紀貫之 目次 

  紀貫之 (八七二-九四五)       

 

        
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 宮廷歌壇で活躍、『古今和歌集』撰進の勅を奉ず。

またその著『土左日記』は、わが国最初の仮名文日記作品とされる。
 三十六歌仙の一人。

    春 20首 夏 6首 秋 19首  7首 賀 2首
     離別 5首 羇旅 3首  28首 哀傷 6首  4首


                        

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 春

  春たちける日よめる

袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ(古今2)

【通釈】夏に袖を濡らして手で掬った水が、冬の間に氷ったのを、春になった今日の風が解かしているだろうか。

【語釈】◇むすびし水 手で掬った水。シは過去回想の助動詞。夏の暑い日に、山の清水などを飲んだ時を想起。◇こほれるを (冬の間に)氷ったのを。◇春立つけふ 立春の日である今日。◇風やとくらむ 風が(氷を)解かしているだろうか。

【補記】去年の夏→冬→今年の春、という時間の推移を一首の中に歌い込めている。

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、和漢朗詠集、古来風躰抄

【主な派生歌句】
袖ひちて我が手に結ぶ水の面に天つ星合の空を見るかな(藤原長能[新古今])
夏の夜は岩がき清水月さえてむすべばとくる氷なりけり(賀茂重保[風雅])
袖ひちて結ぶしら波立ちかへりこほるばかりの松の夕風(藤原家隆)
筆ひぢてむすびし文字の吉書かな(伝山崎宗鑑)

 

雪のふりけるをよめる

霞たちこのめもはるの雪ふれば花なき里も花ぞちりける(古今9)

【語釈】◇このめもはるの 「はる」に「(木の芽が)張る」を掛けている。「木の芽もめぐむ、春の…」の意となる。また、「めもはる」には「目も遥」を掛け、「見わたす限り」の意を添えるか。

【補記】初句の「霞立ち」は「木の芽も張る」を導き出す役割の虚辞であるが、以下の句全体に掛かって、春の雪が降る里の景色に朧ろなベールをかけるはたらきもしていよう。

【主な派生歌】
天の下めぐむ草木の芽も春に限りも知らぬ御代の末々(式子内親王)
うちむれて若菜つむ野の花かたみこのめも春の雪はたまらず(家隆[続古今])
霞たちこのめ春雨きのふまでふるのの若菜けさはつみてむ(藤原定家)
おしなべて木の芽も春のあさ緑松にぞ千世の色はこもれる(藤原良経[新古今])
松の葉の白きを見れば春日山木の芽もはるの雪ぞ降りける(源実朝)

歌たてまつれとおほせられし時、よみて奉れる

かすが野の若菜つみにや白たへの袖ふりはへて人のゆくらむ(古今22)

【通釈】春日野の若菜を摘みにだろうか、真っ白な袖を目立つように打ち振って人が行くようだ。

【語釈】◇ふりはへ 「ふりはふ(振り延ふ)」は「ことさらにする」意の複合動詞。「ふり」に袖を振る意を掛けている。

【主な派生歌】
白妙の袖にぞまがふ都びと若菜つむ野の春のあは雪(後鳥羽院[続拾遺])
誰が為とまだ朝霜のけぬがうへに袖ふりはへて若菜つむらん(定家)
墨染の袖ふりはへて峰たかき夕の寺に帰る雲かな(正徹)
白妙の袖ふりはへて武蔵野にいざ雪見むとおもひ立たずや(荷田蒼生子)




わがせこが衣はるさめふるごとに野辺のみどりぞ色まさりける(古今25)

【通釈】我が夫の衣を洗って張るというその「はる」さめが降るたびに、野辺の緑は色が濃くなってゆくのだ。

【補記】「はるさめ」に「張る」「春雨」を掛ける。また「ふる」は「衣」の縁で「(袖を)振る」意が響く。春は叙任の季節なので、「わがせこが衣」を出したことで、春ごとに昇進して位階を示す衣服の色が「まさり」ゆくめでたさを含意している。

【主な派生歌】
春雨のふりそめしより青柳の糸の緑ぞ色まさりける(凡河内躬恒[新古今])
浅緑霞たなびく山がつの衣はるさめ色にいでつつ(定家)




あをやぎの糸よりかくる春しもぞみだれて花のほころびにける(古今26)

【通釈】青々とした柳の葉が、糸を縒り合せるように絡まり合う春こそは、糸がほどけたように柳の花が開くのだった。

【語釈】◇あおやぎの糸 春浅い頃の柳の枝葉を言う。漢語の「柳糸」。◇よりかくる もつれ合い、ひっかかり合う。「糸を縒る」で、糸を捩じり合わせて一本にする意になる。◇花のほころびにける この「花」は柳の実から飛び散る綿毛のような種子を言う。漢語の「柳花」「柳絮」にあたり、今も北京(長安)の春の名物である。

【補記】糸・縒り・みだれ・ほころび、など衣に関する語を列ねている。

【先行歌】
青柳の糸のくはしさ春風にみだれぬいまに見せむ子もがも(万葉巻十)
青柳の糸よりかけて春風のみだれぬさきに見む人もがな(家持集)

【主な派生歌】
春風の霞吹きとく絶え間より乱れてなびく青柳の糸(殷富門院大輔[新古今])
青柳の糸を緑によりかけて逢はずは春に何を染めまし(西園寺公経[続拾遺])

初瀬にまうづるごとに、やどりける人の家に、久しく宿らで、程へて後にいたれりければ、かの家のあるじ、かくさだかになんやどりはあると、いひいだして侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りてよめる


人はいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける(古今42)[百]

【通釈】(詞書)初瀬の寺に参詣するたび宿を借りていた人の家に、長いこと宿らず、時を経て後に訪れたので、その家の主人が「このように確かにあなたの宿はあるのに」と中から言って来ましたので、そこに立っていた梅の花を折って詠んだ歌。
(歌)住む人はさあどうか、心は変ってしまったか。それは知らないけれども、古里では、花が昔のままの香に匂っている。人の心はうつろいやすいとしても、花は以前と変らぬ様で私を迎え入れてくれるのだ。

【語釈】◇初瀬 奈良県桜井市初瀬。長谷寺があり、観音信仰で賑わった。◇かくさだかになんやどりはある 「かの家のあるじ」の言葉。久しく訪わなかったので、「このようにちゃんとあなたの宿はあるのに」と疎遠を恨んだのである。◇人はいさ 人はさあどうか。この「人」は婉曲に、詞書にある「家のあるじ」を指している。◇ふるさと 馴染みの里。具体的には詞書の「やどりける人の家」がある里を指す。京から初瀬の途上のどこか、おそらくは奈良旧京か。

