賀茂真淵 五意考他
   本居宣長 たまくしげ
 

うたのこゝろのうち 
文のこゝろのうち 
にひまなび 

賀茂馬渕

たまくしげ 
本居宣長
UTA!KURA・COM                     

 





        歌意考   賀茂真淵


   序(荒木田久老)
   1 歌と文の本性  
   2 和歌・和文の復興−荷田春満・契沖・真淵  
   3 記紀・風土記・祝詞・宣命の諸文体を抄記  
   4 文辞の例  
   5 抄記(文意考)の抜粋


高山に登りて短山みじかやまを見る時は、峯のたをり、谷の隈々も見明らむべく、短山より高山を見放みさけんには、おぼゝしく眞分明まさやかならじをや。こゝに吾師縣居の大人の五いつゝの意こゝろとて、古事學ふることまなびを案内あななひ給へる文あり。其れが中なる此の歌の意こゝろは草案のまにま傳へて飽かぬ心地すめれど、古の歌の直く厚きと、後の歌の狹く苦しきとの區別けぢめを論あげつらひ、ひたぶるに古に據るべき由を諭し置かれしは、高き昇らん山口覓とむる栞とも成るべきを、近き年頃、此學する徒ともがらも歌は後を善しとすと世に諂へる教に引かされて、古風いにしへぶりはいよよ廢れ行くが憂はしく可惜あたらしくて、猶あやにくに師の教を世に知らせまほしくて、此の一册を板に彫ゑらせる(*ママ)事には成りにたり。
寛政十二年文月ふみづき                 從四位下荒木田ノ神主久老


       うたのこゝろのうち

あはれ、あはれ、上つ代には、人の心ひたぶるに直くなん有りける。心しひたぶるなれば、爲す業わざも少なく、事し少なければ、云ふ言の葉も多さはならざりけり。然か有りて、心に思ふ事ある時は、言ことに擧げて歌ふ、こを歌と云ふめり。斯く歌ふも、ひたぶるに一つ心に歌ひ、言葉も直き常の言葉もて續くれば、續くとも思はで續き、調とゝのふとも無くて、調はりけり。斯くしつゝ、歌はたゞ一つ心を云ひ出づる物にし有りければ、古は、特ことと詠むてふ人も、詠まぬてふ人さへ有らざりき。遠つ神、吾あが天皇すめらぎの、大御繼々おほみつぎ\/、限り無く、千五百代を知ろしをす餘りには、言佐敝ことさへぐ唐、日の入る國人の、心詞しも、こき交ぜに來交はりつゝ、物多にのみ成りもて行ければ、此國こゝに直かりつる人の心も、隈出くまづる風の横しまに渡り、云ふ言の葉も、巷の塵の亂れ行きて、數知らず、くさ\〃/になん成りにたる。故、いと末の世と成りにては、歌の心言葉も、常の心言葉しも、異なる物と成りて、歌とし云へば、然かるべき心を曲げ、言葉を求め取り、古りぬる跡を追ひて、我が心を心ともせず詠むなりけり。其れはた塵の居すわれる鏡の、影の曇らぬ無く、芥に交れる花の蕋しべの、穢けがしからぬ有らざるが如、さしも曇り穢れにし後の人の心もて、覓め撰びて、云ひ續けしが、汚からじやは。然からば打泣きて止みぬべきにやと云ふに、然かは有らず。抑も石凝登邊いしこりやべの作れる鏡の形かたも、五十猛いだけるの尊の生おふせし木この花も、今しも傳はれるをば、忘らえ置き、塵芥にも馴るれば馴れて、穢しとも知らず有りつゝ、思ひ起す心の無きになん有りける。いでや天地あめつちの變らふこと無きまにまに、鳥も獸も草も木も、古の如ごとならぬし無きを思へば、人の限りしも何なぞや古今と異なるべき。人てふものは、憂うたて賢さかしら心もて、互かたみに爭ふ程に、自おのづから横しまに習ひ來て、世の中も移ろふめり。そを一度惡ろしと思はん人、何ぞやよき方に移ろひ返らざらん。然か心を起して、古の八咫鏡やあたかゞみに朝なさな向ひ、陰高き千本ちもとの花に、ひとしく交りつゝ、其の形、其の色に似てしがもと乞ひ(イ思ひ)(*全集本で異本を参照した注記。)つゝ、歌をも文をも取り成して見よ。もとの身の、昔人に同じき人にし有るからは、然か習ふ程に、心は磨とぎ出でたる鏡如なし、詞は藪原を過ぎて、隈無き山の花とこそ成りなめ。萬づの言の古に復かへらふをば、主變り行く唐國にしも愛づるてふを、同じ天つ日嗣知ろしをす此の御國にして、御盛みさかりなりし皇すめ大御祖おやの天皇すめろぎの定めましゝ、天雲の高き御世振に復らで、山川の下れる時をのみ守るべきや。歌は其の時の姿に由りて詠む事ぞなど云ふ者は、私の心の甚しきにぞ有りける。斯くしも下ちぬと云へど、畏き吾が遠つ御神の國の手振は猶も著しるくて、古を慕しのぶる人も、はた少なからず。されども大空の高き世の文を見るに、高山の峻さかしく道も絶え、青海原の恐かしこくして奧所おくがも知らず、春の月の中空の霞に隔て、秋の風の外よその木の葉も吹き交へつらんと覺ゆる事あり。下れる世人よひとは、其の霞に迷ひて有らぬ方に至り、或るは言さへぐ外よその國の風に誘はれて、本立もとだち(*根源)を忘るゝ類ひぞ多なる。こゝに古の歌こそ、千年の前さいつ人の詠めりける心詞も、月日と共に全またく變らで、花紅葉如す、昔今同じき物は有あめれ。濃紫こむらさき名高く聞えたる藤原、寧樂などの宮振に心を遣りて、山賤やまがつの橡つるばみ、怪しの色を忘れつゝ、年月に(*長年)我も詠む程こそ有れ、自おのづから我が心肝に染み通りなん。然さる時ぞ古人いにしへびとの心直く、詞雅びかに、いさゝかなる汚らはしき塵も居ず、高くはた雄々しき心習ひも思ひ取りぬべし。斯くて後に、萬づの古き文どもをも見んに、終には深き山を越えて里に出で、遠き海を渡りて國に至らんが如く、世の中てふ物は、物無く事無く、徒らなる心をも悟らへ、設けず、作らず、誣ひず、教へず、天地に適ひて、政まつりごちませし古の安國やすくにの、安らけき上つ大道おほみちの、神の御代をも知り明らめてん物は、古人の歌なるかも、己が詠む歌なるかも。己れいと若かりける時、母刀自の前に古き人の書ける物どもの有るが中に(かぐ山を)「古の事は知らぬを我れ見ても久しく成りぬあめの香具山」、(子のもろこしへ行くを其の母)「旅人の宿りせん野に霜降らば吾子はぐくめあまの鶴群つるむら」、(つまの伊勢のみゆきの大御供なるを)「長らふるつま吹く風の寒き夜に我が背の君は獨りか寢らん」、(筑紫より上る時女に別るとて)「丈夫ますらをと思へる我れや水ぐきの水城みづきのうへに涙のごはん」、(題知らず)「下にのみ戀ふれば苦し紅の末摘花の色に出でぬべし」、(ものがたり)「在る時は有りのすさみに語らはで戀しきものと別れてぞ知る」、(たび)「名ぐはしきいなみの海の沖つ波千重に隱りぬやまと島根は」、「あはぢのぬしまが崎の濱風に妹が結びし紐吹き返す」など(イ猶アリ)いと多かり。こを打詠むに、刀自の述の給へらく、近頃其許そこたちの手習ふとて云ひ合へる歌どもは、我がえ詠まぬ愚かさには、何ぞの心なるらんも分かぬに、此の古なるは、然さこそとは知られて、心にも沁み、唱ふるにも安らけく、雅びかに聞ゆるは、如何なるべき事とか聞きつやと。己れも此の問はするに付けては、げにと思はずしも有らねど、下れる世ながら、名高き人達のひねり出だし給へるなるからは、然る由こそ有らめと思ひて、默もだし居る程に、父の差し覗きて、誰も然さこそ思へ、いで物習ふ人は、古に復りつゝ學まねぶぞと、賢き人達も教へ置かれつれなどぞ有りし。俄かに心行くとしも有らねど、承りぬとて去りにき。とても斯くても、其の道に入り給はざりけるけにや有らんなど覺えて過ぎにたれど、さすがに親の言なれば、況して身まかり給ひては、文見歌詠む毎に思ひ出でられて、古き萬づの書ふみの心を、人にも問ひ、おぢなき心にも心を遣りて見るに、自おのづから古こそと眞に思ひ成りつゝ、年月に然る方になん入り立ちたれ。然か有りて思へば、先に立ちたる賢しら人にあともはれて(*導かれて)、遠く惡ろき道に惑ひつるかな、知らぬどちも、心靜かに覓め行かば、なか\/に善き道にも行きなまし。歌詠まぬ人こそ、直き古歌いにしへうたと、苦しげなる後のをしも、區別わいだめぬるものなれ(*区別したのだ)と、今ぞ迷はし神の離れたらん心地しける。
物の始め惡ろく入り立ちにしこそ苦しけれ。萬づ横しまにも習へば、心と成るものにて、本の大和魂を失へりければ、偶善き筋の事は聞けども、直く清き千代の古道ふるみちには、行き立ち難がてになん有る。こを譬へば、高き山に登るが如し。本繁き山口を押分けて、木の根巖いはが根い行きさぐゝみ(*間を縫って進む)、汗もしとゞに、息も喘ぎつゝ、辛くして峰に到りぬ。斯く到りてば、仰ぎて向ひてし山々をも見下みくだし行きて、見ぬ國の奧所おくがも見明らめられつゝ、今こそ心の雲霧も晴はるけく、世に廣く暗からざめりと覺ゆ。さてしも有らぬは人の心にて、いでや雲風にもなどか乘らざらんと思ひ進まるれば躍り上がり、飛び上がり(*ママ)習はすに、軽あやしきわざしも習はゞ、習ひつと覺えて、二無く誇らしく、獨笑まひをしつゝ經るなりけり。然か有る程に、ある時、ゆくりなく雲に飛ばんも、下らずやは有らん。風に乘らんも、行方こそ極み有あなれ。怪しのわざやてふ心の出で來ぬれば、いつと無く其の高嶺をも下りまがりて、本の麓に歸りぬめり。然さて靜心に成りては、怪しき心ずさみ(*気まぐれ)にも有りつるかなと思ひ成れゝば、萬づ夢の覺めたらん曉の如ぞ覺えける。此の時に至りて、また古き書を見、歌をも唱へ試みれば、彼の怪しくすゝめる(*逸った・勢いづいた)亂りわざは無くて、唯此の麓へ歸り下りたる心にぞ有りける。然かしてこそ古人の心は、善く貴かりける物と思ひ知らえぬれ。斯くて掛けまくも畏き吾が皇神すめがみの道の、一つの筋を崇たふとむに付けて、千五百代ちいほよも安らに治れる、古の心をも、心に深く得つべし。次いでには、言噪ことさへぐ國々の、上つ代のさまを善く知れる人に向ふにも、直き筋の違はぬも多かりけり。然かは有れど、斯くする程に、殘りの齡無く成り行くこそあやなけれ。如何で(*どうなりとして)若き時より、自みづから心肝こゝろぎもを定めて、唯古き書、古き歌を唱へて、我も然る方に詠みも書きもせよ。身もいたづかで習ひ得つべし、思ひ得つべし。萬葉集は今二十卷はたまき有めれど、彼の橘の諸兄のおほまうちぎみの撰び給ひけんは、たゞ一つの卷、二つの卷こそさだかにそれと見ゆれ。それはた字の違ひ、訓みの誤れるなん多き。また十まり一つ(*十一)、二つ、三つ、四つの卷も、右に次ぎて、撰び給へるにやと思しき事あり。何ぞと云はゞ一の卷、二の卷は、凡そ詠み人知られて、且つ宮ぶりなり。十一、十二、十三は、皆詠める人知らえぬ古き歌の、はた都の人なり。是れを古歌集とも云へる事あれば、他人ことびとの集めつらんとも思へど、猶一つ二つの卷の、詠み人知らえしのみを撰むべくも有らずと思ふ事あり。さらば十三と有るこそ、いと古き歌にて、古の雅びごと著しるく、はた長き歌多ければ、此れを三の卷とし、十一、十二を四五とし、さて十四は東歌にて、多くの國ぶりなり。唐國の古の歌にも國ぶり(*国風)を集めしにも由り、固よりも歌は人の心を述ぶるものにて、其れに付けて、いとやんごとなき邊りに、食國人をすくにびと(*治下の人民)の心をも知らする物なれば、何なぞや大宮風おほみやぶりのみを云はん。斯かるからに、東歌をも、末に付けて撰びつべし。今の二十の卷なる東歌は、大伴の家持ぬしの取り集めし物、この十四の卷なるは、それより古き東歌にて、必ず上に續きて撰び添へられし物と見ゆ。また三の卷よりは、多くは家持ぬしの歌集うたつめなり。五は山上憶良の集、七と十とは、事のさま等しくて、また誰その人の家に書き集つめし物、斯くさま\〃/なれば、善く撰び調へたる卷は少なし。由りて戲たはれたるも、はたよく本末の調ほらぬも、また本は宜ろしくて末の詞の惡ろきも有り。然かれば今かた(*範型)として取らんには、更に撰びて取るべし。其の撰びはた難ければ、誰かは是れに當らん。唯詞の滯らず、理明らけく、雅びて優しと覺ゆる心言葉なるを取るべし。少しも聞きにくゝ苦しげなるをば、先づは惡しと思ひたれ。四千よちゝまり三百みもゝばかりの歌なるが中に、其のなだらかなるをのみ取らんも少なからぬなり。此の事を善く心得ずて、二十卷共に皆同じと思ひ、萬葉風まんえふぶりとて、後にかなはずなど云ふなり。右の如く心得て、然かも調ひたる姿心をよく取りたるは、鎌倉の大まうち君なり。其の中にも、始と中と末と見ゆ。末によく取り得られたるをもて思ひ合すべし。されど女の歌には心すべし。古今歌集の中に、詠み人知らずてふ歌こそ、萬葉に續きたる奈良人より、今の京の始までの有り。此れを彼の延喜の頃の歌と、善く唱へ比べ見るに、彼れは事廣く、心雅びかに豐けくして、萬葉に繼げる物の、然かもなだらかに匂ひやかなれば、眞に女の歌とすべし。古は丈夫は、猛く雄々しきを旨とすれば、歌も然かり。さるを古今歌集の頃となりては、男も女ぶりに詠みしかば、男女をとこをみなの分ち無くなりぬ。然らば女は、たゞ古今歌集にて足りなんと云ふべけれど、其そは今少し下ち行きたる世にて、人の心に巧み多く、言に誠は失せて、歌を作爲わざとしたれば、自おのづから宜しからず、心にむつかしき事あり、古人の直くして心高く雅びたるを、萬葉に得て、後に古今歌集へ下りて學まねぶべし。此の理を忘れて、代々の人、古今歌集を事の本として學ぶからに、一人として古今歌集に似たる歌詠み得し人も聞えず。はた其の古今歌集の心をも、深く悟れる人無し。物は末より上かみを見れば、雲霞隔たりて明らかならず。其の上へ昇らん階はしをだに得ば、いち早く(*一気に)高く昇りて、上を明らめて後に末を見よ。既に云ひし如く、高山たかやまより世間よのなかを見わたさん如く一目に見ゆべし。物の心も、下なる人、上なる人の心は計り難く、上なる人、下の人の心は計り易きが如し。由りて學びは、上より下すをよしとする事、唐國人も然か云へりき。
明和の初めつかた、賀茂の眞淵が老の筆に任せて書けるなり。
    
