万葉集    

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        巻 第 一

 
         雑歌(くさぐさのうた)

      泊瀬(はつせ)の朝倉の宮に天(あめ)の下しろしめしし
      天皇(すめらみこと)の代(みよ)
 
        天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)    1

籠(こ)もよ み籠持ち 堀串(ふくし)もよ み堀串持ち
この丘に 菜摘ます子 家告(の)らせ 名のらさね
そらみつ 大和の国は おしなべて 吾(あれ)こそ居れ
しきなべて 吾(あれ)こそ座(ま)せ 吾(あ)をこそ 
夫(せ)とは告らめ 家をも名をも
 

       高市の崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 

       天皇の香具山に登りまして望国(くにみ)したまへる時に
       みよみませる御製歌(おほみうた)  2


大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙(けぶり)立ち立つ
海原は 鴎(かまめ)立ち立つ 
うまし国ぞ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は
 

       天皇の宇智の野(ぬ)に遊猟(みかり)したまへる時、中皇命
    (なかちひめみこ)の 間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして
     献らせたまふ歌   3


やすみしし 我が大王(おほきみ)の 朝(あした)には 取り撫でたまひ
夕へには い倚(よ)り立たしし み執(と)らしの 梓の弓の
鳴弭(なりはず)の 音すなり 朝猟(あさがり)に 今立たすらし
夕猟(ゆふがり)に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 
鳴弭の音すなり
 
      反(かへ)し歌    4

玉きはる宇智の大野に馬並(な)めて朝踏ますらむその草深野
 


       讃岐国安益郡(あやのこほり)に幸(いでま)せる時、
       軍王(いくさのおほきみ)の山を見てよみたまへる歌   5

霞立つ 長き春日(はるひ)の 暮れにける 別(わ)きも知らず
むらきもの 心を痛み 鵺子鳥(ぬえことり) うら嘆(な)げ居(を)れば
玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大王(おほきみ)の
行幸(いでまし)の 山越しの風の 独り居(を)る 吾(あ)が
衣手(ころもて)に 朝宵に 還らひぬれば 大夫(ますらを)と 
思へる我(あれ)も 草枕 旅にしあれば 思ひ遣(や)る 
たづきを知らに 綱の浦の 海人処女(あまをとめ)らが 
焼く塩の 思ひぞ焼くる 吾(あ)が下情(したごころ)

 
      反し歌   6 

山越しの風を時じみ寝(ぬ)る夜おちず家なる妹を懸けて偲(しぬ)ひつ
 
      右、日本書紀ヲ検(カムガ)フルニ、讃岐国ニ幸スコト無シ。
     亦軍王ハ 詳(ツマビ)ラカナラズ。但シ山上憶良大夫ガ
     類聚歌林ニ曰ク、紀ニ曰ク、 天皇十一年己亥冬十二月
     己巳朔壬午、伊豫ノ温湯ノ宮ニ幸セリト云ヘリ。
     一書ニ云ク、是ノ時宮ノ前ニ二ノ樹木在リ。此ノ二ノ樹ニ
     斑鳩(イカルガ)比米(シメ)二ノ鳥、大ニ集マレリ。
     時ニ勅(ミコトノリ)シテ多ク 稲穂ヲ掛ケテ 之ヲ養ヒタマフ。
     乃チ作メル歌ト云ヘリ。若疑(ケダシ)此便ヨリ幸セルカ。
 

     明日香の川原の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 

        額田王の歌   7 


秋の野のみ草苅り葺き宿れりし
         宇治の宮処(みやこ)の仮廬(かりいほ)し思ほゆ
 
    右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検(カムガ)フルニ曰ク、
     書ニ曰ク、戊申ノ年 比良ノ宮ニ幸ス大御歌ナリ。
     但シ紀ニ曰ク、五年春正月己卯ノ朔ノ辛巳、 天皇、
     紀ノ温湯ヨリ至リマス。三月戊寅ノ朔、天皇吉野ノ宮ニ
     幸シテ肆宴ス。 庚辰、天皇近江ノ平浦ニ幸ス。
 