【補記】『貫之集』には相手の返歌「花だにもおなじ心に咲くものを植ゑたる人の心しらなん」(意訳:花でさえ昔と同じ心で咲くというのに、ましてやその木を植え育てた人の心が変ることなどあろうか――私の心を知ってほしい)を載せている。

【他出】貫之集、定家八代抄、詠歌大概、平家物語、源平盛衰記

【主な派生詩歌】
君こひて世をふる宿の梅の花昔の香にぞ猶匂ひける(読人不知[続後撰])
すむ人もうつればかはる古郷の昔ににほふ窓の梅かな(家隆)
花の香も風こそよもにさそふらめ心もしらぬ古里の春(定家)
ちりぬればとふ人もなし故郷ははなぞむかしのあるじなりける(源実朝)
里はあれて春はいく世かかすむらん花ぞむかしのしがの古郷(藤原行能)
人はいさ心もしらずとばかりににほひ忘れぬ宿の梅がか(正徹)
ことの葉の花ぞ昔の春に猶にほふはつせのさとの梅が香(三条西実隆)
にほひをば風こそおくれ人はいさ心もしらぬ宿の梅が枝(足利義尚)
人はいさ心もしらず我はただいつも今夜の月をしぞおもふ(松永貞徳)
阿古久曽の心も知らず梅の花(芭蕉)

 

家にありける梅の花のちりけるをよめる

暮ると明くと目かれぬものを梅の花いつの人まにうつろひぬらむ(古今45)

【通釈】日が暮れれば眺め、夜が明ければ眺めして、目を離さないのに、梅の花は、いつ人の見ていない間に散ってしまったのだろう。

【語釈】◇目かれぬ 目が離れない。◇人ま 人のいぬ間。人の見ぬ間。


【主な派生歌】
くるとあくとみてもめかれず池水の花の鏡の春の面影(藤原実有[万代集])
くるとあくとめかれぬ花に鶯の鳴きてうつろふ声なをしへそ(定家)
くるとあくとめかれぬ空も霞みけりいつの人まに春はきぬらん(宗良親王)

 

歌たてまつれとおほせられし時によみたてまつれる

桜花さきにけらしもあしひきの山のかひより見ゆる白雲(古今59)

【通釈】桜の花が咲いたらしいなあ。山の峡を通して見える白雲、あれがそうなのだ。

【補記】第二句を「さきにけらしな」とする本もある。

【主な派生歌】
あし引の山のかひより吹く風に雪とみるまで花ぞちりける(家隆)
春も猶雪はふれれどあし引の山のかひより霞たつらし(藤原道家[続後撰])

 

はるのうたとてよめる

三輪山をしかもかくすか春がすみ人にしられぬ花やさくらむ(古今94)

【語釈】◇三輪山 奈良県桜井市の三輪山。三諸(御諸)山とも。神体山で、祭神を大物主神とする大神(おおみわ)神社がある。◇しかもかくすか このように隠すか。春霞に対する呼びかけ。

【本歌】額田王「万葉集」
三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや

【主な派生歌】
吉野山たえず霞のたなびくは人にしられぬ花やさくらん(中務[拾遺])
いかさまにまつとも誰か三輪の山人にしられぬ宿の霞は(定家)
みよしのの山のあなたの桜花人にしられぬ人やみるらん(順徳院[玉葉])

 

題しらず

花の香にころもはふかくなりにけり木(こ)の下かげの風のまにまに(新古111)

【通釈】花の香に衣は深く染みとおってしまった。木の下陰を風が吹くままに。

【補記】「花の香」と言うとき梅の香を指すことも多いが、新古今集ではこの歌を桜の歌として排列している。「香」は何となく漂う気(き)のようなものを指すこともあり、必ずしも嗅覚的なものに限られない。もっとも大島桜のように桜の中にも芳香を漂わせる種はある。

 

比叡(ひえ)にのぼりて、かへりまうできてよめる

山たかみ見つつわが来(こ)し桜花風は心にまかすべらなり(古今87)

【通釈】山の高いところを眺めながら私がやって来たあの桜の花――風は花を思いのままに散らしているようだ。

【語釈】◇山たかみ 山の高いところを。いわゆる「ミ語法」で、本来は「山が高いので」の意。◇心にまかすべらなり 心のままにしているようだ。

【先蹤歌】大伴家持「万葉集」
龍田山見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに

【主な派生歌】
山たかみ見つつこえゆく峰の松かへりこむまで面がはりすな(長慶天皇)

 

亭子院歌合に

桜ちる木(こ)の下風はさむからで空にしられぬ雪ぞふりける(拾遺64)

【語釈】◇木のした風 木の下を吹く風。◇さむからで 寒くはないのだが、ほどの気持で言う。◇空にしられぬ雪 天の与かり知らぬ雪。天空が承知して降らせているのではない雪。落花を雪に喩えている。

【他出】亭子院歌合、新撰和歌、貫之集、古今和歌六帖、前十五番歌合、三十人撰、三十六人撰、深窓秘抄、金玉集、和漢朗詠集、古来風躰抄

【主な派生歌】
今朝みれば宿の梢に風過ぎてしられぬ雪のいくへともなく(式子内親王[風雅])
雪のあした木のした風は寒けれど桜もしらぬ花ぞちりける(後鳥羽院)
春ふかき木のしたかぜは名のみして空にしらるる花のしら雪(堯孝)

 

志賀の山ごえに女のおほくあへりけるによみてつかはしける

あづさゆみ春の山辺をこえくれば道もさりあへず花ぞちりける(古今115)

【通釈】春の山を越えて来ると、よけきれないほど道いっぱいに花が散り敷いているのだった。

【語釈】◇志賀の山ごえ 京の北白川から比叡山・如意が岳の間を通り、志賀(大津市北部)へ抜ける道。志賀寺(崇福寺)を参詣する人々が往来した。◇あづさゆみ 春の枕詞。◇花ぞちりける 詞書によればこの「花」は志賀寺参詣の女たちの譬え。

【主な派生歌】
みよし野に春の嵐やわたるらん道もさりあへず花のしら雪(後鳥羽院)
さして行く道もさりあへず三笠山紅葉ぞぬさとちりまがひける(越前)

 

寛平御時きさいの宮の歌合のうた

春の野に若菜つまむと来(こ)しものを散りかふ花に道はまどひぬ(古今116)

【通釈】春の野に若菜を摘もうとやって来たのに、散り乱れる花に道は迷ってしまった。

【先蹤歌】山部赤人「万葉集」
春の野にすみれ摘みにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜寝にける

【主な派生歌】
春の野にはなるる駒は雪とのみちりかふ花に人やまどへる(定家)
かり人のいる野の露を命にてちりかふ花にきぎすなくなり(良経)
かへるさやちりかふ花にまがふらん若菜つむ野の春のあは雪(順徳院)

 

亭子院歌合歌

さくら花ちりぬる風のなごりには水なき空に波ぞたちける(古今89)

