霞ヶ浦研究 その二

     「旧小見川町の遺跡」(制作中・仮原稿)

                    
                  


  古代詳細マップを見る→NEXT参照  古代史研究家 K.高島

旧小見川町

1 織幡 幡は鉄に関係するか。織幡には小字で天ノ宮がある。

2 旗鉾 はたほこと読むが古文にはたほこ(白鉾)に力を借りるよう
      夢でいわれた話があった。

3 虫幡 神里古墳郡がある。幡は鉄に関係するのではないか。

4 木の内  
       紀氏と関係があるのでは?ここに白鳳期の山田寺式の古
       瓦を出土した木の内廃寺跡が存し、国分寺を除けば県内
       でも最大級に属する基壇であったと推定されている。上総
       国分僧寺に次ぐ類例とされている。その眼下は仏ガ浦とい
       われた海があった。また 弘富山福聚海院清水寺の周辺は
       門前町として栄え、この子育観音世音として名高い清水寺
      
の縁起も1100年余りにさかのぼる。木内神社は伊勢神宮
       外宮より豊受姫命を勧請し創建されたもので、徳川家康よ
       り御来印地七石を寄進された由緒ある神社である。

5 綱玉神社  招魂神社があり、谷を埋め、テラスを作っていた。
         たぶん
蘇我氏の邸宅の作り方と同じと思う。
         物部氏との関連が考えられる。

6 豊玉神社  この地は国指定良文貝塚・阿玉台貝塚がある。
極めて稀有な縄文文化期の人物意匠器として考古学上貴重な
資料とされる(香炉形顔面付工器)が出土している。この地は大
利根文化の地として原始遺跡の宝庫ともなっている。また、日本
武尊、坂上田村麻等が東征の折、上総に上陸し本社を創建した
と伝えられている豊玉神社、阿 玉神社は今日でも厚い信仰に
支えられ、数多くの伝説が語りつがれている。以来千数百年の
歳月を経ながらも良文の森は、古えの歴史と風
土につつまれた
静かな万葉を伝える「まほろばの里」として継承されており、現代
においても小見川の自然と文化の理想の郷である。この神社は
菊のご紋がついた神社で明治以前についているのはめずらしい
とのこと椎の木の巨木に覆われている。鉄の生産と関係がある
のではないか。
  平安朝の武将平良文が晩年移り住んでいることから旧良
文村名の起縁ともなっており、 国武士団の地として、また後の
千葉氏ゆかりの地として仏教文化を始め民衆文化にも大きな
足跡を残している。

7 くろべ館  阿玉台式土器の展示

  天冠、甲冑、ガラス玉、鈴、須恵器、冠頭太刀、埴輪はどこの国の
  ものなのか? 加羅・百済・新羅?

8 大塚山古墳 利根川の下流では最大の古墳(全長約118メートル
の前方後円墳)である。県内でも五指にはいる大古墳群である。盗掘
にあって副葬品はない。石棺が長持型石棺で首長級  葛城・蘇我か?
豊浦村はこのあたり。小見川よいとこベニスの都よ、イタリアの水の都
にもたとえられた、ここ小見川。

 水郷特有の輪中地帯の情緒をとどめる豊浦新田地帯は、利根川と
常陸川」に囲まれたのどかな田園の地域である。ここはかつて下総の
国と常陸の国との境界線問題でゆれた「論所(ロンツ)」、また、それに
因んだ「おなつ伝」などの伝説が語り伝えられ、これらは一分の村社
であった境宮大神祭礼として今日も継承されている。かつては、水面
下にあったこの地域は、利根川の流路の東遷に伴い、土地が拓かれ、
人が住みつき豊かな稔りを約束する美田が開拓され水郷米の供給源
になっている。