此一册は、師の自らの手して書かれしを寫し置きつるなり。或る人の持もたるは、初めは是れに同じくて末に事多く添はりて、紙の枚ひらも多く、いと異なり。今つら\/考へ見るに、其の異なる條々は新學にひまなびに云はれし趣に如何ばかりも違はねば、後に除かれしものなるべし。故、その異本は捨てゝ茲に擧げず。


五十槻園いつきぞの(*荒木田久老)藏板


                了


    
 

         文意考

   序(荒木田久老)
 1 歌と文の本性  2 和歌・和文の復興−荷田春満・契沖・真淵  3 記紀・風土記・祝詞・宣命の諸文体を抄記  4 文辞の例  5 抄記(文意考)の抜粋

       序
こたみ何くれと、師(*賀茂真淵)の書おかれしものら板にゑらせて、おのれにものとひ、ふること學せす人等にしめしなむとするを、この文のこゝろよ、あるが中に草の草にして、もとよりかたへをぬき出給へるよしなれば、たへる事難き書なれど、これのみ殘しおかむもあたらしくて、うたの意(*うたのこころ=歌意考)の末に加へて一册とはなしぬなり。
寛政十二年神無月
あらき田神主久おゆ

  文のこゝろのうち

1 歌と文の本性
いとも/\かみつ代の人、こゝろにしぬばぬ(*しのばぬ)おもひあれば、言にいでゝうたへり。こをうたといへり。また目に見、みゝに聞事の、もだすべからぬわざある時は、言をつらねていふ。こをたゝへ言といへり。これを後の世にふみとなむいふなる。しかあれば、うたは内よりおこり、たゝへ言は外ほかより來きたるものなり。かれ世の中の人、ことにつけて此ふたつをいひつゝ、わがおもひをやり、人のこゝろをもなぐさめ、天地の神わざをたゝへ、君臣きみおみのおほまつろへ事をものりませれば、萬にたらはぬ事なむあらざりき。かくていにしへは、常いふことばもよろしければ、哥をもたゝへ言をも先は常のことばもていひつゞくりたるが中に、うたといひ、ふみとしもいふにいたりては、おのづからあやにつゞけなせるによりて、めでたきものとなりにたり。是をたとへば、草木も色香のよきをばよみし、鳥虫も聲ふしのあしきをばあしむ(*憎む、か。)は、人のこゝろにしあれば、何のことばもよろしく、おもしろくこそいひなすべきなりけれ。かくてぞいはまくもかしこき
天あまつ神祖かむろぎも、ふとき厚きのりと辭ごと(*「太祝詞」の「太」は美称)をめで給ひて、久かたの(*原文「久がたの」)天照しおはしまし、かけまくもたふとき天皇すめらみことも高き〔くイ〕うるはしきおほみことのりをもて、ちはやぶる人を和やはし給ふなれば、すめらみ國にうまれとうまるゝ人、誰かはこのことばをよろこばざらむ。

2 和歌・和文の復興−荷田春満・契沖・真淵
かゝるに、さいぐさの(*「中」「三」を導く枕詞)中つ世に、言さへく(*原文「言さへぐ」。「韓」「百済」を導く枕詞)からの文のわたり來しゆ(*より)、〔後の人 イ〕せばく方けたなる事の、とく得やすきまゝに、そをのみとなふるものさはになりにて(*なってしまって)、あがすめらぎのひろく天地にかなへる道はさとりかねて、こゝの(*当国の)いにしへのふみまねぶことなければ、人みなおのが國の手ぶりをわすれ〔行 イ〕て、此いにしへぶりのふみを書人かくひとあらずなむなりぬる。〔猶 イ〕たまさかに書ぬといへども、或はかの言佐敝ことさへく(*原文「言佐敝ぐ」)文のさまにいひうつし、あるはから文字もじの音こゑをまじへて、やまとにもからにもつかず、中ぞらなるもあり。またそをわろしとおもひて、こゝの言もてかく人〔し イ〕もあれど、嚴おごそかに在べきふみに、後のものがたりぶみらのこと葉をとり用〔ゐ イ〕、またをとこ女のことばのわかちをも思はず。或はものにつけことによりて、さまことなるべき事をもわかず。或はいにしへと後との、心こと葉をもわきまへずして、いひつらねつゝなむ在けるよ。
時なるかも、玉しきの都なる荷田かたの宿禰東麻呂うし(*荷田春満先生)は、 天皇の道/\の〔いにしへの〕(*「道/\の」の傍注)ふみらを分とほり、此ふみのくさ/〃\をもつばらにかきわけて、八千代のいにしへにかへり、おしてるや難波の法師契冲は、ふるき言の葉の道の、後の世におひおほどれる(*生〔お〕ひ撓〔をを〕れる:生い茂っている)をどろ(*荊棘・藪)をかりわくる事のはじめをなすがついで、この文のこゝろをも知て、事にふれて書ることばに、あやあることもおほかりき。
おのれをぢなかれど(*をぢなけれど:拙いけれど)、はやくよりこの手ぶりをこのみて、いさゝけも(*些かも)いとまある朝にけに、久かたの(*原文「久がたの」)日月つきひのうつるをもおもほえず、あらがねの土もさくてふ夏の日はあせもしとゞにこゝろをめぐらし、足曳のあらし吹なる冬の夜は身さへこるがにとなへあかして、百づたふ五十ちまりの齡になりてこそ、さはなるふることをも、ふみのこゝろをも、やゝおもひ通るべくなりにたれ。

3 記紀・風土記・祝詞・宣命の諸文体を抄記
かれ、あがあがたゐ(*県居:田舎住まい。浜松にあった真淵の私宅の号でもあった。)〔を〕となふる(*おとなふ)友の、乞がまに/\しるしつゝ、そのしるせる事等は、ふることぶみ〔古事記〕・やまとぶみ〔日本紀〕・ふとのりとごと〔太祝詞〕(*原注「大祝詞」)・おほみことのり〔宣命〕・くに/〃\のことかけるふみ〔風土記〕。是等が中に、にぎび(*にきび〔和び〕:和らぎ親しむこと)・をたけび・よろこび(*原文「よろこひ」)・たのしみ・かなしみ・うらみ・かむほぎ・人ほぎ・宮ほぎ・むろほぎ・かみぶり・宮ぶり・ひなぶり・道ゆきぶりらの、ふるくもかたくも、にほひあり、おもしろかる、あはれなる、くさぐさのさましたるを、ぬき出しるして、それがこゝろをいさゝか解しるし、又後の世々にかける、哥のはじめに書るふみ・旅ゆくこと葉・哥のはしの詞(*詞書)・物語ぶみの中なることばの、ふしあるをも擧つ。
後の世なるを、後の人の心ゆ見ては、「何ぞはいにしへは、こといたらぬほどぞ。」などおもふべかれど(*おもふべけれど)、そはいまだしき也。よくおもひ、ふかくものを知る人の、いにしへをめでざるやはある。後のあやは、中つ世のにしきにしかず。中つ世のにしきは、かみつ代のしづはた(*倭文機:荒栲)にしかざる事は、おりたちて(*自身熱中して)知る人こそしらめ。しかいにしへをよくしらば、物なほく、事みやびかなる心も、うつろひなりなむ。人のこゝろしなほくみやびゆかば、いにしへの安國やすぐにのたり御代にかへらざらめや。いにしへ・今をわかちあへぬからに、古ことしぬばへる人少なきこそうれはしけれ。「かみつ世には、文のあやてふこともなく、後の世にぞ、よろづにうるはしき事はあり。」といふ人有は、上つ代のふみらを見も知らで、おしはかりにいふになむある。

4 文辞の例
よりてくさ/〃\のすがたをあげしらするが中に、ひとつふたつをこれに〔は イ〕書り。そもそもいにしへのふみのあやよ、
神日本磐余彦かむやまといはれびこの天皇(*神武天皇)の、橿原宮に初て天の下しらすることをほめまつりていへらく、「したついはねに宮ばしらふとしり、高天が原にちぎたかしりて、初國はつぐにしらすすめらみこと(*原文「すめらみごと」)」ゝたゝへ申せしは、その宮柱たつる、下つ綱根をかたくし、みやの棟を高く造らしゝてふ事をいふのみなる(*なり)。かくこと大らかにとりひろめて、みやびかにいひなすこと、中つ世よりこなたの人はかなはず。其いひひろむるのみかは。ことおほくあるをば、かへりてつゞめて、初國しらすすめらみこと(*原文「すめらみごと」)ゝいひなせしも妙たへならずや。
又祈年としごひの祝詞のりとごとに、「皇神すめかみたちのよさし奉まつらむ、奧津おきづ御年みとしを。手たな肱ひぢに水沫みなわかきたり、向股むかもゝに泥ひぢかきよせて、とり作らむおきつ御年を。」云々しか/〃\てふは、たみどもの田作るとて、水にひぢ、ぬまにおりたちつゝ、くるしき業すめるさまをいふのみなるを、しかいひなさるゝもの歟。
また、すめ〔べ イ〕らぎの食國をすぐには、ひろくは天雲を限り、こまかには一寸ひとき一咫ひとた(*「咫〔あた〕」は古代の長さの単位。親指と中指〔または人差し指〕を広げた長さ。)も殘らざるよしをたとへて、「天雲のおりゐ、向伏むかぶすかぎり、谷蝦蟆たにぐゝの狹渡さわたる極み、潮沫しほなわのとゞまるかぎり、船ふなのへのいたれるきはみ」などいへる也。
かゝるたぐひの、かぎりなく多きを見知なば、いかでいにしへをおもひとらざらむ(*思ひ取る:心にわきまえ悟る)。