【補記】風に舞う桜の花びらを波に見立てる。「なごり」は、もともと「波が浜辺に残していった物」の意。その語感が生きているから「水なき空に波…」のイメージがより生きてくる。

【主な派生歌】
こむらさきにほへる藤の花みれば水なき空に波ぞたちける(大中臣能宣)
月すめば冬の水なき空とぢて氷をはらふ夜はの木枯(正徹)
こほりとく池のさざ波今朝見えて水なき空も春風ぞふく(飛鳥井雅親)
春はいぬくらまの山の雲珠(うず)桜水なき空にのこる色かな(木下長嘯子)
天つ風さえくらしたるなごりには水なき空にあわ雪ぞふる(下河辺長流)

 

山寺にまうでたりけるによめる

やどりして春の山辺にねたる夜は夢の内にも花ぞちりける(古今117)

【通釈】宿を取って桜が咲き誇る春の山辺に寝た夜は、夢の中でも花が散るのだった。

【主な派生歌】
旅の世にまた旅寝して草枕夢のうちにも夢を見るかな(慈円)
散りまがふこのもとながらまどろめば桜にむすぶ春の夜の夢(定家)
駿河なる宇津の山辺にちる花よ夢のうちにも誰をしめとて(順徳院)

〔題欠〕

春なれば梅に桜をこきまぜて流すみなせの河の香ぞする(曲水宴)

【通釈】春の真っ盛りなので、梅の花に桜の花をまぜこぜにして流す水無瀬の川の香りがする。

【語釈】◇梅に桜を… 梅は早春、桜は盛春の花とするのが常識だが、「今年こそ梅も桜もおしなべてひとつさかりと花は咲きけれ」(小倉実教)など、梅と桜の開花期が一致したことを詠んだ歌はいくつか見られる。◇みなせの河 地名とすれば摂津国三島郡の水無瀬川になるが、ここは庭の曲水をこう呼んだか。「みなせ」は「水な瀬」で、水の浅く流れる瀬のこと。

【補記】「紀師匠曲水宴和歌」。貫之が延喜二年(902)または三年に催した歌会での作。

【参考歌】素性法師「古今集」
みわたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の錦なりける

吉野川の辺に山吹のさけりけるをよめる

吉野河岸の山吹ふく風にそこの影さへうつろひにけり(古今124)

【通釈】吉野川の岸の山吹は、吹きつける風によって、水底の影さえどこかへ行ってしまった。

【語釈】◇そこの影 水底の影。物が水に反映して見える像を、当時は水面でなく水底に映っているものと考えたらしい。

【補記】詞書からすると屏風絵に添えた歌か。

【参考歌】
花ざかりまだもすぎぬに吉野河影にうつろふ岸の山吹(読人不知[後撰])


【主な派生歌】
吉野川岸の山吹さきにけり嶺の桜やちりはてぬらん(家隆[新古今])
吉野川はやくも暮れてゆく春に花はさかりの岸の山吹(足利尊氏)

延喜御時、春宮御屏風に

風ふけば方もさだめずちる花をいづ方へゆく春とかは見む(拾遺76)

【通釈】風が吹くと、方向も定めず散る花――春はどこへ去ってゆくのか、花の行方によって確かめようとしても、知ることなどできようか。

【主な派生歌】
山桜かたもさだめずたづぬれば花より先にちる心かな(源雅実[新勅撰])
忘れじの雁は越ぢにかへるなりかたも定めず花はちりつつ(家隆)
神な月かたもさだめずちる紅葉けふこそ秋のかたみとも見め(定家)

三月晦

花もみなちりぬる宿はゆく春のふるさととこそなりぬべらなれ(拾遺77)

【通釈】花も皆散ってしまった家は、去りゆく春があとに残して行った故郷ということになってしまいそうだ。

【語釈】◇ゆく春のふる里 去り行く春にとっての古郷。春があとにして行った故郷。

【主な派生歌】
花も皆ちりにし宿の深緑をしまぬ色を春雨ぞふる(順徳院[新続古今])


寛平御時きさいの宮の歌合のうた

夏の夜のふすかとすればほととぎす鳴く一声にあくるしののめ(古今156)

【他出】寛平御時中宮歌合、新撰万葉集、古今和歌六帖、和漢朗詠集、三十人撰、三十六人撰、定家八代抄

【主な派生歌】
郭公鳴くや五月の玉くしげ二声聞きて明くる夜もがな(藤原雅経[新勅撰])
さらぬだにふす程もなき夏の夜を待たれても鳴くほととぎすかな(藤原俊成 〃)
郭公ただ一こゑと契りけり暮るれば明くる夏の夜の月(藤原良平[続拾遺])

ほととぎすの鳴くを聞きてよめる

五月雨の空もとどろに郭公(ほととぎす)なにを憂しとか夜ただなくらむ(古今160)

【主な派生歌】
しのびねははや過ぎにけりほととぎす空もとどろに鳴き渡らなむ(源経信)
をりはへて今ぞなくなる時鳥五月のさよの空もとどろに(覚性法親王)
郭公空もとどろになくころは夜ただ雨ふる袖のうへかな(慈円)

山にほととぎすの鳴きけるを聞きてよめる

郭公人まつ山になくなれば我うちつけに恋まさりけり(古今162)

【語釈】◇人まつ山 人を待つ、松山。「松山」を地名とする説もある。◇うちつけに 突然に。物をぱっと打ち付けるように瞬間的に。

【主な派生歌】
うちつけにそれかとぞきく郭公人まつ山にしのびねのこゑ(家隆)

延喜御時、月次御屏風に

五月山(さつきやま)このしたやみにともす火は鹿のたちどのしるべなりけり(拾遺127)

【語釈】◇たちど 立っている場所。

【主な派生歌】
あらちをがゆつきが下にともす火に鹿の立ちどのしるくもあるかな(家隆)

延喜御時御屏風に

夏山の影をしげみやたまほこの道行き人も立ちどまるらむ(拾遺130)

【補記】『貫之集』によれば、藤原定国四十賀屏風歌。「夏山の影」(夏山の木立がつくる蔭)に繁栄の祝意を籠めている。

【主な派生歌】
夏草はしげりにけりな玉鉾の道行人も結ぶばかりに(藤原元真[新古今])

六月祓

みそぎする川の瀬見れば唐衣(からごろも)ひもゆふぐれに浪ぞ立ちける(新古284)

【語釈】◇六月祓(みなづきはらへ) 夏越(なごし)の祓(はらへ)とも。旧暦では夏の終りにあたる水無月の晦日(みそか)に行なわれた大祓。◇唐衣 「紐」にかかる枕詞。「紐・結ふ」「日も・夕」と掛かる。◇暮れ 「くれなゐ」のクレを掛ける。