9 妙見宮   千葉氏の領地でしたので、妙見宮がある。妙見信仰は
百済から持ち込まれたという話もある。千葉氏は九曜紋を使っている。
韓国の武寧王の墓も九曜紋を使っている 。また、真言宗も同じ紋で
ある。真言宗は高野山で、高野といえば、桓武天皇の母も高野氏から
出ている。
 関連がないだろうか

山田区 

山田区は少なくとも七世紀半ばごろまでは「下海上国(しもつうなかみ
のくに)」ばれ、下海上国造によって統治されていた地域である。

山田区の神社  天勝神社あ(阿蘇勝神社)、稲荷神社、三社大神、
八重垣神社、石田神社、(応神社)山倉大神、大高神社、八幡神社、
天満大神、八坂大神、稲葉山神社、星勝神社、日御子神社、宇賀
神社、厳島神社、安産神社、愛宕神社、熊野神社、星宮神社、子安
神社y、子大神、、戸田神社、琴平神社、須賀神社、駒形神社
、大王稲荷神社、古峯原神社、手接神社、鷺ノ宮大権現宮、弥太郎
稲荷がある。

       「日下部」姓が集中している。

  旧香取海に接する台地縁辺部に比較的重要な遺跡が多く、これらの
遺跡には埴輪をもつ古墳をともなっている場合が多い。
古墳は円墳が中
心で、前方後円墳は比較的少ない。
 鎮座の時期が比較的古く遡ると推定される神社の後背地に比較的広
い範囲の集落址の存在が認められ、当時の祭祀と民衆との関係を知る
資料として重要である。「和名類聚抄」には、「府馬」「麻績」の二つの地
名が挙げられている。

10 戸田神社  天平八丙子年九月久都伎直日奉真人が出雲国杵
築大社の荒魂を勧請した。祭神は大国主命で、大黒様とあがめ、
小見、川上、八本、白井区等を氏子とする。子年ごとに現在の小見
川町阿玉川区の利根川岸まで神幸する古来からの慣わしがある。

戸田神社の西側後背地に、かなり広い散布が見られ、前方後円墳を
含む古墳もかなりの数で」存在しており、かなり重要な遺跡と考えられ
る。古墳からは直刀ニ・鉄鏃多数が出土し、住居址からは多数の土器
(甕・高杯・杯など)が出土した。特に大量の埴輪片及び須恵器片が
散布していることなどから、かなり有力な豪族が、被葬者となっている
古墳が存在していた
可能性が高い。

小見に在住する「田氏」は戸田神社を氏神としている。田姓は少なく
出雲に多い。

11 長谷   天武天皇の皇子の名の地名

12 子安神社 祭神は神功皇后と応神天皇の二柱であり、境内に
葉先が二肢に分かれた珍しい榊の木がある。安産の霊験が高いと
いわれ、婦人の崇拝が篤い。
鉄の生産と関係するのではないか。

13 帰命台  ここから息栖神社、鹿島神宮が見える。山を越えると
椿海が眼下に広がる。椿海周辺は古墳が多い。南は椿海があった。

 日御子神社  府馬区奥の堆にあり、大同ニ丁亥年紀伊国から移住し
た人々により創祀されたs。

14 田部   歴史上「田部」とは皇室直轄領たる屯倉の屯田を耕作す
る民のことを称しており、通常は国造の領民を割いて設置するか、また
は朝鮮半島や渡来人などを、田部に編成する場合が多い。

当時の下海上国造の領域内には、この田部という地名が、山田町田部、
栗源町田部の二ヶ所に残されており、皇室直轄領である屯倉は、海上
郡三宅郷・匝瑳郡田部郷・香取郡大槻郷の三ヶ所が確認されている。
地形的にも、台地上からは北の香取・鹿島にいたる沖積低地を一望
することができ、その地域で最も条件の良いところを直轄領とする屯
倉所在地としての恰好の地といえる。このことから屯倉跡の可能性を
示唆する研究者もいる。