       後の崗本の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 

        額田王の歌    8 


熟田津(にきたづ)に船(ふな)乗りせむと月待てば
               潮もかなひぬ今は漕ぎてな
 
      右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検フルニ曰ク、飛鳥ノ岡本宮ニ
     御宇シシ 天皇元年己丑、九年丁酉十二月己巳ノ朔ノ壬午、
     天皇太后、伊豫ノ湯ノ宮ニ幸ス。 後ノ岡本宮ニ馭宇シシ天皇
     七年辛酉ノ春正月丁酉ノ朔ノ壬寅、御船西ニ征キテ、 始メテ
     海路ニ就ク。庚戌、御船伊豫ノ熟田津ノ石湯行宮ニ泊ツ。
     天皇、昔日ヨリ 猶存レル物ヲ御覧シ、当時忽チ感愛ノ情ヲ
     起シタマヒキ。所以因(ソヱニ)歌詠ヲ 製マシテ為ニ哀傷
     シミタマフ。即チ此ノ歌ハ天皇ノ御製ナリ。
     但額田王ノ歌ハ、 別(コト)ニ四首有リ。
 

       紀の温泉(ゆ)に幸せる時、額田王のよみたまへる歌   9 


三諸(みもろ)の山見つつゆけ我が背子が
              い立たしけむ厳橿(いつかし)が本
 

       中皇命の紀の温泉に徃(いま)せる時の御歌     10 11 12 
 

君が代も我が代も知らむ磐代(いはしろ)の岡の草根をいざ結びてな


我が背子は仮廬作らす草(かや)無くば
             小松が下(もと)の草(かや)を苅らさね


吾(あ)が欲りし子島(こしま)は見しを底深き
              阿胡根(あこね)の浦の玉ぞ拾(ひり)はぬ
    右、山上憶良大夫ガ類聚歌林ヲ検(カムガ)フルニ曰ク、
     天皇ノ御製歌ト云ヘリ。
 

        中大兄(なかちおほえ)の三山(みつやま)の御歌     13 


香具山は 畝傍(うねび)を善(え)しと 耳成(みみなし)と 相争ひき
神代より かくなるらし 古昔(いにしへ)も しかなれこそ
現身(うつせみ)も 嬬(つま)を 争ふらしき
 
       反し歌    14 15 

香具山と耳成山と戦(あ)ひし時立ちて見に来(こ)し印南(いなみ)国原

綿津見の豊旗雲に入日さし今宵の月夜(つくよ)きよく照りこそ
 
      右ノ一首ノ歌、今案(カムガ)フルニ反歌ニ似ズ。但シ旧本
     此ノ歌ヲ以テ反歌ニ載セタリ。故レ今猶此ノ次ニ載ス。
     亦紀ニ曰ク、天豊財重日足姫天皇ノ先ノ四年乙巳、
     天皇ヲ立テテ皇太子ト為ス。
 

       近江の大津の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 

        天皇の内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原朝臣に詔
     (みことのり) して、春山の万花(はな)の艶(いろ)、
     秋山の千葉(もみち)の彩(にほひ)を競憐(あらそ)はしめ
     たまふ時、額田王の歌を以(もち)て判(ことは)りたまへる
     その歌   16 


冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど 山を茂(し)み 入りても聴かず
草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては
黄葉(もみ)つをば 取りてそ偲(しぬ)ふ 青きをば 
置きてそ嘆く そこし怜(たぬ)し 秋山吾(あれ)は
 

       額田王の近江国に下りたまへる時よみたまへる歌    17 


味酒(うまさけ) 三輪の山 青丹(あをに)よし 奈良の山の
山の際(ま)ゆ い隠るまて 道の隈(くま) い積もるまてに
つばらかに 見つつ行かむを しばしばも 見放(さ)かむ山を
心なく 雲の 隠さふべしや
 