4 抄記(文意考)の抜粋
をたけび
はやすさのをの命、云々、天あめにのぼり給ふ時に、山川もこと/〃\く動とよ、國土もみなふりぬれば、天照大御神聞きこしおどろき給ひて、のたまはせらく、「吾あが奈勢なせの命の、登來ますゆゑは、必うるはしき心ならじ。あが國をうばはまくするなり。」とて、御髪みかみをとき御髻みづらにまかし、左右ひだりみぎりのみゝづらにも御鬘みかづらにも、ひだりみぎりの御手にも、おの/\八さかの勾玉の五百ゆづ〔の イ〕みすまるの玉をまきもたして、そびらには千のり(*「のり」は箆入。千本の矢の入った)の靫ゆぎをおば〔び イ〕し、いほのりのゆぎをつけ、又みたゞむきにはいつの高鞆たかとも(*鞆は弦受けの腕輪)を取はかし、弓ゆづゑふりたてゝ、堅庭かたにはを向股にふみなづみ、あわゆき〔沫雪〕なす〔成〕くゑはららかし〔蹴散〕〔て イ〕、いつ(*原文「いづ」)のをたけび(*太字の体裁−入力者)にふみたけびて、まち問申さくは、「何ぞのゆゑに上り來ましぬや。」と云々。
にきび(*原文「にぎび」)
速素戔嗚尊まをしたまはく、「吾心あかし。かれ、あがうめる子は手弱女たわやめを得き。よりていへば、おのづからあれ〔吾〕かち〔勝〕ぬ。」とのたまひて、勝佐備かちさび(*勝利者らしく振る舞うこと)に、あまてらす大みかみの御田みたのあはなち〔畔放〕、溝うめ、またおほみけ(*原文「おほみべ」)きこしめす御殿みあらかに屎くそ麻理まりあかつ(*散つ:散らす。原文「あがつ」)。かれ、しかすといへども、天照大御神はとがめまさずて、のたまはく、「くそなす(*原文「くぞなす」)は、醉てたぐり〔吐〕あかつ〔散〕(*原文「あがつ」)とこそ、吾弟なせの命は如此かくすなれ。また田の畔あはなち、みぞうむるは、地ところをあたらし〔惜〕とこそ、あがなせのみことはかくすなれ。」と、のたまひ直したまはすれども、なほそのさがなきわざやまずして、轉うたてあり。
此たけび給ひ、にきび(*原文「にぎひ」)給ふをふかくおもふべし。姫大御神といへども、こと〔と イ〕有ときは、雄たけびをなして、嚴おごそかなる御いつ(*原文「いづ」)をもてをさめまし、常にはこのにきび(*原文「にぎび」)たる御こゝろ(*原文「御ごゝろ」)もて、大かたの事をば、見なほし聞直して治めますぞ、いともかしこき神の道の本もとにして、國も家もをさまる御をしへなる。

大国主の大神おほがみ、云々、「此葦原の中つ國は、おほみことのりのまに/\、既に奉りぬ。唯おのれが住すみなむところは、天の神の御子の、天つ日繼しらす、とたる天の御栖みすなして、底つ巖根に宮柱太敷、高天の原に垂木ちぎ高知てをさめたまはゞ、おのれはもゝたらず八十隈でに隱かくりて侍りなむ。またおのれが子ども百八十がみは、即八重事代主の神、かみの御尾みをさきとなりて仕奉まつらむに、違ひまつる神はあらじ。」と。かく申まをして、出雲の國の多藝斯たぎしの小濱をはまに、天の御舍みあらかを造りて、水戸の神の孫うまご〔はつこ−左ルビ〕、くしやだまの神を膳夫かしはでとして、〔天の イ〕御饗みあへ奉たてまつりぬるときに、祈のみまをして、奇八玉神くしやだまのかみ鵜うのとりとなりて、海底うなぞこに入、そこつ土はにをくひ出て、天の八十ひらか〔瓮〕を作り、め〔海布〕のから〔柯〕をかりて火きりうすを作り、こも〔海蓴〕のからをもて火きりぎねに作りて、火をきり出していはく、「このあがきれる火は、たかまの原は神御魂かんみむすひ(*原文ルビ「かんみむすび」)の御祖みおやの命の、とだるあまのにひす〔新巣〕のすゝの八擧やつかたるゝまで燒たきあげ、つちの下は、そこつ磐禰に燒こらして、栲繩たくなは(*原文ルビ「たぐなは」)の千ひろなは打はへて、海人がつらする、くちぶとの尾ひれすゞき、さわ/\に引よせあげて、うち竹のとをゝとをゝに、天のまなぐひ〔眞魚咋〕奉る。」云々。
室賀むろほぎの御詞みことば
小計をけのみこ、立たちて衣ひもをつくろひて、むろほぎの詞をのたまふ。「つきたつる稚わかむろ葛つなねに、つき立る柱は、この家ぎみのみ心のしづもり也。取ふけるむねはりは、この家ぎみのみこゝろ(*原文ルビ「みごゝろ」)のさかえ也。とりおけるちぎは、この家ぎみのみこゝろ(*原文ルビ「みごゝろ」)のとゝのほりなり。とりおけるえつり(*桟)は、この家ぎみのみ心の平らぎ也。取ゆへるかづらは、この家ぎみのみいのちのかため也。とりふ祁けるかやは、此いへぎみの御み富の餘りなり。出雲は新ばりにひ墾はりの十握稻とつかしねの穗を、さらけにかめる酒きをうまらにをやらふるがねや。あごらが、あしひきこのかたやま、さをしかの角つぬをさゝげてたちまへば、うまざけ〔は イ〕ゑがの市に、あたひもてかへず。たなそこもならゝに、うちあげ給ふあがとこよたち。
このたぐひのふるきふみども多く書て、文の意こゝろ別ことにあり。こゝにはそのかたへをかけるのみ。(*荒木田久老の序文によれば、『文意考』は未定稿である。)
                加茂の眞淵


          了

* 窪田空穂 解説『和文和歌集』

文意考
賀茂真淵
(賀茂百樹 増訂『増訂 賀茂真淵全集』巻10 吉川弘文館 1930.10.10)





       にひまなび

  序
物皆は新しき善しといへるを、學びの道こそ古りぬる善きとて、吾が師加茂の大人の教へさとし給へる書ふみの卷々多かるが中に「にひまなび」といふ一綴ひととぢの有あなるを、難波人の世に廣くなし置きねと催さるゝによりて、此度こたみ板に彫ゑらしむる事にはなりにたり。まことや、この學のみ盛りに榮えて、是ればかりの物すら人皆の持てはやせる事となりぬるは、喜ばしく嬉しくて、
咲く花の愛での盛りと古言ふることは開け満ちぬよ時の行ければ
寛政十年やよひのもちのころ從四位下荒木田神主久老



・歌の事を先づ云ふは我國ぶりなれば、入るにたやすく且つ歌を得ざれば皇朝のまなび萬づにかなはざればなり。其由は下にいふ。
・直きと云ふ中に邪に向ふと、思ふ心の強ひて雄々しきと、心に思ふ事をすさび云ふとの三つ有り。そは事に從ひて取るべし、其中に古人は思ふ事ひがわざにても隱さず歌に詠める、此直きにぞ歌は哀れと覺ゆる事あるなる。
・歌の調てふ物は茲に云ふ幾樣々なれど各其の難きにつきて善き惡しきあり。凡そを云はゞ共に打唱ふに滯りなくて何となく心高く聞ゆるを專らとす。にひ學びの程には調などには心も寄らず、一ふし有る所にのみ目の着く物なり。そのふし有る所をばおきて何と無く續けし所に心を寄せて見よ。古人はそこに心を用ひしなり。此事を思ひて古歌を見れば久しからず思ひ得べし。
・古の歌集てふに他あだし人々の歌を專ら集めその中に我がをも書き交へたり。是を知らぬ人たとへば人麻呂の歌集に出づてふ歌を皆人麻呂の歌と思ひ誤りぬ。其集の中に名を擧げぬ他人の歌にこそあれ。
・末を捨つとは其の如く短歌に詠みうつさぬを云ふ。其の言短歌には惡しけれど長歌にはよろしきもあり。又古言は歌にはよろしからぬ有るも知りおくからに古意を明らむる事あり。
・鎌倉公の歌集には初と中と末を交へ載せたり。その初めなるは云ふに足らず、中頃の内には取り取らぬ分かち有るべし。末に心を得給へるにこそ類ひ無きはあれ。
・萬葉を詠み移さんよしは、後世古歌を取るべき事を云ふ如きさゝき(*些末な)定めは皆用ゐず。いかにも心にまかせて詠み移すべし。其外後世いふ所のせき定めどもは皆古無き事なり。心せばくては古の風雅に移りがたし。されど又古は古の定め有りて漫にいふ事あらぬ由は古歌を年月に見る中にみづから知らるべし。


・唐國も上つ代はこゝにひとしかりしを、周といふ代より萬づを強ひ改めて父を尊しとす。こは人の理といふものにて天地の心にあらず。故に理は理の如くして世の治らざるなり。
・歌を業の如く思へるは後の世のひが心得なり。
・歌はたとひ戯たはれがましき男女の相聞えを聞きても、聞く人の心に深く哀れとは思はれてみづからの戯れ心は起らず。是れぞ唐國の面を善くして、内きたなきとは異にして、うらうへ無き皇朝の古の習はしなればなり。


・後世神代の事を知らまくする人は、古歌古言を學ばず、中々に唐ことを見學びて空言もて漫りなる考をなし、また歌文を好む人も古の歌文を知らず、流れ下れると、家々に私せる歌どもを誠とする故に誤れる事限り無し。又古の事を好む人々、書の誠いつはりあることを知らで、僞の書にまどはされて誤る事限り無し。此の意を深く思ひたらん人こそ多からね。○衣の類と器物は、させる學びの方にはあらねど、今の世の中、見る物聞く物皆鄙しければ、心の風流ゆかん由無し。故、家の調度も古を好む時は心おのづから雅びかになれり。まして衣の類ひは己が着ずと云へども其の事を知る時は心鄙びざるなり。
・是れより前に古事記、日本紀の神代の卷をもあまたたび見つゝ其の言をよく讀み得て後に意を解くに至るを云ふなり。惣べての書を始より意を得んとする時は、私の後世意となりぬ。訓をよく\/知りて後に古言に從ひて意をいふ時は古にかなへり。後人は其の本の言をば傍にして空に考へたる意を見る故にかなへる事なきなり。

・五十音の延約、或は喉音、舌音などの事は、知らぬ人無し。たゞ皇朝の會に用ひて種々の例ある事をば強ひて知る人無きなり。其の音の別のみ云ひて用ゐし例を知らでは其の言に用無し。そを知らぬ人漫に唐天竺のみをもて其の言をも云ひはかる故に違ふ事多きなり。
・いさゝか古言を好めばやがて古言を解きなんとして、未だしき心もて考へ云ふ人あり。其の據など、右にも左くにも有る物にて我は考へ得つと思ふべけれど皆僻事ひがことのみぞ有りける。仍りて強ひて解く事を恐れて學長けて後に事に觸れて思ひ寄れる事を云ふ時は當る事有るべし。先づは百を解きて一つ二つのみならではかなはずと思ひたれ。
・和名抄は誤れる事多けれど、假字は誤らざるなり。惣べて萬葉などにも今本には疑はしき假字もあれど古例を推して見れば專ら後世書手の誤なり。
・皇朝は言葉を本にて、意は其れに付けて別つ例なり。唐國は音を本にて字を一つ\/に作りて目じるしとせり。然れば事の本甚だ異なり。かくて皇朝には唐文字を借りてその言のしるしとするのみなり。天竺は天竺、唐は唐、大和は大和各別なりと思ひてあれ、その中に、こゝと天竺にはうはべ似たる如き事も有れど深く心得る時はひとしからず。
・此の歌の古注に人麻呂がなりと云へるは、ひが事なり。されど人麻呂の歌の體には侍り。
・後世の集どもに人麻呂の歌とて入りしは多くはひが事なり。此の人は唯だ萬葉にて見るべし。且つ人麻呂は長歌を專らとし赤人は短歌を得たるなり。こゝに云ふも是れに由れり。
・春かけててふ言は用ひ誤られしかど、こゝには一首の心と詞とをいふ。
・花山の御撰など云ふは甚しきひがことぞ、よく見ば必ず然からぬ事見ゆべし。
・此の二集に人麻呂など云ひて歌あれど多くはよみ誤りて入りたり。人麻呂の歌はたゞ萬葉にて見よ。
・萬葉の如く端詞を文字にて書かば歌も然か書くべし。歌をば後世ぶりの草に書きて、題のみ文字の意に書くこと見苦し。夫萬葉に詠レ天、詠レ花など書けるは歌に仍りて後に書きし物なり。後には文字の題を設けて詠むからに、古の雅意は失せて細かに狹き俗情をせめて詠むなればいよ\/いやしくなりぬ。やむ事無くば同じ事も假字にて書きたれ、されども心に思ふ事目に見耳に聞くものは皆歌の題となりぬ。その時歌をば詠みて後に其の有りし事を端に書く時は歌おのづからゆたかなり。其の事を先づ書きて後歌詠む事は古人は無かりき。

 



