地名字音転用例 & 直毘霊     


 日本における苗字の多さは世界有数であるといわれている。専門家の指摘によれば、それら苗字の多くは、古代地名からなったものが多いという。
  古代より、複数系統の言語が融合した結果である日本語は、文字文化においては、表意表音同時表記をすることで、千数百年来、
外来言語文化である漢字、欧米語を受容し、融合させてきた。さらに、無文字時代においても、同音異義語や同義異音語並立が多数みられ、それは、地名や苗字に反映されている。こうした言語現象にあらわになっている他言語システム文化を受容する際に、排除せず、そのかわり統一もしないで多様性を共存させてきたこの独特の母語に一貫するおおらかな精神はいったいどこに起因するものなのであろうか。哥座(うたくら)は、石器時代から現代まで、捨象・抽象化をタブーとすることでものをありのままに受容するとした、「言挙げせぬ」精神がその根底にはたらいてきた結果であるとみているが、それはさておき、まず、宣長の地名字音轉用例から、わたくしたちの言語精神の傾向と、そこから垣間見える古層の言語精神というものに聴き入ってみたい。 - 哥座(うたくら)  2010.7.23


 
  地名字音轉用例  
           本居宣長




 凡そ諸國ノ名、又郡郷ナドノ名ドモ、古(ヘ)ハ文字ニカヽハラズ、正字ニマレ借(リ)字ニマレ、アルベキマヽニ、身刺《ムサシ》三野《ミノ》科野《シナノ》道奥《ミチノク》稲羽《イナバ》針間《ハリマ》津嶋《ツシマ》、ナドヤウニ書キ、或ハ上毛野《カミツケノ》下毛野《シモツケノ》多遲麻《タヂマ》ナド、字ノ数ニモカヽハラズ、三字ナドニモ書(キ)タリシヲ、ヤヽ後ニナリテ、字ヲ擇ブコト始マリ、又必(ス)二字ニ定メテ書(ク)コトヽハナレルナリ、續紀和銅六年五月(ノ)詔ニ、畿内七道諸國郡郷(ノ)名、著《ツケヨ》2好《ヨキ》字ヲ1ト見エ、延喜(ノ)民部式ニ、凡(ソ)諸國部内(ノ)郡里等(ノ)名、並《ミナ》用(ヒ)2二字ヲ1、必(ス)取(レ)2(3コマ)嘉名(ヲ)1、ナド見エタルガ如シ、(嘉名ト云モ字ノコト也)但シ和銅六年ヨリ前《サキ》ヨリモ、既《ハヤ》ク字ヲ擇バレシコトモ有(リ)シトハ見エタルヲ、彼(ノ)時ニ至(リ)テ、ナホタシカニ定メラレタルナルベシ、出雲風土記ニ、郷名ドモ、神亀三年改(ム)v字(ヲ)トシルせル多ケレバ、和銅ノ後ニモ、ナホツギ/\改メラレシモ有(リ)シナルベシ、又必(ス)二字ニ定メラレタルモ、延喜式ヨリ始マレルコトニハ非ズ、既《ハヤ》ク奈良(ノ)朝ノホドヨリ、多クハ二字ニ書(ケ)リト見エタリ、サテ國郡郷ノ名、カクノ如ク好字ヲ擇ビ、必(ス)二字ニ書(ク)ニツキテハ、字音ヲ借(リ)テ書(ク)名ハ、尋常《ヨノツネ》ノ假字ノ例ニテハ、二字に約《ツヾ》メガタク、字ノ本音ノマヽニテハ、其名ニ叶へ難キガ多キ故ニ、字音ヲサマ/”\ニ轉ジ用ヒテ、尋常ノ假字ノ例トハ、異ナルガ多キコト、相模《サガミ》ノ相《サガ》、信濃《シナノ》ノ信《シナ》ナドノ如シ、カヽルタグヒ皆是(レ)、物々シキ字ヲ擇ビテ、必(ス)二字ニ約メムタメニ、止(ム)事ヲ得ズ、如此《カク》サマニ音ヲ轉用シタル物ナり、然ルニ後(ノ)世(ノ)人、此(ノ)義《コヽロ》ヲタドラズシテ、國郡郷ノ名ドモノ、其字音ニアタラザルコトヲ、疑フ者多シ、殊ニ漢學者ナドハ、タヾ漢籍ヲ見馴(レ)タル心ニテ、字ヲ本ト心得ルカラ、其音ニ當らざる地名ヲバ、後ニ訛レルモノトシテ、タトヘバ相模ハモト「サウモ」、信濃ハ「シンノウ」(4コマ)ナリシヲ、「サガミ」「シナノ」トハ、後ニ訛レル也トヤウニサヘ思フメリ、是(レ)イミシキヒガコト也、「サガミ」「シナノ」ハ、本ヨリノ名ナルニ、相模信濃ナドノ字ハ、後ニ填《アテ》タルモノニテ、末ナルコトヲ辨ヘザルモノ也、是ニヨリテ吾今、カヽル惑(ヒ)ヲサトサムタメニ、地名ノ唱(ヘ)ノ、其字ノ本音ニ合(ハ)ザルモノヲ、類ヲ分テ聚擧(ケ)テ、轉用ノ例ヲ示スナリ、

○韻ヲ省キテ用ヒタル字音ハ、尋常ノ假字ニモ例多ク、ツネノ事ナレバ、此(レ)ニハ擧(ゲ)ズ、國名ノ「アハ」ヲ、安房《アンハウ》ト書ルタグヒ是ナリ、

○凡ソ此(レ)ニ擧ルハ、國(ノ)名郡(ノ)名ニテ、和名抄ニ出タルマヽナリ、其餘ノ地名ハ、大カタ擧ズ、然レドモ其《ソレ》モ、名高ク常ニ出ルヲバ、思ヒ出ルマヽニ、彼此《コレカレ》トアゲタルモアリ、

○和名抄諸國ノ郷名ノ中ニ、字音トオボシキハ、此(レ)ニ擧タル外ニモ、なほいと多カレドモ、唱(ヘ)ヲ注セザルハ、いかなる名トモ知(リ)ガタケレバ、皆|漏《モラ》セリ、其中ニ、其國ニテハ、其名今モ残リテ、唱(ヘ)ノ知ラレタルモアルベキヲ、其《ソ》ハ此(レ)ニ擧タル例ドモニ傚《ナラ》ヒテ、其轉用ヲ知(ル)ベシ、

○此(レ)ニ擧タル凡テノ例ヲ、初(ノ)條ナル「サガラカ」ニテ云(5コマ)ム、先(ツ)さがらかト擧タルハ、其地名ナリ、次ニ相樂ハ、其音ヲ轉ジテ當《アテ》タル字也、次ニ其下ニ細書ニ、山ト記せルハ、山城(ノ)國ノヨシ也、凡テ諸國|何《イヅ》レモ、省キテ一字を出せリ、郡ト記セルハ、郡名ノヨシナリ、郷ハ郷名ナリ、又郡トモ郷トモシルサヾルハ、郡郷ノ外也、次ニ佐加良加ト記せルハ、和名抄ニ注セル唱(ヘ)ナリ、和名抄ニ唱(ヘ)ヲ注せザルハ、他《アダシ》古書ニ見エタルヲ以テ記ス、其《ソ》書ノ名ヲ擧グ、凡テ何《イヅ》レモ右ノ例ヲ以テ心得ベシ、
 

     ウノ韻ヲカノ行(リ)ノ音ニ轉ジ
○さがむ 相模(國)佐加三《サガミ》 相ハ「サウ」ノ音ナルヲ、韻ノ「ウ」ヲ轉シテ、「サガ」ニ用ヒタリ、 (此(ノ)國名ハ、モト「サガム」ナリシヲ、和名抄ニ佐加三ト注シタルハ、後ノ唱(ヘ)ナリ、古事記ニ相武ト書キ、哥ニモ佐賀牟トアリ、模(ノ)字モ、「モ」ノ音ナレバ、「ム」ニ近クシテ、「ミ」ニハ遠シ、) 
○さがらか 相樂(山郡)佐加良加《サガラカ》 相《サウ》ヲ「サガ」ニ用ヒタル、上ニ同ジ、(樂《ラカ》ノコトハ下ニ出) 
○かゞみ 香美(土郡阿郷)加々美《カヾミ》 
○いかゞ 伊香(河郷)伊加々《イカゞ》 
○かゞと 香止(備前郷)加々止《カヾト》 コレラ香《カウ》ヲ「カヾ」ニ用ヒタル、上ノ相《サガ》ノ例ニ同ジ、
 以上ウノ韻ヲガニ用ヒタリ

○おたぎ 愛宕(山郡)於多岐《オタギ》 
○たぎの 宕野(勢郷)多木乃《タキノ》 コレラ宕ハ「タウ」ノ音ナルヲ、「タギ」ニ用ヒタリ、 
○よろぎ 餘綾(相郡)与呂岐《ヨロギ》 綾ハ「リヨウ」ノ音ナルヲ、(「リヨ」ヲ直音ニシテ、「ロ」ニ用ヒ、)韻ノ「ウ」ヲ「ギ」ニ用ヒタリ、 
○くらぎ 久良(武郡)久良岐《クラギ》 
○みなぎ 美嚢(播郡)美奈木《ミナギ》 
○たぎま 當麻(和郷)多以末《タイマ》 (此(ノ)郷名「タギマ」ナルヲ、和名抄ニ多以末ト注シタルハ、後ノ音便ノ唱(ヘ)ナリ、古事記ニ、當岐麻《タギマ》トモ當藝麻《タギマ》トモアリ、) 
○ふたぎ 布當(山)万葉六ニ見エタリ、(コレヲ今(ノ)本ニ、「フタイ」ト訓ルハ、當麻《タギマ》ヲ「タイマ」ト云ト同ク、後ノ唱ヘニテ、誤ナリ、)
 右良ヲ「ラギ」、嚢《ナウ》ヲ「ナギ」、當《タウ》ヲ「タギ」ニ用ヒタル、上ノ宕《タギ》綾《ロギ》ノ例ニ同ジ、
 以上ウノ韻ヲギニ用ヒタリ

○うまぐた 望多(上総郡)末宇太《マウタ》 望ハ「マウ」ノ音ナルヲ、「ウ」ノ韻ヲ轉ジテ、「マグ」ニ用ヒタリ、(上ノ「ウ」ニ當ル字ヲバ省ケリ、「ウ」ヲ省ク例ハ常也、サテ和名抄ニ、末宇太トアルハ、後ノ音便ノ唱(ヘ)ナリ、古事記ニ馬来田《ウマグタ》、万葉ニ宇麻具多《ウマグタ》トアリ、) 
○いくれ 勇礼(越後郷)以久礼《イクレ》 勇ハ「ユウ」ノ音ナルヲ、「イク」ニ用ヒタリ、(「ユ」ヲ「イ」ニ用ヒタル例ハ下ニ出)
○かぐやま 香山(和)神武紀ニ、香山此(ヲ)云2介遇夜麼《カグヤマ》ト1トアリ、是(レ)香《カウ》ノ音ヲ取れる也、(訓ヲ以テ香来《カグ》山ナド書ルトハ異ナリ、思ヒマガフベカラズ、サテ書紀ニ、字音ニモ訓注ヲシタルコト、例アリ、興台産霊《コヾトムスビ》ト云神名ノ興台(ノ)二字モ、音ナルニ、訓注アリ、)
 以上ウノ韻ヲグニ用ヒタリ

○いかご 伊香(近郡)伊加古《イカゴ》 
○あたご 愛宕(丹波)神名帳ニ、阿多古《アタゴ》ト見エタリ、コレラ香《カウ》ヲ「カゴ」、宕《タウ》ヲ「タゴ」ニ用ヒタリ、(カノ神名ノ興台《コヾト》ノ興《コヾ》ナドモ、「コウ」ノ音ヲ取レルニテ、是(レ)ト同例ナリ、)
 以上ウノ韻ヲゴニ用ヒタリ