      反し歌    18 

三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなむ隠さふべしや
 
      右ノ二首ノ歌、山上憶良大夫ガ類聚歌林ニ曰ク、近江国
    ニ都ヲ遷ス時、三輪山ヲ御覧シテ御歌ヨミマセリ。日本書紀ニ
    曰ク、六年丙寅春三月辛酉朔己卯、近江ニ都ヲ遷ス。
 

       井戸王(ゐとのおほきみ)の即ち和(こた)へたまへる歌     19 


綜麻形(へそがた)の林の岬(さき)のさ野榛(ぬはり)の
                衣に付くなす目につく我が夫(せ)
 
     右ノ一首ノ歌、今按フニ和スル歌ニ似ズ。但シ旧本此ノ次ニ
    載セタリ。故レ以テ猶載ス。
 

       天皇の蒲生野(かまふぬ)に遊猟(みかり)したまへる時、
    額田王のよみたまへる歌   20 


茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる
 

     皇太子(ひつぎのみこ)の答へたまへる御歌
     明日香宮ニ御宇シシ天皇  21 


紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾(あれ)恋ひめやも
 
   紀ニ曰ク、天皇七年丁卯夏五月五日、蒲生野ニ縦猟シタマフ。
     時ニ大皇弟諸王内臣及ビ群臣皆悉ク従ヘリ。
 

    明日香の清御(きよみ)原の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 

    十市皇女(とほちのひめみこ)の伊勢の神宮(おほみがみのみや)
     に参赴(まゐで)たまへる時、波多の横山の巌(いはほ)を
     見て、吹黄刀自(ふきのとじ)がよめる歌   22 


河の上(へ)のゆつ磐群に草むさず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて
 
   吹黄刀自ハ詳ラカナラズ。但シ紀ニ曰ク、天皇四年乙亥春
     二月乙亥朔丁亥、十市皇女、阿閇皇女、
     伊勢神宮ニ参赴タマヘリ。
 

    麻續王(をみのおほきみ)の伊勢国伊良虞(いらご)の島に
    流(はなた)へたまひし時、
    時(よ)の人の哀傷(かなし)みよめる歌  23 


打麻(うつそ)を麻續の王海人なれや伊良虞が島の玉藻苅ります
 

    麻續王のこの歌を聞かして感傷(かなし)み和へたまへる歌  24 


うつせみの命を惜しみ波に湿(ひ)で伊良虞の島の玉藻苅り食(は)む
 
   右、日本紀ヲ案フルニ曰ク、天皇四年乙亥夏四月戊戌ノ
     朔乙卯、三品麻續王、罪有リテ因幡ニ流サレタマフ。
     一子ハ伊豆ノ島ニ流サレタマフ。一子ハ血鹿ノ島ニ流サレ
     タマフ。是ニ伊勢国伊良虞ノ島ニ配スト云フハ、若疑後ノ
    人歌辞ニ縁リテ誤記セルカ。
 

     天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)  25 


み吉野の 耳我(みかね)の嶺(たけ)*に 時なくそ 雪は降りける
間(ま)無くそ 雨は降りける その雪の 時なきがごと  その雨の 
間なきがごと 隈(くま)もおちず 思ひつつぞ来る その山道を
 
   或ル本(マキ)ノ歌、  26 

み吉野の 耳我の山に 時じくそ 雪は降るちふ
間なくそ 雨は降るちふ その雪の 時じくがごと
その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を
 
   右、句々相換レリ。此ニ因テ重テ載タリ。
 

    天皇の吉野の宮に幸せる時にみよみませる御製歌(おほみうた)27 


淑き人の良しと吉く見て好しと言ひし芳野吉く見よ良き人よく見
 
   紀ニ曰ク、八年己卯五月庚辰朔甲申、吉野宮ニ幸ス。
 

    藤原の宮に天の下しろしめしし天皇の代
 

    天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)  28 


春過ぎて夏来るらし白布(しろたへ)の衣乾したり天の香具山
 

    近江の荒れたる都を過(ゆ)く時、柿本朝臣人麿がよめる歌 29


玉たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原の ひしりの御代よ
生(あ)れましし 神のことごと 樛(つが)の木の いや継ぎ嗣ぎに
天の下 知ろしめししを そらみつ 大和を置きて
青丹よし 奈良山越えて いかさまに 思ほしけめか
楽浪(ささなみ)の 大津の宮に 天の下 知ろしめしけむ
天皇(すめろぎ)の 神の命(みこと)の 大宮は ここと聞けども
大殿は ここと言へども 霞立つ 春日か霧(き)れる 夏草か 
繁くなりぬる ももしきの 大宮処(おほみやどころ) 見れば悲しも
 