     玉くしげ 本居宣長

 序
此書は。わが鈴屋大人の。ある国の君に。道の大かたを。いまの世のさとび言(ゴト)もて。たれしの人もかやすくさとり得つべきさまに書(カキ)て。奉られたりし書(フミ)なるを。下書(シタガキ)の。名におふ匣の底にのこれるを。此里の広海が乞出(コヒイダ)して。木にゑるにつきて。おのが一言をくはへてよとあるまゝに。書つけゝらく。そも/\わがうしの。道びきのこゝたくのいさをは。いはまくもさられなれど。なほいさゝかいはむには。此まことの道はしも。外国(トツクニ)ぶみの。うはべよきまがこと共に。かきくらされて。かの須佐之男命(スサノヲノミコト)の。勝(カチ)さびの御(ミ)あらびに。天照大御神。ゆゝしくも天(アメ)の石屋(イハヤ)にさしこもらして。世中は常夜(トコヨ)ゆきけむ事のごとく。光(ヒカリ)見る人もなくて八百年(ヤホトセ)千年(チトセ)を経にけるに。思兼(オモヒカネノ)神の御霊(ミタマ)やそはりけむ。此大人の深くおもひ遠く思ひて。うまらにおもひ得られたる。此まことの意(コヽロ)よ。長鳴鳥(ナガナキドリ)のこゑ高くとほく。天の下に聞えわたりて。世人皆の秋の長夜(ナガヨ)のいめさめて。朝目(アサメ)よく仰(アフ)ぎ見む。朝日のひかりは。まぐはしきかもらうぐはしきかも。明らけきかもたふときかも。時は寛(ユタ)けき政(マツリゴト)と改まりて。天下よろこび栄ゆるはじめの年の春のなかば。かくいふは
            尾張の殿人
             横井千秋

   