(上件「ウ」ノ韻ヲ轉ジテ、「カ」「キ」「ク」「コ」ニ用ヒタル地名、其(ノ)轉ジタル音、皆濁音也、其中ニ久良《クラキ》ノ「キ」ト、勇礼《イクレ》ノ「ク」トハ、清濁イカナラム、知ラネドモ、餘ノ例ヲ以テ見レバ、此(レ)ラモ濁(ル)ナルベシ、)


     ンノ韻ヲマノ行(リ)ノ音ニ通用シタル例
○いさま 伊参(上野郷)伊佐万《イサマ》 参ハ「サン」ノ音ナルヲ、「サマ」ニ用ヒタリ、 
○なましな 男信(上野郷)奈万之奈《ナマシナ》 男《ナン》ヲ「ナマ」ニ用ヒタリ、(信《シナ》ノコトハ下ニ出)
 以上ンノ韻ヲマニ用ヒタリ

○いじみ 夷※[さんずい+僭の右上/隔の右下] (上総郷)伊志美《イジミ》  ※[さんずい+僭の右上/隔の右下]ハ「ジン」ノ音ナルヲ、「ジミ」ニ用ヒタリ、(燈心《トウシミ》ナドモ、此(ノ)例ナリ、)但シ古事記ニハ伊自牟《イジム》トアリ、モトハ然云シナルベシ、(サレバ「イジミ」ト云ハ、「サガム」ヲ「サガミ」ト云類ニテ、後ノ唱(ヘ)カ、)書紀ニハ伊甚トアリ、
○あづみ 安曇(信郡)阿都三《アヅミ》 曇《ドン》ヲ「ヅミ」ニ用ヒタリ、 
○みぐミ 美含(但郷)三久美《ミグミ》 含《ゴン》ヲ「グミ」ニ用ヒタリ、 
○くたみ 玖潭(雲郷)風土記ニ久多美《クタミ》、(和名抄ニ、潭(ノ)字ヲ澤ニ誤レリ、神名帳マタ風土記ナドニ、潭トアルナリ、) 
○みたみ 美談(雲郷)風土記ニ三太三《ミタミ》、 
○しゞみ 志(8コマ)深(播郷)之々美《シヾミ》 書紀ニ縮見《シヾミ》トアリ、古事記ニハ志自牟《シヾム》、 
○いなミ 印南(播郡)伊奈美《イナミ》 南ハ、「ナン」ノ音ヲ轉ジテ、「ナミ」ニ用ヒタルナリ、(訓ノ「ミナミ」ヲ取レルニハ非ズ、伊邪那美(ノ)神ノ御名ノ那美《ナミ》ヲ、書紀ニ冉《ナミ》ト書レタルモ、此(レ)ト同例也、冉ハ史記(ノ)正義ニ奴甘(ノ)反トアリテ、呉音「ナン」ナリ、コレヲ書紀(ノ)今(ノ)本ドモニ、冊ト作《カケ》ルハ、写(シ)誤ナリ、) 
○わざミ 和※[斬/足](濃) 天武紀ニ見ユ、万葉二ニ和射見《ワザミ》トアリ、 ※[斬/足]《ザン》ヲ「ザミ」ニ用ヒタリ、 
○みミらく 旻樂(肥前) 續後紀六ニ見ユ、万葉十六ニ、美弥良久《ミミラク》トアル是ナリ、旻呉音「ミン」ヲ、「ミヽ」ニ用ヒタリ、
  以上ンノ韻ヲミニ用ヒタリ

○なめさ 南佐(雲郷) 風土記ニ、云々故(レ)云2南佐《ナメサ》ト1、神亀三年改(ム)2字(ヲ)滑狹ト1トアリ、然ルヲ和名抄ニ、南佐ト滑狹トヲ別ニ擧タルハ、マギレタル誤ナルベシ、
 右ンノ韻ヲメニ用ヒタリ

○ゑども 惠曇(雲郷) 風土記ニ惠伴《ヱドモ》ト見エ、惠杼毛《ヱドモノ》社モアリ、
 右ンノ韻ヲモニ用ヒタリ

 
      ンノ韻ヲナノ行(リ)ノ音ニ通用シタル例
○しなの 信濃(國) 之奈乃《シナノ》 信《シン》ヲ「シナ」ニ用ヒタリ、古事記ニ科野《シナヌ》トアリ、(濃(ノ)字モ、「ヌ」ノ假字ナレバ、モトハ「シナヌ」ナリ、) 
○いなば 因幡(國)以奈八《イナバ》 古事記ニ稲羽トアリ、 
○ゐなべ 員辨(勢郡) 為奈倍《ヰナベ》 
○いなさ 引佐(遠郡)伊奈佐《イナサ》 
○うなで 雲梯(和郷)宇奈天《ウナデ》 
○なましな 男信(上野郷)奈万之奈《ナマシナ》(男《ナマ》ノコトハ上ニ出)
 以上ンノ韻ヲナニ用ヒタリ

○たには 丹波(國)太迩波《タニハ》 丹《タン》ヲ「タニ」ヽ用ヒタリ、(後世ニ此(レ)ヲ「タンバ」ト唱ルハ、音便ニ頽《クヅ》レタルモノ也、「ニ」ヲ「ン」ト云音便、常ニ多シ、難波ヲ「ナンバ」ト云ナドモ同ジ、波《ハ》モ、モト清音ナルヲ、「ン」ノ音便ニ引レテ、濁ルナリ、凡テ音便ノ「ン」ノ下ハ、必(ス)濁レリ、此(ノ)「タニハ」ヲ、「タンバ」ト云ヲ、字音ニ因レル唱(ヘ)ト思フハ非ズ、) 
○おとくに 乙訓(山郡)於止久迩《オトクニ》 訓《クン》ヲ「クニ」ヽ用ヒタリ、(乙《オト》ノコトハ下ニ出) 
○をにふ 遠敷(若郡)乎尓布《ヲニフ》 
○やまくに 養訓(藝郷)也万久尓《ヤマクニ》 
○なには 難波(津) 古事記ニ那尓波《ナニハ》、
 以上ンノ韻ヲニヽ用ヒタリ

○さぬき 讃岐(國)佐奴岐《サヌキ》 讃《サン》ヲ「サヌ」ニ用ヒタリ、 
○さぬき 散吉(和郷) 是(レ)ハ神名帳ニ、讃岐(ノ)神社トアル處ナルベク思ハルヽ故ニ、「サヌキ」トせリ、廣瀬(ノ)郡也、 
○みぬめ 敏馬(津) 万葉ニ美奴面《ミヌメ》又|三犬女《ミヌメ》ナドモアリ、敏呉音「ミン」ヲ、「ミヌ」ニ用ヒタリ、 
○みぬめ ※[さんずい+文]賣(同上) 神名帳ニ見ユ、 
○ちぬ 珍(泉) 万葉十六、又姓氏録ナドニ見ユ、古事記ニ血沼《チヌ》、書紀ニ茅渟《チヌ》、續(10コマ)紀ニ珍努《チヌ》ナドアリ、
 以上ンノ韻ヲヌニ用ヒタリ

○うねび 雲飛(和) 万葉七ニ見エタリ、
 右ンノ韻ヲネニ用ヒタリ

○しのぶ 信夫(奥郡)志乃不《シノブ》 
○しのだ 信太(泉郷) 
○みのだ 民太(勢郷)三乃多《ミノダ》 神名帳ニ、敏太《ミノダ》(ノ)神社トアル、是ナリ、(今ハ美濃田ト書(ク)也)
 以上ンノ韻ヲノニ用ヒタリ 但(シ)是(レ)ラ、古(ヘ)ハ「シヌブ」「シヌダ」「ミヌダ」ト云シヲ、「ヌ」ヲ「ノ」ト云ハ、皆後ノ唱(ヘ)ニゾアラム、野《ヌ》篠《シヌ》角《ツヌ》忍《シヌブ》陵《シヌグ》ナド、古(ヘ)「ヌ」ト云シヲ、後ニハ皆「ノ」ト云例多ケレバ也、和泉ノ信太《シノダ》モ、万葉九ニハ、小竹田《シヌダ》トゾアル、
 

     ンノ韻ヲラノ行(リ)ノ音ニ轉ジ用ヒタル例
○さらゝ 讃良(河郡)佐良々《サラヽ》 讚《サン》ヲ「サラ」ニ用ヒタリ
 右ンノ韻ヲラニ用ヒタリ

○はりま 播磨(國)波里万《ハリマ》 
○へぐり 平群(和郡)倍久里《ヘグリ》 
○はしりゐ 八信井(近) 万葉七ニ見エタリ、
 以上ンノ韻ヲリニ用ヒタリ

○するが 駿河(國)須流加《スルガ》 駿ハ「シユン」ノ音ナルヲ、(11コマ)(「シユ」ヲ直音ニシテ、「ス」ニ用ヒ、)「ン」ノ韻ヲ轉ジテ、「スル」ニ用ヒタリ、
○くるま 群馬(上野郡)久留末《クルマ》 
○つるが 敦賀(越前郡)都留我《ツルガ》 敦《トン》ヲ、「ト」ヲ「ツ」に轉ジ、「ン」ヲ「ル」ニ轉ジテ、「ツル」ニ用ヒタリ、但(シ)此(ノ)名モトハ「ツヌガ」ニテ、古書ニ角鹿《ツヌガ》トアリ、 
○くるへ 訓覇(勢郷)久留倍《クルヘ》 
○くるべき 訓覓(藝郷)久留倍木《クルベキ》
 以上ンノ韻ヲルニ用ヒタリ
 

     入聲フノ韻ヲ同(シ)行(リ)ノ音ニ通用シタル例
○あゆかは 愛甲(相郡)阿由加波《アユカハ》 甲《カフ》ヲ「カハ」ニ用ヒタリ、(愛《アユ》ノコトハ下ニ出) 
○おはらき 邑樂(上野郡)於波良岐《オハラキ》 邑ハ呉音「オフ」ナルヲ、「オハ」ニ用ヒタリ、(樂《ラキ》ノコトハ下ニ出) 
○さはだ(佐郡)佐波太《サハダ》 
○いざは 伊雜(志郷) 神名帳ニ伊射波《イザハ》トアリ、(和名抄本雜(ノ)字ヲ椎ニ誤レリ、大神宮儀式帳ニ伊雜、) 
○そかは 蘇甲(讃郷)曽加波《ソカハ》 
○かはし 合志(肥後郷)加波志《カハシ》
 以上フノ韻ヲハニ用ヒタリ

○いひほ 揖保(播郡)伊比保《イヒホ》 揖《イフ》ヲ「イヒ」ニ用ヒタリ、 
○アヒラ 姶羅(隅郡)阿比良《アヒラ》 姶ハ烏合《ウガフ》(ノ)反ニテ、「アフ」ノ音ナルヲ、「アヒ」ニ用ヒタリ、 
○きひれ 給黎(薩郡)岐比礼《キヒレ》 給《キフ》ヲ「キヒ」ニ用ヒタリ、 
○いひしろ 邑代(遠郷)伊比之呂(12コマ)《イヒシロ》 
○さひか 雜賀(紀) 万葉六ニ左日鹿《サヒカ》、
 以上フノ韻をヒニ用ヒタリ

○おほち 邑知(石郡能郷)於保知《オホチ》 
○おほく 邑久(備前郡)於保久《おほく》 
○ほゝき 法吉(雲郷) 神名帳ニモ風土記ニモ、タヾ法吉トアリテ、「ホヽキ」ト唱フベキコトハ見エザレドモ、必(ス)然唱フベクオボユ、(其故ハ、風土記ニ、此神名ノ由縁ヲ記シテ云(ク)、神魂(ノ)命(ノ)御子宇武賀比賣(ノ)命、法吉鳥(ニ)化《ナリ》而《テ》、飛度(リテ)静(マリ)2坐(ス)此(ノ)處(ニ)1、故(レ)云2法吉ト1トアル、法吉鳥ハ、鳴(ク)声ニヨレル名ニテ、必(ス)ホホキドリト訓テ、※[嬰の上/鳥]ノコトヽ聞エタリ、サレバ此ノ郷名、必(ス)「ホヽキ」ナルベシ、)
 以上フノ韻ヲホニ用ヒタリ