   反し歌   30 31 

楽浪の志賀の辛崎(からさき)幸(さき)くあれど
            大宮人(ひと)の船待ちかねつ


楽浪の志賀の大曲(おほわだ)淀むとも昔の人にまたも逢はめやも
 

     高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が近江の堵(みやこ)の
     旧(あ)れたるを感傷しみよめる歌  32  33 


古の人に我あれや楽浪の古き都を見れば悲しき

楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも
 

    紀伊国に幸せる時、川島皇子のよみませる歌(みうた)
    或ルヒト云ク、山上臣憶良ガ作   34 


白波の浜松が枝の手向(たむけ)ぐさ幾代までにか年の経ぬらむ

    日本紀ニ曰ク、朱鳥四年庚寅秋九月、天皇紀伊国ニ幸ス。
 

     勢(せ)の山を越えたまふ時、阿閇皇女(あべのひめみこ)の
     よみませる御歌   35 


これやこの大和にしては我が恋ふる紀路にありちふ名に負ふ勢の山
 

    吉野の宮に幸せる時、柿本朝臣人麿がよめる歌   36 


やすみしし 我が大王(おほきみ)の きこしをす 天の下に
国はしも 多(さは)にあれども 山川の 清き河内(かふち)と
御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に
宮柱 太敷き座(ま)せば ももしきの 大宮人は
船並(な)めて 朝川渡り 舟競(ふなきほ)ひ 夕川渡る
この川の 絶ゆることなく この山の いや高からし
落ち激(たぎ)つ 滝の宮処(みやこ)は 見れど飽かぬかも
 
   反し歌   37 38 

見れど飽かぬ吉野の川の常滑(とこなめ)の
           絶ゆることなくまた還り見む


やすみしし 我が大王(おほきみ) 神(かむ)ながら 神さびせすと
吉野川 たぎつ河内に 高殿を 高知り座(ま)して
登り立ち 国見をすれば 畳(たた)な著(づ)く 青垣山
山神(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつき)と
春へは 花かざし持ち 秋立てば もみち葉(ば)かざし
ゆふ川の 神も* 大御食(おほみけ)に 仕へ奉(まつ)ると
上(かみ)つ瀬に 鵜川を立て 下(しも)つ瀬に 小網(さで)さし渡し
山川も 依りて仕(つか)ふる 神の御代(みよ)かも
 
   反し歌   39 

山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に船出せすかも
 
   右、日本紀ニ曰ク、三年己丑正月、天皇吉野宮ニ幸ス。
     八月、吉野宮ニ幸ス。四年庚寅二月、吉野宮ニ幸ス。五月、
     吉野宮ニ幸ス。五年辛卯正月、吉野宮ニ幸ス。四月、
     吉野宮ニ幸セリトイヘリ。何月ノ従駕ニテ作ル歌ナルコトヲ
     詳ラカニ知ラズ。
 