【補記】夕日が唐衣のように鮮やかな紅色に反映している河の情景。屏風に添えた歌。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
唐衣ひもゆふぐれになる時は返す返すぞ人はこひしき

【主な派生歌】
おのづから凉しくもあるか夏衣日も夕暮の雨の名残に(藤原清輔[新古今])
見るからにかたへ涼しき夏衣日も夕暮のやまとなでしこ(後鳥羽院)


秋立つ日、うへのをのこども、賀茂の河原に川逍遙しける供にまかりてよめる

川風のすずしくもあるかうちよする浪とともにや秋は立つらむ(古今170)

【語釈】◇秋は立つらむ 季節が秋に改まるのだろうか。「立つ」は浪とも関連付けられる。

【他出】古今和歌六帖、貫之集、新撰朗詠集、古来風躰抄、秀歌大躰、定家八代抄

【主な派生歌】
おのづから凉しくもあるか夏衣日も夕暮の雨の名残に(清輔[新古今])
よる波の涼しくもあるか敷妙の袖師の浦の秋の初風(藤原信実[新勅撰])
吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり(実朝)

延喜の御時、御屏風に

秋風に夜のふけゆけばあまの河かはせに浪のたちゐこそまて(拾遺143)

【語釈】◇かはせ 川瀬。人が立てるほど水深の浅いところ。◇たちゐこそまて 立ち居こそ待て。(織姫が彦星を川瀬で)立ったり座ったりしながら待つ。「たち」には「(浪の)立ち」を掛ける。

七月八日のあした

朝戸あけてながめやすらむたなばたはあかぬ別れの空を恋ひつつ(後撰249)

【補記】「あけて」「あかぬ」の言葉遊びがある。

題しらず

秋風に霧とびわけてくる雁の千世にかはらぬ声きこゆなり(後撰357)

【補記】「かり」には「仮」の意が掛かり、「かりの千世」には「かりの世」がかぶさる。この世は仮の世であるが、毎秋訪れる雁の声は永久不変である、という言葉遊びは、またパラドキシカルな世界の成立ちへの着目でもある。

朱雀院の女郎花合せによみてたてまつりける

たが秋にあらぬものゆゑ女郎花(をみなへし)なぞ色にいでてまだきうつろふ(古今232)

【主な派生歌】
たが秋にあらぬ光をやどしきて月よ涙に袖ぬらすらん(家隆)
色変る野原の小萩たが秋にあらぬものゆゑ鹿のなくらん(藤原為氏[続古今])

ふぢばかまをよみて人につかはしける

やどりせし人のかたみか藤袴わすられがたき香ににほひつつ(古今240)

【通釈】我が家に宿った人の残した形見か、ふじばかまの花は、忘れ難い香に匂い続けて…。

屏風の絵に

つねよりもてりまさるかな山のはの紅葉をわけていづる月影(拾遺439)

【主な派生歌】
暮れにけり秋の日かずもあらし山もみぢをわけて入あひの鐘(後鳥羽院)
秋山の麓の小田のかりいほに紅葉をわけて月ぞもりける(俊成卿女)

延喜の御時、御屏風に

逢坂の関の清水に影見えて今やひくらむ望月の駒(拾遺170)

【語釈】◇逢坂(あふさか) 山城・近江国境の峠。東国との境をなす関があった。◇影見えて この「影」は、清水に映った馬の姿。月影の意を重ねて、「望月の駒」を導く。◇今やひくらむ 今頃牽いているであろう。諸国から献上される馬を逢坂の関で迎える行事「八月駒迎え」の駒牽きを言う。◇望月の駒 信濃望月の牧場産の馬。

【他出】貫之集、古今和歌六帖、金玉集、三十人撰、三十六人撰、深窓秘抄、九品和歌、古来風躰抄、六華集

【参考歌】厚見王「万葉集」
かはづ鳴く神奈備川に影見えて今や咲くらむ山吹の花

【主な派生歌】
逢坂の杉のむらだち引くほどはをぶちに見ゆる望月の駒(良暹[後拾遺])
逢坂の関立ち出づる影見ればこよひぞ秋の望月の駒(源雅具[続後撰])
相坂の関のむら杉葉をしげみ絶間にみゆる望月の駒(源国信[続後拾遺])
世にたえし道踏み分けていにしへのためしにもひけ望月の駒(後水尾院)

石山にまうでける時、おとは山のもみぢをみてよめる

秋風の吹きにし日より音羽山峰のこずゑも色づきにけり(古今256)

【語釈】◇石山 近江国の石山寺。今の滋賀県大津市。観音信仰で名高い。◇秋風のふきにし日より 秋風が初めて吹いた日から。立秋の日とは限るまい。◇音羽山(おとはやま) 京都市と大津市の境、逢坂山の南に続く山。標高593メートル。紅葉の名所。「(秋風の)音」を響かせる。

【補記】平地に比べて峰の紅葉が早いことの発見。

【先行歌】「万葉集」巻十
雁がねの寒く鳴きしゆ春日なる三笠の山は色づきにけり
秋風の日にけに吹けば露を重み萩の下葉は色づきにけり
  よみ人しらず「古今集」
秋風の吹きにし日より久方の天の河原にたたぬ日はなし

【主な派生歌】
秋風のよそに吹きくるおとは山なにの草木かのどけかるべき(曾禰好忠[新古])
あすよりは秋も嵐の音は山かたみとなしに散る木の葉かな(定家)
けさかはる秋とは風の音羽山おとに聞くより身にぞしみける(亀山院[続拾遺])

もる山の辺にてよめる

白露も時雨もいたくもる山は下葉のこらず色づきにけり(古今260)

【語釈】◇もる山 守山。今の滋賀県守山市。東山道の宿場。◇時雨(しぐれ) ぱらぱらと降ってはやむ、晩秋から初冬にかけての通り雨。

【他出】古今和歌六帖、貫之集、和漢朗詠集、俊成三十六人歌合、五代集歌枕、近代秀歌、詠歌大概、定家八代抄、八代集秀逸、時代不同歌合

【主な派生歌】
しら露も時雨もいたく故郷は軒の梢もこさまさりけり(後鳥羽院)
物おもへば雲のはたてをかぎりにて時雨もいたくふる涙かな(藤原信成)
この秋はしぐれもいたく染めてけりあかみの山の峰の紅葉葉(笠間時朝)

神の社のあたりをまかりける時に、いがきのうちのもみぢをみてよめる

ちはやぶる神のいがきにはふ葛(くず)も秋にはあへずうつろひにけり(古今262)

【語釈】◇いがき 神社の垣。「い」は「神聖な」ほどの意。

世中のはかなきことを思ひけるをりに、菊の花をみてよみける

秋の菊にほふかぎりはかざしてむ花より先としらぬわが身を(古今276)