     入聲ツノ韻ヲ同(シ)行(リ)ノ音ニ通用シタル例
○しだら 設樂(三郡)志太良《シダラ》 設《セツ》ヲ「シダ」ニ用ヒタリ、(「せ」ヲ「シ」ニ轉用シタル例ハ下ニ出) 
○たゝら 達良(房郷)太々良《タヽラ》 
○くたみ 忽美(雲郷) 風土記ニ見ユ、(後ニ改メテ玖潭ト書リ、玖潭ノコトハ上ニ出、) 忽《コツ》ヲ「クタ」ニ用ヒタリ、(「コ」ヲ「ク」ニ轉用シタル例ハ下ニ出せリ)
 以上ツノ韻ヲタニ用ヒタリ

○ちゝぶ 秩父(武郡)知々夫《チヽブ》 秩《チツ》ヲ「チヽ」ニ用ヒタリ 右ツノ韻ヲチニ用ヒタリ 但(シ)「ツ」ノ韻ノ字、呉音ニハ、一日《イチニチ》吉《キチ》八《ハチ》ナドノ如ク、多ク「チ」ノ韻ニ呼(ヘ)バ、是(レ)ハ通用ノ例ニハ非レドモ、秩《チヽ》ハメ(13コマ)ヅラシキ故ニ姑(ク)擧ツ、
○いだて 伊達(奥郡) 神名帳ニ、出雲ナドニ、伊太(氏/一)《イダテ》ト云社号多シ、
 右ツノ韻ヲテニ用ヒタリ
 
○おとくに 乙訓(山郡)於止久邇《オトクニ》 乙《オツ》ヲオトニ用ヒタリ、(訓《クニ》ノコトハ上二出) 
○かとしか 葛※[食+芳](下総郡)加止志加《カトシカ》 葛《カツ》ヲカトニ用ヒタリ、但(シ)萬葉ニハ勝鹿《カツシカ》又|可都思加《カツシカ》ナドアリ (※[食+芳]《シカ》ノコトハ下二出セリ サテ山城ノ郡名ノ葛《カド》野ノ葛《カド》ハ、古事記ノ御哥ニ、加豆怒《カヅヌ》トアリテ、カヅラノラヲ省ケルナレバ、字音ニアラズ、此《ココ》卜混ズベカラズ、) 
○もとろゐ 物理(備前郷)毛止呂井《モトロヰ》 物ヲモトニ用ヒタリ、(理《ロヰ》ノコトハ下二出) 
○かしと 佳質(備後郷)加之土《カシト》 質《シツ》ヲシトニ用ヒタリ、 
○やけひと 益必(周郷)也介比止《ヤケヒト》 必《ヒツ》ヲヒトニ用ヒタリ、(益《ヤケ》ノコトハ下ニ出)      
 以上ツノ韻ヲトニ用ヒタリ
 

     入聲キノ韻ヲ同(シ)行ノ音ニ通用シタル例
○かとしか 葛※[食+芳](下総郡)加止志加《カトシカ》 ※[食+芳]呉音シキヲシカニ用ヒタリ、(葛《カト》ノコトハ上ニ出) 
○しかま 色麻(奥郡)志加萬《シカマ》 
○しかま ※[食+芳]磨(播郡) 和名抄ニ唱(ヘ)ノ注ハナシ、 
○あぢか 安直(藝郡)安知加《アヂカ》 直《ヂキ》ヲヂカニ用ヒタリ、
  以上キノ韻ヲカニ用ヒタリ、
 

     入聲クノ韻ヲ同(シ)行(リ)ノ音ニ通用シタル例
○みまさか 美作(國)美萬佐加《ミマサカ》 作《サク》ヲサカニ用ヒタリ、 
○さがらか 相樂(山郡)佐加良加《サガラカ》 樂《ラク》ヲラカニ用ヒタリ、(相《サガ》ノコトハ上ニ出) 
○あすかベ 安宿(河郡)安須加倍《アスカベ》 宿《シユク》ヲ(シユヲ直音ニシテスニ用ヒ)韻ノクヲカニ用ヒタリ、(ベニ當(タ)ル字ハ省ケリ、字ヲ省ケル例下ニ出、) 
○かゞみ 各務(濃郡)加々美《カヽミ》(務《ミ》ノコトハ下ニ出) 
○つかま 筑摩(信郡)豆加萬《ツカマ》 
○あさか 安積(奥郡)阿佐加《アサカ》 積《シヤク》ヲ(シヤヲ直音ニシテサニ用ヒ)韻ヲ轉ジテカニ用ヒタリ、 
○さかど 尺度(河郷)尺ヲサカニ用ヒタリ、(和名抄本ニ、尺(ノ)字ヲ尸ニ誤レリ、相模伯耆ナドニモ、尺度ト云郷名例アリ、)清寧天皇ノ御陵|坂門《サカドノ》原、此(ノ)地ナリ、 
○かゞし 覺志(武郷)加々志《カヾシ》 
○たから 託羅(阿郷)多加良《タカラ》 
○はかた 博多(和 筑前) 
○はかた 伯太(河) 神名帳ニ見ユ、續紀十一ニ波可多《ハカタ》、 
○ありまか 阿理莫(泉) 神名帳ニ見ユ、崇唆紀ニ有眞香《アリマカ》邑トアル是ナリ、
  以上クノ韻ヲカニ用ヒタリ

○やきづ 益頭(駿郡) 益《ヤク》ヲヤキニ用ヒタル也、是ハモト焼津《ヤキヅ》ナリ、然ルヲ和名抄ニ、末志豆《マシヅ》ト注シタルハ、後ニ焼《ヤキ》ト云コトヲ忌テ、益(ノ)字ノ訓ニ唱(ヘ)カヘタルモノナ(15コマ)リ、(サル例他ニモアリ、備後ノ安那(ノ)郡ハ、穴《アナ》ナルヲ、安(ノ)字ノ訓ニカヘテ、ヤスナト唱ルナド、同ジコト也、又大和(ノ)十市(ノ)郡ノ郷名|飫冨《オホ》ヲ、飯冨ト書(キ)カヘテ、イヒトミト唱ルモ比(ノ)類也、) 
○おはらき 邑樂(上野郡)於波良岐《オハラキ》 樂《ラク》ヲラキニ用ヒタリ、(邑《オハ》ノコトハ上ニ出) 
○さへき 佐伯(藝郡)佐倍木《サヘキ》 伯《ハク》ヲヘキニ用ヒタリ、(ハヲヘニ轉用シタル例ハ下ニ出) 
○いふすき 揖宿(薩郡)以夫須岐《イフスキ》 
○つきや 筑陽(雲郷) 風土記ニ調屋《ツキヤ》トアリ、 
○しがらき 信樂(近) 績紀ニハ紫香樂《シガラキ》トアリ、(信《シガ》ノコトハ下ニ出)
  以上クノ韻ヲキ二用ヒタリ

○やけひと 益必(周郷)也介比止《ヤケヒト》 益《ヤク》ヲヤケニ用ヒタリ、(必《ヒト》ノコトハ上ニ出)
   右クノ韻ヲケニ用ヒタリ
  
 
     イノ韻ヲヤノ行(リ)ノ音ニ通用シタル例
○はやし 拜師(加越中阿讃等郷)波也之《ハヤシ》 
○はやし 拜慈(備中郷)波也之《ハヤシ》 
○はやし 拜志(豫郷)波也之《ハヤシ》 コレラ拜《ハイ》ヲハヤニ用ヒタリ、此(ノ)外諸國ニ、拜志ト云郷名多シ、皆ハヤシニテ、林ノ意ナリ、
  以上イノ韻ヲヤニ用ヒタリ

○あゆち 愛智(尾郡) 書紀ニ吾湯市《アユチ》又|年魚市《アユチ》、万葉ニモ年魚市《アユチ》トアリ、然ルヲ和名抄ニ、阿伊知《アイチ》卜注セルハ、(16コマ)後ニ訛レル唱(ヘ)ナリ、(魚ノアユヲモ、今(ノ)人ハアイト云ニ同ジ、)愛《アイ》ヲアユニ用ヒタリ 
○あゆかは 愛甲(相郡)阿由加波《アユカハ》(甲《カハ》ノコトハ上ニ出)
  以上イノ韻ヲユニ用ヒタリ
 

     アノ行(リ)ノ音同(シ)行(リ)通用セル例
○あご 英虞(志郡)阿呉《アゴ》 
○あいた 英多(作郡)安伊多《アイタ》 
○あが 英賀(備中郡播郷)阿加《アガ》 是ラ英《エイ》ヲア又アイニ用ヒタリ、 
○あちえ 謁叡(丹後郷) 神名帳ニ阿知江《アチエ》トアル是也、謁《エツ》ヲアチニ用ヒタリ、 
○えち 愛智(近郡)衣知《エチ》 愛《アイ》ヲエニ用ヒタリ 
○おたぎ 愛宕(山郡)於多岐《オタギ》 愛《アイ》ヲオニ用ヒタリ、(宕《タギ》ノコトハ上ニ出) 
○おはらき 邑樂(上野郷)於波良岐《オハラキ》 
○おふみ 邑美(因郡石播等郷)於不美《オフミ》 
○おほち 邑知(石郡能郷)於保知《オホチ》 
○おほく 邑久(備前郡)於保久《オホク》 邑ヲ如此《カク》オニ用ヒタルガ多キハ、此(ノ)字呉音オフナレバ也、サレバ此《コ》ハ通用ニハ非レドモ、此(ノ)字オフノ音ヲ、人多クハ知ラザル故ニ、姑(ク)擧ツ、
 

       カノ行(リ)ノ音同(シ)行(リ)通用セル例
○くゝち 菊池(肥後郡)久々知《クヽチ》 (神代紀ニ菊理《クヽリ》媛ト云神名モアリ)(17コマ)後(ノ)世ニ是(レ)ヲキクチト云ハ、字音ニ依テ、訛レルモノナリ、
○くゝま 菊麻(上總郷)久々萬《クヽマ》(和名抄本、菊(ノ)字ヲ菓ニ誤レリ、) コレラ菊《キク》ヲクヽニ用ヒタリ、 
○みぐみ 美含(但郷)三久美《ミグミ》 含《ゴン》ヲグミニ用ヒタリ、(但(シ)此(ノ)字ヲ用ヒタルコトハ、メヅラシケレバ、フクミノ訓ヲ兼タル意モアルカ、) 
○くたみ 忽美(雲郷) 風土記ニ見ユ、(上ニモ出)忽《コツ》ヲクタニ用ヒタリ、
○こむく 感口(河) 神名帳ニ見ユ、和名抄ニハ紺口《コムク》トアリ、感呉音コンナリ、仁徳紀ニ感玖《コムク》、又古事記ニ高目郎女《コムクノイラツメ》、應仁紀ニ※[さんずいへん+勞]來田《コムクダノ》皇女ナドアル、皆一(ツ)地名也、

 
       サノ行(リ)ノ音同(シ)行(リ)通用セル例
○しだら 設樂(三郡)志太良《シダラ》 設《セツ》ヲシダニ用ヒタリ、(ツノ韻ヲタニ轉用セル例ハ上ニ出) 
○あすかべ 安宿(河郡)安須加倍《アスカベ》 (クノ韻ヲ轉用シタル例ハ上ニ出) 
○すくゝ 宿久(津郷) 神名帳ニ須久々《スクヽ》(ノ)神社トアル地ナリ、(和名抄本ニ久(ノ)字ヲ人ニ誤レリ) コレラハ宿《シユク》ノシユヲ直音ニシタルナレバ、(宿祢《スクネ》宿世《スクセ》ナドモ同ジ)通用ニハ非レドモ、姑(ク)擧ツ、