    伊勢国に幸せる時の歌     


嗚呼児(あご)の浦に船(ふな)乗りすらむ乙女らが
                  珠裳の裾に潮満つらむか
40 


釵(くしろ)纏(ま)く答志(たふし)の崎に今もかも
                  大宮人の玉藻苅るらむ
41 

潮騒に伊良虞の島辺(へ)榜ぐ船に妹乗るらむか荒き島廻(しまみ)を42 
 
  右の三首(みうた)は、
    柿本朝臣人麿が京(みやこ)に留りてよめる。


我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の隠(なばり)の山を今日か越ゆらむ43 
 
  右の一首(ひとうた)は
    當麻真人麻呂(たぎまのまひとまろ)が妻(め)。 


吾妹子(わぎもこ)をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも44
 
   右の一首は、石上(いそのかみ)の大臣(おほまへつきみ)の
     従駕(おほみとも)つかへまつりてよめる。右、日本紀ニ曰ク、
     朱鳥六年壬辰春三月丙寅ノ朔戊辰、浄広肆廣瀬王等ヲ以テ、
     留守官ト為ス。是ニ中納言三輪朝臣高市麻呂、其ノ冠位
     (カガフリ)ヲ脱キテ、朝ニササゲテ、重ネテ諌メテ曰ク、
     農作(ナリハヒ)ノ前、車駕以テ動スベカラズ。辛未、天皇諌ニ
     従ハズシテ、遂ニ伊勢ニ幸シタマフ。五月乙丑朔庚午、
     阿胡行宮ニ御ス。
 

    輕皇子の安騎(あき)の野に宿りませる時、
     柿本朝臣人麿がよめる歌   45 


やすみしし 我が大王(おほきみ) 高ひかる 日の皇子(みこ)
神(かむ)ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて
隠国(こもりく)の 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を
石(いは)が根 楚樹(しもと)押しなべ 坂鳥の 朝越えまして
玉蜻(かぎろひ)の 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に
旗すすき しぬに押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ほして
 
   短歌(みじかうた)  46 47 48 49

安騎の野に宿れる旅人(たびと)うち靡き
          寝(い)も寝(ぬ)らめやもいにしへ思ふに


ま草苅る荒野にはあれど黄葉(もみちば)の過ぎにし君が形見とそ来し

東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて
               反り見すれば月かたぶきぬ


日並(ひなみ)の皇子の命の馬並めて御狩立たしし時は来向ふ
 

    藤原の宮営(つく)りに役(た)てる民のよめる歌   50 


やすみしし 我が大王(おほきみ) 高ひかる 日の皇子(みこ)
荒布(あらたへ)の 藤原が上に 食(を)す国を 見(め)したまはむと
都宮(おほみや)は 高知らさむと 神ながら 思ほすなべに
天地(あめつち)も 依りてあれこそ 石走る 淡海(あふみ)の国の
衣手の 田上(たなかみ)山の 真木さく 檜(ひ)のつまてを
物部(もののふ)の 八十(やそ)宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ
そを取ると 騒く御民(みたみ)も 家忘れ 身もたな知らに
鴨じもの 水に浮き居て 吾(あ)が作る 日の御門に
知らぬ国 依り巨勢道(こせぢ)より 我が国は 常世にならむ
図(ふみ)負へる 神(あや)しき亀も 新代(あらたよ)と 泉の川に
持ち越せる 真木のつまてを 百(もも)足らず 筏に作り
泝(のぼ)すらむ 勤(いそ)はく見れば 神ながらならし
 
   右、日本紀ニ曰ク、朱鳥七年癸巳秋八月、藤原ノ宮地ニ幸ス。
     八年甲午春正月、藤原宮ニ幸ス。冬十二月庚戌ノ朔乙卯、
     藤原宮ニ遷リ居ス。
 

     明日香の宮より藤原の宮に遷り居(ま)しし後、
     志貴皇子のよみませる御歌   51 


媛女(をとめ)の袖吹き反す明日香風都を遠みいたづらに吹く
 

    藤原の宮の御井の歌   52


やすみしし 我ご大王(おほきみ) 高ひかる 日の皇子(みこ)
荒布の 藤井が原に 大御門(おほみかど) 始めたまひて
埴安(はにやす)の 堤の上に あり立たし 見(め)したまへば
大和の 青香具山は 日の経(たて)の 大御門に
青山と 茂(し)みさび立てり 畝傍の この瑞山(みづやま)は
日の緯(よこ)の 大御門に 瑞山と 山さびいます
耳成の 青菅山(あをすがやま)は 背面(そとも)の 大御門に
よろしなべ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は
影面(かげとも)の 大御門よ 雲居にそ 遠くありける
高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御影の
水こそは 常磐(ときは)に有らめ 御井のま清水
 