北山にもみぢ折らむとてまかれりける時によめる

見る人もなくてちりぬる奧山の紅葉は夜の錦なりけり(古今297)

【他出】新撰和歌、古今和歌六帖、金玉集、和漢朗詠集、三十人撰、三十六人撰、深窓秘抄

【主な派生歌】
みぬほどの紅葉は夜の錦にて秋さへすぎむと思ひけむやは(村上天皇)
みる人もなくて散りにき時雨のみふりにし里に秋萩の花(実朝)
折りつくす紅葉は夜の錦にて君をぞ恋ひし秋の山かげ(平清親四女)

秋のはつる心をたつた河に思ひやりてよめる

年ごとにもみぢばながす龍田河みなとや秋のとまりなるらむ(古今311)

【語釈】◇龍田河 生駒山地東側を南流し、大和川に合流する川で、万葉集以来の歌枕。紅葉の名所。◇みなと 河口。舟の出入口。◇とまり 行き着く先・終着点。木の葉を舟に見立て、停泊する場所の意にもなる。

【参考歌】紀貫之「貫之集」「金葉集三奏本」
落ちとまる紅葉をみればももとせに秋のとまりは嵐なりけり
  作者不明(或本躬恒)「古今和歌六帖」
紅葉ばの流れてよどむみなとをぞくれゆく秋のとまりとは見る

【主な派生歌】
をしめどもよもの紅葉はちりはてて戸無瀬ぞ秋のとまりなりける(藤原公実[金葉])
高砂のをのへのまつの秋風に泊もしらず散る紅葉かな(家隆)

題しらず

うちむれていざわぎもこが鏡山こえて紅葉のちらむかげ見む(後撰405)

【語釈】◇わぎもこが 「鏡」に掛かり、「鏡山」の枕詞風に用いている。◇鏡山 近江国の歌枕。今の滋賀県蒲生郡の御幸(みゆき)山のことという。古来信仰の山。その名の通り「鏡」に掛けて詠まれることが多い。◇ちらむかげ見む 散っている姿を見よう。「かげ」は鏡の縁語。

【参考歌】「家持集」
くしげなる鏡の山を越えゆかむ我は恋しき妹が夢みたり

題しらず

ひぐらしの声もいとなくきこゆるは秋ゆふぐれになればなりけり(後撰420)

【語釈】◇いとなく 絶え間なく。休む暇なく。「いと」は「糸」と掛詞になり、「ゆふぐれ」の「ゆふ(結ふ)」と縁語になる。

延喜御時、秋の歌召しありければ、奉りける

秋の月ひかりさやけみ紅葉ばのおつる影さへ見えわたるかな(後撰434)

【語釈】◇ひかりさやけみ 光が鮮明なので。◇みえわたる 隅々まで見える。葉が枝から落ち、地上に届くまで、すっかり見えることをも言うか。

擣衣の心をよみ侍りける

唐衣うつ声きけば月きよみまだ寝ぬ人をそらにしるかな(新勅撰323)

【語釈】◇擣衣 布に艷を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩くこと。◇唐衣(からころも) もともと大陸風の衣裳を言うが、衣服の美称ともなった。なお擣衣の音は「カラコロ」と聞えるので、擬音が掛詞になっていると思われる(「きぬたうつ音はからころ唐衣ころもふけゆく遠の山ざと」大田垣蓮月)。

なが月のつごもりの日、大井にてよめる

夕づく夜をぐらの山になく鹿のこゑの内にや秋は暮るらむ(古今312)

【通釈】小暗い小倉山に鳴く鹿の声――この声のうちに、秋は暮れるのだろうか。

【語釈】◇夕づく夜 「小暗い」意から「をぐら山」の枕詞。◇をぐらの山 京都嵐山あたりの山々。鹿と取り合わせて詠まれることが多い。

【参考歌】舒明天皇「万葉集」
夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも


時雨し侍りける日

かきくらし時雨(しぐ)るる空をながめつつ思ひこそやれ神なびの森(拾遺217)

【語釈】◇神なびの森 「かむなび」はもともと「神の坐(ま)すところ」を意味する普通名詞。その後、特に奈良県生駒郡の龍田神社あたりの森を指すようになった。紅葉の名所。時雨は木の葉を染めると考えられたので、「しぐるる空」に神奈備の森を思いやっている。

題しらず

思ひかね妹がりゆけば冬の夜の河風さむみ千鳥なくなり(拾遺224)

【他出】古今和歌六帖、貫之集、三十人撰、三十六人撰、金玉集、深窓秘抄、和漢朗詠集、古来風躰抄、定家八代抄、定家十体(麗様)

【主な派生歌】
冬の夜の川風さむみ氷して思ひかねたる友千鳥かな(後鳥羽院)
人またばいかにとはましさ夜千鳥川風さむみ冬の明ぼの(宮内卿)
うちわたす川風さむみなく千鳥たがゆく袖のよはにきくらん(藤原為家)
みよし野やいはどがしはもうづもれて河風さむみふれる白雪(頓阿)

冬の歌とて

雪ふれば冬ごもりせる草も木も春にしられぬ花ぞさきける(古今323)

【語釈】◇春にしられぬ花 春に気づかれないまま咲いている花。春と関係なく咲いている花。草木に積もった雪を花に見立てている。◇冬ごもりせる 冬の間活動を休止している。

雪の木にふりかかれりけるをよめる

冬ごもり思ひかけぬを木の間より花とみるまで雪ぞふりける(古今331)

【通釈】冬籠りしていて、花など思いもかけなかったのに、木と木の間から、花かと思うほど雪が降っていた。

【補記】屏風歌に添えた歌であろう。
  

   

白雪のふりしく時はみ吉野の山下風に花ぞちりける(古今363)

【補記】右大将藤原定国の四十賀に詠まれた屏風歌。古今集に作者名表記はないが、拾遺集・貫之集に貫之作とする。

冬歌よみ侍りけるに

春ちかくなりぬる冬の大空は花をかねてぞ雪はふりける(続古今680)

【語釈】◇はなをかねてぞ やがて咲き散るであろう花を見込んで。

題しらず

ふる雪を空にぬさとぞたむけつる春のさかひに年のこゆれば(新勅撰442)

【語釈】◇ぬさとぞたむけつる 神への捧げ物として手向けた。◇はるのさかひ 冬から春への境界。


もとやすのみこの七十の賀のうしろの屏風によみてかきける

春くればやどにまづさく梅の花きみが千年(ちとせ)のかざしとぞみる(古今352)

【語釈】◇もとやすのみこ 本康親王。仁明天皇の皇子。

【参考歌】山上憶良「万葉集」
春さればまづ咲く宿の梅の花ひとり見つつや春日くらさむ

左大臣家のをのこごおんなご子、かうぶりし、もぎ侍りけるに

大原や小塩(をしほ)の山の小松原はやこだかかれ千代の影みむ(後撰1373)