         
       タノ行(リ)ノ音同(シ)行(リ)通用セル例
○つくし 筑紫(國) 筑《チク》(又竺トモ作《カケ》リ)ヲツクニ用ヒタリ、(18コマ) 
○つゝき 綴喜(山郡)豆々岐《ツヽキ》 綴《テツ》ヲツヽニ用ヒタリ、(下ノツヲ濁ルハ非ナリ、古事記ニモ書紀ニモ、筒《ツヽ》ト書タリ、然ルニメヅラシキ綴(ノ)字ヲシモ用ヒタルハ、清濁ヲ通ハシテ、ツヾルノ訓ヲ兼タル意モアルカ、上ナル美含《ミグミ》ノ例思フベシ、) 
○つくは 筑波(常郡)豆久波《ツクハ》 
○あづみ 安曇(信郡)阿都三《アヅミ》 曇《ドン》ヲヅミニ用ヒタリ、 
○つかま 筑摩(信郡)豆加萬《ツカマ》 
○つるが 敦賀(越前郡)都留我《ツルガ》 敦《トン》ヲツルニ用ヒタリ、 
○つくま 筑摩(近) 
○つくま 託馬(同上) 萬葉三ニ見ユ、託《タク》ヲツクニ用ヒタリ、 
○つくぶすま 筑夫嶋(近) 三代實録卅五ニ見ユ、神名帳ニ都久夫須麻《ツクブスマ》トアリ、(今チクブシマト云ハ訛也、竹卜書タルモツク也、)
   
     
        ナノ行(リ)ノ音同(シ)行(リ)通用セル例
○なら 寧樂(和) 寧ハ奴丁《ドテイノ・ヌチヤウノ》反、漢音デイ、呉音ニヤウ(常ニハ漢呉共ニネイト呼(フ))ナルヲ、ナニ用ヒタリ、(但シ.ニヤウノニヤヲ直音ニスレバナトナル、)諾樂《ナラ》乃樂《ナラ》ナド書ルハ、本音ニテ、韻ヲ省ケル例ナリ、(諾ハ奴各《ヌカク》(ノ)反ナレバ、呉音ナク也、伊邪那岐神ノ御名ノ那岐ヲ、書紀ニ諾《ナギ》ト書レタルモ、此(ノ)音ノ韻ヲ轉用シタルモノナリ、)
      

        ハノ行(リ)ノ音同(シ)行(リ)通用セル例
○あへ 阿拜(伊郡)安倍《アヘ》 敢《アヘ》トモ書(ケ)り、(ヘ清音也、) 拜《ハイ》ヲヘニ(20コマ)用ヒタリ、是(レ)ハ尋常ノ假字ニモ、賣《マイ》米《マイ》ヲメ、禮《ライ》ヲレ、帝《タイ》ヲテニ用ル類ト、同格ナリ、(礼《レ》帝《テ》ナド、漢音ノレイテイヲ取ルニハ非ズ、)又書紀ノ假字ニハ、哀《アイ》愛《アイ》ヲエ、開《カイ》階《カイ》ヲケ、西《サイ》細《サイ》ヲせ、俳《ハイ》珮《ハイ》ヲヘ、昧《マイ》毎《マイ》ヲメニ用ヒタル類多キモ同ジ、 
○さへき 佐伯(藝郡)佐倍木《サヘキ》 伯《ハク》ヲヘキニ用ヒタリ、 
○くるへ 訓覇(勢郷)久留倍《クルヘ》 覇呉音ヘナリ、然レドモ人多クハ、此(ノ)呉音ヲ知ラザル故ニ、擧ツ、此(ノ)字、績紀ノ宣命ナドニモ、ヘノ假字ニ用ヒラレタリ、(訓《クル》ノコトハ上ニ出) 
○覇多(遠郷)反多 此(ノ)反ハ、ヘント唱ルヨシカ、ハタヘカ、詳ナラズ、此(ノ)郷名國人ニ尋ヌベシ、 
○たへ 多配(讃郷)多倍《タヘ》
 

       マノ行(リ)ノ音同(シ)行(リ)通用セル例
○さがむ 相模(國) 模《モ》ヲムニ用ヒタリ、此(ノ)國名ノ事、上ニ云ルガ如シ、 
○かゞみ 各務(濃郡)加々美《カヾミ》 務《ム》ヲミニ用ヒタリ、 
○まきむく 巻目(和) 萬葉七ニ見ユ、モクヲムクニ用ヒタリ、常ニ纏向《マキムク》ナド書(ケ)リ、(マキモクト唱ルハ、ヒガコトナリ、) 
○こむく 高目(河) 古事記ニ見ユ、此(ノ)地ノ事、上ニ出タリ、

 
       ヤノ行(リ)ノ音同(シ)行(リ)通用セル例
○やむや 塩冶(雲郷) 風土記ニ止屋《ヤムヤ》又|夜牟夜《ヤムヤ》、崇神紀ニモ止屋《ヤムヤ》トアリ、エンヲヤムニ用ヒタリ、後(ノ)世ニ此(レ)ヲ.エンヤト唱ルハ、字ニ依テ訛レル也、(和名抄本ニ冶(ノ)字ヲ沼二誤レリ) 
○いくれ 勇礼(越後郷)以久礼《イクレ》 勇《ユウ》ヲイクニ用ヒタリ、
 
       ラノ行(リ)ノ音同(シ)行(リ)通用セル例
○とゞろき 等力(甲郷)止々呂木《トヾロキ》 リキヲロキニ用ヒタリ、
 

        雑《クサ/”\》ノ轉用
○はゝき 伯耆(國)波々岐《ハヽキ》 伯《ハク》ヲハヽニ用ヒタリ、 
○つしま 對馬(國)都之萬《ツシマ》 古事記ニ津嶋トアリ、此(ノ)意ノ名也、然ルヲ對馬ト書ルハ、漢籍《カラブミ》魏志ニ見エタリ、サレバ此《コ》ハモト、彼(ノ)國ニテ譯シタル字ナルヲ、ソノママニ用ヒラレタルモノナルベシ、其故ハツシニ對(ノ)字ヲ書ル、假字ノサマ、當昔《ソノカミ》皇國ノ假字ノ用ヒザマニハ似ザレバ也、 
○ふゝし 鳳至(能郡)不布志《フフシ》 ウノ韻ヲフニ用ヒタリ、 
○おほく 大伯(備前郡、邑久《オホク》是ナリ、) 書紀ニ見ユ、大来《オホク》トモアリ、伯《ハク》ヲクニ用ヒタリ、(上ノオホノホノユカリニ、其通音ノハヘ連《ツヾ》ケテ、ハクノ音ノ字ヲ用ヒタルカ、然ラズハ、クニハクノ音ノ字ヲ用フベキヨシナシ、) 
(22コマ)
○さはら 早良(筑前郡)佐波良《サハラ》 ウノ韻ヲハニ用ヒタリ、 
○とゞろき 等力(甲郷)止々呂木《トヾロキ》 トウヲトヾニ用ヒタリ、 
○うなみ 宇納(越中郷)宇那美《ウナミ》 ナフヲナミニ用ヒタリ、若(シ)クハ納ハ、網ヲ誤レル字カ、(丹後ノ郷名ノ網野《アミノ》ヲモ、納野ト誤レル例アリ、彼(ノ)網野ハ、神名帳ニモ見エ、今モ網野村ト云アリテ、マガヒナシ、)然ラバウノアミヲ切《ツヾ》メテ、ウナミナリ、 
○しゝぬ 漆沼(雲郷) 風土記ニ、舊《モト》司志沼《シヽヌ》ト書ルヨシ見エタリ、シツヲシヽニ用ヒタリ、 
○もとろゐ 物理(備前郷)毛止呂井《モトロヰ》 理《リ》ヲロヰニ用ヒタル、(ロヰノ反リ)イトメヅラシ、 
○かしを 賀集(淡郷)加之乎《カシヲ》 シフヲシヲニ用ヒタル、メヅラシ、(若(シ)クハ乎(ノ)字ハ、布《フ》ヲ誤レルニハ非ルカ、此(ノ)郷名國人ニ尋ヌべシ、)
○しつな 志筑(淡郷)之都奈《シツナ》 チクヲツナニ用ヒタルイカヾ、(奈字、誤写ナルベシ、此(ノ)郷名國人ニ尋ヌベシ、) 
○かくち 甲知(讃郷)加久知《カクチ》 カフヲカクニ用ヒタルイカヾ、(久(ノ)字ハ誤写カ、) 
○かわら 考羅(山) 仁徳紀ニ見ユ、古事記ニ※[言+可]和羅《カワラ》、崇神紀ニ伽和羅《カワラ》トアル、同地也、ウノ韻ヲワニ用ヒタリ、 
○にひき 新益(和) 持統紀ニ見ユ、天武紀又持統紀ニモ、トコロ/”\ニ新城《ニヒキ》トアルト一(ツ)ニテ、此二御世ニ、都ヲ遷シ賜ハムトセシ地也、(績紀ニ、宝亀五年八月、幸2新城(ノ)宮(ニ)1トアルモ、此《コヽ》ナリ、今添下(ノ)郡ニ新木《ニキ》村ト云處也ト云リ、)キニエキノ音ノ字ヲ用ヒラレタルハ、(上ナル大伯《オホク》ノ伯《ク》ノ如シ)好(23コマ)字ヲ撰ヒテナルベシ、 
○かわら 各羅(筑前) 雄畧紀武烈紀ニ見エテ、カワラト假字附(ケ)せリ、カクヲカワニ用ヒタルカ、 
○みまな 任那(外国) 此(ノ)名ハ漢籍ニモ見エタレド、モト皇國ヨリ名(ツ)ケタルニテ、ミマナノ假字也、(百済ヲクダラ、新羅ヲシラキナド云トハ異ナリ、)任《ニン》ヲミマニ用ヒタリ、(ニトミトハ通フ例多ク、又ンノ韻ヲ、マニ用ヒタル例モ、上ニ出セルガ如シ、)
 