此書は、ある御方に、道の大むね今の世の心得を書て奉れるなり、それに歌をもよみて書そへたる、中の詞を取て、かくは名けつ、其歌は、
      身におはぬしづがしわざも玉くしげあけてだに見よ中の心を
まことの道は、天地の間(アヒダ)にわたりて、何(イヅ)れの国までも、同じくたゞ一すぢなり、然るに此道、ひとり皇国(ミクニ)にのみ正(タヾ)しく伝(ツタ)はりて、外国(グワイコク)にはみな、上古より既(スデ)にその伝来(デンライ)を失(ウシナ)へり、その故に異国(イコク)には、又別(ベツ)にさま/゛\の道を説(トキ)て、おの/\其道を正道のやうに申せども、異国(イコク)の道は、皆/\末々(スヱズヱ)の枝道(エダミチ)にして、本のまことの正道にはあらず、たとひこゝかしこと似(ニ)たる所(トコロ)は有といへども、その末々の枝道(エダミチ)の意をまじへとりては、まことの道にかなひがたし、いでその一すぢの本のまことの道の趣(オモムキ)を、あら/\申さむには、まづ第一に、此世中の惣体(ソウタイ)の道理(ダウリ)を、よく心得おくべし、其道理とは、此天地も諸神も萬物も、皆こと/゛\く其本(ソノモト)は、 高皇産霊神(タカミムスビノカミ)  神皇産霊神(カミムスビノカミ)と申す二神の、産霊(ムスビ)のみたまと申す物によりて、成出来(ナリイデキ)たる物にして、世々(ヨヽ)に人類(ジンルヰ)の生(ウマ)れ出(イデ)、万物万事の成(ナリ)出るも、みな此御霊(ミタマ)にあらずといふことなし、されば神代のはじめに、伊邪那岐(イザナギ)伊邪那美(イザナミ)二柱大神(フタバシラノオホミカミ)の、国土万物もろ/\の神たちを生成(ウミナ)し給へるも、其本は皆、かの二神の  産霊(ムスビ)の御霊(ミタマ)によれるものなり、抑此産霊(ムスビ)の御霊(ミタマ)と申すは、奇々妙々(キヽメウメウ)なる神の御しわざなれば、いかなる道理によりて然るぞなどいふことは、さらに人の智慧(チヱ)を以て、測識(ハカリシル)べきところにあらず、然るを外国(グワイコク)には、正道の伝へなき故に、此神の産霊(ムスビ)の御しわざをえしらずして、天地万物の道理をも、或は陰陽(インヤウ)八卦(ハツクワ)五行(ゴギヤウ)などいふ理屈(リクツ)を立て、これを説明(トキアカ)さむとすれども、これらは皆、人智(ジンチ)のおしはかりの妄説(マウセツ)にして、誠(マコト)には左様(サヤウ)の道理はあることなし、さて  伊邪那岐大御神(イザナギノオホミカミ) 女神(メガミ)のかくれさせ給ひしを、深くかなしませ給ひて、予美国(ヨミノクニ)まで慕行(シタヒユカ)せたまひしが、此顕国(ウツシクニ)にかへらせたまひて、その予美(ヨミノ)国の穢悪(ヱアク)に触(フレ)給へるを、清(キヨ)めたまふとして、筑紫(ツクシ)の橘小門(タチバナノヲド)の檍原(アハギハラ)に御禊(ミミソギ)し給ひて、清浄(シヤウ/゛\)にならせ給へるところより、天照大御神(アマテラスオホミカミ)生出(ナリイデ)ましまして、 御父大御神(オホミカミ)の御事依(ミコトヨサ)しによりて、永(ナガ)く高天原(タカマノハラ)を所知看(シロシメ)すなり、天照大御神(アマテラスオホミカミ)と申し奉るは、ありがたくも即今此世を照しまします、天津日(アマツヒ)の御事ぞかし、さて此 天照大御神の、 皇孫尊(スメミマノミコト)に、葦原中国(アシハラノナカツクニ)を所知看(シロシメ)せとありて、天上より此土(コノド)に降(クダ)し奉りたまふ、其時に、 大御神の勅命(チヨクメイ)に、宝祚之隆当與天壌無窮者矣(アマツヒツギハアメツチノムタトキハカキハニサカエマサム)とありし、此勅命(チヨクメイ)はこれ、道の根元大本(コンゲンタイホン)なり、かくて大かた世中のよろづの道理、人の道は、神代の段々(ダン/\)のおもむきに、こと/゛\く備(ソナ)はりて、これにもれたる事なし、さればまことの道に志(コヽロザシ)あらん人は、神代の次第(シダイ)をよく/\工夫(クフウ)して、何事もその跡(アト)を尋(タヅ)ねて、物の道理をば知(シル)べきなり、その段々の趣(オモムキ)は、皆これ神代の古伝説(コデンセツ)なるぞかし、古伝説とは、誰(タガ)言出(イヒイデ)たることゝもなく、たゞいと上代より、語(カタ)り伝へたる物にして、即古事記日本紀に記(シル)されたる所を申すなり、さて此二典(フタフミ)に記(シル)されたる趣は、いと明(アキ)らかにして、疑(ウタガ)ひもなき事なるを、後世(コウセイ)に神典(シンテン)を説者(トクモノ)、あるひは神秘(シンヒ)口授(クジユ)などいふことを造(ツク)り出(イダ)して、あらぬ偽(イツハリ)を説(ト)き教(ヲシ)へ、或は異国風(イコクフウ)の理屈(リクツ)にのみ泥(ナヅ)みて、神代の妙趣(メウシユ)を信(シン)ずる事あたはず、世(ノ)中の道理は、みな神代の趣に備(ソナ)はれる事をもえさとらず、すべて吾古伝説(ワガコデンセツ)の旨(ムネ)をば、立(タツ)ることあたはずして、かの異国(イコク)の説(セツ)のおもむきにすがりて取(トリ)さばかむとするから、その異国(イコク)のいふところに合(アハ)ざる事をば、みな私(ワタクシ)の料簡(レウケン)を以て、みだりに己(オノ)が好(コノ)むかたに説曲(トキマゲ)て、或は高天原(タカマノハラ)とは、帝都(テイト)をいふなどゝ解(トキ)なして、天上の事にあらずとし、天照大御神をも、たゞ本朝(ホンテウ)の大祖(タイソ)にして、此土(コノド)にまし/\し神人(シンジン)の如くに説(トキ)なして、天津日(アマツヒ)にはあらざるやうに申す類(タグヒ)、みなこれ異国風(イコクフウ)の理屈(リクツ)にへつらひて、強(シヒ)てその趣に合(アハ)さんとする私事(ワタクシゴト)にして、古伝説を、ことさらに狭(セバ)く小(チヒサ)くなして、その旨(ムネ)ひろくゆきわたらず、大本(タイホン)の意を失(ウシナ)ひ、大に神典(シンテン)の趣に背(ソム)けるものなり、抑天地は一枚(イチマイ)にして、隔(ヘダテ)なければ、高天原(タカマノハラ)は、万国一同(イツトウ)に戴(イタヾ)くところの高天原にして、 天照大御神は、その天(アメ)をしろしめす御神にてましませば、宇宙(ウチウ)のあひだにならぶものなく、とこしなへに天地の限(カギリ)をあまねく照しまし/\て、四海万国(シカイバンコク)此御徳光(トククワウ)を蒙(カウブ)らずといふことなく、何(イヅ)れの国とても、此  大御神の御蔭(ミカゲ)にもれては、一日片時(イチニチヘンジ)も立(タツ)ことあたはず、世中に至(イタツ)て尊(タフト)くありがたきは、此  大御神なり、然るを外国(グワイコク)には皆、神代の古伝説を失(ウシナ)へるが故に、これを尊敬(ソンキヤウ)し奉るべきことをばしらずして、たゞ人智(ジンチ)のおしはかりの考(カムガヘ)を以て、みだりに日月は陰陽(インヤウ)の精(セイ)などゝ定(サダ)めおきて、外(ホカ)にあるひは唐戎国(タウジユウノクニ)にては、天帝(テンテイ)といふ物を立(タテ)て、上(ウヘ)なく尊(タツト)き物とし、其余(ソノヨ)の国々にても、道々(ミチ/\)に主(シユ)として尊奉(ソンホウ)する物あれども、それらは或はおしはかりの理を以ていひ、或は妄(ミダリ)に説(セツ)を作(ツク)りていへる物にして、いづれも皆、人の仮(カリ)に其(ノ)名をまうけたるのみにこそあれ、実(ジツ)には天帝(テンテイ)も天道(テンタウ)も何(ナニ)も、あるものにはあらず、そも/\外国(グワイコク)には、かやうに実(ジツ)もなき物をのみ尊(タフト)みて、 天照大御神の御蔭(ミカゲ)の、よに尊(タツト)く有(アリ)がたき御事をば、しらずしてあるは、いとあさましき事なるに、皇国(ミクニ)は格別(カクベツ)の子細(シサイ)あるが故に、神代の正(タヾ)しき古説の、つまびらかに伝はりて、此  大御神の御由来(ゴユウライ)をもうかゞひ知(シリ)て、これを尊(タフト)み奉るべき道理をしれるは、いと/\難有(アリガタ)き御事にぞ侍(ハベ)る、さて皇国(ミクニ)は格別(カクベツ)の子細(シサイ)ありと申すは、まづ此四海万国を照させたまふ  天照大御神の、御出生(ゴシユツシヤウ)まし/\し御本国(ゴホンゴク)なるが故に、万国(バンコク)の元本(ゲンホン)大宗(タイソウ)たる御国(ミクニ)にして、万の事異国(イコク)にすぐれてめでたき、其一々(イチ/\)の品(シナ)どもは、申しつくしがたき中(ナカ)に、まづ第一に稲穀(タウコク)は、人の命(イノチ)をつゞけたもちて、此上(コノウヘ)もなく大切(タイセツ)なる物なるが、其稲穀(タウコク)の万国にすぐれて、比類(ヒルヰ)なきを以て、其余(ソノヨ)の事どもをも准(ナゾラ)へしるべし、然るに此国に生(ウマ)れたる人は、もとよりなれ来(キタ)りて、常(ツネ)のことなる故に、心のつかざるにこそあれ、幸(サイハヒ)に此御国人(ミクニビト)と生(ウマ)れて、かばかりすぐれてめでたき稲(イネ)を、朝夕(テウセキ)に飽(アク)まで食(シヨク)するにつけても、まづ  皇神(スメカミ)たちのありがたき御恩頼(ゴオンライ)をおもひ奉るべきことなるに、そのわきまへだになくて過(スグ)すは、いとも/\物体(モツタイ)なきことなり、さて又本朝(ホンテウ)の  皇統(クワウトウ)は、すなはち此世を照しまします、 天照大御神の御末(ミスヱ)にまし/\て、かの天壌無窮(テンジヤウブキウ)の  神勅(シンチヨク)の如く、万々歳(マン/\ザイ)の末の世までも、動(ウゴ)かせたまふことなく、天地のあらんかぎり伝はらせ給ふ御事、まづ道の大本(タイホン)なる此一事、かくのごとく、かの  神勅(シンチヨク)のしるし有て、現(ゲン)に違(タガ)はせ給はざるを以て、神代の古伝説の虚偽(キヨギ)ならざることをも知べく、異国(イコク)の及(オヨ)ぶところにあらざることをもしるべく、格別(カクベツ)の子細(シサイ)と申すことをも知べきなり、異国(イコク)には、さばかりかしこげに其道々(ミチ/\)を説(トキ)て、おの/\我(ワレ)ひとり尊(タフト)き国のやうに申せども、其根本(コンホン)なる王統(ワウトウ)つゞかず、しば/\かはりて、甚(ハナハダ)みだりなるを以て、万事いふところみな虚妄(キヨマウ)にして、実(ジツ)ならざることをおしはかるべきなり、さてかくのごとく本朝(ホンテウ)は、天照大御神の御本国(ゴホンゴク)、その  皇統(クワウトウ)のしろしめす御国(ミクニ)にして、万国の元本(ゲンホン)大宗(タイソウ)たる御国(ミクニ)なれば、万国共(トモ)に、この御国(ミクニ)を尊(タフト)み戴(イタヾ)き臣服(シンフク)して、四海の内みな、此まことの道に依(ヨ)り遵(シタガ)はではかなはぬことわりなるに、今に至(イタ)るまで外国(グワイコク)には、すべて上件(カミクダン)の子細(シサイ)どもをしることなく、たゞなほざりに海外(カイグワイ)の一小嶋(イツセウタウ)とのみ心得、勿論(モチロン)まことの道の此皇国(ミクニ)にあることをば夢にもしらで、妄説(ミダリゴト)をのみいひ居(ヲ)るは、又いとあさましき事、これひとへに神代の古伝説なきがゆゑなり、さて外国(グワイコク)には、古伝説なければ、此子細(シサイ)どもをしらざるも、せんかたなきを、本朝(ホンテウ)には、明白(メイハク)に正(タヾ)しき伝説の有ながら、世の人これを知ることあたはず、たゞかの異国(イコク)の妄説(マウセツ)をのみ信(シン)じ、其説に泥(ナヅ)み溺(オボ)れて、返(カヘツ)てよしなき西戎(セイジユウ)の国を尊(タフト)み仰(アフ)ぐは、いよ/\あさましき事ならずや、たとひまさりたりとも、よしなき他国(タコク)の説(セツ)を用ひんよりは、己(オノ)が本国(ホンゴク)の伝説にしたがひよらんこそ、順道(ジユンダウ)なるべきに、まして異国(イコク)の説(セツ)はみな虚妄(キヨマウ)にして、本朝(ホンテウ)の伝へは実(ジツ)なるをや、然れども異国風(イコクフウ)のなまさかしき見識(ケンシキ)の、千有余年(センイウヨネン)心の底(ソコ)に染著(シミツキ)て、其他(ソノタ)を思はざる世の人なれば、今かやうに申しても、誰(タレ)も早速(サツソク)にはえ信(シン)ずまじき事なれども、惣じて異国風(イコクフウ)のこざかしき料簡(レウケン)は、よくおもへば、返(カヘツ)て愚(オロカ)なることぞ、今(イマ)一段(イチダン)高き所を考へて、まことの理は、思慮(シリヨ)の及びがたきことにして、人の思ひ測(ハカ)るところとは、大に相違(サウヰ)せる事のあるものぞといふことを、よくさとるべきなり、又かの異国人(イコクジン)の思へるごとく、本朝(ホンテウ)の人も、此御国(ミクニ)をば、たゞ小国(セウコク)のやうにのみ心得居るに付(ツキ)ては、天地の間(アヒダ)にゆきわたりたるまことの道の、かゝる小国(セウコク)にのみ伝はらんことはいかゞと、疑(ウタガ)ふ人も有べきなれども、これ又なまさかしき一往(イチワウ)の料簡(レウケン)にして、深く考へざるものなり、惣じて物の尊卑(ソンヒ)美悪(ビアク)は、その形(カタチ)の大小によるものにあらざれば、国も、いかほど広(ヒロ)くても、卑(イヤシ)く悪(アシ)き国あり、狭(セバ)くても尊(タツト)く美(ウルハ)しき国あり、其内に、むかしより外国(グワイコク)共のやうを考ふるに、広(ヒロ)き国は、大抵(タイテイ)人民(ニンミン)も多(オホ)くて強(ツヨ)く、狭(セバ)き国は、人民(ニンミン)すくなくて弱(ヨワ)ければ、勢(イキホヒ)におされて、狭(セバ)き国は、広(ヒロ)き国に従(シタガ)ひつくから、おのづから広(ヒロ)きは尊(タツト)く、狭(セバ)きは卑(イヤシ)きやうなれども、実(マコト)の尊卑(ソンヒ)美悪(ビアク)は、広狭(クワウケフ)にはよらざることなり、そのうへすべて外国(グワイコク)は、土地(トチ)は広大(クワウダイ)にても、いづれも其広大(クワウダイ)なるに応(オウ)じては、田地(デンチ)人民(ニンミン)はなはだ稀少(キセウ)なり、唐土(タウド)などは、諸(モロ/\)戎(カラ)の中にては、よき国と聞えたれども、それすら皇国(クワウコク)にくらぶれば、なほ田地人民は、はなはだ少(スクナ)くまばらにして、たゞいたづらに土地の広(ヒロ)きのみなり、これは彼国の書どもに、代々(ダイ/\)の惣口數(ソウヒトカズ)戸数(カマドカズ)を挙(アゲ)たると、本朝の戸数口数とをくらべ見て、よくしらるゝことなり、又今現在(イマゲンザイ)に本朝の国々にて、同じ一国の内にても、土地(トチ)は広(ヒロ)くて、人民物成(モノナリ)のすくなき所あり、狭(セバ)くて人民物成は多き所もあるを以て、惣体土地の広狭(クワウケフ)にはかゝはるべからざることをさとるべし、古大国上国中国下国、大郡上郡中郡下郡小郡と分定(ワケサダ)められしも、必しも土地の大小にはかゝはらざりし事ぞかし、然るにむかしより世の人、此わきまへなくして、たゞ土地の広狭(クワウケフ)を以て、其国の大小を定(サダ)むるは、あたらざることなり、皇国(ミクニ)は古よりして、田地人民の甚多く稠密(テウミツ)なること、さらに異国(イクニ)には類(タグヒ)なければ、此人数物成を以て量(ハカ)るときは、甚大国にして、殊(コト)に豊饒(ホウゼウ)殷富(インフ)勇武(ユウブ)強盛(キヤウセイ)なること、何(イヅ)れの国かはよく及ぶ者あらん、これ又格別(カクベツ)の子細(シサイ)にして、何事も神代より  