出雲の田部氏は日本一の山林王で砂鉄から鉄を作っていた。

日宮神社  田部字の内にあり、田部区と竹之内区の鎮守となっている。
麻績権現を呼称した。

「青柳家」 江戸時代青柳家の許可がないと道を通ることができなかった。

東庄町

15 東大社(東大神)  御祭神は海神雄の娘の玉依毘売命で、神武天皇
の母。古くは東宮又は八尾社と呼ばれた。後に王子社とも言われ、菊の紋
を使っている。

その近くに雲井崎があり、ここに天皇が巡航した折は船をつけたそうです。
眼下はかつては海。息栖神社や鹿嶋市が一望できる。

16青馬  はくばと入力すると青馬とも出る。白馬寺は洛陽のあり、中国
と白馬は関係しそう。また、東北の『おしらさま』と同じ伝承が中国にある。

17 石神  物部氏との関係。

18 白鳥神社 神栖市で一番古い集落。ささら舞いがある。藤原氏と関係
している。一番古い家は大槻家で香取市から移民をした他可能性が高い。

19 日川 息栖神社があった。石塚古墳があり、長谷川姓が多い。ここか
ら1キロメー
トル離れて自宅がある。婚姻関係は東庄町とおこなわれていた。
807年息栖神社は、現在地に移った。

26 蚕霊神社  インドのお姫様が蚕になった伝承あり。

筑波山行北条仲町・・・神郡集落に「蚕陰山神社」の案内板がある。養蚕
にまつわる伝承が数多く残されていて、欽明朝に筑波山麓漂着した北イン
ドの王女金色姫が、村人の権太夫夫婦に養育され、死後は蚕となって恩
を返す話などがある。

20 平泉 岩手 の平泉と関係しないか。

鹿嶋市

21   応神社あり。

22   高天原の地名。

23 猿田  サルタヒコとの関連

24 須賀

25 鹿島神宮 多氏の氏神

筑波さんは紀の国であった。祭神はアマテラスオオミノカミである。
この近くに蚕神社があり、日川の蚕神社と同じ伝承を持っている。
インドの関連をうかがわせる。

多氏の前はエミシ、物部ではないか。

紀氏は朝鮮との貿易をおこない、江戸時代でも紀州の船は恐れら
れていたと聞く。
房総銚子、波崎、神栖は紀州からの移民がおおい。筑波さんの近く
には石岡市があり、製鉄をおこなっていた。
ちかくは古墳の宝庫である。あの冠の出土した古墳が近い。

27 荒野 ここに海流に乗った船が流れつく。

28 林 蘇我氏の別名を林太郎ともいう説があるので、この地域と
蘇我氏と関係しないか。

29 白浜少年の家 レークエコー周辺には古墳が多い。

30 矢幡  幡がつくので鉄の生産と関係しないか。

31 大生  大生神社の「巫女(みこ)舞神事」は、古い様式をその
まま残している。
多氏の関係といわれる大生古墳がある。

32 水原  ソウル市の水原と同じ地名。鹿島神宮・水原・諏訪神
社・ソウル市の水原は同じライン上にある。

33 玉造 曽祢郷は物部系の分布地であった可能性が高い。物部
氏の一族が、常陸国の入口を押さえ、また霞ヶ浦の海上交通の要
衝を握っていた可能性が高い。

34 三昧塚古墳   横穴石室・・構造は高句麗墳墓、百済の公州墓、
扶余の?槨墳と系統を同じくしている。墳丘には円筒埴輪が三重にめぐ
らされ、後円部の中心には箱型石棺がおかれ、人骨が発見された。石
棺内には、金銅製馬型飾付冠・金銅製垂飾付耳飾・変形四神四獣鏡・
変形乳文化鏡・太刀・剣・刀子など3種の神器となる鏡・剣・玉が出土し
ている。豊富な鉄製品の数は、当時の鉄の生産量から考えると相当な
もの。5世紀から6世紀初頭とされている。