      韻《ヒヾキ》ノ音ノ字ヲ添(ヘ)タル例
タヾ一音《ヒトコエ》ノ名ハ、二字ニ書(ク)ニ足(ラ)ザルガ故ニ、其(ノ)韻《ヒビキ》ノ音ノ字ヲ添(ヘ)テ、二字トセリ、今其例ヲ此《コヽ》ニ擧(ク)、
○き 紀伊(國) 是(レ)木《キノ》國ナルヲ、キノ韻《ヒヾキ》ノイノ音ノ字ヲ、添タルモノ也、下皆此(レ)ニ効《ナラ》ヒテ知(ル)ベシ、 
○き 基肄(肥前郡) 肄音イ也、 
○ゐ 謂伊(遠郷)井以《ヰイ》 コハ井ト注スベキ例ナルニ、井以ト注セルハイカヾ、 
○ひ 斐伊(雲郷) 古事記ニ肥、書紀ニ簸《ヒ》卜書レタリ、(和名抄本ニ、伊(ノ)字ヲ甲ニ誤レリ、風土記ニ伊トアリ、) 
○ひ 毘伊(肥後郷) 
○つ 都宇(備中郡近越後備後藝等郷)津《ツ》 
○ゆ 由宇(周郷) 
○え 穎娃(薩郷)江乃《エノ》 績紀一ニ、衣評《エノコホリ》トアル是ナリ、(郡ヲ評ト云コト、書紀ニモ、其外ニモ例アリ、)神代ノ可愛《エノ》山陵モ此(ノ)地也、(此(ノ)事ハ、古事記傳ニ委(ク)云リ、サテ此(ノ)郷名、今國人ハエイト云リ、和名抄ニ、江乃《エノ》卜注シタルハイカヾ、思《フ》ニ此ハ、エノ郡ト云トキノ、ノヲ添テ書ルニコソハアラメ、)(24コマ)娃(ノ)字ハ、アイノ音ナルヲ、エニ用ヒテ、添(ヘ)タル也、(アイヲエニ用ルハ、愛《エ》埃《エ》哀《エ》ナドノ如シ、) 
○せ 弟翳(備中卿)勢《セ》 翳(ノ)字ハ、エノ假字ニ添(ヘ)タル也、サテ弟ヲせト云(フ)ハ、女ヨリハ、弟ヲモ兄《せ》ト云ヘバ也、此(ノ)郷名、サル由アリテ、弟トハ書ルナルベシ、サテ此(ノ)弟《せ》ハ、字音ニ非ルニ、韻《ヒビキ》ノ音ノ字ヲ添(ヘ)タルハ、メヅラシキ例也、 
○ほ 寶飫(三郡)穂《ホ》 飫ハオノ假字也、 
○そ ※[口+贈]※[口+於](隅郡)曾於《ソオ》 書紀ニ襲《ソノ》國トアル是也、サレバ曾《ソ》ト注スベキ例ナルニ、曾於ト注セルハイカヾ、 
○を 呼※[口+於](泉郷)乎《ヲ》 古事記及神名帳ナドニ、男《ヲ》トアリ、 
○と 斗意(備後郷) 意ハオノ假字也、 
○と 覩※[口+於](日郷) 
○都於(石郷) 此(レ)ハ都ヲトノ音ニ用ヒタルカ、又ハ都(ノ)字ハ、覩《ト》ヲ写(シ)誤レルモノカ、何レニマレトヽ云(フ)名ニ非レバ、下ノ於(ノ)字當ラズ、(若(シ)ツナラバ、下ノ字|宇《ウ》ナラデハ叶ハズ、ナホ此(ノ)郷名、國人ニ辱ヌべシ、)
 

       字ヲ省ケル例
凡テ國名郡名郷名、皆必二字ニ書(ク)ベキ、御サダメナルニ、長クシテ、二字ニハ約メ難キヲバ、字ヲ省キテ書タリ、其例ハ、國名上野下野ハ、カミツケヌ シモツケヌ ニテ、古事記ナドニハ、上(ツ)毛野《ケヌ》下(ツ)毛野《ケヌ》トアルヲ、毛(ノ)字ヲ省(25コマ)キ、大和ノ郡名|磯城《シキノ》上下ヲ、磯(ノ)字ヲ省キテ、城上《シキノカミ》(之岐乃加美《シキノカミ》)城下《シキノシモ》(之岐乃之毛《シキノシモ》)ト書キ、葛城《カヅラキノ》上下ヲバ、城(ノ)字ヲ省キテ、葛上《カヅラキノカミ》(加豆良岐乃加美《カヅラキノカミ》)葛下《カヅラキノシモ》(加豆良岐乃之毛《カヅラキノシモ》)ト書(ク)タグヒ諸國ニ多キヲ其(ノ)例ニテ、字音ヲ以テ書ルニモ、字ヲ省ケリト見ユル、彼此《コレカレ》有ルヲ、今|此《コヽ》ニ擧(ク)、
○むざし 武藏□《ムザシ》(國) 藏(ノ)字ハ、ザニ用ヒタルナルベケレバ、シニ當(タ)ル字ヲ省ケルナルベシ、(蔵《ザウ》ヲザシニハ用ヒガタカルベケレバナリ、)古事記ニハ牟邪志《ムザシ》ト書キ、(邪モ藏モ濁音ナレバ、古(ヘ)ハサヲ濁リシナルベシ、)又古書ニ身刺《ムザシ》トモ書タリ、(身ヲムト云ルコト、例多シ、) 
○たぢま 但□馬《タヂマ》(國)太知萬《タヂマ》 是(レ)モ但(ノ)字、タヂニハ用フベキニ非レバ、ヂニ當(タ)ル字ヲ省ケル也、古事記ニハ多遲麻《タヂマ》、舊事紀(ノ)國造本紀ニハ但遲麻《タヂマ》ト書リ、 
○みまさか 美□作《ミマサカ》(國)美萬佐加《ミマサカ》 
○あすかべ 安宿□《アスカベ》(河郡)安須加倍《アスカベ》 雄畧紀ニハ飛鳥戸《アスカベノ》郡トアリ、 
○たぢひ 丹□比《タヂヒ》(河郡)太知比《タヂヒ》 古事記ニ多遲比《タヂヒ》トアリ、 
○あはちま 安八□《アハチマ》(濃郡) 天武紀ニ安八磨《アハチマノ》郡トアル是ナリ、續紀三ニ、安八萬(ノ)王ト云人(ノ)名アルモ、此(ノ)地名ニ由レリト聞ユ、(天武紀ニハ、アハツマト假字附(ケ)ヲシタレドモ、ヨアハチマナルベシ、又今國人ハ、アンパチ郡ト云(フ)ハ、字ニ依レルイヤシキ唱(ヘ)ナリ、) 
○とよめ 登□米《トヨメ》(奥郡)止与米《トヨメ》 
○ちぶり 知夫□《チブリ》(隠郡) 
○あがた 英□太《アガタ》(勢郷)阿加多《アガタ》 
(26コマ)
○ころも 擧□母《コロモ》(三郷)古呂毛《コロモ》 
○つがは 都賀□《ツガハ》(石郷)都加波《ツガハ》 
やまくに 養□訓《ヤマクニ》(藝郷)也万久尓《ヤマクニ》 
○しがらき 信□樂《シガラキ》(近)
    上件字ヲ省ケル例トせル中ニ、韻ヲ轉ジタル例トシテ、上ニ出せル雜《クサ/”\》ノ轉用ノ中ニ収《イ》ルベキモアラムカ、又カノ雜ノ轉用ノ中ニ収《イ》レタルニ、字ヲ省ケル例ナルモアラムカ、此(ノ)二(ツ)ノ例、今慥ニハ分(ケ)ガタキモアレド、其《ソ》ハ大カタニ分(ケ)テ擧ツ、

 



  直毘霊  
           本居宣長


 

皇大御國(スメラオホミクニ)は、掛(カケ)まくも可畏(カシコ)き‾御祖(カムミオヤ)天照大御‾(アマテラスオホミカミ)の、御生坐(ミアレマセ)る大御國(オホミクニ)にして、

萬國に勝(スグ)れたる所由(ユエ)は、先( ヅ)こゝにいちじるし。國という國に、此( ノ)大御‾の大御(オホミメグミ)かゞふらぬ國あらめや。

大御‾、大御手(オホミテ)に天(アマ)つ璽(シルシ)を捧持(サゝゲモタ)して、

御代御代に御(ミ)しるしと傳(ツタ)はり來(キ)つる、三種(ミクサ)の‾寶(カムダカラ)は是ぞ。

萬千秋(ヨロヅチアキ)の長秋(ナガアキ)に、吾御子(アガミコ)のしろしめさむ國なりと、ことよさし賜(タマ)へりしまにまに、

天津日嗣(アマツヒツギ)高御座(タカミクラ)の、天地の共動(ムタウゴ)かぬことは、既(ハヤ)くこゝに定まりつ。

天雲(アマクモ)のむかぶすかぎり、谷蟇(タニグク)のさわたるきはみ、皇御孫(スメミマノ)命の大御食國(オホミヲスクニ)とさだまりて、天下(アメノシタ)にはあらぶる‾もなく、まつろわぬ人もなく、

いく萬代を經(フ)とも、誰(タレ)しの奴(ヤツコ)か、大皇(オホキミ)に背(ソム)き奉(マツラ)む。あなかしこ、御代御代の間(アヒダ)に、たまたまも上伏惡穢奴(マツロハヌキタナキヤツコ)もあれば、‾代の古事(フルコト)のまにまに、大御稜威(オホミイツ)をかゞやかして、たちまちにうち滅(ホロボ)し給ふ物ぞ。

千萬御世(チヨロヅミヨ)の御末(ミスエ)の御代まで、天皇命(スメラミコト)はしも、大御‾の御子(ミコ)とましまして、

御世御世の天皇(スメラギ)は、すなわち天照大御‾の御子になも大座(オホマシ)ます。故(カレ)天(アマ)つ‾の御子とも、日の御子ともまをせり。

天(アマ)つ‾の御子を大御心として、

何(ナニ)わざも、己命(オノレミコト)の御心もてさかしだち賜はずて、たゞ‾代の古事(フルコト)のまにまに、おこなひたまひ治(オサ)め賜ひて、疑(ウタガ)ひおもほす事しあるをりは、御卜事(ミウラゴト)もて、天( ツ)‾の御心を問(トハ)して物し給ふ。

‾代も今もへだてなく、

たゞ天津日嗣(アマツヒツギ)の然(シカ)ましますのみならず、臣連八十伴緒(オミムラジヤソトモノヲ)にいたるまで、氏(ウヂ)かばねを重(オモ)みして子孫(ウミノコ)の八十續(ヤソツゞキ)、その家々(イヘイヘ)の職業(ワザ)をうけつがひつゝ、祖‾(オヤカミ)たちに異(コト)ならず、只一世(タゞヒトヨ)の如くにして、‾代のまゝに奉仕(ツカヘマツ)れり。

‾(カム)ながら安國(ヤスクニ)と、平(タヒラ)けく所知看(シロシメ)しける大御國になもありければ、

書記の難波長柄朝廷御巻(ナニハノナガラノミカドノミマキ)に、惟神者(カムナガラトハ)、謂隨‾道亦自有神道(カミノミチニシタガヒタマヒテオノヅカラカミノミチアルヲイフ)也とあるを、よく思ふべし。‾( ノ)道に隨(シタガ)ふとは、天( ノ)下治(ヲサ)め賜ふ御(ミ)しわざは、たゞ‾代より有( リ)こしまにまに物し賜ひて、いさゝかもさかしらを加(クハ)へ給ふことなきをいふ。さてしか‾代のまにまに、大(オホ)らかに所知看(シロシメ)せば、おのづから‾の道はたらひて、他(ホカ)にもとむべきことなきを、自有‾道(オノヅカラカミノミチアリ)とはいふなりけり。かれ現御‾(アキツカミ)と大八洲國(オホヤシマクニ)しろしめすと申すも、其( ノ)御世々々の天皇の御政(ミヲサメ)、やがて‾の御政(ミヲサメ)なる意なり。萬葉集の哥などに、‾隨云々(カムナガラシカシカ)とあるも、同じこゝろぞ、‾國(カミグニ)と韓人(カラビト)の申せりしも、諾(ウベ)にぞ有( リ)ける。

古( ハ)の大御世(オホミヨ)には、道(ミチ)といふ言擧(コトアゲ)もさらになかりき。

故古語( レフルコト)に、あしはらの水穗(ミヅホ)の國は、‾(カム)ながら言擧(コトアゲ)せぬ國といへり。

其(ソ)はたゞ物にゆく道こそ有( リ)けれ。

美知(ミチ)とは、古事記に味御路(ウマシミチ)と書る如く、山路野路(ヤマヂヌヂ)などの路(チ)に、御(ミ)てふ言を添(ソヘ)たるにて、たゞ物にゆく路ぞ。これをおきては、上( ツ)代に、道といふものはなかりしぞかし。