皇神(スメカミ)たちの、かくのごとく尊卑(ソンヒ)勝劣(シヨウレツ)をたておかせ給へるものなり、然るに近世(キンセイ)儒者(ジユシヤ)など、ひたすら唐土(タウド)をほめ尊(タフト)みて、何事もみな彼国をのみ勝(スグ)れたるやうにいひなし、物体(モツタイ)なくも皇国(クワウコク)をば看下(ミクダ)すを、見識(ケンシキ)の高きにして、ことさらに漫(ミダリ)に賤(イヤ)しめ貶(オト)さんとして、或は本朝は古(へ)に道なしといひ、惣じて文華(ブンクワ)の開(ヒラ)けたることも、唐土(タウド)よりはるかに遅(オソ)しといひ、或は本朝の古書(コシヨ)は、古事記日本紀といへども、唐土(タウド)の古書にくらぶれば、遥(ハルカ)に後世(コウセイ)の作(サク)なりといひて、古伝説を破(ヤブ)り、或は日本紀の文(ブン)を見て、上古の事はみな、後(ノチ)の造(ツク)りことぞといひおとすたぐひ、これらは皆例(レイ)のなまさかしき、うはべの一(ヒト)わたりの諭(ロン)にして、精(クハシ)く思はざるものなり、そのうへ唐土(タウド)の書にのみ泥(ナヅ)み惑(マド)ひて、他あることをしらざるものなれば、返(カヘツ)て見識(ケンシキ)もいと小(チヒサ)く卑(ヒキ)きことならずや、又かやうに他国を内にして、吾(カ)本国を外にするは、己(オノ)がよる所の孔子(コウシ)の意にも、いたく背(ソム)けるものなり、すべて右の諭(ロン)どもの、当(アタ)らざることをいはゞ、まづ皇国(ミクニ)の古は道なしといふは、此方(コノハウ)にまことの勝(スグ)れたる道のあることをしらずして、たゞ唐戎(タウジユウ)の道をのみ道と心得たるひがことなり、かの唐戎(タウジユウ)の道などは、末々の枝道(エダミチ)なれば、ともあれかくもあれ、それにかゝはるべきことにあらず、又文華(ブンクワ)早く開(ヒラ)けたりとて、唐土(タウド)を勝(スグ)れたりと思ふも、ひがことなり、早(ハヤ)く文華(ブンクワ)の開(ヒラ)けたるやうなるは、万の事の早(ハヤ)く変化(ヘンクワ)したるにて、これ彼国の風俗(フウゾク)の悪(アシ)く軽薄(ケイハク)なるが故なり、いかにといふに、かの唐戎(タウジユウ)は、上古より人心(ヒトゴヽロ)なまさかしくして、物事(モノゴト)旧(フル)きによることを尚(タツト)ばず、ひたもの己(オノ)が思慮(シリヨ)工夫(クフウ)を以て、改(アラタ)め変(カフ)るをよき事にせる国俗(コクゾク)なる故に、おのづから世中の模様(モヤウ)は、世々(ヨヽ)に速(スミヤカ)に移りかはりしなり、然るに皇国(ミクニ)は、正直(セイチヨク)重厚(チヨウコウ)なる風儀(フウギ)にて、何事もたゞ古(フル)き跡(アト)により守(マモ)りて、軽々(カロ/゛\)しく私智(シチ)を以て改(アラタ)むる事はせざりし故に、世中の模様(モヤウ)のよゝにうつり変(カハ)ることも、おのづから速(スミヤカ)にはあらざりしなり、此重厚(チヨウコウ)の風儀(フウギ)は、今もなほ遺(ノコ)れることぞかし、猶((なほ))此変化(ヘンクワ)の遅速(チソク)の勝劣(シヨウレツ)をいはゞ、牛馬(ギウバ)鶏犬(ケイケン)などのたぐひは、生(ウマ)れてより成長(セイチヤウ)すること甚(ハナハダ)速(スミヤカ)なるを、人はこれらに比(クラ)ぶれば、成長(セイチヤウ)する事甚(ハナハダ)遅(オソ)し、これらを以て准(ナゾラ)へ見るに、勝(マサ)れる物、変化(ヘンクワ)すること遅(オソ)き道理も有べし、又かの成長(セイチヤウ)することの速(スミヤカ)なる鳥獣(テウジウ)などは、命(イノチ)短(ミジカ)く、人は遅(オソ)くて、命(イノチ)長(ナガ)きを以見れば、世中の模様(モヤウ)の、うつりかはれること早(ハヤ)き処(トコロ)は、其国の命(イノチ)短(ミジカ)く、うつりかはることの遅(オソ)き国は、存(ソン)すること永久(エイキウ)なるべし、そのしるしは、数千万歳(スセンマンザイ)を経て後に見ゆべきなり、又古書(コシヨ)の事を、その撰出(センシユツ)の時代(ジダイ)を以て論(ロン)ずるも、うはべのことなり、其故は、右に申せる如く、唐戎(タウジユウ)はなまかさしく、私智(シチ)をふるふ国俗(コクゾク)にて、其古書も、おのおの作者(サクシヤ)の己(オノ)が心より書出(カキイダ)せる故に、その時代に応(オウ)じて、古(フル)き近(チカ)きの勝劣(シヨウレツ)あることなるが、皇国(ミクニ)の古は、重厚(チヨウコウ)なる風儀(フウギ)にて、すべての事に、己(オノ)がさかしらを用ひず、かろ/゛\しく旧(フル)きを改(アラタ)むることなどはせざりしかば、古伝(コデン)の説(セツ)も、たゞ神代より語(カタ)り伝へのまゝにて、伝はり来(キタ)りしを、其古伝説のまゝに記(シル)されたる、古事記日本紀なれば、かの軽薄(ケイハク)なる唐戎(タウジユウ)のあらはせる書どもと同じなみに、時代を以て論(ロン)ずべきにあらず、撰録(センロク)の時代こそ後なれ、其伝説の趣は、神代のまゝなれば、唐国(タウロク)の古書どもよりは、返(カヘツ)てはるかに古(フル)き事なるをや、但し日本紀は、唐土(タウド)の書籍(シヨジヤク)の体(テイ)をうらやみて、漢文(カンブン)を餝(カザ)られたる書なれば、その文(ブン)によりて解(ゲ)するときは、疑(ウタガ)はしき事おほかるべし、されば日本紀を見るには、文(ブン)にはかゝはらず、古事記とくらべ見て、その古伝の趣をしるべきなり、大かた右の子細(シサイ)どもをよくわきまへて、すべて儒者(ジユシヤ)どものなまさかしき論(ロン)には、惑(マド)はさるまじきことになん、さて世中にあらゆる、大小のもろ/\の事は、天地の間(アヒダ)におのづからあることも、人の身のうへのことも、なすわざも、皆こと/゛\く神の御霊(ミタマ)によりて、神の御はからひなるが、惣じて神には、尊卑(ソンヒ)善悪(ゼンアク)邪正(ジヤシヤウ)さま/゛\ある故に、世中の事も、吉事(キチジ)善事(ゼンジ)のみにはあらず、悪事(アクジ)凶事(キヨウジ)もまじりて、国の乱(ラン)などもをり/\は起(オコ)り、世のため人のためにあしき事なども行(オコナ)はれ、又人の禍福(クワフク)などの、正(タヾ)しく道理にあたらざることも多き、これらはみな悪(アシ)き神の所為(シヨヰ)なり、悪神(アシキカミ)と申すは、かの伊邪那岐大御神(イザナギノオホミカミ)の御禊(ミミソギ)の時、予美国(ヨミノクニ)の穢(ケガレ)より成出(ナリイデ)たまへる、禍津日(マガツビノ)神と申す神の御霊(ミタマ)によりて、諸(モロ/\)の邪(ヨコサマ)なる事悪(アシ)き事を行(オコナ)ふ神たちにして、さやうの神の盛(サカリ)に荒(アラ)び給ふ時には、皇神(スメカミ)たちの御守護(オンマモ)り御力(オンチカラ)にも及ばせ給はぬ事もあるは、これ神代よりの趣なり、さて正(タヾ)しき事善事(ヨキコト)のみはあらずして、かやうに邪(ヨコサマ)なる事悪(アシ)き事も必まじるは、これ又然るべき根本(コンホン)の道理あり、これらの趣も皆、神代より定まりて、其事古事記日本紀に見えたり、その委(クハシ)き子細(シサイ)どもは、古事記伝に申し侍(ハベ)り、事(コト)長(ナガ)ければ、こゝにはつくしがたし、さて予美国(ヨミノクニ)の穢(ケガレ)といふに付て、一二申すべきことあり、まづ予美(ヨミ)と申すは、地下(チカ)の根底(コンテイ)に在て、根国(ネノクニ)底国(ソコノクニ)とも申して、甚きたなく悪(アシ)き国にて、死せる人の罷徃(マカリユク)ところなり、其始(メ)  伊邪那美尊(イザナミノコト)かくれさせ給ひて、此予美(ヨミノ)国に往(ユカ)せたまひしが、黄泉戸喫(ヨモツヘグヒ)とて、其国の炊爨(スヰサン)の物を食(シヨク)し給ひし穢(ケガレ)によりて、永(ナガ)く此顯国(コノウツシクニ)にかへらせたまふことかなはず、此穢(ケガレ)によりて、つひに凶悪(キヨウアク)の神となり給ひて、その穢(ケガレ)より、かの禍津日(マガツビノ)神は成出(ナリイデ)給へれば、此道理をよく思ひて、世に大切(タイセツ)に忌愼(イミツヽシ)むべきは、物の穢(ケガレ)なり、さて世の人は、貴(タツト)きも賤(イヤシ)きも善(ヨキ)も悪(アシ)きも、みな悉(コト/゛\)く、死すれば、必かの予美(ヨミノ)国にゆかざることを得ず、いと悲(カナ)しき事にてぞ侍(ハベ)る、かやうに申せば、たゞいと浅(アサ)はかにして、何(ナニ)の道理もなきことのやうには聞ゆれども、これぞ神代のまことの伝説(デンセツ)にして、妙理(メウリ)の然らしむるところなれば、なまじひの凡智(ボンチ)を以て、とやかくやと思議(シギ)すべき事にあらず、然るを異国(イコク)には、さま/゛\の道を作(ツク)りて、人の生死(シヤウジ)の道理をも、甚おもしろくかしこげに説(トク)ことなれども、それは或は人智(ジンチ)のおしはかりの理屈(リクツ)を以ていひ、或は世の人の尤(モツトモ)と信(シン)ずべきやうに、都合(ツガフ)よく造(ツク)りたる物にして、いづれも面白(オモシロク)くは聞ゆれども、皆虚妄(キヨマウ)にして、実(ジツ)にあらず、惣じて人のかしこく造(ツク)りたる説(セツ)は、尤(モツトモ)なるやうに聞え、まことの伝へは、返(カヘツ)て浅々(アサ/\)しく、おろかなることのやうに聞ゆる物なれども、人の智慧(チヱ)は限(カギリ)ありて、得(ヱ)測(ハカ)りしらぬところ多ければ、すべてその浅(アサ)はかに愚(オロカ)に聞ゆる事に、返(カヘツ)て限(カギリ)なく深き妙理(メウリ)はあることなるを、及ばぬ凡智(ボンチ)を以てこれを疑(ウタガ)ひ、かの造(ツク)りことの、尤(モツトモ)らしく聞ゆる方を信(シン)ずるは、己(オノ)が心を信(シン)ずるといふものにて、返(カヘツ)ていと愚(オロカ)なることなり、さて死すれば、妻子(サイシ)眷属(ケンゾク)朋友(ホウイウ)家財(カザイ)万事(バンジ)をもふりすて、馴(ナレ)たる此世を永(ナガ)く別れ去(サリ)て、ふたゝび還来(カヘリキタ)ることあたはず、かならずかの穢(キタナ)き予美(ヨミノ)国に往(ユク)ことなれば、世の中に、死ぬるほどかなしき事はなきものなるに、かの異国(イコク)の道々には、或はこれを深く哀(カナシ)むまじき道理を説(ト)き、或は此世にてのしわざの善悪(ゼンアク)、心法(シンボフ)のとりさばきによりて、死して後になりゆく様(ヤウ)をも、いろ/\と広(ヒロ)く委(クハシ)く説(トキ)たる故に、世人みなこれらに惑(マド)ひて、其説(ソノセツ)共を尤(モツトモ)なる事に思ひ、信仰(シンカウ)して、死を深く哀(カナシ)むをば、愚(オロカ)なる心の迷(マヨ)ひのやうに心得るから、これを愧(ハヂ)て、強(シヒ)て迷(マヨ)はぬふり、悲(カナシ)まぬ体(テイ)を見せ、或は辞世(ジセイ)などいひて、ことごとしく悟(サト)りきはめたるさまの詞(コトバ)を遺(ノコ)しなどするは、皆これ大きなる偽(イツハリ)のつくり言(コト)にして、人情(ニンジヤウ)に背(ソム)き、まことの道理にかなはぬことなり、すべて喜(ヨロコ)ぶべき事をも、さのみ喜(ヨロコ)ばず、哀(カナシ)むべきことをも、さのみ哀(カナシ)まず、驚(オドロ)くべき事にも驚(オドロ)かず、とかく物に動(ドウ)ぜぬを、よき事にして尚(タツト)ぶは、みな異国風(イコクフウ)の虚偽(イツハリカザリ)にして、人の実情(ジツジヤウ)にはあらず、いとうるさきことなり、中にも死は、殊(コト)に哀(カナ)しからではかなはぬ事にして、国土万物を成立(ナシタテ)、世中の道を始めたまひし、  伊邪那岐大御神(イザナギノオホミカミ)すら、かの 