ、
こがれ憧れわたるかな、
海のあなたの遥けき国へ。
アルトゥロ・グラアフ
解悟
頼み入りし空なる幸の一つだにもル忠心ありて、
とまれるはなし。
そをもふと胸はふたぎぬ、悲にならはぬ胸も
にがき憂に。
きしかたの犯の罪の一つだにも、懲の責を
のがれしはなし。
そをもふと胸はひらけぬ、荒屋のあはれの胸も
高き望に。
ガブリエレ・ダンヌンチオ
篠懸
白波の、潮騒のおきつ貝なす
青緑しげれる谿を
まさかりの真昼ぞ知ろす。
われは昔の野山の精を
まなぴて、こゝに宿からむ、
あゝ神寂びし篠懸よル
なれがにほひの濡髪に。
ガブリエレ・ダンヌンチオ
海光
児等よ、今昼は真盛、日こゝもとに照らしぬ。
寂寞大海の礼拝して
天津日に捧ぐる香は、
浄まはる潮のにほひ、
轟く波凝、動がぬ岩根、靡く藻よ、
黒金の船の舳先よ、
岬代赫色に、獅子の踏留れる如く、
足を延べたるこゝ入海のひたおもてル
うちひさす都のまちはル
煩悶の壁に悩めどル
鏡なす白川は蜘手に流れル
風のみひとり、たまさぐる、
洞穴口の花の錦や。