【語釈】◇左大臣家 藤原実頼。◇をのこごをんな子 男児女児。◇かうぶりし、もぎ 冠し、裳着。それぞれ男女の成人式を言う。◇おほはら 大原野神社。藤原氏の氏神。◇はやこだかかれ 小松が育つように、子供たちも早く成長せよ。

【補記】松・千代・影は縁のある言葉。

離別
みちのくにへまかりける人によみてつかはしける

白雲のやへにかさなるをちにても思はむ人に心へだつな(古今380)

【先行歌】柿本人麻呂歌集歌「万葉集」
雲隠れ小島の神し畏くは目はへだつとも心へだつな

【主な派生歌】
われがなほ折らまほしきは白雲の八重にかさなる山吹の花(和泉式部)
別れても心へだつな旅衣いくへかさなる山ぢなりとも(定家[千載])
岩根ふみいく重の峰をこえぬとも思ひもいでむ心へだつな(実朝)

人をわかれける時によみける

別れてふことは色にもあらなくに心にしみてわびしかるらむ(古今381)

【主な派生歌】
浅茅原かつ霜がれて別れてふことは色にも見ゆる秋かな(慶雲)
草も木もうつろひはてて別れてふことは色にもくるる秋かな(姉小路基綱)

雷(かむなり)のつぼにめしたりける日、大御酒(おほみき)などたうべて、雨のいたくふりければ、夕さりまで侍りてまかりいでけるをりに、さかづきをとりて

秋萩の花をば雨にぬらせども君をばましてをしとこそ思へ(古今397)

【通釈】秋萩が雨に濡れるのも惜しいけれど、あなた様とのお別れが更に惜しまれます。

【語釈】◇雷のつぼ 襲芳舎の別称。内裏の北西隅。落雷した木があったという。◇君をばましてをしと… あなたとお別れすることが、萩が雨に散るのにも増して、心残りに感じられる。「君」はこの歌を贈った相手である兼覧王(惟喬親王の子)を指す。

【補記】醍醐天皇に召され、雷壺で酒を賜った貫之が、辞去の際、同席していた兼覧王に贈った歌。兼覧王の返しは「をしむらむ人の心をしらぬまに秋の時雨と身ぞふりにける」(大意:惜しんで下さる貴方のお気持を知らない間に、秋の時雨が「降る」ように我が身は「古」びてしまったことです)。

藤原のこれをかが武蔵の介にまかりける時に、おくりに相坂をこゆとてよみける

かつ越えてわかれもゆくかあふさかは人だのめなる名にこそありけれ(古今390)

【語釈】◇藤原のこれをか 藤原惟岳。贈太政大臣長良の孫。大宰少弐などを歴任。◇あふさか 既出。◇人だのめなる名 人を期待させる名。「逢ふ」に因む名なのに、名だけで実はない、という気持。

志賀の山ごえにて、いしゐのもとにて物いひける人の別れけるをりによめる

むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人にわかれぬるかな(古今404)

【試訳】貴女は両掌で山清水を掬い取る――すると手のひらから雫が落ちて、水面をかき乱してしまう。仏に閼伽(あか)としてお供えしたくなるような清らかな水に、濁りがひろがる、一瞬のうちに…。ひととき貴女とこの山道で出逢い、語り尽くすこともできずに、お別れすることになってしまった。私の心に、ちょうどこの山清水の波紋のようなものを残して…。

【語釈】◇あかでも 飽かでも。満足せずに、の意(モは詠嘆)。アカに《閼伽》を掛ける。閼伽は仏への供え物。特に水を言う。

【鑑賞】「此の歌『むすぶ手の』とおけるより、『しづくににごる山の井の』といひて、『あかでも』などいへる、大方すべて、言葉、ことのつゞき、すがた、心、かぎりなく侍るなるべし。歌の本體はたゞ此の歌なるべし」(藤原俊成『古来風躰抄』)。

【他出】新撰和歌、貫之集、古今和歌六帖、拾遺集、俊成三十六人歌合、古来風躰抄、定家八代抄、時代不同歌合、詠歌一体

【主な派生歌】
袖ひちてせく手ににごる山水の澄むを待つとや月のやすらふ(俊恵)
結ぶ手に影乱れゆく山の井のあかでも月のかたぶきにけり(慈円[新古今])
手に結ぶ程だにあかぬ山の井のかけはなれ行く袖のしら玉(定家)
夏山やゆくてにむすぶ清水にもあかで別れし古里をのみ(〃)
あかざりし山井の清水手にくめばしづくも月の影ぞやどれる(〃)
夏の夜はげにこそあかね山の井のしづくにむすぶ月の暉も(〃)
かはりゆく影に昔を思ひ出でて涙をむすぶ山の井の水(藤原親盛[新勅撰])
契りあらば又も結ばん山の井のあかで別れし影な忘れそ(後深草院少将内侍[続古今])
結ぶ手に月をやどして山の井のそこの心に秋やみゆらん(源通方[風雅])
あかざりし雲と雨とのかたみかは花の滴ににごる山の井(正徹)

羇旅
土左よりまかりのぼりける舟の内にて見侍りけるに、山の端ならで、月の浪の中より出づるやうに見えければ、昔、安倍の仲麿が、唐にて「ふりさけみれば」といへることを思ひやりて

都にて山のはに見し月なれど海よりいでて海にこそいれ(後撰1355)

【補記】出典は「土左日記」。都では山の端から出入りする月を、航路にあって海から出入りするのを見た感動。

土左より任果てて上り侍りけるに、舟の内にて、月を見て

てる月のながるる見れば天の川いづるみなとは海にぞありける(後撰1363)

【補記】これも「土左日記」に見える歌。月が天の川を流れるように移動し、やがて海に没してゆくのを見、天の川の河口は海へと出ていたのだと言っている。

十七日、くもれる雲なくなりて、あかつき月夜いとおもしろければ、舟を出だして漕ぎゆく。このあひだに、雲の上も海の底も、おなじごとくになむありける。むべも昔の男は「棹は穿つ波の上の月を、船はおそふ海のうちの空を」とはいひけむ。聞きざれに聞けるなり。またある人のよめる歌、
 みな底の月のうへよりこぐ舟の棹にさはるは桂なるらし
これを聞きて、ある人のまたよめる、

影みれば波の底なるひさかたの空こぎわたるわれぞさびしき(土左日記)

【補記】海面に映じた月の光によって、空と海とが同一視される。

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題しらず

吉野河いはなみたかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし(古今471)

【語釈】◇いはなみ 「岩波」「言は無み」の掛詞。

【他出】新撰和歌、貫之集、俊成三十六人歌合、古来風躰抄、五代集歌枕、定家八代抄、時代不同歌合、詠歌一体

【先行歌】読人不知「古今」
吉野川いはきりとほし行く水の音にはたてじ恋ひは死ぬとも

【主な派生歌】
夏はつるみそぎにちかき川風にいは浪たかくかくるしらゆふ(定家)