   短歌   53

藤原の大宮仕へ顕(あ)れ斎(つ)くや処女が共は羨(とも)しきろかも
 
   右の歌、作者(よみひと)未詳(しらず)。
 

    太上天皇(おほきすめらみこと)の難波の宮に幸せる時の歌  


大伴の高師の浜の松が根を枕(ま)きて寝(ぬ)る夜は家し偲はゆ
 
   右の一首は、置始東人(おきそめのあづまひと)。  66 

旅にして物恋(こほ)しきに家語(いへごと)も
                聞こえざりせば恋ひて死なまし
 
   右の一首は、高安大島。   67  

大伴の御津の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや
 
   右の一首は、身人部王(むとべのおほきみ)。  68 

草枕旅行く君と知らませば岸の黄土(はにふ)に匂はさましを
 
   右の一首は、清江娘子(すみのえのをとめ)が、長皇子に
     進(たてまつ)れる歌。姓氏ハ詳カナラズ。 69
 

     大宝(だいはう)元年(はじめのとし)辛丑(かのとうし)、
     太上天皇の吉野の宮に幸せる時の歌    


大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象(きさ)の中山呼びそ越ゆなる
 
   右の一首は、高市連黒人。 70
 

巨勢山の列列(つらつら)椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を 
 
   右の一首は、坂門人足(さかどのひとたり)。 54
    或ル本ノ歌、 


河上の列列椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は
 
   右の一首は、春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)。 56 
 

    三野連が唐(もろこし)に入(つか)はさるる時、
     春日蔵首老がよめる歌
 62 

大船(おほぶね)の対馬の渡り海中(わたなか)に
             幣(ぬさ)取り向けて早帰り来ね
 

    山上臣憶良(やまのへのおみおくら)が、大唐(もろこし)に
    在りし時、 本郷(くに)憶(しぬ)ひてよめる歌  63


いざ子ども早日本辺(やまとへ)に大伴の
               御津の浜松待ち恋ひぬらむ
 
 

    太上天皇の紀伊国に幸せる時
    調首淡海(つきのおびとあふみ)がよめる歌
  55 

麻裳(あさも)よし紀人羨しも真土山行き来と見らむ紀人羨しも
 

      二年(ふたとせといふとし)壬寅(みづのえとら)、
      太上天皇の参河国に幸せる時の歌


引馬野(ひくまぬ)ににほふ榛原入り乱り衣にほはせ旅のしるしに
 
  右の一首は、長忌寸奥麻呂(ながのいみきおきまろ)。 57 

いづくにか船泊てすらむ安禮(あれ)の崎
     榜ぎ廻(た)み行きし棚無小舟(たななしをぶね)
 