物のことわりあるべきすべ、萬(ヨロヅ)の(ヲシ)へごとをしも、何(ナニ)の道くれの道といふことは、異國(アダシクニ)のさだなり。

異國(アダシクニ)は、天照大御‾の御國にあらざるが故に、定(サダ)まれる主(キミ)なくして、狹蠅(サバヘ)なす‾ところを得て、あらぶるによりて、人心あしく、ならはしみだりがはしくして、國をし取(トリ)つれば、賤しき奴(ヤツコ)も、たちまちに君ともなれば、上(カミ)とある人は、下なる人に奪(ウバ)はれじとかまへ、下なるは、上(カミ)のひまをうかゞひて、うばゝむとはかりて、かたみに仇(アタ)みつゝ、古( ル)より國治(ヲサ)まりがたくなも有( リ)ける。其(ソ)が中に、威力(イキホヒ)あり智(サト)り深くて、人をなつけ、人の國を奪(ウバ)ひ取て、又人にうばはるまじき事量(コトバカリ)をよくして、しばし國をよく治めて、後の法(ノリ)ともなしたる人を、もろこしには聖人とぞ云なる。たとへば、亂(ミダ)れたる世には、戰(タゝカヒ)にならふゆゑに、おのづから吊將(ヨキイクサノキミ)おほくいでくるが如く、國の風俗(ナラハシ)あしくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、世々にそのすべをさまざま思ひめぐらし、爲(シ)むならひたるゆゑに、しかかしこき人どももいできつるなりけり。然るをこの聖人といふものは、‾のごとよにすぐれて、おのづからに奇(クス)しき(イキホヒ)あるものと思ふは、ひがことなり。さて其( ノ)聖人どもの作りかまへて、定めおきつることをなも、道とはいふなる。かゝれば、からくにゝして道といふ物も、其旨( ノムネ)をきはむれば、たゞ人の國をうばはむがためと、人に奪(ウバ)はるまじきかまへとの、二( ツ)にはすぎずなもある。そもそも人の國を奪(ウバ)ひ取( ラ)むとはかるには、よろづに心をくだき、身をくるしめつゝ、善(ヨキ)ことのかぎりをして、諸人(モロビト)をなつけたる故に、聖人はまことに善人(ヨキヒト)めきて聞え、又そのつくりおきつる道のさまも、うるはしくよろづにたらひて、めでたくは見ゆめれども、まづ己(オノレ)からその道に背(ソム)きて、君をほろぼし、國をうばへるものにしあれば、みないつはりにて、まことはよき人にあらず。いともいとも惡(アシ)き人なりけり。もとよりしか穢惡(キタナ)き心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、後( ノ)人も、うはべこそたふとみしたがひがほにもてなすめれど、まことには一人も守(マモ)りつとむる人なければ、、國のたすけとなることもなく、其( ノ)吊のみひろごりて、つひに世に行(オコナ)はるゝことなくて、聖人の道は、たゞいたづらに、人をそしる世々の儒者(ズサ)どもの、さへづりぐさとぞなれりける。然るに儒者の、たゞ六經などいふ書をのみとらへて、彼( ノ)國をしも、道正(タゞ)しき國ぞと、いひのゝしるは、いたくたがへることなり。かく道といふことを作りて正(タゞ)すは、もと道の正しからぬが故のわざなるを、かへりてたけきことに思ひいふこそをこなれ。そも後( ノ)人、此( ノ)道のまゝに行なはゞこそあらめ、さる人は、よゝに一人だに有( リ)がたきことは、かの國の世々の史(フミ)どもを見てもしるき物をや。さて其道といふ物のさまは、いかなるぞといへば、仁義禮讓孝悌忠信などいふ、こちたき吊どもを、くさぐさ作り設(マケ)て、人をきびしく教へおもむけむとぞすなる。さるは後( ノ)世の法律を、先王の道にそむけりとて、儒者(ズサ)はそしれども、先王の道も、古( ヘ)の法律なるものをや。また易(ヤク)などいふ物をさへ作りて、いともこゝろふかげにいひなして、天地の理(コトハシ)をきはめつくしたりと思ふよ。これはた世人をなつけ治めむための、たばかり事ぞ。そもそも天地のことわりはしも、すべて‾の御所爲(ミシワザ)にして、いともいとも妙(タヘ)に奇(クス)しく、靈(アヤ)しきものにしあれば、さらに人のかぎりある智(サト)りもては、測(ハカ)りがたきわざなるを、いかでかよくきわめつくして知ることのあらむ。然るに聖人のいへる言をば、何(ナニ)ごともたゞ理(コトワリ)の至極(キハミ)と、信(ウケ)たふとみをるこそいと愚(オロカ)なれ。かくてその聖人どもの仕業にならひて、後々(ノチノチ)の人どもゝ、よろづのことを、己(オノ)がさとりもておしはかりごとするぞ、彼( ノ)國のくせなる。大御國(オホミクニ)の物學びせむ人、是(ココ)をよく心得をりて、ゆめから人の説(コト)になまどはされそ。すべて彼( ノ)國は、事毎(ゴト)にあまりこまかに心を着(ツケ)て、かにかくに論(アゲツラ)ひさだむる故に、なべて人の心さかしだち惡(ワロ)くなりて、中々に事をしゝこらかしつゝ、いよいよ國は治まりがたくのみなりゆくめり。されば聖人の道は、國を治めむために作りて、かへりて國を亂(ミダ)すたねともなる物ぞ。すべて何(ナニ)わざも、大(オイ)らかにして事足(タリ)ぬることは、さてあるこそよけれ。故(カレ)皇國の古( ヘ)は、さる言痛(コチタ)さ教( ル)も何(ナニ)もなかりしかど、下が下までみだるゝことなく、天( ノ)下は穩(オダヒ)に治まりて、天津日継いや遠長(トホナガ)に傳はり來坐(キマセ)り。さればかの異國(アダシクニ)の吊にならひていはゞ、是( レ)ぞ上(ウヘ)もなき優(スグレ)たる大(オホ)き道にして、實(マコト)は道あるが故に道てふ言(コト)なく、道てふことなけれど、道(コト)ありしなりけり。そをことごとしくいひあぐると、然らぬとのけぢめを思へ。言擧(コトアゲ)せずとは、あだし國のごと、こちたく言(イヒ)たつることなきを云なり。譬(タトヘ)ば才(サエ)も何(ナニ)も、すぐれたる人はいひたてぬを、なまなまのわろものぞ、返りていさゝかの事をも、ことごとしく言(イヒ)あげつゝほこるめる如く、漢國(カラクニ)などは、道ともしきゆゑに、かへりて道々(ミチミチ)しきことをのみ云( ヒ)あへるなり。儒者(ズサ)はこゝをえしらで、皇國をしも、道なしとかろしむるよ。儒者のえしらぬは、萬( ヅ)に漢(カラ)を尊(タフト)き物に思へる心は、なほさも有( リ)なむを、此方(ココ)の物知( リ)人さへに、是( レ)をえさとらずて、かの道てふことある漢國をうらやみて、強(シヒ)てこゝにも道ありと、あらぬことゞもをいひつゝ爭(アラソ)ふは、たとへば、猿(サル)どもの人を見て、毛(ケ)なきぞとわらふを、人の恥(ハヂ)て、おのれも毛(ケ)はある物をといひて、こまかなるをしひて求出(モトメイデ)て見せて、あらそふが如し。毛(ケ)は無(ナ)きが貴きをもしらぬ、癡人(シレモノ)のしわざにあらずや。

然るをやゝ降(クダ)りて、書籍(フミ)といふ物渡參來(ワタリマヰキ)て、其(ソ)を學(マナ)びよむ事始(ハジ)まりて後(ノチ)、其( ノ)国のてぶりをならひて、やゝ萬( ツ)のうへにまじへ用ひられるゝ御代になりてぞ、大御國の古( ヘ)の大御(オホミ)てぶりをば、取別(トリワケ)て神道(カミノミチ)とはなづけられたりける。そはかの外國(トツクニ)の道々(ミチミチ)にまがふがゆゑに、‾(カミ)といひ、又かの吊を借(カ)りて、こゝにも道(ミチ)とはいふなりけり。

神の道としもいふ所由(ユエ)は、下につばらかにとく。

しかありて御代々々を經(フ)るまゝに、いやますますに、その漢(カラ)国のてぶりをしたひまねぶこと、盛(サカリ)にありもてゆきつゝ、つひに天の下所知看(シロシメ)す大御政(オホミワザ)も、もはら漢様に爲(ナリ)はてゝ、

難波の長柄(ナガラノ)宮、淡海(アフミ)の大津( ノ)宮のほどに至りて、天の下の御制度(ミサダメ)も、みな漢(カラ)になりき。かくて後は、古の御(ミ)てぶりは、たゞ‾事(カムワザ)にのみ用ひ賜へり。故( レ)後( ノ)代までも、‾事(カムワザ)にのみは、皇のてぶりの、なほのこれることおほきぞかし。

青人草(アヲヒトクサ)の心までぞ、其意( ノコゝロ)にうつりにける。

天皇尊(スメラミコト)の大御心を心とせずして、己々(オノオノ)がさかしらごころを心とするは、漢意(カラゴゝロ)の移(ウツ)れるなり。

さてこそ安(ヤス)けく平(タヒラ)けく有來(アリコ)し御国の、みだりがはしきこといできつゝ、異國(アダシクニ)にやゝ似(ニ)たることも、後にはまじりきにけれ。

いともめでたき大御國(オホミクニ)の道をおきながら、他國(ヒトクニ)のさかしく言痛(コチタ)き意行(コゝロシワザ)を、よきことゝして、ならひまねべるから、直(ナホ)く清(キヨ)かりし心も行(オコナ)ひも、みな穢惡(キタナ)くまがりゆきて、後つひには、かの他國(ヒトグニ)のきびしき道ならずては、治まりがたきが如くなれるぞかし。さる後のありさまを見て、聖人の道ならずては、國は治まりがたき物ぞと思ふめるは、しか治まりがたくなりぬるは、もと聖人の道の蔽(ツミ)なることを、えさとらぬなり。古( ヘ)の大御代に、其道をからずて、いとよく治まりしを思へ。