題しらず

世の中はかくこそありけれ吹く風のめに見ぬ人もこひしかりけり(古今475)

【語釈】◇世の中 男女の仲。◇吹く風の 吹く風のように。◇めに見ぬ人 たとえば、噂だけ聞いて実際見たことはない人。

【主な派生歌】
とこはあれぬいたくな吹きそ秋風の目にみぬ人を夢にだにみん(家隆)
吹く風の目にみぬ人も軒端なる梅さくころは待たれけるかな(堯孝)

題しらず

逢ふことは雲ゐはるかになる神の音にききつつ恋ひ渡るかな(古今482)

ひとの花つみしける所にまかりて、そこなりける人のもとに、のちによみてつかはしける

山ざくら霞のまよりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ(古今479)

【主な派生歌】
ほのみてし君にはしかじ春霞たなびく山の桜なりとも(家隆[千五百番])
身にぞしむ霞にもるる面影のさだかにみえし花の下風(正徹)

題しらず

秋風のいなばもそよと吹くなへにほにいでて人ぞ恋しかりける(玉葉1645)

【語釈】◇いなばもそよと 稲葉もそよと。「そよ」は風が稲葉を鳴らす擬音語に、「其(そ)よ」(そうだよ)を掛ける。◇ほにいでて 稲が穂に出る意に、思いが表面にあらわれる意を掛ける。

大空はくもらざりけり神な月時雨心ちはわれのみぞする(貫之集)

【通釈】時雨の降る季節だと言うのに、大空は曇らないことだ。初冬十月、時雨の降りそうなけはいがするのは私ばかり――恋に苦しみ、時雨のようにぱらぱらと涙を流しては止み。

【補記】拾遺集は読人しらずとする。しかし『貫之集』に載り、『古今和歌六帖』も作者貫之としており、貫之の作に違いない。

寛平御時きさいの宮の歌合のうた

君こふる涙しなくは唐衣むねのあたりは色もえなまし(古今572)

題しらず

世とともに流れてぞ行く涙川冬もこほらぬみなわなりけり(古今573)

夢ぢにも露やおくらむ夜もすがらかよへる袖のひちてかわかぬ(古今574)

【語釈】◇夢ぢ 夢の中で辿る道。◇つゆやおくらむ 露が置くのだろか。露は涙を暗示。

題しらず

五月山こずゑをたかみ郭公なくねそらなる恋もするかな(古今579)

【語釈】◇そらなる 空にある。「そらなる恋」で、心ここにあらぬ恋、の意にもなる。

【主な派生歌】
ゆふ暮はなくね空なる時鳥心のかよふ宿やしるらん(定家)
初春のはつねのけふの百千鳥鳴くね空なる朝がすみかな(順徳院)
いづくよりあがるも見えず霞む日に啼く音そらなる夕雲雀かな(慶雲)

題しらず

秋の野にみだれてさける花の色のちぐさに物を思ふころかな(古今583)

題しらず

まこもかる淀の沢水雨ふればつねよりことにまさるわが恋(古今587)

【主な派生歌】
ほととぎすなく声きけば山里につねよりことに人ぞまたるる(源道済)

やまとに侍りける人につかはしける

こえぬまはよしのの山のさくら花人づてにのみききわたるかな(古今588)

【補記】「山を越えて、吉野の桜を実際この目で見ないうちは、その美しさを人伝にばかり聞く」という表の意味に、「障害を乗り越えてあなたに逢わないうちは、噂にばかり聞いて過ごすのか」という恋の心を籠めている。「よしの」の「よし」には、桜を讃美する「美し」を響かせる。

弥生ばかりに、ものたうびける人のもとに、また人まかりつつせうそこすとききて、よみてつかはしける

露ならぬ心を花におきそめて風吹くごとに物思ひぞつく(古今589)

【語釈】◇露ならぬ心 露のように果敢なくはない心。いい加減でない恋心。◇花 詞書「ものたうびける人」(言葉をかけて下さった人)を擬す。◇おきそめて 恋心を抱き始めて。露の縁語として「おき」と言う。◇風吹くごとに 詞書の「また人まかりつつ消息(せうそこ)すとききて」を具体的には指す。思い人に別の男が手紙をやったと聞いて、風に吹かれる露のように心を乱すことを言う。風には噂の意もある。◇物思ひぞつく 物思いが取りつく。

題しらず

白玉とみえし涙も年ふればから紅にうつろひにけり(古今599)

【語釈】◇白玉 真珠など、白い宝玉の類。◇から紅くれなゐ 唐紅。大陸渡来の紅。深紅色。血涙の色をこう言っている。

題しらず (二首)

津の国の難波のあしのめもはるにしげきわが恋人しるらめや(古今604)

手もふれで月日へにけるしらま弓おきふしよるはいこそねられね(古今605)

【語釈】◇しらま弓 白い檀の木で作った弓。「知らず」(あの人はこの思いを知らない)を響かせる。◇おきふしよるは 恋に悶え苦しみ、起きたり横になったりして、夜は。起き・伏し・寄る(すべて弓を使う際の動作にかかわる語)を掛ける。◇いこそねられね 「い」に、これも弓の縁語「射」(い)を掛ける。

題しらず

しのぶれど恋しき時はあしひきの山より月のいでてこそくれ(古今633)

【語釈】◇あしひきの 山の枕詞。足を引いてもあなたのもとへ行こう、といった意を響かせる。◇いでてこそくれ 山から自然と月がのぼるように、おのずと私も家を出てあなたの所へ行くのです。

題しらず

しきしまや大和にはあらぬ唐衣ころもへずして逢ふよしもがな(古今697)

【語釈】◇しきしまや 「やまと」の枕詞。「しきしまの」とする本もある。◇やまとにはあらぬ 日本国ではないところの。ここまでは「唐」を導く序。◇唐衣 もともと外国製または外国風の衣裳を言う。ここでは同音反復で「ころ(頃)」を導くはたらきをする。◇ころもへずして あまり日にちを置かずに。幾日も経たずに。

題しらず

色もなき心を人にそめしよりうつろはむとは思ほえなくに(古今729)

【語釈】◇色もなき心 もともと色などなかった心。「色」は文字通り色を意味して「そめ」「うつろふ」と縁語になるが、また「色もなき」で「浮ついたところなどない」の意もなる。◇うつろはむとは 色が変ろうとは。「うつろふ」は心が変る(恋人に飽きる)意が掛かる。

【補記】貫之集には末句「おもはざりしを」、拾遺集には詞書「女の許につかはしける」、末句「わがおもはなくに」とある。

題しらず

いにしへになほ立ちかへる心かな恋しきことに物忘れせで(古今734)