   右の一首は、高市連黒人。  58

流らふる雪吹く風の寒き夜に
         我が夫(せ)の君はひとりか寝(ぬ)らむ
 
 
   右の一首は、譽謝女王(よさのおほきみ)。  59

宵に逢ひて朝(あした)面無み隠(なばり)にか
             日(け)長き妹が廬りせりけむ
 
 
   右の一首は、長皇子(ながのみこ)。  60

大夫(ますらを)が幸矢(さつや)手(だ)挟み立ち向ひ
            射る圓方(まとかた)は見るに清(さや)けし
 
 
   右の一首は、舎人娘子(とねりのいらつめ)が従駕(おほみとも)
     つかへまつりてよめる。  61
 

    慶雲(きやううむ)三年(みとせといふとし)丙午(ひのえうま)、
    難波の宮に幸せる時の歌


葦辺(あしへ)ゆく鴨の羽交(はがひ)に霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ
 
   右の一首は、志貴皇子。 64 

霰打ち安良禮(あられ)松原住吉(すみのえ)の
       弟日娘(おとひをとめ)と見れど飽かぬかも
 
 
   右の一首は、長皇子。 65
 

    大行天皇(さきのすめらみこと)の難波の宮に幸せる時の歌


大和恋ひ眠(い)の寝(ね)らえぬに心なく
              この渚(す)の崎に鶴(たづ)鳴くべしや
 
   右の一首は、忍坂部乙麻呂(おさかべのおとまろ)。 71 

玉藻刈る沖へは榜がじ敷布(しきたへ)の枕の辺(ほとり)忘れかねつも
 
   右の一首は、式部卿(のりのつかさのかみ)藤原宇合。 72 

我妹子を早見浜風大和なる吾(あ)を松の樹に吹かざるなゆめ 
 
   右の一首は、長皇子。  73
 

    大行天皇の吉野の宮に幸せる時の歌


み吉野の山の荒風(あらし)の寒けくにはたや今宵も我(あ)が独り寝む
 
   右の一首は或るひとの云はく天皇のみよみませるおほみ歌 74 

宇治間山(うぢまやま)朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに
 
   右の一首は、長屋王。  75 
 

    寧樂(なら)の宮に天の下知ろしめしし天皇の代
 

    和銅元年(はじめのとし)戊申(つちのえさる)、
     天皇のみよみませる御製歌(おほみうた)
  76 

大夫(ますらを)の鞆(とも)の音すなり物部(もののふ)の
               大臣(おほまへつきみ)楯立つらしも
 

    御名部皇女(みなべのひめみこ)の和(こた)へ奉れる御歌 77 


吾が大王(おほきみ)ものな思ほし皇神(すめかみ)の
                  嗣ぎて賜へる君なけなくに
 

     三年庚戌(かのえいぬ)春三月(やよひ)藤原の宮より
     寧樂の宮に遷りませる時、長屋の原に御輿(みこし)
     停(とど)めて古郷(ふるさと)を廻望(かへりみ)したま
     ひてよみませる歌(みうた)  一書ニ云ク、飛鳥宮ヨリ
     藤原宮ニ遷リマセル時、太上天皇御製ミマセリ


飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ 78 
 

    藤原の京より寧樂の宮に遷りませる時の歌
  79

天皇(おほきみ)の 御命(みこと)畏(かしこ)み 和(にき)びにし 
家を置き  隠国(こもりく)の 泊瀬の川に 船浮けて 
吾(あ)が行く河の 川隈(くま)の 八十隈(やそくま)おちず 
万(よろづ)たび かへり見しつつ 玉ほこの 道行き暮らし 
青丹よし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我(あ)が寝たる
衣の上よ 朝月夜(づくよ) さやかに見れば 栲(たへ)の穂に 
夜の霜降り 磐床と 川の氷(ひ)凝(こほ)り 冷(さ)ゆる夜を 
息(やす)むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代まてに 
座(い)まさむ君と 吾(あれ)も通はむ
 
   反し歌

青丹よし寧樂の家には万代に吾(あれ)も通はむ忘ると思(も)ふな 
 
   右の歌は、作主(よみひと)未詳(しらず)。 80
 

     五年(いつとせといふとし)壬子(みづのえね)夏四月
     (うづき)、長田王(ながたのおほきみ)を伊勢の斎宮
     (いつきのみや)に遣はさるる時、
     山辺の御井にてよめる歌


山辺(やまへ)の御井を見がてり神風(かむかぜ)の
              伊勢処女(をとめ)ども相見つるかも
 81 


うらさぶる心さまねし久かたの天のしぐれの流らふ見れば  82 

海(わた)の底沖つ白波立田山いつか越えなむ妹があたり見む 83 
 
   右ノ二首ハ、今案(カムガ)フルニ御井ノ所ノ作ニ似ズ。
     若疑(ケダシ)当時誦セル古歌カ。
 

     長皇子と、志貴皇子と、佐紀の宮にて
     倶宴(うたげ)したまふときの歌


秋さらば今も見るごと妻恋に鹿(か)鳴かむ山そ高野原の上
 
   右の一首は、長皇子。  84 
 

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