そもそも此( ノ)天地(アメツチ)のあひだに、有( リ)とある事は、悉(コトゴト)皆に神の御心なる中に、

凡て此( ノ)世( ノ)中の事は、春秋のゆきかわり、雨ふり風ふくたぐひ、又國のうへ人のうへの、吉凶(ヨキアシ)き萬( ノ)事、みなことごとに‾の御所爲(ミシワザ)なり。さて‾には、善(ヨキ)もあり惡(アシ)きも有( リ)て、所行(シワザ)もそれにしたがふなれば、大かた尋常(ヨノツネ)のことわりを以ては、測(ハカ)りがたきわざなりかし。然るを世( ノ)人、かしこきもおろかなるもおしなべて、外國(トツクニ)の道々の説(コト)にのみ惑(マド)ひはてゝ、此( ノ)意をえしらず、皇國の學門(モノマナビ)する人などは、古書(イニシヘノフミ)を見て、必( ズ)知( ル)べきわざなるを、さる人どもだに、えわきまへ知( ラ)ざるは、いかにぞや。抑吉凶(ヨシアシ)き萬( ノ)の事を、あだし國にて、佛の道には因果とし、漢(カラ)の道々には天命といひて、天のなすわざと思へり。これらみなひがことなり。そが中に佛( ノ)道( ノ)説(コト)は、多く世の學者(モノマナブヒト)の、よく辨(ワキマ)へつることなれば、今いはず。漢國(カラクニ)の天命の説(コト)は、かしこき人もみな惑(マド)ひて、いまだひがことなることをさとれる人なければ、今これを論(アゲツラ)ひさとさむ。抑天命といふことは、彼( ノ)國にて古に、君を滅(ホロボ)し國を奪(ウバ)ひし聖人の、己(オノ)が罪をのがれむために、かまへ出(イデ)たる託言(コトツケゴト)なり。まことには、天地は心ある物にあらざれば、命(メイ)あるべくもあらず、もしまことに天に心あり、理(コトワリ)もありて、善人(ヨキヒト)に國を與(アタ)へて、よく治めしめむとならば、周の代のはてかたにも、必( ズ)又聖人は出ぬべきを、さもあらざりしはいかにぞ、もし周公孔子にして、既(スデ)に道は備(ソナハ)れる故に、其後は聖人を出( ダ)さずといはむも、又心得ず。かの孔丘が後、其( ノ)道あまねく世に行はれて、國よく治まりたらむにこそさもいはめ。其後しもいよよ其( ノ)道はすたれはてゝ、徒言(イタヅラゴト)となり、國もますますみだれつる物を、今はたれりとして、聖人をも出( ダ)さず、國の厄(マガ)をもかへりみず、つひに秦( ノ)始皇がごと荒(アラ)ぶる人にしも與(アタ)へて、人草(ヒトクサ)を苦(クル)しめしは、いかなる天のひがこゝろぞ。いといといぶかし。始皇などは、天のあたへしに非る故に、久しくはえたもたず、ともいひ枉(マグ)べけれど、そも暫(シバラク)にても、さる惡人(アシキヒト)にあたふべき理あらめやも。又國をしる君のうへに、天命のあらば、下なる諸人(モロビト)のうへにも、善惡(ヨシアシ)きしるしを見せて、善(ヨキ)人はながく福(サカ)え、惡(アシキ)人は速(スミヤ)けく禍(マガ)るべき理なるを、さはあらずて、よき人も凶(アシ)く、あしき人も吉(ヨ)きたぐひ、昔(ムカシ)も今も多かるはいかに。もしまことに天のしわざならましかば、さるひがことはあらましや。さて後( ノ)世になりては、やうやく人心さかしきゆゑに、國を奪ひて天命ぞといふをば、世( ノ)人の諾(ウベ)なはねば、うはべは禪(ユヅ)らせて取(トル)こともあるをば、よからぬことにいふめれど、かの古( ヘ)の聖人どもも、實(マコト)は是に異(コト)ならぬ物をや。後( ノ)世の王の天命ぞといふをば、信(ウケ)ぬものゝ、古( ヘ)人の天命をば、まことゝ心得をるは、いかなるまどひぞも。古( ヘ)は天命ありて、後にはなきこそをかしけれ。或人、舜は堯が國をうばひ、禹も又舜が國を奪へりしなりといへるも、さも有べきことぞ。後( ノ)世の王莽曹操がたぐひも、うはべはゆづりを受(ウケ)て嗣(ツギ)つれども、實(マコト)は簒(ウバ)へるを以て思へば、舜禹などもさぞありけむを、上( ツ)代は朴(スナホ)にして、禪れりと云( ヒ)なせるを、まことゝ心得て、國内(クヌチ)の人ども、みなあざむかれにけらし。かの莽操がころは、世( ノ)人さかしくて、あざむかれざりし故に、惡(アシ)きしわざのあらはれけむ。かれらが如くなる輩(トモガラ)も、上( ツ)代ならなしかば、あはれ聖人と仰(アフ)がれなましものを。

禍津日(マガツビノ)神の御(ミ)心のあらびはしも、せむすべなく、いとも悲(カナ)しきわざにぞありける。

世間(ヨノナカ)に、物あしくそこなひなど、凡て何事(ナニゴト)も、正しき理( リ)のまゝにはえあらずて、邪(ヨコサマ)なることも多かるは、皆此( ノ)神の御心にして、甚(イタ)く荒(アラ)び坐(マス)時は、天照大御神高木( ノ)大神の大御力にも、制(トド)みかね賜ふをりもあれば、まして人の力には、いかにともせむすべなし。かの善(ヨキ)人も禍(マガ)り、惡(アシキ)人も福(サカ)ゆるたぐひ、尋常(ヨノツネ)の理( リ)にさかへる事の多かるも、此( ノ)神の所爲(シワザ)なるを、外國には、神代の正しき傳説(ツタヘゴト)なくして、此( ノ)所由(ヨシ)をえしらざるが故に、たゞ天命の説を立( テ)て、何事(ナニゴト)もみな、當然理(シカルベキコトワリ)を以って定めむとするこそ、いとをこなれ。

然(シカ)れども、天照大御神高天原(タカマノハラ)に大坐々(オホマシマシ)て、大御光(オホミヒカリ)はいさゝかも曇(クモ)りまさず、此( ノ)世を御照(ミテラ)しましまし、天津御璽(アマツミシルシ)はた、はふれまさず傳(ツタ)はり坐(マシ)て、事依(コトヨサ)し賜ひしまにまに、天の下は御孫命(ミマノミコト)の所知食(シロシメシ)て、

異國(アダシクニ)は、本より主の定まれるがなければ、たゞ人(ヒト)もたちまち王になり、王もたちまちたゞ人にもなり、亡(ホロ)びうせもする、古( ヘ)よりの風俗(ナラハシ)なり。さて國を取( ラ)むと謀(ハカ)りて、えとらざる者(モノ)をば、賊といひて賤(イヤ)しめにくみ、取( リ)得たる者をば、聖人といひて尊(タフト)み仰(アフ)ぐめり。さればいはゆる聖人も、たゞ賊の爲( シ)とげたる者にぞ有( リ)ける。掛(カケ)けまくも可畏(カシコ)きや吾天皇尊(ワガスメラミコト)はしも、然(サ)るいやしき國々の王どもと、等(ヒトシ)なみには坐まさず。此( ノ)御國を生成(ウミナシ)たまへる。神祖(カムロギノ)命の、御(ミ)みづから授(サヅケ)賜へる皇統(アマツヒツギ)にましまして、天地の始( メ)より、大御食國(ヲスクニ)と定まりたる天( ノ)下にして、大御神の大命(オホミコト)にも、天皇惡(アシ)く坐( シ)まさば、莫( ナ)まつろひそとは詔(ノリ)たまわずあれば、善(ヨ)く坐( サ)むも惡(アシ)く坐( サ)むも、側(カタハラ)よりうかゞひはかり奉ることあたはず。天地のあるきはみ、月日の照(テラ)す限( リ)は、いく萬代を經(ヘ)ても、動(ウゴ)き坐( サ)ぬ大君に坐( セ)り、故( レ)古語(フルコト)にも、當代(ソノヨ)の天皇をしも、神と申して、實(マコト)に神にし坐( シ)ませば、善惡(ヨキアシ)き御(ミ)うへの論(アゲツラ)ひをすてゝ、ひたぶるに畏(カシコ)み敬(ウヤマ)ひ奉仕(マツロフ)ぞ、まことの道には有( リ)ける。然るを中ごろの世のみだれに、此( ノ)道に背(ソム)きて、畏(カシコ)くも大朝廷(オホキミカド)に射向(イムカ)ひて、天皇尊(スメラミコト)をなやまし奉れりし、北條( ノ)義時奉時、又足利( ノ)尊氏などが如きは、あなかしこ、天照( ノ)大御神の大御蔭(オホミカゲ)をもおもひはからざる、穢惡(キタナ)き賊奴(ヤツコ)どもなりけるに、禍津日(マガツビノ)神の心はあやしき物にて、世( ノ)人のなびき從ひて、子孫(ウミノコ)の末まで、しばらく榮(サカ)え居(ヲリ)しことよ。抑此( ノ)世を御照し坐( シ)ます天津日( ノ)神をば、必( ズ)たふとみ奉るべきことをしれども、天皇を必畏( ズカシ)こみ奉るべきことをば、しらぬ奴(ヤツコ)もよにありけるは、漢藉意(カラブミゴコロ)にまどひて、彼( ノ)國のみだりなる風俗(ナラハシ)を、かしこきことにおもひて、正しき皇國の道をえしらず、今世を照しまします天津日( ノ)神、即( チ)天照大御神にましますことを信(ウケ)ず、今の天皇、すなわち天照大御神の御子に坐( シ)ますことを忘(ワス)れたるにこそ。

天津日嗣(アマツヒツギ)の高御座(タカミクラ)は、

天皇の御統(ミツイデ)を日嗣(ヒツギ)と申すは、日( ノ)神の御心を御心として、其御業( ノミシワザ)を嗣坐(ツギ ス)が故なり。又その御坐(ミクラ)を高御坐と申すは、唯に高き由のみにあらず、日( ノ)神の御座なるが故なり。日には、高照(タカヒカル)とも高日(タカヒ)とも日高(ヒダカ)とも申す古語(フルコト)のあるを思へ。さて日( ノ)神の御坐を、次々(ツギツギ)に受( ケ)傳へ坐て、其( ノ)御坐に大坐(オホマシ)ます天皇命にませば、日( ノ)神に等(ヒトシ)く坐( ス)こと決(ウツナ)し。かゝれば、天津日( ノ)神のおほみうつくしみを蒙(カガフ)らむ者は、誰(タレ)しか天皇命には、可畏(カシコ)み敬(ウヤ)び尊(タフト)みて、奉仕(ツカヘマツ)らざらむ。

あめつちのむた、ときはにかきはに動(ウゴ)く世なきぞ、此( ノ)道の靈(アヤシ)く奇(クスシ)く、異國(アダシクニ)の萬( ヅ)の道にすぐれて、正(タダ)しき高(タカ)き貴(タフト)き徴(シルシ)なりける。

漢國などは、道はなきが故に、もとよりみだりなるが、世々にますます亂れて、終(ツヒ)には傍(カタヘ)の國( ノ)人に、國はことごとくうばはれはてぬ、其(ソ)は夷狄といひて卑(イヤシ)めつゝ、人のごともおもへらざりしものなれども、いきほひつよくして、うばひ取( リ)つれば、せむすべなく天子といひて、仰(アフ)ぎ居(ヲ)るなるは、いともいともあさましきありさまならずや。かくても儒者(ズサ)はなほよき國とやおもふらむ。王のみならず、おほかた貴(タフト)きいやしき統(スヂ)さだまらず、周といひし代までは、封建の制(サダメ)とかいひて、此別( ノワキ)ありしがごとくなれど、それも王の統(スヂ)かはれば、下までも共にかはりつれば、まことは別(ワキ)なし。秦よりこなたは、いよゝ此( ノ)道たゝず、みだりにして、賤(イヤシ)き奴(ヤツコ)の女(ムスメ)も、君の寵(メデ)のまにまに、忽(タチマチ)に后(キサキ)の位にのぼり、王の女(ムスメ)をも、すぢなき男(オノコ)にあはせて、恥(ハジ)ともおもへらず。又昨日(キノフ)まで山賊(ヤマガツ)なりし者も、今日(ケフ)はにはかに、國の政とる高官(タカキツカサ)にもにもなり登(ノボ)るたぐひ、凡て貴賤(タカキイヤシ)き品さだまらず、鳥獸(トリケモノ)のありさまに異(コト)ならずなもありける。

そも此( ノ)道は、いかなる道ぞと尋(タヅ)ぬるに、天地のおのづからなる道にもあらず、

是( コ)をよく辨別(ワキマヘ)て、かの漢國(カラクニ)の老荘などが見(ココロ)と、ひとつにな思ひまがへそ。

人の作れる道にもあらず、此( ノ)道はしも、可畏(カシコ)きや高御産巣日神(タカミムスビノカミ)の御霊(ミタマ)によりて、

世( ノ)中にあらゆる事も物も、皆悉(ミナコトゴト)に此( ノ)大神にみたまより成れり。

神祖伊邪那岐(カムロギイザナギノ)大神伊邪那美(イザナミノ)大神の始めたひて、

よのなかにあらゆる事も物も、此( ノ)二柱( ノ)大神よりはじまれり。

天照大御神の受(ウケ)たまひたもちたまひ、伝へ賜ふ道なり故是以(カレココヲモテ)神の道とは申すぞかし。

神道と申す吊は、書紀の石村池邊宮の御卷に、始めて見えたり。されど其は只、神をいつき祭りたまふことをさして云るなり。さて難波長柄宮の御卷に、惟神者謂隨神道亦自有神道也とあるぞ、まさしく皇國の道を廣くさしていへる始めなりける。さて其由は、上に引ていへるが如くなれば、其道といひて、ことなる行ひのあるにあらず、さればたゞ神をいつき祭りたまふことをいはむも、いひもてゆけば一むねにあたれり。然るを、からぶみに、聖人設神道、といふ言あるを取て、此方にも吊づけたりなどいふめるは、ことのこゝろしらぬみだり言なり。其故は、まづ神とさすもの、此と彼と始めより同じからず、かの國にしては、いはゆる天地陰陽の、上測く靈きをさしていふめれば、たゞ空き理のみにして、たとかに其物あるにあらず。さて皇國の神は、今の現に御字天皇の皇祖に坐て、さらにかの空き理をいふ類にはあらず。さればかの漢籍なる神道は、上測くあやしき道といふこゝろ、皇國の神道は、皇祖神の、始め賜ひたもち賜ふ道といふことにて、其意いたく異なるをや。