 古墳からの大量の鉄器が出土していることを考えると集中的な大量
生産の機構や組織の確立が進んでいたものと考えられる。これら工人
集団の祖については、「記紀」によると応神天皇16年ころ「又貢上手人
韓鍛名卓素」とあり、3世紀ごろに卓素なる鍛冶を新羅から日本に送っ
てきたとされ、大和朝廷がこれら鍛冶を掌握していた可能性を持って
いる。

35 芸術村

36 織谷

37 国分寺跡  

38 常陸風土記の丘  鹿の子遺跡 ・古代常陸国の官営工房跡で、
鉄製品を中心に製造が行われていた。

39 栗田の石倉  かなくそ山の遺跡 古代の製鉄工場

40 常陸国総社  大国命ら天神地戯祇6社の祭神を合祀する。

41 下志筑

42 中志筑

43 上志筑

44 別所

45 カジ下り・古式瓦・金クソ

46 子安神社

47 胎安神社

48 天神

49 若松

50 信太 物部氏は「モノ」を支配し、鎮魂の儀礼に司ってきた氏族
である。物部氏の「モノ」はとは、「もののけ」のものと同じく、目に見
えぬ精霊を意味していたと考えられる。この「モノ」を自由に支配し、
悪霊の調伏にあたっていたのが、物部氏だった。また、物部氏は
祖神鐃速日命が 天降りしたとき、天神から授けられたという「瑞宝
十種」を伝えていた。鏡・玉・比布などの十種の呪具を合わせて、
十数えながらゆらゆら振ると、死人も生きか
えるというものであった。(「職員令集解」)。これらは、邪霊を打ち
払い、身体に生命の魂を呼び戻し、鎮める神事である。このような
鎮魂の呪法を、物部氏は伝えていたのである。

以上の信太郡の郡司層が物部氏であったとすれば、信太郡の
普都の大神も、やはりもともと石神神社系の神とするのが、隠
当ではないだろうか。物部氏の統属下にあった中臣氏が後に
継承していったものと、想像する。

常陸の「クニ」のなかでも、もっとも強い力を有していたと考えら
れる茨城と、筑波の国造の「クニ」をそれぞれに分割して、物部
氏を郡領(評督)とする信太郡を建てたのは、明らかに、それぞ
れ霞ヶ浦に臨む茨城、筑波の勢力を圧え、大和王権の常陸国
支配の一大拠点としようと志向したも
のといえよう。

51 常陸の初代国司 百済王の末裔  752年常陸国司 百済
王敬服

52 綏女朝臣

53 高倉  高句麗の将官に福徳がいた。高麗福徳から高倉福徳
に改姓。

54 奈良気  朝鮮語?

55 出島 下軽野 製鉄跡

56 楯縫神社  物部氏関連

57

58 浮島は聖地   かつて霞ヶ浦に浮かぶ島だったが、現在は
干拓され、陸続きとなっている。『常陸風土記』に「大足日子天皇
(景行天皇)が浮島の帳宮に御幸な
さったとき」とある。

日本武尊の東征のあとをしのんだ景行天皇が、巡幸した際に
浮島に30日滞在し、仮宮を設けたとの伝説がある。狭い小島に、
九社があるというのは異常で、浮島も「神島」とされていたのでは
ないか。

59 富士見塚古墳  前方後円墳、箱式石棺から男女2体を含
む複数の埋葬者があ発掘された。

60 太子古墳   太子のカロウド

61側高神社

62 山倉大神  布目瓦出土。古墳時代製鉄趾の存在を推察
させる鉄滓が採集されている。

63 高萩

64 御所鬼塚古墳 滝台古墳

65 大宮台   方墳を氏神様と祭っている。その他古墳がある。

66 城山古墳郡 横穴式石室 副葬品はくろべ館に展示。

67 布野古墳  伽耶古墳と似ている。

68 山川古墳


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