横表記古典文学「哥座(うたくら)」

    超・高度情報化時代、
     日本の
視座はいかにして可能か。
             

                  

   ポストウェブ時代のプラットフォーム
      「哥座」
うたくらの目指すところ

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いつか、サイバーコードが新憲法として公布され
現実のあなたは、ニセモノとなり
バーチャルのあなたがホンモノとして流通する時代がくるだろう。



 
 
 TOKYOという大都市が五センチメッシュで三次元スキャンされ、特別Saleという値札付きで叩き売りされる今日。「ブログや、Googleアースってオモシロイ!」なんてハシャイデいた無邪気な時代を、「こんなはずじゃなかった」と、自責の念をもって回顧する時代がやって来るでしょう。というのも、とどまることを知らぬ情報工学の進化の結果、あなたという存在は、昔流でいえば、脛の毛一本にいたるまで、いま風にいえば、細胞や遺伝子レベルまで、さらに、あなたの嗜好や経験、友達つきあい、思想・感情傾向まで、細かくタグつきでデータ化されてサーバーへ蓄積されていくはずであり、個人の視点から見れば、使い勝手のいいポートフォリオができたとしてあなたは、この傾向を歓迎するでしょうし、また、この流れは誰も逆らえる性質のものではないでしょう。だけど、が、しかし、その果に待っているものは、あなたの意思にかかわらず、あなたがナニモノカに、表立って喜んで、あるいは隠れた統一規格のもとに、さまざまな手法と、意図のもとに管理、隷属されていくという構図なのです。
 いまや、金融市場の先物操作のように、あなた自身をサーバー領域で先物操作し、無意識のうちに、権力のもとに組み込んでいく作業は、カンタンでたわいないことになっています。この仕組みは、どこかの国の年金データシステムなどとは、根本的にその質と、規模が違います。こうした事態は、一見無邪気なIT進化を標榜し、情報工学のスペシャリストを自認するエリートによるElectronic commerceフィールドからはじまっています。やがて、歴史が教えるように、先端技術は権力にとりこまれ、結果、絶対精神の君臨のもと、先物操作された成りすましのあなたのバーチャルが、あなた自身を愚弄し、あなたという偽者を権力コードに照らして、正しにやってくることになるでしょう。それは時間の問題です。いま、こうした声にならない恐怖感が、確実に、社会の通奏低音として増大しています。果たして、その予感は、被害妄想なのか、正当な感覚なのか、結果は時だけが知っています。
 ただ、YafooやGoogleにみられる現在の世界統一規格の情報プラットフォームでは、わたしたちの不安は増大していくばかりです。プラグマティックな情報の利便性と引き換えに、わたしたちの情報は地球規模で吸い上げられるばかりで、情報の価値や意味は制限されたまま。まして、情報の総体は監査することもできないわけですから…。一体だれが、善意としてのwwwの総体の方向性を保障してくれるというのでしょう。「善意だから信じなさい」ということばを信じるのは自由ですが、何時の時代だって、批判のない技術は、権力と癒着して、暴走してしまう危険性があるでしょう。「権力支配のためなら何でもありえるこの世に、そもそも便利この上ないだけのウマイ話ってあるわけないじゃん!家庭内の今日のおかずをめぐってだって「ちょっと、インボウ使っちゃう」こともアリでしょうに…。情報システムを人工知能でロボット化してもその不安の本質は変わらない。




  


哥座(うたくら)は、「にほひ」・「俤」など
印欧中にない、固有の先験的韻文空間を探険する、
オープン研究プラットフォーム=座である。



       
  こうした時に肝要なのは、「ワールドワイドな情報」という神話と、その情報の意味を批判的に問い直す地道な作業だとおもわれます。
世界統一規格の情報プラットフォームでは、情報処理はできても、情報を根源的に問い直すことができない。そこで、いま、それぞれの国で、固有の身体を軸にした固有の文体(ロゴス)で、情報を批判的に問い直しながら、固有の場、固有の座標をもった固有のプラットフォームの充実が要請されています。その一つがUta!Kura(哥座)なのです。Uta!Kura
座)は、世界統一規格の情報プラットフォームなどではなく、固有文化の文脈に基づいた批判的、創造的な空間の追求こそが、却って、次世代の普遍的で自由な対話へとつながっていく、という信念のもとに、、約三ヶ月の準備期間を経て、2008年1月3日に設立されたばかりの「新しい智恵創造を可能にする研究用プラットフォーム」です。
 法人、個人、国の壁を越えたオープンな立場で、中長期的で、戦略的な視点に立ち、先づ、固有の韻文空間を再発見し、「新しいプラットフォーム」上で、それら相互を深化、連関づけていくのが第一の作業です。そうしながら、脱情報化時代の斬新な議論を誘発し、(*)あらゆる権力から自由になれるあたらしい対話のありかたを探っていく場を創造したいと願っています。


 

(*)お断り ここに実名で登場するGoogleなどの企業名は、いづれも、IT業界を代表するパブリックな企業であり、常々、Uta!Kura「哥座」も尊敬してやまない未来形企業である。今後もIT業界の雄としての彼らへ、辛口の論評を展開するつもりだが、それは、「情報という意味を前向きに問い直すための極論の一種にすぎない」ということは、ここに改めて、お断りしておきたい。
(*)なお、未整理のなかに、版権や、入力版権に抵触しそうなものが紛れ込む場合がある、見つければ削除するが、著者にコンタクトをとる予定のママ忘却していたり、手が届かないまま、放置されているものがあるかもしれない。 もし、お気づきのものがあれば、お手数でもUta!Kura「哥座」までお知らせ願いたい。直ちに削除など、対応いたします。

          
       二千八年 一月六日 
哥座(うたくら) 


 

                      



           

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「哥座」成立の経緯

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  だいぶんまえのころ、関根伸夫氏の「位相」という作品が、現代美術のターニング・ポイントになったという。当時、この作品「位相」を前にした作者が「ここに働いている力は、わたしたちがまだ知らなかった力である」と、ナニゲにもらしたことがあると、何かに書かれていた。この発言を、私はずいぶん後になって知ったのであるが…。(はじめ私は欧米美学しかやってなかったので、モノ派の存在さえ知らずパリ大学のとびっきり美人の先生にkisio sugaとかイロイロ教えてもらったオロカモノであった。で、私は逆ボードリヤールを教えてさしあげたのだが、あちらではあまり知られてないみたいだった。お互い灯台あしもと暗しということである)。で、いまでは、この「位相」という作品もことばも、忘れかけられているにひとしいとはおもう。ところが、アル理由から私はこの一連の作品は、作者自身や、美術というジャンルや、国境、時代をこえて、ポストモダンの流れとして括りきれない、おおきな意味あいを今後の世界へたらすことになるのではないだろうかと、ひそかに感じているところだ。そこで「哥座」では、古典文学の座標から「位相」のこの問題を解明してくつもりだ。また、いままで「位相」が美術以外のジャンルではほとんど語られないできた日本の文化状況-衒学趣味の官僚体質気味の西欧文化や中国文化、印度文化のコピーと新解釈にあけくれる状況についても、あわせて、追求していきたい。「哥座」のテーマは、忘れられた末に、時折、そのつどの歴史局面に現れては消えしている「位相」のような潜在的なチカラを現代へ顕在化し、あらたな思想を生む視座として定着していくことにある。



                  


  問合わせ
 

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Uta!Kura 「哥座」  http://www.utakura.com

サイトdirector  yu.hasegawa  
E-mail:哥座主宰 長谷川 有
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「哥座(うたくら)」縦書き表記古典文学
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