さて其道の意は、古事(フルコト)記をはじめ、もろもろの古書どもをよく味ひみれば、今もいとよくしらるゝを、世々のものしりびとゞもの心も、みな禍津日神にまじこりて、たゞからぶみにのみ惑ひて、思ひとおもひいひといふことは、みな仏と漢との意にして、まことの道のこゝろをば、えさとらずなもある。

古は道といふ言云擧げなかりし故に、古書どもに、つゆばかりも道々しき意も語もみえず。故舊人親王を始め奉て、世々の識者ども、道の意をえとらへす、たゞかの道々しきことこちたく云る、から書の説のみ、心の底にしみ着て、其を天地のおのづからなる理と思居る故に、すがるとは思はねども、おのづからそれにまつはれて、彼方へのみ流れゆくめり。されば異國(アダシクニ)の道を、道の羽翼となるべき物と思ふも、即其心のかしこへ奪はれつるなりけり。大かた漢國の説は、かの陰陽乾坤などをはじめ、諸皆、もと聖人どもの己が智をもて、おしはかりに作りかまへたる物なれば、うち聞には、ことわり深げにきこゆめれども、彼が垣内を離れて、外よりよく見れば、何ばかりのこともなく、中には淺はかなることゞもなりかし。されと昔も今も世人の、此垣内に迷入て、得出離れぬこそくちをしけれ。大御國(オホミクニ)の説は、神代より傳へ來しまゝにして、いさゝかも人のさかしらを加へざる故に、うはべはたゞ淺々と聞ゆれども、實にはそこひもなく、人の智の得測度ぬ、深き妙なる理のこもれるを、其意をえしらぬは、かの漢國書の垣内にまよひ居る故なり。此をいではなれざらむほどは、たとひ百年千年の力をつくして、物學ぶとも、道のためには、何の★もなきいたづらわざならむかし。但し古書は、みな漢文にうつして書たれば、彼國のことも、一わたりは知りてあるべく、文字のことなどしらむためには、漢籍をも、いとまあらば學びつへし。皇國魂の定まりて、たゞよはぬうへにては、害はなきものぞ。

故おのが身々に受行ふべき神道の教などいひて、くさぐさものすなるも、みなかの道々のをしへごとをうらやみて、近き世にかまへ出たるわたくしごとなり。

ことごとしく祕説など云て、人えりして密に傳ふる類など、皆後世に僞造れることぞ。凡てよきことは、いかにもいかにも世に廣まるこそよけれ。ひめかくして、あまねく人に知せず、己が私物にせむとするは、いとこゝろぎたなきわざなりかし。

あなかしこ、天皇(スメラギ)の天下しろしめす道を、下が下として、己がわたくしの物とせむことよ。

下なる者は、かにもかくにもたゞ上のおもめくに從ひ居るこそ、道にはかなへれ。たとへ神の道の行ひの、別にあらむにても、其を教へ學びて、別に行ひたらむは、上にしたががはぬ私事ならずや。

人はみな、産巣日神の御靈によりて、生れつるまにまに、身にあるべきかぎりの行は、おのづから知りてよく爲る物にしあれば、

世中に生としいける物、鳥蟲に至るまでも、己が身のほどほどに、必あるべきかぎりのわざは、産巣日神のみたまに頼て、おのづからよく知てなすものなる中にも、人は殊にすぐれたる物とうまれつれば、又しか勝れたるほどにかなひて、知べきかぎりはしり、すべきかぎりはする物なるに、いかでか其上をなほ強ることのあらむ。教によらずては、えしらずえせぬものとはいはざなれば、あるべき限は、教をからざれども、おのづからよく知てなすことなるに、かの聖人の道は、もと治まりがたき國を、いひてをさめむとして作れる物にて、人の必有べき限りを過て、なほきびしく教へたてむとせる強事なれば、まことの道にはかなはず。故口には人みなことごとしく言ながら、まことに然行ふ人は、世々にいと有がたきを、天理のまゝなる道と思ふは、いたくたがへり。又其道にそむける心を、人欲といひてにくむも、こゝろえず。そもそもその人欲といふ物はいづくよりいかなる故にていできつるぞ、それも然るべき理にてこそは、出來たるべければ、人欲も即天理ならずや。又百世を經ても、同姓どち婚することゆるさずといふ制など、かの國にしても上代より然るにはあらず、周の代のさだめなり。かくきびしく定めたる故は、國の俗あしくして、親子同母兄弟などの間にも、みだりなる事のみ常多くて、別なく治まりがたかりし故なれば、かゝる制のきびしきは、かへりて國の恥なるをや。すべて何の上にも、法の嚴きは、犯すものもの多きがゆゑぞかし。さて其制は制と立しかども、まことの道にあらず、人の情にかなはぬことなる故に、したがふ人いといとまれなり。後々はさらにもいはず、はやく周の代のほどにすら、諸侯といふきはの者も、これを破れるが多ければ、ましてつぎつぎはしられたり。姉妹などにさへ?けし例もある物をや。然るを儒者(ズサ)どもの、昔よりかく世人の守りあへぬことをば忘れて、いたづらなるさだめのみをとらへて、たけきことにいひ思ひ、又皇國をしひて賤しめむとして、ともすれば、古兄弟まぐはひせしことをいひ出て、鳥獸のふるまひぞとそしるを、此方の物知人たちも、是をばこころよからず、御國のあかぬことに思ひて、かにかくにいひまぎらはしつゝ、いまださだかに斷り説ることもなきは、かの聖人のさかしらを、かならず當然理と思ひなづみて、なほ彼にへつらふ心あるがゆゑなり。もしへつらふこゝろしなくば、彼と同じからぬは、なにごとかあらむ。抑皇國の古は、たゞ同母兄弟をのみ嫌ひて、異母の兄弟など御合坐しことは、天皇(スメラギ)を始め奉て、おほかたのよのつねにして、今京になりてのこなたまでも、すべて忌ことなかりき。但し貴き賤きへだては、うるはしく有て、おのづからみだりならざりけり。これぞこの神祖の定め賜へる、正しき眞の道なりける。然るを後世には、かのから國のさだめを、いささかばかり守るげにて、異母なるをも兄弟と云て、婚せぬことになも定まりぬる。されば今世にして、其を犯さむこさ惡からめ、古は古の定まりにしあれば、異國(アダシクニ)の制を規として、論ふべきことにあらず。

いにしへの大御代には、しもがしもまで、たゞ天皇(スメラギ)の大御心を心として、

天皇(スメラギ)の所思看御心のまにまに奉任て、己が私心はつゆなかりき。

ひたぶるに大命をかしこみゐやひまつろひて、おほみうつくしみの御蔭にかくろひて、おのもおのも祖神を斎祭つゝ、

天皇(スメラギ)の、大御皇祖神の御前を拜祭坐がごとく、臣聯八十伴緒、天下の百姓に至るまで、各祖神を祭るは常にて、又天皇(スメラギ)の、朝廷のため天下のために、天神國神諸をも祭坐が如く、下なる人どもゝ、事にふれては、福を求むと、善神にこひねぎ、禍をのがれむと、惡神をも和め祭り、又偶々身に罪穢もあれば、祓清むるなど、みな人の情にして、かならず有べきわざなり。然るを、心だにまことの道にかなひなば、など云めるすぢは、佛の教へ儒の見にこそ、さる事もあらめ、神の道には、甚くそむけり。又異國(アダシクニ)には、神を祭るにも、たゞ理を先にしてさまざま議論あり。淫祀など云て、いましむる事もある、みなさかしらなり。凡て神は、佛などいふなる物の趣とは異にして、善神のみにはあらず、惡きも有て、心も所行も、然ある物なれば、惡きわざする人も福え、善事する人も、禍る事ある、よのつねなり。されば神は、理の富上をもて、思ひはかるべきものにあらず、たゞ其の御怒を畏みて、ひたぶるにいつきまつるべきなり。されば祭るにも、其のこゝろばへ有て、如何にも其神の歡喜び坐べきわざをなも爲べき。そはまづ萬を齊忌清まはりて、穢惡あらせず、堪たる限美好物多に獻り、或は琴ひき笛ふき歌?ひなど、おもしろきわざをして祭る、此れみな神代の例にして、古のみちなり。然るをたゞ心の至り至らぬをのみいひて、獻る物にもなすわざにもかゝはらぬは、漢意のひがこと成り。扨て又神を祭るには、何わざよりも先火を重く忌清むべきこと、神代書の黄泉段を見て知べし。是は神事のみにもあらず、大かた常にもつゝしむべく、かならずみだりにすまじきわざなり。若し火穢るゝときは、禍津日神ところをえて、荒び坐ゆゑに、世中に萬の禍事はおこるぞかし、かゝれば世のため民のためにも、なべて天下に、火の穢は忌まほしきわざなり。今の代には、唯神事のをり、又神の坐地などにこそ、かづかづも此忌は物すめれ。なべては然る事さらなきは、火の穢れなどいふをば、愚なる事ゝとおもふ、なまさかしらなる漢意のひろごれるなり。かくて神御典を釋誨ゆる世々の識者たちすら、たゞ漢意の理をのみ、うるさきまで物して、此忌の説をしも、なほざりにすめるは、如何にぞや。

ほどほどにあるべきかぎりのわざをして、穏しく楽く世をわたらふほかなかりしかば、

かくあるほかに、何の教ごとをかもまたむ。抑みどり兒に物教へ、又諸匠の物造るすべ、其外よろづの伎藝などを教ふることは、上代にも有けむを、かの儒佛などの教事も、いひもてゆけば、これらと異なることなきに似たれども、よく辨ふれば、おなじからざることぞかし。

今はた其道といひて、別に教を受けて、おこなふべきわざはありなむや。

然らば神の道は、からくにの老荘が意にひとしかきかと、或人の疑ひ問へるに、答けらく、かの老老荘がともは儒者(ズサ)のさかしらをうるさみて、自然なるをたふとめば、おのづから似たることもあり。されどかれらも、大御神の御國ならぬ、惡國に生れて、たゞ代々の聖人の説をのみ聞なれたるものなれば、自然なりと思ふも、なほ聖人の意おのづからなるにこそあれ。よろづの事は、神の御心より出て、その御所爲なることをしも、えしらねば、大旨の甚くたがへる物をや。

もししひて求むとならば、きたなきからぶみごゝろを祓ひきよめて、清々しき御国ごゝろもて、古典どもをよく学びてよ。然せば、受行べき道なきことは、おのづから知てむ。其をしるぞ、すなはち神の道をうけおこなふにはありける。かゝれば如此まで論ふも、道の意にはあらねども、禍津日神のみしわざ、見つゝ黙止えあらず、神直毘神大直毘神の御霊たばりて、このまがをもて直さむとぞよ。

上の件、すべて己が私のこゝろもていふにあらず。ことごとに古典に、よるところあることにしあれば、よく見む人は疑はじ。

かくいふは、明和の八年といふとしの、かみな月の九日の日、伊勢国飯高郡の御民、平阿曽美宣長、かしこみかしこみもしるす。


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