女神(メガミ)のかくれさせ給ひし時は、ひたすら小児(セウニ)のごとくに、泣悲(ナキカナシ)みこがれ給ひて、かの予美(ヨミノ)国まで、慕(シタ)ひゆかせたまひしにあらずや、これぞ真実(シンジツ)の性情(セイジヤウ)にして、世人も、かならず左様(サヤウ)になくてはかなはぬ道理なり、それ故に、上古いまだ異国(イコク)の説(セツ)の雑(マジ)らざりし以前(イゼン)、人の心直(ナホ)かりし時には、死して後になりゆくべき理屈(クツ)などを、とやかくやと工夫(クフウ)するやうの、無益(ムヤク)のこざかしき料簡(レウケン)はなくして、たゞ死ぬれば予美(ヨミノ)国にゆくことゝ、道理のまゝに心得居て、泣悲(ナキカナシ)むよりほかはなかりしぞかし、抑これらは、国政(コクセイ)などには要(エウ)なき申し事なれども、 皇神(スメカミ)の道と異国(イコク)の道との、真偽(シンギ)の心得にはなり侍(ハベ)るべき事なり、さてかの世中にあしき事よこさまなる事もあるは、みな悪(アシ)き神の所為(シヨヰ)なりといふことを、外国(グワイコク)にはえしらずして、人の禍福(クワフク)などの、道理にあたらぬ事あるをも、或はみな因果報応(イングワハウオウ)と説(ト)きなし、あるひはこれを天命(テンメイ)天道(テンタウ)といひてすますなり、しかれども因果報応(イングワハウオウ)の説(セツ)は、上に申せるごとく、都合(ツガフ)よきやうに作(ツク)りたる物なれば、論(ロン)ずるに及ばず、また天命(テンメイ)天道(テンタウ)といふは、唐土(タウド)の上古に、かの湯武(タウブ)などの類(タグヒ)なる者の、君(キミ)を滅(ホロボ)して其国を奪取(ウバヒト)る、大逆(ダイギヤク)の罪(ツミ)のいひのがれと、道理のすまざる事を、強(シヒ)てすましおかんためとの、託言(タクゲン)なりと知(シル)べし、もし実(ジツ)に天(テン)の命(メイ)天(テン)の道(ミチ)ならば、何事もみな、かならず正(タヾ)しく道理のまゝにこそ有べきに、道理にあたらざる事おほきは、いかにぞや、畢竟(ヒツキヤウ)これらもみな、神代のまことの古伝説なきが故に、さま/゛\とよきやうに造(ツク)りまうけたる物なり、さて右のごとく、善神(ヨキカミ)悪神(アシキカミ)、こも/゛\事を行(オコナ)ひ給ふ故に、世々(ヨヽ)を経(フ)るあひだには、善悪(ゼンアク)邪正(ジヤシヤウ)さま/゛\の事ども有て、或は  天照大御神(アマテラスオホミカミ)の  皇統(クワウトウ)にまします  朝廷(テウテイ)をしも、ないがしろにし奉りて、姦曲(カンキヨク)をほしいまゝにし、武威(ブヰ)をふるへる、北条(ホウデウ)足利(アシカヾ)のごとき逆臣(ギヤクシン)もいでき、さやうの者にも、天下の人のなびきしたがひ、朝廷(テウテイ)大に衰(オトロ)へさせたまひて、世中の乱(ミダ)れし時などもなきにあらざれども、然れども悪(アク)はつひに善(ゼン)に勝(カツ)ことあたはざる、神代の道理、又かの  神勅(シンチヨク)の大本(タイホン)動(ウゴ)くべからざるが故に、さやうの逆臣(ギヤクシン)の家は、つひにみな滅(ホロ)び亡(ウセ)て、跡(アト)なくなりて、天下は又しも、めでたく治平(チヘイ)の御代に立かへり、 朝廷(テウテイ)は厳然(ゲンゼン)として、動(ウゴ)かせたまふことなし、これ豈(アニ)人力(ジンリヨク)のよくすべきところならんや、又外国(グワイコク)のよく及ぶところならんや、さて右のごとく、中ごろ  朝廷(テウテイ)の大に衰(オトロ)へさせ給へること有しは、天下の乱(ミダレ)によりての事とおもふは、普通(フツウ)の料簡(レウケン)なれども、実(ジツ)はこれ  朝廷(テウテイ)の衰(オトロ)へさせ給ふによりて、天下は大に乱(ミダ)れて、万の事もおとろへ廃(スタ)れしなり、此道理をよく思はずはあるべからず、そも/\かの足利家(アシカヾケ)の末(スヱ)つかたの世は、前代未曾有(ゼンダイミゾウウ)の有さまにて、天下は常闇(トコヤミ)に異(コト)ならず、万(ツ)の事、此時に至て、こと/゛\く衰敗(スヰハイ)して、まことに壊乱(クワイラン)の至極(シゴク)なりき、然るところに、織田(オダ)豊臣(トヨトミ)の二将(ニシヤウ)出(イデ)たまひて、乱逆(ランゲキ)をしづめ、  朝廷(テウテイ)を以直(モテナホ)し奉り、尊敬(ソンキヤウ)し奉り給ひて、世中やうやう治平(チヘイ)におもむきしが、其後つひに又、今のごとくに天下よく治(ヲサ)まりて、古にもたぐひまれなるまで、めでたき御代に立かへり、栄(サカ)ゆることは、ひとへにこれ  東照神御祖命(アヅマテルカムミオヤノミコト)の御勲功(ゴクンコウ)御盛徳(ゴセイトク)によれる物にして、その御勲功(ゴクンコウ)御盛徳(ゴセイトク)と申すは、まづ第一に  朝廷(テウテイ)のいたく衰(オトロ)へさせ給へるを、かの二将(ニシヤウ)の跡(アト)によりて、猶次第(シダイ)に再興(サイコウ)し奉らせ給ひ、いよ/\ます/\御崇敬(ゴソウキヤウ)厚(アツ)くして、つぎ/\に諸士(シヨシ)万民(バンミン)を撫治(ナデヲサ)めさせたまへる、これなり、此御盛業(ゴセイゲフ)、自然(シゼン)とまことの道にかなはせ給ひ、 天照大御神の大御心(オホミコヽロ)にかなはせたまひて、天神(アマツカミ)地祇(クニツカミ)も、御加護(カゴ)厚(アツ)きが故に、かくのごとく御代はめでたく治(ヲサ)まれるなり、かやうに申奉るは、たゞ時世(ジセイ)にへつらひて、仮令(ケリヤウ)に申奉るにはあらず、現(ゲン)に御武運(ゴブウン)隆盛(リウセイ)にして、天下久しく太平(タイヘイ)なることは、申すに及ばず、又前代(ゼンダイ)にはいまだ嘗(カツ)てあらざりし、めでたき事どもゝ、数々(カズ/\)此御代より起(オコ)れるなど、彼此(カレコレ)を以て、その然ることをしればなり、惣じて武将(ブシヤウ)の御政(マツリゴト)は、かの北条(ホウデウ)足利(アシカヾ)などの如くに、大本(タイホン)の  朝廷(テウテイ)を重(オモ)んじ奉ることの闕(カケ)ては、たとひいかほどに仁徳(ジントク)を施(ホドコ)し、諸士(シヨシ)をよくなつけ、万民(バンミン)をよく撫(ナデ)給ひても、みなこれ私(ワタクシ)のための智術(チジユツ)にして、道にかなはず、これ  本朝(ホンテウ)は、異国(イコク)とは、その根本(コンホン)の大に異(コト)なるところなり、その子細(シサイ)は、外国(グワイコク)は、永(ナガ)く定(サダ)まれるまことの君(キミ)なければ、たゞ時々(トキ/\)に、世人をよくなびかせしたがへたる者、誰(タレ)にても王(ワウ)となる国俗(コクゾク)なる故に、その道と立(タツ)るところの趣も、その国俗(コクゾク)によりて立(タテ)たる物にて、君(キミ)を殺(コロ)して国を簒(ウバ)へる賊(ゾク)をさへ、道にかなへる聖人(セイジン)と仰(アフ)ぐなり、然るに皇国(ミクニ)の朝廷(テウテイ)は、天地の限をとこしなへに照しまします、 天照大御神の御皇統(ゴクワウトウ)にして、すなはちその  大御神の神勅(シンチヨク)によりて、定(サダ)まらせたまへるところなれば、万々代(マン/\ダイ)の末の世といへども、日月の天にましますかぎり、天地のかはらざるかぎりは、いづくまでもこれを大君主(ダイクンシユ)と戴(イタヾ)き奉りて、畏(カシコ)み敬(ウヤマ)ひ奉らでは、天照大御神の大御心(オホミコヽロ)にかなひがたく、この  大御神の大御心に背(ソム)き奉りては、一日片時(イチニチヘンジ)も立(タツ)ことあたはざればなり、然るに中ごろ、此道にそむきて、朝廷(テウテイ)を軽(カロ)しめ奉りし者も、しばらくは子孫(シソン)まで栄(サカ)えおごりしこともありしは、たゞかの禍津日(マガツビノ)神の禍事(マガコト)にこそ有けれ、いかでか是を正(タヾ)しき規範(キハン)とはすべき、然るを世人は、此大本(タイホン)の道理、まことの道の旨(ムネ)をしらずして、儒者(ジユシヤ)など小智(セウチ)をふるひて、みだりに世々(ヨヽ)の得失(トクシツ)を議(ギ)し、すべてたゞ異国(イコク)の悪風俗(アクフウゾク)の道の趣を規矩(キク)として、或はかの逆臣(ギヤクシン)たりし北条(ホウデウ)が政(マツリゴト)などをしも、正道なるやうに論(ロン)ずるなどは、みな根本(コンホン)の所たがひたれば、いかほど正論(シヤウロン)の如く聞えても、畢竟(ヒツキヤウ)まことの道にはかなはざることなり、下々(シモジモ)の者は、たとひ此大本(タイホン)を取違(トリチガ)へても、其身一分(イチブン)ぎりの失(シツ)なるを、かりにも一国一郡をも領(リヤウ)じたまふ君(キミ)、又その国政(コクセイ)を執(トラ)ん人などは、道の大本(タイホン)をよく心得居給はではかなはぬことなり、されば末々の細事(サイジ)のためにこそ、唐土(タウド)の書をも随分(ズヰブン)に学(マナ)びて、便(ベン)によりて其かたをもまじへ用ひ給はめ、道の大本(ダイホン)の所に至ては、上件(カミクダン)のおもむきを、常々(ツネヅネ)よく執(トラ)へ持(モチ)て、これを失(ウシナ)ひ給ふまじき御事なり、惣じて国の治(ヲサ)まると乱(ミダ)るゝとは、下(シモ)の上(カミ)を敬(ウヤマ)ひ畏(オソ)るゝと、然らざるとにあることにて、上(カミ)たる人、其上(カミ)を厚(アツ)く敬(ウヤマ)ひ畏(オソ)れ給へば、下(シモ)たる者も、又つぎ/\に其上(カミ)たる人を、厚(アツ)く敬(ウヤマ)ひ畏(オソ)れて、国はおのづからよく治(ヲサ)まることなり、さて今の御代(ミヨ)と申すは、まづ  天照大御神(アマテラスオホミカミ)の御はからひ、朝廷(テウテイ)の御任(ミヨサシ)によりて、 東照神御祖命(アヅマテルカムミオヤノミコト)より御つぎ/\、大将軍家(ダイシヤウグンケ)の、天下の御政(ミマツリゴト)をば、敷行(シキオコナ)はせ給ふ御世にして、その御政を、又一国一郡と分(ワケ)て、御大名(ダイミヤウ)たち各(オノ/\)これを預(アヅ)かり行(オコナ)ひたまふ御事なれば、其御領内(ゴリヤウナイ)+の民(タミ)も、全(マツタ)く私(ワタクシ)の民(タミ)にはあらず、国も私の国にはあらず、天下の民(タミ)は、みな当時(タウジ)これを、東照神御祖命(アヅマテルカムミオヤノミコト)御代々の  大将軍家(ダイシヤウグンケ)へ、 天照大御神の預(アヅ)けさせ給へる御民(オンタミ)なり、国も又  天照大御神の預(アヅ)けさせたまへる御国(オンクニ)なり、然ればかの  神御祖命(カムミオヤノミコト)の御定(オンサダ)め、御代々の大将軍家の御掟(オンオキテ)は、すなはちこれ  天照大御神の御定(オンサダメ)御掟(オンオキテ)なれば、殊に大切(タイセツ)に思召て、此御定御掟を、背(ソム)かじ頽(クヅ)さじとよく守(マモ)りたまひ、又其国々の政事(セイジ)は、 天照大御神より、次第に預(アヅ)かりたまへる国政(コクセイ)なれば、随分(ズヰブン)大切に執行(トリオコナ)ひ給ふべく、民(タミ)は  天照大御神より、預(アヅ)かり奉れる御民(オンタミ)ぞといふことを、忘(ワス)れたまはずして、これ又殊に大切(タイセツ)におぼしめして、はぐゝみ撫(ナデ)給ふべき事、御大名(ダイミヤウ)の肝要(カンエウ)なれば、下々(シモジモ)の事執行(トリオコナ)ふ人々にも、此旨(コノムネ)をよく示しおき給ひて、心得違(コヽロエタガ)へなきやうに、常々(ツネヅネ)御心を付らるべき御事なり、さて又上に申せるごとく、世中のありさまは、万事みな善悪(ゼンアク)の神の御所為(シヨヰ)なれば、よくなるもあしくなるも、極意(ゴクイ)のところは、人力(ジンリヨク)の及ぶことに非(アラ)ず、神の御はからひのごとくにならでは、なりゆかぬ物なれば、此根本(コンホン)のところをよく心得居給ひて、たとひ少々(セウ/\)国(クニ)のためにあしきことゝても、有来(アリキタ)りて改(アラタ)めがたからん事をば、俄(ニハカ)にこれを除(ノゾ)き改(アラタ)めんとはしたまふまじきなり、改(アラタ)めがたきを、強(シヒ)て急(キフ)に直(ナホ)さんとすれば、神の御所為(シヨヰ)に逆(サカ)ひて、返(カヘツ)て為損(シソン)ずる事もある物ぞかし、すべて世には、悪事(アクジ)凶事(キヨウジ)も、必まじらではえあらぬ、神代の深き道理あることなれば、とにかくに、十分(ジフブン)善事(ゼンジ)吉事(キチジ)ばかりの世中になす事は、かなひがたきわざと知べし、然るを儒(ジユ)の道などは、隅(スミ)から隅(スミ)まで掃清(ハキキヨ)めたるごとくに、世中を善事(ゼンジ)ばかりになさんとする教(ヲシヘ)にて、とてもかなはぬ強事(シヒゴト)なり、さればこそかの聖人(セイジン)といはれし人々の世とても、其国中(ソノコクチウ)に、絶(タエ)て悪事(アクジ)凶事(キヨウジ)なきことは、あたはざりしにあらずや、又人の智慧(チヱ)は、いかほどかしこくても限(カギリ)ありて、測(ハカ)り識(シリ)がたきところは、測(ハカ)り識(シル)ことあたはざるものなれば、善(ヨ)しと思ひて為ることも、実(ジツ)には悪(アシ)く、悪(ア)しゝと思ひて禁(キン)ずる事も、実(ジツ)には然らず、或は今善(ヨ)き事も、ゆく/\のためにあしく、今悪(アシ)き事も、後のために善(ヨ)き道理などもあるを、人はえしらぬことも有て、すべての人の料簡(レウケン)にはおよびがたき事おほければ、とにかくに世中の事は、神の御はからひならでは、かなはぬものなり、然らば何事もたゞ、神の御はからひにうちまかせて、よくもあしくもなりゆくまゝに打捨(ウチステ)おきて、人はすこしもこれをいろふまじきにや、と思ふ人もあらんか、これ又大なるひがことなり、人も、人の行(オコナ)ふべきかぎりをば、行(オコナ)ふが人の道にして、そのうへに、其事の成(ナル)と成(ナラ)ざるとは、人の力(チカラ)に及ばざるところぞ、といふことを心得居て、強(シヒ)たる事をば行(オコナ)ふまじきなり、然るにその行(オコナ)ふべきたけをも行(オコナ)はずして、たゞなりゆくまゝに打捨(ウチステ)おくは、人の道にそむけり、此事は、神代に定(サダ)まりたる旨(ムネ)あり、大国主命(オホクニヌシノミコト)、此天下を  