【語釈】◇いにしへ 初めて当人に恋した頃のことを言う。

【主な派生歌】
いにしへの春にもかへる心かな雲ゐの花に物忘れせで(二条院讃岐[続後撰])
むかしいま思ひのこさぬ寝覚かな暁ばかり物忘れせで(西園寺実氏[続古今])
待ちしよに又立ちかへる夕べかな入逢の鐘に物忘れせで(二条良基[新拾遺])

延喜十七年八月宣旨によりてよみ侍りける

こぬ人を下に待ちつつ久方の月をあはれと言はぬ夜ぞなき(拾遺1195)

【語釈】◇下に待ちつつ 心中に待ちつつ。◇月をあはれといはぬよぞなき すばらしいなあと月を賞美しない夜とてない。

【補記】恋人を待っている内心を隠し、月を眺めているふりをしているのである。この歌、拾遺集には雑賀の巻に載せるが、ここでは恋歌とした。

【主な派生歌】
いにしへの春にもかへる心かな雲ゐの花に物忘れせで(二条院讃岐[続後撰])

人のもとより帰りてつかはしける

暁のなからましかば白露のおきてわびしき別れせましや(後撰862)

【通釈】もし暁がなかったならば、白露が置く時に起きて辛い別れなどしたでしょうか。

【語釈】◇おきて 「置きて」「起きて」の掛詞。

言ひかはしける女のもとより「なほざりに言ふにこそあめれ」と言へりければ

色ならば移るばかりも染めてまし思ふ心をえやは見せける(後撰631)

【通釈】私の思いが色であるならば、あなたの心に移るほどにも染めましょう。しかし色ではないのですから、どうして思う心を見せることができたでしょう。

年久しく通はし侍りける人に遣はしける

玉の緒のたえてみじかき命もて年月ながき恋もするかな(後撰646)

題しらず

風ふけばとはに波こす磯なれやわが衣手のかわく時なき(新古1040)

【参考歌】作者不詳「万葉集」
潮満てば入りぬる磯の草なれや見らく少なく恋ふらくの多き

【主な派生歌】
浦風やとはに浪こすはま松のねにあらはれて鳴く千鳥かな(定家)
よしさらばこぬみの浜の浦松のとはに波越すねをもしのばじ(為家)

題しらず

ももはがき羽かくしぎもわがごとく朝(あした)わびしき数はまさらじ(拾遺724)

【語釈】◇朝(あした)わびしきかず 朝の悲しい別れの数。いわゆる後朝(きぬぎぬ)の別れを言う。

【先行歌】読人不知「古今集」
暁の鴫の羽がき百羽がき君が来ぬ夜はわれぞ数かく

【主な派生歌】
ももはかく鴫のはねがきいくかへり朝わびしき秋にあふらん(家隆)
庭もせにうつろふ比のさくら花あしたわびしき数まさりつつ(定家)

題しらず

おほかたのわが身ひとつの憂きからになべての世をも恨みつるかな(拾遺953)

【語釈】◇おほかた だいたいのところ。◇憂きからに 辛いからと言って。拾遺集で恋歌とするのに即せば、この「憂き」は恋愛感情について言っていることになる。◇なべての世をも 世間一般をも。男と女からなるこの世を、おしなべて。

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 哀傷

紀友則が身まかりにける時よめる

明日しらぬわが身と思へど暮れぬまの今日は人こそかなしかりけれ(古今838)

おもひに侍りける年の秋、山寺へまかりける道にてよめる

朝露のおくての山田かりそめにうき世の中を思ひぬるかな(古今842)

【語釈】◇おもひに侍りける年 喪に服しておりました年。◇おくて 「置く」「晩稲」を掛ける。◇かりそめ 「刈り初め」「仮初」を掛ける。

藤原のたかつねの朝臣の身まかりての又の年の夏、ほととぎすのなきけるをききてよめる

郭公けさ鳴く声におどろけば君に別れし時にぞありける(古今849)

河原の左のおほいまうちぎみの身まかりてのち、かの家にまかりてありけるに、塩釜といふ所のさまをつくれりけるをみてよめる

君まさで煙たえにし塩釜のうらさびしくも見え渡るかな(古今852)

【語釈】◇塩釜(しほがま) 今の宮城県塩竃市の塩竃港・塩竃湾あたり。河原左大臣源融は自邸に塩竃の浦を模した庭を造った。

【主な派生歌】
須磨の海人のたく藻の煙たえだえにうらさびしくも見えまがふかな(慈円)

おもひ出でぬことなく、おもひ恋しきがうちに、この家にて生まれしをんな子の、もろともにかへらねば、いかがは悲しき。舟人も、みな子たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲しきにたへずして、ひそかに心知れる人といへりける歌

むまれしもかへらぬものをわが宿に小松のあるをみるがかなしさ(土左日記)

とぞいへる。なほ飽かずやあらむ、またかくなむ

みし人の松のちとせにみましかばとほくかなしき別れせましや(土左日記)

【補記】京の家に帰ってのち、土佐で亡くした幼い娘を悲しんだ歌。日記では娘の母の歌としている。

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 雑

同じ御時、大井に行幸ありて、人々に歌よませさせ給ひけるに

大井河かはべの松に事とはむかかるみゆきやありし昔を(拾遺455)

【補記】第五句を「ありし昔も」とする本もある。詞書の「同じ御時」は延喜御時(醍醐天皇代)。

越なりける人につかはしける

思ひやる越の白山しらねどもひと夜も夢にこえぬ夜ぞなき(古今980)

【語釈】◇越(こし)の白山(しらやま) 加賀白山。「しらね」を導く。

元良親王、承香殿の俊子に春秋いづれかまさると問ひ侍りければ、秋もをかしう侍りといひければ、面白き桜をこれはいかがと言ひて侍りければ

おほかたの秋に心はよせしかど花見る時はいづれともなし(拾遺510)

世の中心細く、つねの心地もせざりければ、源の公忠の朝臣のもとにこの歌をやりける。このあひだに病おもくなりにけり

手に結ぶ水にやどれる月影のあるかなきかの世にこそありけれ(拾遺1322)

後に人の云ふを聞けば、この歌は返しせむと思へど、いそぎもせぬほどに失せにければ、驚きあはれがりてかの歌に返しよみて、愛宕にて誦経して、河原にてなむ焼かせける。

【補記】貫之が源公忠に贈った歌。公忠が返歌をしようとする暇もなく、貫之は亡くなったという。これが貫之の辞世となった。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
世の中といひつるものかかげろふのあるかなきかのほどにぞ有りける


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* 水垣 久 氏
により編集されたテキストを許に、「歌座」編集部・長谷川有が縦表記へ変更した。 
    ここで氏へ改めて感謝いたします。