皇孫尊(スメミマノミコト)に避(サケ)奉り、 天神(アマツカミ)の勅命(チヨクメイ)に帰順(キジユン)したてまつり給(タマ)へるとき、  天照大御神(アマテラスオホミカミ)  高皇産霊大神(タカミムスビノオホカミ)の仰(オホ)せにて、御約束(オンヤクソク)の事あり、その御約束(オンヤクソク)に、今よりして、世中の顕事(アラハニゴト)は、 皇孫尊(スメミマノミコト)これを所知看(シロシメ)すべし、 大国主命(オホクニヌシノミコト)は、幽事(カミゴト)を所知(シラス)べしと有て、これ万世不易(バンセイフエキ)の御定(オンサダ)めなり、幽事(カミゴト)とは、天下の治乱(チラン)吉凶(キツキヨウ)、人の禍福(クワフク)など其外にも、すべて何者(ナニモノ)のすることゝ、あらはにはしれずして、冥(ミヤウ)に神のなしたまふ御所為(ミシワザ)をいひ、顕事(アラハニゴト)とは、世人の行(オコナ)ふ事業(ジゲフ)にして、いはゆる人事(ニンジ)なれば、皇孫尊(スメミマノミコト)の御上(オンウヘ)の顕事(アラハニゴト)は、即天下を治(ヲサ)めさせ給ふ御政(マツリゴト)なり、かくて此御契約(ゴケイヤク)に、天下の政(マツリゴト)も何(ナニ)も、皆たゞ幽事(カミゴト)に任(マカ)すべしとは定(サダ)め給はずして、顕事(アラハニゴト)は  皇孫尊(スメミマノミコト)しろしめすべしと有からは、その顕事(アラハニゴト)の御行(オンオコナ)ひなくてはかなはず、又  皇孫尊(スメミマノミコト)の、天下を治(ヲサ)めさせ給ふ、顕事(アラハニゴト)の御政(マツリゴト)あるからは、今時これを分預(ワケアヅ)かり給へる、一国/\の顕事(アラハニゴト)の政(マツリゴト)も、又なくてはかなふべからず、これ人もその身分(ミブン)/\に、かならず行(オコナ)ふべきほどの事をば、行(オコナ)はでかなはぬ道理の根本(コンホン)なり、さて世中の事はみな、神の御はからひによることなれば、顕事(アラハニゴト)とても、畢竟(ヒツキヤウ)は幽事(カミゴト)の外ならねども、なほ差別(シヤベツ)あることにて、其差別(シヤベツ)は譬(タト)へば、神は人にて、幽事(カミゴト)は、人のはたらくが如く、世中の人は人形(ニンギヤウ)にて、顕事(アラハニゴト)は、其人形(ニンギヤウ)の首(カシラ)手足(テアシ)など有て、はたらくが如し、かくてその人形(ニンギヤウ)の色々とはたらくも、実(ジツ)は是も人のつかふによることなれども、人形(ニンギヤウ)のはたらくところは、つかふ人とは別(ベツ)にして、その首(カシラ)手足(テアシ)など有て、それがよくはたらけばこそ、人形(ニンギヤウ)のしるしはあることなれ、首(カシラ)手足(テアシ)もなく、はたらくところなくては、何(ナニ)をか人形(ニンギヤウ)のしるしとはせん、此差別(シヤベツ)をわきまへて、顕事(アラハニゴト)のつとめも、なくてはかなはぬ事をさとるべし、さてかの  大国主命(オホクニヌシノミコト)と申すは、出雲(イヅモ)の大社(オホヤシロ)の御神にして、はじめに此天下を経営(ケイエイ)し給ひ、又八百万神(ヤホヨロヅノカミ)たちを帥(ヒキヰ)て、右の御約束(ヤクソク)のごとく、世中の幽事(カミゴト)を掌(ツカサド)り行(オコナ)ひ給ふ御神にましませば、天下上下の人の、恐(オソ)れ敬(ウヤマ)ひ尊奉(ソンホウ)し奉らでかなはぬ御神ぞかし、惣じて世中の事は、神の御霊(ミタマ)にあらではかなはぬ物なれば、明(アケ)くれ其御徳(メグミ)をわすれず、天下国家(コクカ)のためにも、面々(メン/\)の身のためにも、もろ/\の神を祭(マツ)るは、肝要(カンエウ)のわざなり、善神(ヨキカミ)を祭(マツ)りて福(サイハヒ)を祈(イノ)るは、もとよりのこと、又禍(ワザハヒ)をまぬかれんために、荒(アラ)ぶる神をまつり和(ナゴ)すも、古の道なり、然るを人の吉凶(キツキヨウ)禍福(クワフク)は、面々(メン/\)の心の邪正(ジヤシヤウ)、行(オコナ)ひの善悪(ゼンアク)によることなるを、神に祈(イノ)るは愚(オロカ)なり、神何(ナン)ぞこれをきかんとやうにいふは、儒者(ジユシヤ)の常(ツネ)の論(ロン)なれども、かやうに己(オノ)が理屈(リクツ)をのみたてゝ、神事(ジンジ)をおろそかにするは、例(レイ)のなまさかしき唐戎(タウジユウ)の見識(ケンシキ)にして、これ神には邪神(ジヤジン)も有て、よこさまなる禍(ワザハヒ)のある道理を知らざる故のひがことなり、さてかの顕事(アラハニゴト)の国政(コクセイ)の行(オコナ)ひかた、并(ナラビ)に惣体(ソウタイ)の人の行(オコナ)ふべき事業(ジゲフ)は、いかやうなるが、まことの道にかなふべきぞといふに、まづ上古に、 天皇(テンワウ)の天下を治(ヲサ)めさせ給ひし御行(オコナ)ひかたは、古語(コヾ)にも、神随(カムナガラ)天下(アメノシタ)しろしめすと申して、たゞ  天照大御神の大御心を大御心として、万事、神代に定(サダ)まれる跡(アト)のまゝに行(オコナ)はせ給ひ、其中に、御心にて定(サダ)めがたき事もある時は、御卜(ミウラ)を以て、神の御心を問(トヒ)うかゞひて行(オコナ)はせ給ひ、惣じて何事にも大かた、御自分(ゴジブン)の御かしこだての御料簡(ゴレウケン)をば用ひたまはざりし、これまことの道の、正(タヾ)しきところの御行(オコナ)ひかたなり、其時代には、臣下(シンカ)たちも下万民(シモバンミン)も、一同(イツトウ)に心直(ナホ)く正(タヾ)しかりしかば、皆  天皇(テンワウ)の御心を心として、たゞひたすらに  朝廷(テウテイ)を恐(オソ)れつゝしみ、上(カミ)の御掟(オキテ)のまゝに従(シタガ)ひ守(マモ)りて、少(スコ)しも面々(メン/\)のかしこだての料簡(レウケン)をば立(タテ)ざりし故に、上(カミ)と下(シモ)とよく和合(ワガフ)して、天下はめでたく治(ヲサ)まりしなり、然るに西戎(カラ)の道をまじへ用ひらるゝ時代に至(イタリ)ては、おのづからその理屈(リクツ)だての風俗(フウゾク)のうつりて、人々おのが私のかしこだての料簡(レウケン)いでまくるまゝに、下(シモ)も上(カミ)の御心を心とせぬやうになりて、万(ツ)の事むつかしく、次第に治(ヲサ)めにくゝなりて、後にはつひに、かの西戎(カラ)の悪風俗(アクフウゾク)にも、さのみかはらぬやうになれるなり、抑かやうに、西の方の外国(グワイコク)より、さま/゛\の事さま/゛\の物の渡(ワタ)り入来(イリキ)て、それを取(トリ)用ふるも、みな善悪(ゼンアク)の神の御はからひにて、これ又さやうになり来(キタ)るべき道理のあることなり、その子細(シサイ)を申さんには事(コト)長(ナガ)ければ、こゝにはつくしがたし、さて時代のおしうつるにしたがひて、右のごとく世中の有さまも人の心もかはりゆくは、自然(シゼン)の勢(イキホヒ)なりといふは、普通(フツウ)の論(ロン)なれども、これみな神の御所為(シワザ)にして、実は自然(シゼン)の事にはあらず、さてさやうに、世中のありさまのうつりゆくも、皆神の御所為(シワザ)なるからは、人力(ジンリヨク)の及ばざるところなれば、其中によろしからぬ事のあればとても、俄(ニハカ)に改(アラタ)め直(ナホ)すことのなりがたきすぢも多し、然るを古の道によるとして、上(カミ)の政(マツリゴト)も下々(シモ/゛\)の行(オコナ)ひも、強(シヒ)て上古のごとくに、これを立直(タテナホ)さんとするときは、神の当時(タウジ)の御はからひに逆(サカ)ひて、返(カヘツ)て道の旨(ムネ)にかなひがたし、されば今の世の国政(コクセイ)は、又今の世の模様(モヤウ)に従(シタガ)ひて、今の上(カミ)の御掟(オキテ)にそむかず、有来(キタ)りたるまゝの形(カタ)を頽(クヅ)さず、跡(アト)を守(マモ)りて執行(トリオコナ)ひたまふが、即まことの道の趣にして、とりも直(ナホ)さずこれ、かの上古の神随(カムナガラ)治(ヲサ)め給ひし旨(ムネ)にあたるなり、尤刑罰(ケイバツ)なども、ゆるさるゝたけは宥(ナダ)めゆるすが、 天照大御神の御心にして、神代に其跡(アト)あり、然れどもまた臨時(リンジ)に、止事(ヤムコト)を得ざる事あるをりの行(オコナ)ひかたは、上古にも背(ソム)く者あるときなどは、あまたの人を殺(コロ)しても、征伐(セイバツ)し給ひし如く、これ又神代の道の一端(イツタン)なれば、今とてもそれに准(ナゾラ)へて、何事によらず、其事其時の模様(モヤウ)によりて、宜(ヨロ)しき御はからひはあるべきことなり、次に下々(シモ/゛\)の惣体(ソウタイ)の人の身の行(オコナ)ひかたは、まづすべて人と申す物は、かの産霊大神(ムスビノオホカミ)の産霊(ムスビ)のみたまによりて、人のつとめおこなふべきほどの限(カギリ)は、もとより具足(グソク)して生(ウマ)れたるものなれば、面々(メン/\)のかならずつとめ行(オコナ)ふべきほどの事は、教(ヲシヘ)をまたずして、よく務(ツト)め行(オコナ)ふものなり、君(キミ)によく仕奉(ツカヘマツ)り、父母(チヽハヽ)を大切(タイセツ)にし、先祖(センゾ)を祭(マツ)り、妻子(サイシ)奴僕(ヌボク)をあはれみ、人にもよくまじはりなどするたぐひ、又面々(メン/\)の家業(カゲフ)をつとむることなど、みな是人のかならずよくせではかなはぬわざなれば、いづれも有べきかぎりは、異国(イコク)の教(ヲシヘ)などをからざれども、もとより誰(タレ)もよくわきまへしりて、よくつとめ行(オコナ)ふことなり、然れども其中には又、心あしく、右の行(オコナ)ひどもの闕(カケ)たる者も、世には有て、人のため世のために悪(アシ)きわざを、はかり行(オコナ)ふ者などもあるは、これ又悪神(アクジン)の所為(シヨキ)にして、さやうの悪(アシ)き者も、なきことあたはざるは、神代よりのことわりなり、人のみならず万(ツ)の物も、よき物ばかりはそろひがたくて、中にはあしきも必まじるものなるが、その甚悪(アシ)きをば、棄(スツ)ることもあり、また直(ナホ)しもすることなれば、人もさやうの悪(アシ)き者をば、教(ヲシ)へ直(ナホ)すも又道にして、これかの橘(タチバナ)の小門(ヲド)の御禊(ミミソギ)の道理なり、然れども大かた神は、物事(モノゴト)大(オホ)やうに、ゆるさるゝ事は、大抵(タイテイ)はゆるして、世人のゆるやかに打(ウチ)とけて楽(タノシ)むを、よろこばせたまふことなれば、さのみ悪(アシ)くもあらざる者までを、なほきびしくをしふべきことにはあらず、さやうに人の身のおこなひを、あまり瑣細(サヽイ)にたゞして、窮屈(キウクツ)にするは、  皇神(スメカミ)たちの御心にかなはぬこと故、おほく其益(エキ)はなくして、返(カヘツ)て人の心褊狭(セバ/\)しくこざかしくなりて、おほくは悪(アシ)くのみなることなり、かやうの教(ヲシヘ)の瑣細(サヽイ)なる唐戎(タウジユウ)の国などは、邪智(ジヤチ)深く姦悪(カンアク)なる者、殊(コト)に多くして、世(ヨ)々に国治(ヲサ)まりがたきを以て、その験(シルシ)を見るべし、然るに此道理をしらずして、惣体(ソウタイ)の人を、きびしくをしへたてゝ、悉(コト/゛\ク)にすぐれたる善人(ゼンニン)ばかりになさんとするは、かの唐戎風(タウジユウフウ)の強事(シヒゴト)にして、これ譬(タト)へば、一年の間(アヒダ)を、いつも三四月ごろのごとく、和暖(クワダン)にのみあらせんとするがごとし、寒暑(カンシヨ)は人も何(ナニ)もいたむものなれども、冬夏(フユナツ)の時候(ジコウ)もあるによりてこそ、万(ツ)の物は生育(セイイク)することなれ、世中もそのごとくにて、吉事(キチジ)あれば、かならず凶事(キヨウジ)もあり、また悪事(アクジ)のあるによりて、善事(ゼンジ)は生(シヤウ)ずる物なり、又昼(ヒル)あれば夜(ヨル)もあり、富(トメ)る人あれば、貧(マヅ)しき人もなくてはかなはぬ道理なり、それ故(ユヱ)上古に道の正(タヾ)しくおこなはれし時代とても、此道理のごとくにて、悪(アシ)き人も世々(ヨヽ)に有て、それはその悪(アシ)きしわざの軽重(キヤウヂユウ)にしたがひて、上(カミ)にもゆるしたまはず、人もゆるさゞりしことなり、然れ共上古は、悪(アシ)きはあしきにて、惣体(ソウタイ)の人は、心直(ナホ)く正(タヾ)しくして、たゞ上(カミ)の御掟(オキテ)を恐(オソ)れつゝしみ守(マモ)りて、身分(ミブン)のほど/\に、おこなふべきほどのわざをおこなひて、世をば渡(ワタ)りしなり、しかれば今の世とても、おなじことにて、悪(アシ)き事する者は、その軽重(キヤウヂユウ)によりて、上(カミ)よりもゆるしたまはず、世人もゆるさねば、其余(ソノヨ)は、いさゝかは道理にあはざる事などのあればとて、人をさのみ深くとがむべきにもあらず、今の世の人はたゞ、今の世の上(カミ)の御掟(オキテ)を、よくつゝしみ守(マモ)りて、己(オノ)が私のかしこだての、異(コト)なる行(オコナ)ひをなさず、今の世におこなふべきほどの事を行(オコナ)ふより外あるべからず、これぞすなはち、神代よりのまことの道のおもむきなりける、あなかしこ、
                    本居宣長
  寛政元年十一月
       名児屋   越智広海蔵板

以上、『本居宣長全集』第十三冊(岩波書店)による。昭和十九年八月一日印刷

   

 


座 美学研究所
  2009年4月14日
   
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